HOW DID WE MEET " Mr. Groove" ?

 1999年。当時、バンドやユニットを超えて、R&Bやロックについての練習を、毎週月曜日にやってました。そこではユーコ、イカ、こばやし、アニキ、イク、宝子、タカダ君と僕が集まって、リズムとかヴォーカルとかハーモニーとかの全般的なことを毎回テーマを決めて音出しながらやってたんです。
そんなある6月の月曜日に、ユーコが「春に知り合ったバーナード・パーディさんが、和歌山に遊びに来たがってるけど?」との話がありました。ユーコは、98年やったか、キングカーティスのライヴが秋にCD化された時以来、パーディさんを神のように尊敬し始めていて、99年の春に彼が大阪にライヴで来た時に、「グルーヴの秘密を教えてくれ!」と、なんと楽屋に押しかけていったんです。その時以来親交が出来ていたので、ひょっとしたらそんなこともあるだろうと思っていました。

 で、7月1日。雨上がりの岩出町:ユーコたちがよく行っているスタジオに、本当に彼が来てくれました。

 僕にとっても、77年にキングカーティスのライヴや、ルースブラウンの宝物のようなセッション、極めつけはアリーサのライヴなど、とにかく自分にとって一生大切にするだろう音楽を作った人の一人です。そんな宝物のレコードと、サインしてもらうためのギターを持って、スタジオにいました。
あまりの緊張に、最初は誰も話さない。そんなところから始まった交流でした。・・・でも彼は、聞いた事にすべて応えてくれ、あろうことかその場でバンドを組んでドラムを叩いてまで教えてくれようとしました。「ドラマーの音楽に対するアプローチのし方は、こうなんだよ。」とか、「グルーヴの秘密は・・・」とか、それこそ、珠玉のようなコトバを次々と発しながら。 その日は最後に、「また会おう。君達がやっていることはとても素晴らしい。練習集団を続けなさい。そのうちに一緒にやろう。」という言葉を残して、彼は去りました。それから。半年近くたってから、ユーコに「ワカヤマ・ファミリーは元気か? 一緒に仕事しよう。」ということで始まったのが別ページの内容です。

 彼は、2000年のワカヤマが終了した時、打ち上げで、「僕は音楽に沢山の人と旅と素晴らしい心をもらったんだ。自分のこれからを考えると、そんな素晴らしいものを世界の人たちが感じられるように、僕の持っている技術や経験をみんなに伝えたいんだ。」と、しみじみ話してられました。それと、「今回、僕のこの申し出に快く応じて、こんなに素晴らしいライヴを作ってくれてありがとう。君らの事を僕は誇らしく思う。関係は始まったばかりだ。これからもよろしく。」というところまで言って下さったのでした。

 2000年以降、LAでの電力供給がままならない中での編集がおわり、そのヴィデオが発売されたのが2002年になっていました。僕らの練習集団 BLUE MONDAYS は、発展的に解消していました。それぞれが自分のバンドとかに戻って、2000年のパーディさんとの体験を実践していこうということでした。でも、パーディさんはその後もワカヤマによく来られたし、沢山の人たちとの交流をされていました。一部の人たちが中傷するような、大口を叩くような人じゃなく、少なくとも僕らとの関係の中では彼は言行一致の人です。

 そんな経緯があっての、今回、2004年のライヴです。この話は、3月に彼が和歌山に来て、「9月くらいにライヴをやりたいんだけど。友達のパンチョにこんなコンサートを作ってくれる友達がいる事を自慢したいんでね。」という切り出しから始まりました。僕はそれならどうしてもやってもらいたいことがへの理解と敬意が始まったことを僕は知ってるし、特に京都にはパーディさんを神と仰ぐ方が沢山いて、今も音楽的な影響力を持っていることも知ってましたので、あつかましいけどお願いしたのです。彼は快諾してくれました。「おもしろそうだね!」って、ニヤってね。で、その流れもあって、じゃあ中間の大阪でも、と、近畿を縦に流れるツアーが決まりました。

 今回のライヴは、4年前のメンバー+パーカッションのマスター:パンチョ・モラレスが参加されます。説明不要ですよね。世界最高の打楽器奏者、で十分でしょう。さて、パンチョさんがパーディさんのように感動されるライヴを、お客さんであるあなたと一緒に作れるかどうか。今から楽しんで行こうと思います。 

あにき 04/08/02