所沢道寺院 石仏巡り


  先週の「ふじ大山道」巡りの折り、帰路を東「所沢道」にとり「三宝寺」「道場寺」の山門を眺め、石神井図書館脇の「所沢道
 の道標」を確認し、
「禅定院」を通過したばかりである。

 所沢道の案内板によると、「所沢道は、八成橋で杉並区から練馬区へ入ります。禅定院の門前で向きを西に変え、道場寺・三宝寺
 を通り、富士街道を斜断した後、南大泉を経て保谷市に入り、所沢へと通じています。概ね今の「早稲田通り」です。」とある。
 今回は、街道沿いの由緒ありそうな寺院を時間をかけて巡ることにした。

      
     所沢道の道標
             案内板



 月に一度は、女房と石神井公園巡りをしている。
 豪奢な造りの家々を眺めながら石神井池 (ボート池) を巡り、三宝寺池で鴨などの水鳥と戯れる。
 時には、裏山の石神井城跡の土塁・空濠を巡る。

 この石神井城跡の裏 (南) に、武蔵野三十三観音霊場の第3番札所「
亀頂山蜜乗院三宝寺」が位置する。
 アクセスとしては、旧所沢みち沿いに道場寺の西隣りにあたる。
 三宝寺山門への途中客殿への入り口を20mほど入った所に、勝海舟邸より移したという長屋門があり、門前右手に庚申塔、左手に
 寺院名碑が配置されていた。

       
     昭和三十五年 移設         元禄十三年(1700) 造立  「本尊不動明王/弘法大師/三寶寺」
         長屋門 
              青色金剛像の庚申塔        の寺院名碑


 長屋門を戻り、旧所沢みちより正門を臨むと、左手に3m近くの大きな寺院名碑がそびえ、右手には二体の地蔵が立っている。
 一体はまだ新しいが、もう一体の方はかなりの年代を経て剥落が進んでいるようだ。

            
      寺院名碑〜山門        寛政三年(1791) 造立         昭和五十一年 造立 
                         亀乗地蔵             交通安全地蔵


 御成門と呼ばれる風格のある山門をくぐると、左手に大黒堂、右手に鐘楼が並び、正面には重厚な1対の石灯篭と本堂が構える。
 本堂の左、墓地の入り口には、庚申塔と真っ赤な前垂れをした1m弱の小柄な六地蔵が並んでいる。
 本堂寄りの弘法大師遠忌塔の裏には、二体の古色蒼然たる石仏が隠れていた。

 
    文政十年(1827) 改築       延宝三年(1675) 造立           本堂           元禄九年(1696) 造立   
       山門 御成門 
           鐘楼の梵鐘                               青色金剛像の庚申塔
 
    享保十八年(1733) 造立         (左) 釈迦如来
        六地蔵 
              (右) 大日如来


 石段を上がると、広い敷地に雄大きな「宝篋印塔」「根本大塔」「平和観音」が構え、その近代的な構造物に別世界の雰囲気が
 漂う。
 「根本大塔」の横には、無縁仏が立ち並ぶ。
 地蔵・観音の石仏の中、不動明王と大黒天が一体づつあり目を引いた。


                
 天明元年(1781) 造立            根本大塔               平和観音像 
     宝篋印塔 
      
     無縁仏の石仏群            中程に不動明王             拡大画像          如意輪観音と大黒天

 立札に従い「根本大塔」を右手に入ると,「大師堂」に至る。
 大師堂の右奥には「十二日講」の石造が建っている。

 
         大師堂          明治三十八年(1905) 造立
                            「十二日講碑」 


 大師堂の東南一帯は、四国八十八ヶ所霊場碑が立ち並ぶ。
 本堂左手に「四国八十八ヶ所お砂踏霊場」の石碑が建ち、霊場内は路がしっかりとついていて点在する石碑を辿りながら15分位
 で一巡できる。
 霊場脇に、「観音像・閻魔大王」二体の石仏が見受けられた。


    
   四国八十八ヶ所お砂踏霊場碑       お砂踏霊場の入り口辺り         石碑は明治三十年代と       阿弥陀如来碑の前には
                                        昭和四十八年に造立 
       仏像の頭が安置
 
          二体の石仏          延宝七年(1679) 造立
                          閻魔大王    

   

 石仏の数としては、期待したほどではなかったが、建造物の素晴らしさに目を惹かれた。
 当寺は、「武蔵野観音第三番霊場」になっており、本尊仏名と寺院名が刻銘されている四国霊場写し碑は、一つ一つが個性的で
 見ごたえがあった。

 三宝寺を更に100mいくと「氷川神社」があり、今日は恒例の骨董市が開かれていた。
 20分ほど店を冷やかし次の訪問先「道場寺」に赴く。
 


 石神井城主豊嶋氏の菩提寺として有名な、武蔵野三十三観音霊場の第2番札所「豊島山無量院道場寺」を訪ねた。
 石神井公園三宝寺池の裏手 (南) に位置し、旧所沢みち沿いの風格のあるお寺である。
 歴史の割には、山門・鐘楼・三重塔・本堂の全てが新しく (昭和45年〜50年に改築又は建立) 石仏もほとんど見かけなかった。
 本堂左手の無縁塔には、6〜70体の石仏が安置されている。


 
     寺院名碑〜山門            本堂            
    無縁塔 
 
    (正面) 聖観音・如意輪観音・      (裏手) 左側 三体の地蔵菩薩       (裏手) 右側 三体の聖観音菩薩    (正面) 左側 聖観音・地蔵菩薩
       地蔵菩薩がほとんど                                             如意輪観音など
 
  左2番目) 元禄六年(1693) 造立      墓地内に佇む豊嶋氏の石塔 
         一面二馬頭観音

 土を踏みしぐと、サクサクと霜柱が音を立て、一段とシバレル朝であった。
 応安五年 (1372) に開山された由緒あるお寺ということで期待を持って探訪したが、石仏及び石造にはほとんど巡り会えず、
 古刹のイメージからは程遠い雰囲気であった。
 それだけに、墓地内にひっそりと佇む、三基の豊嶋氏の石塔が印象的であった。 


 道場寺を出た角に、かってはふじ大山道にあった「道しるべ地蔵」が、交通安全を念じ祀られていた。


 
  享保六年(1721) 造立
   道しるべ地蔵


 三宝寺・道場寺の探訪を終えて、練馬区の「郷土資料室」を探す。
 石神井図書館の庭に、区に寄贈されたか道路工事の都合で移設されたかした石造物が整然と配置されていた。
 まず出会うのが、正面に並ぶ二基の石造物。左の「馬頭観世音の道しるべ」は、説明板に「円光院子権現と大泉方向 (旧小槫村)
 への分岐点にあり平成十三年移設」と解説があり、右側面に「ねのごんげん」、左側面に「こぐれ」と陰刻されている。
 左側の順路に、三基の「力石」が置かれており、右は「四十八貫」、中央は「五十貫余り」と陰刻が読める。

       
    (左) 享和三年(1803) 造立      拡大画像 青色金剛像の庚申塔       道しるべの側面           三基の力石
      馬頭観世音の道しるべ                           左) こぐれ   
    (右) 享保五年(1720) 造立                         右) ねのごんげん
      青色金剛像の庚申塔    


 二番目の「馬頭観世音の道しるべ」には、右側面に「右所沢道」、左側面に「左田なし大山道」と陰刻されている。
 三番目の「庚申塔の道しるべ」には、右側面に「右方とく丸道」、左側面に「左方はやせ道」と陰刻されている。

 
    (左) 正徳四年(1714) 造立      元禄十六年(1703) 造立       馬頭観音像の右隣に 
      如意輪観音像             馬頭観音像の庚申塔           馬頭観音の文字等
    (右) 嘉永三年(1850) 造立
      馬頭観世音の道しるべ


 「郷土資料室」の見落とすような立札を目当てに、地下の展示室を覗いてみた。
 展示室には、方形笠付型の「青色金剛像の庚申塔」が展示されていた。
 富士街道沿いから移設された境杭には、「従是西北尾張殿鷹場」と刻まれている。
 庚申待板碑としては、日本で三番目に古い「申待供養板碑」も展示されている。
 またその屋外には、前庭に展示されていた数点の庚申塔・石碑が寝かされていた。
 ここで、区の教育委員会が発行している「練馬の石仏」「練馬の庚申塔」「練馬の石造物」などの刊行資料を知りえたのは大いに
 収穫であった。 

             
 享保十二年(1727) 造立        境杭          長享二年(1488) 造立     明和二年(1765) 造立
  青色金剛像の庚申塔
                         申待供養板碑        青色金剛像の庚申塔 


 「所沢道」は、禅定寺の前の路を南東へ 杉並区八成橋方向に向かっている。
 私は、石神井公園通りを経て北東に帰路をと
るので
照光山無量寺禅定院」が最後の訪問寺院となる。
 山門左手の整然として目を引く六地蔵に、期待が膨らむ。
 当院は、文政年間 (1818〜30) に、火災で梵鐘を除く寺域の建造物すべてを焼失したと言われ、現在の本堂は昭和五十三年の
 建立で真新しい感じのする寺院である。
 
 境内は狭いが、「練馬区唯一といわれる趣のある茅葺の鐘楼」「練馬区唯一の石幡六面地蔵」「キリシタン灯篭と呼ばれる織部灯篭
 「いぼとり地蔵」など珍しい石造物に出会った。
 また、明治七年に練馬区で最初の公立校 (現在の石神井小学校の前身) が開校した場所ということもあり「なかよし・わらべの碑」
 など変わった石像物にも出会うことが出来た。
 


 
       寺院名碑               山門          真新しい六地蔵と中心主尊     昭和五十一年 造立
                                                         十一重塔
                  
   寛文十二年(1672) 造立       享保九年(1724) 造立      南北朝〜室町時代の板碑            昭和五十三年 建立
   竿の部分のみの
織部灯篭
         石憧六面地蔵                                   本堂
         
    安政六年(1859) 造立      明治三十二年(1899)造立       宝暦十二年(1762) 造立           平成二年 造立
      宝篋印大塔
             弘法大師像             いぼとり地蔵          なかよし・わらべの碑
    (後) 茅葺の鐘楼
    (右) 大悲観世音菩薩像

         
   墓地入り口の無縁石仏群      墓地入り口の延命地蔵 
   

                   

 「所沢道」は、禅定寺の前の路を南東へ 杉並区八成橋方向に向かっている。
 私は、石神井公園通りを経て北東に帰路をとることにした。
    



 2005.11.27(日) 12時〜13時 晴れ

 小春日和に誘われて、「三宝寺池」の紅葉を愛でに来ました。
 ついでに、三宝寺池周辺の探訪をしてみました。
 
 国の天然記念物の指定を受けた「三宝寺池沼植物群落」の池に、
厳島神社の朱塗りの社殿が映えています。
 突き出すように飛び出した島に橋がかけられ、神社に渡ることが出来ます。
 拝殿の横の昭和天皇「お手植えの松」の石碑が、倒れ掛かっている松を支えているのが印象的でした。

 
     紅葉と社殿の朱がマッチ        お手植えの松の石碑            社殿 


 少し先に、その昔雨乞いが行われていたのを記念して祀られた「水神社」があります。

 
      神明型鳥居              社殿  


 厳島神社の筋向いの傾斜地に洞穴があり、「穴弁天 (宇賀神社) 」として弁天様が祀られています。
 穴弁天の左横の石段を上がると、珍しい台輪型の鳥居がありました。

 
          穴弁天              大正八年(1919)造立
                           台輪型鳥居


 更に、入り組んだ路を「所沢道」に出ました。
 道路沿いに、
氷川神社の神社名碑がありました。
 境内では折りしも、第四日曜日恒例の骨董市で賑わっていました。
 拝殿左横のお堂には、豊嶋氏の子孫によって奉納された石灯籠がありました。
 更に左奥には、境内の末社として「御嶽神社・榛名神社・浅間神社・三峰神社・阿夫利神社」と「北野神社・須賀神社・稲荷神社
 ・八幡神社・三嶋神社」の社がありました。

 
       所沢道から参道           大正七年(1918)造立         鳥居横に百度石            拝殿 
                           明神型鳥居
 
     天保八年(1837)造立          大正九年(1920)造立           拝殿横にお堂         元禄十二年(1699) 奉納
       下段の和風狛犬              上段の宋風狛犬                         お堂には二基の石灯籠
 
    拝殿の左に2つの鳥居        木造り神明型鳥居         御嶽神社などの社
 
     石造の神明型鳥居          北野神社などの社