|
ふじ大山道巡り 1 |
|
「ふじ大山道」は、千二百年位前から当時の国府「府中」に通ずる道として開かれ、練馬区で最も古い街道といわれています。
現在の「環状八号線」「富士街道」がそれにあたりますが、起点は、東武東上線東武練馬駅近くの川越街道旧道と環八通りの 交差点からといわれています。 このルートはほぼ直線の区間が多いので、棒道、一種の軍事道路であったとも思われています。 この間「東武東上線東武練馬駅」「営団有楽町線平和台駅」「都営大江戸線練馬春日町駅」「西武池袋線石神井公園駅」を経由し 「旧早稲田通り (所沢道) 」迄の、練馬区を北東から南西にかけて縦断する約8Kmの行程を、道すがら近くの寺院・神社などの 石仏・石造を観賞しながら巡り歩きました。 東武東上線東武練馬駅に降り立ったのが10時です。 駅南口を直進すると、直ぐ川越街道旧道に出会います。 ここに、川越街道の目じるしの一つであった「北町聖観音堂 (石観音堂) 」がありました。 狭い旧道沿いに北町商店街が密集している為、観音堂の周りは自転車置場の呈をなしており、門柱も隠れていました。 門柱脇の説明板によると、珍しい石造りの「阿吽の形の仁王像」は練馬区の有形文化財に、本尊の「聖観音座像」は練馬区の有形 民族文化財に指定されているそうです。 特に聖観音座像は、高さが270cmあり区内最大の石仏とあります。 ![]() 昭和四十二年 造立 左 正徳四年(1714) 造立 貞享三年(1686) 造立 仁王門〜観音堂を臨む 門柱 右 寛延三年(1750) 造立 薬師如来像 青面金剛の庚申塔 ![]() 天和三年(1683) 造立 観音堂 天和二年(1682) 造立 墓観音堂の左隣の堂に 阿吽の形の仁王像 聖観音座像 馬頭観音像 川越街道旧道沿いは、昔の下練馬宿の名残で北町商店街の賑やかな通りが続きます。 ![]() 石観音堂を約250m東に進むと「浅間神社」に出会います。 当初、 「石観音堂」 と 「浅間神社」 は、探訪の予定に入れてませんでした。 川越街道旧道沿いの賑やかさの中で、毅然と存在感を漂わせている空間に惹かれ、つい立寄りました。 喧騒の商店街の中で、唯一神聖静寂が保たれている空間で、守護神的な役割を担っているのでしょう。 一の鳥居をくぐると広い憩いの場になっている境内があり、石段を上り二の鳥居をくぐると社殿になります。 ![]() 明治五年(1872) 造立 大正四年(1915) 造立 昭和五十年(1975) 造立 昭和二年(1927) 造立 明神型一之鳥居 神明型二之鳥居と社殿 和風の獅子型狛犬 富士講の開祖覚行法師像 二之鳥居の左側に、高さ約5m・径約15mの小高い「下練馬の富士塚」があります。 富士塚は富士山の合目に因んで、ジグザグの登山道の折れ曲がる地点に合目石が配置されていました。 一・三・四・六・七・八の6つの合目石が確認できました。 三合目には一対の石猿が、また山頂には石宮が祀られています。 山道には要所に溶岩塊を配し、狭いながらも手の込んだ人造富士に作り上げています。 富士塚とか守護神の大天狗・烏天狗また石猿に出会い、思わぬ拾い物をした感じです。 街の再開発に流されず、いつまでも街の発展とうまく融合していくことを祈るばかりです。 ![]() 国旗掲揚塔の辺りが 一合目石 三合目石と石猿 同 60〜70cmある 富士塚の入り口 眺め猿と拝み猿 ![]() 四合目石 六合目石 七合目石 八合目石 ![]() 山頂 入母屋造り屋根の石宮 小御嶽神社碑を挟んで 明治五年(1872) 造立 (右)大天狗 (左)烏天狗 「大山道の起点となる道標と不動明王坐像」を探しましたが、どうしても見当たらなかったので、資料「ふじ大山道」練馬区教育 委員会編) から画像をお借りしました。 道標には「従是大山道」と陰刻されており、その上に不動明王座像が乗っています。 大山道の道標の左脇には、「左東高野山道」と長命寺への道標もあるようです。 ( 2005年8月に中山道巡りをした折に、志村一里塚の先 清水坂を下る手前に「大山道ならびにねりま川こへ道」と刻まれた道標 と「是ヨリ富士山大山道」と書かれた庚申塔がひっそりと立っているのを見かけました。) ![]() 宝暦三年(1753) 造立 拡大画像 大山道起点の道標と不動明王坐像 そのまま商店街を進むと、川越街道旧道脇道の板橋区界には、道路中央の小祠に「馬頭観音道標の祠」がありました。 馬頭観音像の側面に「右王子道」「東戸田渡シ道」と陰刻があり、また石碑の側面にも「左戸田道 下練馬 右したばしみち」の陰刻 がありました。 また、川越街道旧道脇道の板橋区内に入った蕎麦屋の角に、「青色金剛像の庚申塔」がありました。 古い街道には、まだまだ多くの道標となる石造物が残っていることを感じました。 ![]() 馬頭観音祠 文化十二年(1815) 造立 年代不明 青色金剛像の庚申塔 馬頭観音像 馬頭観音の石碑 大山道起点の道標辺りから環八通りに出るべく、路を探している間に「稲荷神社」にでました。 稲荷神社 明神型鳥居 お稲荷様 更に進むと、三叉路の角に地蔵堂が見え、「安楽子育地蔵尊」が安置されていました。 ![]() 地蔵堂 天明四年(1784) 造立 安楽子育地蔵尊像 更に、南下しやっと国道254号線 (川越街道) に達しました。 川越街道を陸上自衛隊練馬駐屯地に沿って左折すると「環八通り」にでます。 ここから「営団有楽町線平和台駅」「都営大江戸線練馬春日町駅」迄の約3kmは、「環八通り」を往くことになります。 ![]() 下練馬道との分岐点に、右側面に「右/ふじ大山道」と陰刻がある大きな「庚申塔」が目立っています。 ![]() 文政四年(1821) 造立 側面の陰刻 庚申塔 庚申塔を東 (下練馬道) に入り 「如意山金乗院万徳寺」 を探訪しました。 入り組んだ細い路を辿り、幼稚園横の金乗院を探し当てました。 入り口が狭くこじんまりした感じですが、寺院内はきちっと整理整頓が行き届いていて、石仏・石塔などが配置されていました。 木造瓦葺で朱塗りの山門は、徳川家光の専用門だったと言われています。 山門前に「下練馬道」の道標がありました。 立札には「旧川越街道〜金乗院〜豊島園〜清戸道」に通じた道と記されています。 巨大な銘木公孫樹を中心に、全体的にゆったりと石仏が配置されていて、観賞し易い寺院でした。 石仏も、「練馬区唯一の月待六地蔵 (一石六地蔵)」「頭が剃り上がって長く、耳朶が肩の辺りまで垂れている延命地蔵」「小柄な 弘法大師坐像」「裏門を挟むように両側に 配置された聖観音像」 など、珍しいものもあり充実した探訪でした。 本尊は「愛染明王」と言うことで注意深く観察しました。 不動明王 (二腕) はありましたが、愛染明王 (六腕) が見当たらなかったのが残念です。 恐らく本堂に安置されているのでしょう。 ![]() 寺院名碑 下練馬道の道標 家光公使用の山門 享保十二年(1727) 造立 宝篋印塔 ![]() 大師像と弘法大師像 70cmと小柄な弘法大師像 明暦二年(1656) 造立 昭和三十八年(1963)造立 月待六地蔵 十三重塔 ![]() 本堂右側の石造群 まだ新しい不動明王像 明和五年(1768) 造立 昭和三十七年(1962)造立 教伝地蔵像 延命地蔵像 ![]() 昭和四十八年(1973)造立 安政四年(1757) 造立 文化八年(1811) 造立 嘉永三年(1850) 造立 安永八年(1779) 造立 地蔵像 延命地蔵像 観音像供養塔 聖観音供養塔 延命地蔵像 金乗院から営団有楽町線平和台駅までは、裏道を通りました。 ここでも数多くの石造物との出会いがありました。 道路拡張などの理由で、ふじ大山道から移設されたものもありました。 みどり幼稚園の裏に「地蔵像」が安置されていました。 裏に「西 ふじ山/大山ミち」と陰刻された「庚申塔の道標」もありました。 ![]() 昭和三十一年(1956) 造立 天保五年(1834) 造立 地蔵像 庚申塔の道標 環八通りに出る途中に「稲荷神社」があり、その隣に「庚申塔の道標」がありました。 側面に「右 大山/新高野道」と陰刻があり、環八通りから移設されたものと思われます。 ![]() 稲荷神社 明神型鳥居 保護されているお稲荷様 朱色の祠に手水石 境内に御嶽神社 文久三年(1863) 造立 拡大画像 庚申塔の道標 その他にも、馬頭観音の石碑が多く見受けられ、馬の往来の激しい交通の要所だったことを窺えさせました。 ![]() 明治二十三年(1890) 造立 昭和十四年(1939) 造立 明治三十九年(1906) 造立 明和三年(1766) 造立 馬頭観世音碑 馬頭観世音碑 馬頭観世音碑 青色金剛像の庚申塔 営団有楽町線平和台駅付近に、富士街道丸久保から移設した「馬頭観世音の小祠」がありました。 正面に「新高野 一里/田なし 三里/府中 ○里」と陰刻があり、右側面にも20ヶ所の里程が陰刻されていました。 馬頭観世音の祠 拡大画像 環八通りに面して「六十六部供養塔」「 新旧二体の地蔵尊」などが収められている小堂がありました。 左脇には、「「ふじ大山道」と彫られた道標の石碑があります。 ここは、志村から計って一里の位置にあるため「一里塚子育地蔵」といいます。 ![]() 地蔵堂 同 一里塚子育地蔵尊 同 安永三年(1774) 造立 六十六部供養塔 「都営大江戸線練馬春日町駅」〜「西武池袋線石神井公園駅」〜「旧早稲田通り」までの約5Kmは、「富士街道」になります。 都営大江戸線練馬春日町駅の300m手前で、環八通りを右折し極端に狭くなった路が富士街道です。 富士街道は、往復6車線の広い環八通りに比し、極端に道幅が狭くなりますが、その割には交通量の激しい路です。 ![]() 富士街道沿いに約200m進むと 、通りに面して「練月山愛染院観音寺」 の御影石の大きな寺院名碑が目立っていました。 朱塗りの山門まで150mの参道には、左側に「練馬大根の碑」「豊島八十八ヶ所第二十六番霊場の碑」右側の鰻家の前に 練馬 区内の回国供養塔としては一番古いと言われる「大乗妙典六十六部供養塔」 の石碑が立ち並び、由緒を感じさせます。 大師堂を参道に戻り、更に墓地方向に進みます。 大師堂の塀沿いにも石仏群が立ち並びます。 墓地入口には年代不明の地蔵尊が二体、更に、墓地の前にはやや顔が剥落した六地蔵が控えています。 永享九年 (1437) に開山された古いお寺だけあり、歴史を肌で感じさせてくれる多くの石仏・石造物が並んでいました。 愛染院の本尊愛染明王像は秘仏であり、また開帳もないので拝観は出来なく残念でした。 東武東上線東武練馬駅から直ぐの至便な立地にある為か、参拝の方が多く訪れていました。 ![]() 寺院名碑 六十六部供養塔 元禄十年(1697) 建造 元禄十四年(1701) 造立 山門 山門左側の鐘楼 ![]() 安永二年(1773) 造立 天保八年(1837) 造立 寛永二十年(1643) 造立 昭和三年(1928) 再建 延命地蔵像 延命地蔵像 宝篋印塔 本堂 ![]() 本堂を左に折れると大師堂へ (右) 寛保二年(1742) 造立 元文四年(1739) 造立 (右) 元禄十年(1697) 造立 参道沿いに立ち並ぶ石仏群 (中) 宝永六年(1709) 造立 ほぼ私と同じ背丈の六地蔵像 延命地蔵像 青色金剛像 二体 (左) 享保十二年(1727) 造立 (左) 寛文七年(1667) 造立 延命地蔵像 聖観音像 ![]() 独立した空間の大師堂 大師堂敷地内の九重塔 (右) 昭和四十九年 造立 享保十七年(1732) 〜 延命地蔵像 享保十九年(1734) 造立 (左) 年代不明 観音像 念仏地蔵 四体 ![]() (右) 年代不明 板碑 墓地入口に地蔵尊二体 宝暦十一年(1761) 造立 (左) 大正五年(1916) 造立 六地蔵像 馬頭観世音碑 愛染院を出て直ぐ、愛染会館の角にの角に「庚申塔の祠」がありました。 ![]() 享保十六年(1731) 造立 拡大画像 青色金剛像の庚申塔 大江戸線の上を走る大きな通りの練大江戸線の上を走る大きな通りの練馬春日町交差点を西に、一段と細くなった路「富士街道」 を更に進みます。 ほどなく往ったクリーニング店の脇に「延命地蔵の祠」がありました。 ![]() 安永三年(1774) 造立 拡大画像 延命地蔵尊 更に先のさかえ幼稚園の信号を右に入ると、小さな「若原稲荷神社」がありました。 神社を左折すると、道を挟んで左右にさかえ幼稚園の施設があり、正門の脇に可愛らしい「道祖神」がありました。 ![]() 若原稲荷神社 明神型鳥居 同 小社 道祖神 拡大画像 さかえ幼稚園の角を左折し富士街道に戻ると、その角に「青面金剛の庚申塔」がありました。 この辺りにかつて高松寺という寺があったらしいということです。 ![]() 元禄五年(1692) 造立 拡大画像 青色金剛像の庚申塔 練馬区内唯一の「仁王像」観賞を楽しみに、富士街道を離れ「御嶽神社」を探しました。 庚申塔先の郵便局を南に約150m、くねくねした道を辿り 「御嶽神社」 を見つけました。 神社そのものは、これといって見るべきものはなく境内も狭いのですが、お目当ての服部半蔵奉納の仁王像は迫力がありました。 像は阿形と吽形の2体で、いずれも高さが1m余りあります。 阿形像の右手首が欠損していたのが残念でした。 元々は、現在地より約150mほど北側の高松寺にありましたが、明治の初めに廃寺となった為御嶽神社に移されたとのことです。 仁王像の他にも不動明王像があり、本来は寺院の守護神とか本尊とされることの多い石像が観賞の出来る神社でした。 明治二十九年(1896) 建造 宝永三年(1706) 造立 拡大画像 明神型鳥居 仁王像 ![]() 社殿 明治二十九年(1906) 造立 稲荷社 明神型鳥居 慶応三年(1867) 造立 和風の獅子型狛犬 不動明王坐像 富士街道を更に進み、橋戸道・田無道の分岐点に達しました。 分岐点には地蔵尊が祠に入っており、案内板によると「谷原延命地蔵」ということです。 台石に「左 たなし道 大山道 二里」「みぎ はしど道」と刻まれ、道しるべになっています。 谷原延命地蔵の説明板 安永四年(1775) 造立 延命地蔵尊 分岐点を左に入り、谷原交差点東手前150mまで進むと、路辺に銘文の判読できない石柱が放置されていました。 「馬頭観音碑」ということらしいです。 石柱の斜め前の住宅の脇にも、「馬頭観世音の石碑」が安置されていました。 ![]() 風化激しい馬頭観音碑 明治○○年 造立 馬頭観世音碑 「清戸道」と交わる大きな谷原交差点を突っ切り、1400m直進すると西武池袋線石神井公園駅の踏切にでます。 踏切を渡り直ぐの石神井消防団第三分団とある倉庫の横に、「一里塚改築記念碑」が建っています。 ふじ大山道を東へ戻ると環八通りに面した「一里塚子育地蔵」があり、また西へ4Km往くと、保谷市内に一里塚の名が残って います。 記念碑の横に、「青色金剛像の庚申塔」があります。 ![]() 一里塚跡 一里塚改築記念碑 延享三年(1746) 造立 青色金剛像の庚申塔 一里塚より富士街道を離れて100m東に入った路地の奥に、大国天社が合祀されている「大鷲神社」があります。 ![]() 神明型の鳥居 寺院名碑 社殿 更に東南へ350m往くと、「和田稲荷神社」があります。 神社名碑の横に、「大東京市拡張記念碑」なる石碑がありました。 入り口の「台輪型鳥居」は、練馬区内で3基しかない珍しいものです。 ![]() 大正三年(1914) 造立 神社名碑 百度石 境内〜拝殿 台輪型の鳥居 明治三十三年(1900) 造立 境内社 明神型鳥居 稲荷社 狐型狛犬 稲荷神社直ぐの角を右に折れると、豊嶋氏家臣の渡邊家一族の墓所である「笠松墓地」にでます。 個人の墓地としては、立派な墓地名碑でした。 ![]() 墓地名碑 入り口の石造物 (右) 庚申塔 (中) 青面金剛像の庚申塔 (左) 地蔵像 更に街道を進むと広い霊場があり、ふじ大山道沿いにある区内地蔵尊の中では最も背の高い230cmの「子育地蔵尊」が目につき ます。 同所の手前に、歴史を感じる二体の石仏が祠に安置されていました。 ![]() 元文二年(1737) 造立 (右) 寛政八年(1796) 造立 子育地蔵尊 聖観音像_ (左) 元禄十一年(1698) 造立 青色金剛像の庚申塔 街道左手の蕎麦屋の脇に、地蔵堂があり建立年月日不明の風化が進んでいる「沼辺地蔵尊」が安置されていました。 ![]() 沼辺地蔵尊 沼辺地蔵の先の信号を南に100m入ると、「庚申塚」のバス停があります。 この先の、旧早稲田通りと上石神井通りの分岐点に由来の「庚申祠」があり、四つの石造物が祀られています。 右端の石灯篭は、道しるべらしく「南ハ多かいどミち/北ハひさをりみち」と陰刻が入っていました。 ![]() 庚申塚バス停 (右) 元文五年(1740) 造立 拡大画像 石灯篭の道標 (左) 元禄五年(1692) 造立 青色金剛像の庚申塔 庚申塚を富士街道に戻り、今回の終着点ふじ大山道と所沢道との分岐点の目印「道しるべ地蔵尊」に辿り着きました。 ![]() 宝永三年(1706) 造立 道しるべ地蔵尊 腰を据えて挑んだ行程でしたが、「石造物が然るべき所になく探しまくった」「環八通りの工事と交通騒音に悩まされた」「富士 街道の5m程度の道幅を、自動車がスピードを落とさず走り抜けていく」という、スリルとサスペンスに溢れた石仏巡りを味わい ました。 しかし、沿道には期待に違わず不動・地蔵・庚申塔・馬頭観音などいろいろの供養塔が数多く現存していて、宝探しのワクワク感 がいつまでも続いていました。 4月の陽気に恵まれて、疲れたが心地よい充実した1日でした。 <川崎の大山街道> 2005年9月 東急田園都市線溝の口駅近くで出会った庚申堂です。 ![]() 説明板 庚申堂 青面金剛像の庚申塔 大山街道の解説板 <ふじ大山道巡り> ☆ 旧川越街道〜所沢道交差地点 |