180601 上田秋成『白峯』に見る、近代的性格と非近代的性格 作成中
文学の近代を考えるための作品解説
「近代的性格」以外の部分で、『白峯』の特徴的な描写、魅力的な表現に着目すれば、それが「非近代的性格」を示唆しているのでは?
 崇徳院には西行がいっている事が正しいとわかっていても、自我を突き通すところがある。
 西行ー教えを説き崇徳院に教える
 常識ではありえないことがおこる
 近代的と検索すると、「自我の確立と人間性の尊重」と出てくる。
 これを踏まえて「白峯」を読んでみると、崇徳院=近代的象徴という印象を持つ。
 そして、この崇徳院から近代的性格を引き出し、個性を引き立てているのは、「西行」である。
 西行は、この中で規範的な役割を果たしている。むしろ、西行=規範 という感じである。
 例えば、”天子とは神のお定めになる位です。人が私欲で奪おうとも得られるはずがない道理です。”とある。私利私欲を捨て成仏するのが願わしい御心であることを示し、この一文でも崇徳院の近代的な性格を対峙して引き出している。
 崇徳院に見える近代的性格は・・・
 近代的な性格をまず考えると、近代的とは世の中の人がその人物に要求しているその人のレッテルと違うことをやりたがるということである。つまり「私は社会で位置づけられている私とは違うのだ」という考えをもっているものだ。『白峯』の崇徳院はこの近代的な人物像として描かれている。西行が崇徳院に例えば『詩経』を出したりとあれやこれやと議論している。
 「白峰」に見る非近代的性格
 ・議論小説なのに夢幻能のような設定。
 諸国一見の僧が道行き(道行きは別の世界に行く。と言う意味合いがあるため)により祟徳院の霊に会う。天狗や鬼火など夢幻能的な要素がふんだんに含まれている。

 近代的性格
 己のエゴイズムと法的議論。
 内面と外面の葛藤や自分の秘めたる欲求と倫理。などのジレンマ的要素
 ・近代的性格:自我の確立と人間性の尊重

 ・非近代的性格
 崇徳院の登場シーンでは、道行文では歌枕を連ね、妖怪となった崇徳院の姿の表現(遠くから見ているような表現をしていたかと思えば、崇徳院の容姿の細かい部分までの表現に移っているようなところ)など登場する前からの描写が細かい。それまで、崇徳院のこの世への執着の苦しみや悲しみが延々と語られている。そういう生生しい人間性の表現は近代的といえるのだろうが、崇徳院の心以外の部分にも作品としての魅力が感じられる。両方とも詳しく描かれているにも関わらず、その両方の効果によって、作品に深みが感じられる。
 【近代的性格】
 祟徳院の亡霊は西行に「欲を捨てて成仏してほしい、もうあなたは死んでしまったのだし、そんなことを言っても仕方ないじゃないか」というようなことを言われる。
 祟徳院はその事は認め納得するが、「しかし自分はこんな辛い目にあってきたのだ」と長々と西行に話して聞かす。

 文学の近代的性格というのは、
 「舞姫」の知識人の内面の矛盾、「蒲団」の師から弟子への愛、などの常識的・世間的にそうであってはならないという立場の人たちの止められない自分の欲求・思いが書かれているものである。
 これをつまり白峰に置き換えてみると、西行の言うことは常識的・世間的なことで、祟徳院が「しかし・・・」と西行に話して聞かせたのは自分の欲求・思いということになる。


 【非近代的性格】
 「道行」は別の世界へ行くこという意味がある。
 西行が道行をしていることが、どこかこの世ではない別の世界へ繋がっていることを連想させる。
 『白峰』における近代的な性格は、仏教を通して社会的な規範を説く西行に対して、現実の人生を語り規範に治まることができない崇徳院がいるというところにある。これは、森鴎外の『舞姫』や島崎藤村の『破壊』にもあるように、世間から見たレッテルに反する人物が描かれていることと同じである。それに対して非現実的な性格は、道行文といった形になっており、この世ならぬ世界、幽玄的な場面を描いている。
 『白峯』は、亡霊となった崇徳院と、それを鎮めようとする西行法師の物語である。この物語の中は、まず西行法師が崇徳院の御陵があるという白峯に向かうところから始まる。冒頭部分は、白峯に向かうまでの情景が描かれており、舞台の様子がイメージしやすいようになっている。
 御陵に着き、供養をしようと歌を詠むと、
 崇徳院によれば彼の一生は我慢に我慢を重ねた生涯だった。その我慢も切れて反乱を起こし島流しにあって、諦めつつある中で最後の望みに、書いた写経だけでも都に入れて欲しいと送ったのすら呪いと取られて入れてもらえず、はっきり言って兄弟に裏切られたのだ。

 あるいみ周りの期待を裏切る形になった。世の中が欲求するレッテルとは違う自分。
 何が崇徳院に世の中が期待したことなのか?
 西行は崇徳の近代的な考えを浮き立たせるための論理を展開した?
 崇徳は西行の論理を正しいといいながらも納得できないのだと言う。
 崇徳と話ができた西行。