Thank all at the BIG-愛,2000.5.11


素晴らしかった一日
・・・昨日5月11日に、「パーディ’S クリニック」がありました.。皆さんのおかげで、イベントは大成功でした。
あの場にいた人たち全員と、この上なく素敵だったお天気に、ありがとう。


この企画が2月にユーコちゃんからブルマンに持ち込まれた時点で分かっていたことは、

@ 和歌山での会場はBIG愛
A メンバーはパーディ氏が人選する

の2点だけでした。なぜ和歌山なのか? という疑問に、「和歌山にはファミリーがいるから。」とのパーディ氏の一言で、僕らは「絶対に成功させてやる。」事を誓いました。誰がなんといってもここ和歌山で、このメンバーと友人達だけで成功させてやる。これが2月初旬でした。

それからは、練習が終わってから深夜2時まで、毎週のようにミーティング。時には僕んちで練習をつぶしてのミーティングをずっと行いました。その内容は「パーディ’S クリニックBBS」に詳しいので読んでもらうとして、この中で各自の役割分担・作業担当・指示伝達系統などを決め、業者との交渉・他府県への足での広報・媒体への広報・そして受け付け経理セクションの仕事が始まりました。これが3月〜最近まで。

東京サイドとの連携は、浅山さんだけが頼りでした。NYのオフィスへはFAX・メールでの連絡でしたが、意思疎通が十分できるまで時間はかかりました。オフィシャルな予算がわからない、広報企画が分からない、連絡が取れない。僕らはパーディ氏の「君らには人を集めてもらいたいんだ。他の心配は要らないからね。」という言葉だけで、昨日まで動いてきました。

そりゃあ不安でしたよ、チケット販売が始まるまでは(笑)。だって和歌山です。それと僕らシロートですもん、この分野は。前述のように情報は遅いし。ただ、みんなが社会人の強みと言うか、組織だった仕事の仕方なんてのはどんな分野でもそんな変わらないからね。チケット販売目標が250と決まってからは、逆算形式で達成するためにどうするかを考え、実行していきました。おかげさまで、目標をはるかに上回る結果になったんですけど。

 ペイバック? そんなものぜんぜん期待していなかった。僕らの経費を差し引いた残りは全額パーディさんに渡します。コンサート単体で考えれば、それでも赤字ですもん。これでヴィデオが売れなかった日にゃあ、ね。・・・ですから差し出がましいですが、少しでも補填する形でと思って。

広報企画・チケットデザイン・業者との交渉・媒体への交渉・販売体制の確立・受け付け体制・経理管理・当日運営企画・人員の募集・備品の購入・ケータリングマナーの学習・パンフ作成・経費計算・当日から翌日のミュージシャン送迎・宿泊・・・。仕事は山ほどありました。こんな中でうれしかったのが、この町のみんながこのイベントに対してすごく好意的だったことです。パンフの広告取りや取材要請では、ブルマンのみんなが「頑張ってください!」と声を掛けてもらっていました。

 特にとてもうれしかったのが、ワカヤマという場所や年齢・性別を超えて、パーディさんのドラムを聴きたい人たちがチケットを買ってることが判り出した事です。4月中旬かな? 「この人たちにも、僕らが貰ったものを持って帰ってもらえるんやなぁ。」と思うと、うれしくてうれしくて。あなたたちが思っている以上の感動が、当日あるよーって、ホント早く言ってあげたかった。

僕らは知っていました。彼が人間的にも素晴らしいって事を。それは99年の7月に、彼が小さな練習スタジオで僕らに無償で熱っぽく音楽を教えてくれた時に実感していたのでした。あの数時間が、それ以降の僕らのライフにどれだけ影響を与えてくれたか・・・。ですから、早く皆さんのもとにもこの感動を届けたかった。チケットが200枚売れたころ、そんな風に考えてました。


 そして当日。ミホ・カオリは徹夜で準備してました。イクもほぼ近い状態でした。ユーコチャンも。ヒロヨも。貴志君も。僕?僕はどうしても抜けられない仕事があり、午前中はそれに従事したのですが、我慢できず、会議2つをブッチして会場に行きました。いってみるとみんなが自分の責任において自分のセクションで仕事してました。僕はうかつに口を出して、ユーコチャンに「お兄ちゃんは!今日は私らがやるから、ウロウロしてて!」と叱られました(笑)。

リハーサルが始まり、会場前にお客さんが集まり始めました。
僕は1番ノリの少年たちと話しました。
「いくつ?」
「14」
「この人、知ってる?」
「うん、お父さんから。」
「楽しんでって!」

・・その次の人は大阪から。
「楽器屋で知ってん。スゴイナー、和歌山。」

学生服で、約6kmほどを自転車で来た中坊。手には汗ばんだチケットです。
「もう、始まったん?」
「いや。まだや。」
「スティック、サインくれるかな?」
「うん、絶対大丈夫。でも、本気で頼めよ。英語で。」
「うん!」
とチャパツの中坊は会心の笑顔です。

おじいさんとおばあさん。おじいさんは杖をついてます。
「あのー、私ら若い頃JAZZが好きでねぇ。今日はJAZZかなぁ?」
「うーん。ちょっと違いますけど、楽しいですよ。」
「そうですか。ふふふ、楽しみやねぇ、おじーさん。」

・・・楽しかった。僕自身が楽しかった。飛び跳ねるロックコンサートや、着飾ったディナー・ショウにはない、自由。みんなあくせくしていない。並んでいてもゆったりしている。まだ、こんなコンサート(っていうかなんと言うか)が出来るんやんか。日本でも。

 そして開演。僕は受け付け番をしていて、後半だけ内容を見ました。なんと、パーディ氏が会場の質問に自身のセットから立ち上がって、質問した人のちかくで答えてる。そして、演奏で返している。回答のコメントがまたユーモラスで、通訳の菊間くんもセンスよく日本語にするから、場内は爆笑。僕が見たところからは、R&Bのグルーヴと、ニューオーリンズビートのルーツになってるセカンドラインでの名曲「アイコ アイコ」などで、のりのり。

 アンコールで呼び出されたとき、パーディ氏はユーコちゃんを呼び、みんなに紹介しました。感極まるユーコ&パーディ。で、最後にブルーズ・シャッフルの曲です。シンチャンのソロがかっこよかった!それと、盟友 浅山こたろうさんのカオ!くしゃくしゃ。あとで知ったのですが、彼自身も、若い頃パーディ氏に会った時、泣き出したそうです。そうですよね、僕らの世代にとっては彼は「神」に近いグルーヴ・キングですもん。

 終演後、2分もしないでロビーでサイン会をしました。はじめはパーディさんの横に僕がいてスペルを彼に教えてただけでしたが、しばらくしてからメンバー全員がロビーに出てきて、ロブとベースのロイが僕の横に来ました。で、3人いっきのサイン会になったのです。

小学校3年生の子。
「なんて書いてもらう?」と聞くと、
「雑賀小学校3年、○○。」
「いや、だから、ここに書いてもらう言葉、どうする?」
「うーん、ぽけもん。」

50歳くらいのオバハン。
「にーちゃん、ここに「「あなたは最高です。」」って書いてもらって。」
それを伝えると、ロブは
「YOU are the best woman I've ever met.」と書いて、一人で爆笑!

家族3人でサインをもらい、奥さんが感極まって泣いていたり、
なくなった奥さんのためにサインをもらってた男性がいたり。

何で今日のお客さんはこんなにドラマティックなんやろ、と、僕はロブの陽気さにあきれながら思っていました。

 皆さんもご覧になったでしょ? 彼は絶対にサインをすることを嫌がらなかった。必ず目を見て握手した。そして言葉をかけた。ステージ終了直後でも、夜遅くでも、相手が誰でも。・・・もちろん自分の音楽を広めていくための態度としては当然なのかもしれません。でも彼は30年間世界のトップドラマーとしてそこにいるのです。この事実を考えると、僕は驚異的なことだと思います。

ささやかな打ち上げの席で、彼は「今回のこのイベントは、僕の夢だったことなんだ。6年くらい前から考えてた。小さいころ、学校の先生から「「誰にでも社会に貢献できる何かがそなわってる。それを探してご覧。」」といわれた。幸いにも僕は音楽家として社会に参加できた。そんな僕が、社会に還元できることは音楽を教えることだ。その事に6年前、気づいた。それからは、ずっとこんな形で出来るチャンスを待ってたんだ。そこに福岡の人たち、ユーコ、そして君たちが現れた。今だ、と思ったよ。」と語ってくれました。

そして、2次会でOLD TIMEへ。なんとここでもロイ・ロブ・シンチャンと菊間君で、オーティス・メドレーの演奏を聞けました。
ここではシンチャンが「イヤー、今日のコンサートは良かったで。めっちゃ暖かかった!」といってくれたのがうれしかった。