旅のページ
2006年12月24日〜元旦
vol.1 北海道上陸 

出会いと再会と別れと・・・
 千歳も岩見沢も視界がききにくい雪の中で:24日
 「・・・万が一の場合は旭川空港へ行く先を変更するか,もしくは羽田へ引き返す場合もございます・・・」千歳行きの機内の中で流れたアナウンスに,ほんの少しざわめく機内。ほんの少しどころではなかったのは私。もしかして旭川空港に変更になるのならラッキーかもしれないけど,羽田に戻られたら,その後の行程はどうしよう・・・今日・明日と会いたい人がいるのに・・・飛行機の「万が一」にうとい私は,その後の機長やキャビンアテンダントの「情報」に耳をそばだて続けました。旭川着陸という選択肢が消え,津軽海峡手前での待機を知らされ,あと10機が上空旋回しながら待機していることまで聞いたところで,ようやく「待ってるんだから,遅れても千歳には下りるんだ」と解釈,少し安心して3度目のティータイムをお願いしたのでした。日頃あまり水分をとらないのに,この時ばかりはがぶがぶと・・・飛行機では隠しようもないほどのびびりな私です・・・
 約1時間遅れて,千歳空港着陸。確かに横殴りの雪にお出迎えされて,飛行機はこんな時は厳しいんだなと思っていたら,隣の滑走路を懸命に雪かきしている飛行場スタッフを発見。きっとこの滑走路もあのようにしてあけたんだろうなと思うと,最後はやはり人の力なんだなと思ってしまいました。

 移動手段の列車は出たとこ勝負にしてあったので,千歳空港駅に来ていた列車に飛び乗って,腹ごしらえのため札幌に出ることに・・・と思いながらついウトウト・・・列車は札幌をはるかに過ぎて,右手には雪舞う中を打ち寄せる日本海・・・ホッとしてしまっていねむりをしてしまっていたようで,といってもこれは快速,小樽築港まで停まりはしない。仕方なくとんぼ返りをして,めざす岩見沢へと引き返し?ていきました。

 岩見沢も大粒の雪が降りしきり,日暮れにはまだまだの時間なのにもう暗くなりかけていました。市役所を過ぎて少し行けばお会いしたい先生のお宅,とわかってはいましたが,この雪の降りようではいたしかたなく,タクシーに乗って向かいました。残念ながらくんちゃんお母さんはお仕事で不在でしたが,恩師の先生と娘さん,そして元気なヌーピーという犬に出迎えられ,5年ぶりの再会を果たすことができました。
 今回会えなかったけれど前回中学生だったはずの息子さんが大学生,同じく小学校低学年だったはずの目の前にいる娘さんがこの冬高校受験,と聞かされ,ほんのしばらくお会いしていなかっただけと思っていた私は「ガーン・・・」,そういえば若々しかった先生の御髪が雪色になっていることも,いっそう時の流れを感じさせてくれたのでした。
(親娘水入らずの時間におじゃましてしまい,すみませんでした。そしてまたまた貴重なお話をたくさん聞かせていただき,ありがとうございました。)


 目覚めると青天! 札幌国際大学教授との懐かしくも新しい「時」:25日
 この私のホームページへアクセスしていただいたのがご縁で,今回お会いすることになった"ちゃげ"先生。私の最も苦手とする「英語」がご専門,ということで「どうか英語のお話にはなりませんように・・・」と念じつつ? 札幌南部の先生の職場に近い地下鉄終点の駅「福住」で待ち合わせ。と,ここである不安が・・・相手である先生の顔はメールにてお知らせいただいていたのですが,相手にすれば私の顔はこのHPのトップにある小さな小さなものしかないはず・・・私が先生を発見できなかったらどうしよう・・・ 

 でもそれは杞憂に終わりました。職場からやって来られた先生は初対面の私を発見し,車中から手を振って合図を送ってくださったのでした。うれしいファーストコンタクトでしたが,それだけ私が札幌在住には見えないということなのかもしれないですね。

 この先生が私のHPと出会うきっかけとなったのは,タンチョウ鶴でもなくエゾジカでもなく,利尻「鴛泊(おしどまり)」YHのお見送り曲と出会えたから,ということでした。
 ご存じない方にちょっとだけ説明・・・80年代のYH(ユースホステル,当時は青少年の健全な宿と呼ばれていた宿泊活動施設です)では様々な場所で同宿した旅仲間が仲良くなれるようなシステムがありました。基本的に宿泊は相部屋(もちろん健全な宿ですので男女別)で,たまたま一緒になった旅人がお互いの情報を交換し合ったりしたものです。また仲良くなれる場の提供だったのでしょう「ミーティング」と呼ばれる宿泊者が集っての交流会が設定してあって,これによって翌日以降の旅を一緒にする仲間と出会えたり・・・このミーティングが好きで私もよく利用させていただいたのでした。
 この先生の思い出の宿である利尻島の「鴛泊YH」は,私は1泊しかしていません。でもいろいろな意味で強烈な印象を残してくれた宿でもありました。このたった1泊,そして偶然に録音してしまっていた「船で離島する仲間をお見送りする歌」,これがきっかけでこの"ちゃげ"先生と,時空を越えて出会うことができた「旅仲間」となることができました。
 約3時間,いろいろなお話がとめどなく(特に礼文島の"さざなみ"のお話なんて涙もの・・・もちろん積丹や別府,その他の旅のお話もステキなものでした)・・・でも過去の思い出話ばかりではなく(それはそれでとても楽しいものなのですが),「今」のお話, そして「未来」のお話まで,さすが大学教授〜私の中で大学教授の概念が崩れるほどの,ご専門一本槍ではない多様性を持たれている姿,様々なジャンルの引き出しを持たれていてそのいくつかを見せていただけたことをうれしく思ってしまいました。翻って私は・・・引き出しの数はいくつあるんだろう・・・ 私にとって自分を見つめ直して考えることができる3時間の出会いともなりました。
 「札幌」にとって旬な話題の「北海道日本ハム優勝」。でも決して映像に出てこない話題「ヒルマン北海道日本ハム監督,公式戦のさなかにもかかわらず口約束を守って休日に地元草野球の試合に参加して・・・」公式戦の最中にこのようなことをする人が,これまでの日本でいただろうか。発想の違い,理念の違い,何が大切かという基準の違い,をこのお話を聞いていて思いました。何が大切かがブレてしまっている今だから,余計に強く考えさせられるお話でした・・・・今回得ることができた宝石箱のようなお話,そのすべてをここに載せたいぐらいですが,今は自分の中で反芻して消化して,という段階なので,これ一つだけで今回は割愛させていただきます。"ちゃげ"先生,ありがとうございました。

 やっぱり「旅」って,未知なる価値観との出会いがあるんです。


 この夜は第3の出会い再会,会場は道東の「標茶町塘路」。"ちゃげ"先生との至福の時間を過ごしたあと,札幌から4時間特急に揺られて釧路へ,さらに30分釧路湿原の東部を北上する気動車に揺られて着きました。途中の帯広平野東端あたりで特急がエゾジカと衝突しその処理と列車の安全確認のため遅れ,釧路でゆっくり食事をするはずが,乗り換え時間がわずかになり駅弁を買うことに。手に入れられたこの夜のお弁当は皮肉にも「もみじ弁当」(シカ肉を使ったすき焼き風のお弁当)でした・・・これしか残っていなかったんです・・・。
 これを食しながら(でもおいしかったですよ)1・2時間に1本しかない釧網本線の列車に乗って,宵闇の釧路湿原の端を北上,塘路へ向かいました。
 この塘路では20余年来のおつきあい(といっても,かなり長期間の空白期間があるのでよく忘れられる私ですが)の方と夜更けまで語らせていただきました。外は午後10時でマイナス13度,ようやく北海道らしい冷え込みを味わい,うれしく思いながら眠りにつきました。でも,寝床で思い浮かんでしまったのは,この夜のお話の中で出てきた唯一の悲しい出来事「○Oおばあちゃんが亡くなられたこと」。私もこのおばあちゃんに案内してもらってこの塘路周辺をいろいろな角度から見ることが出来た,思い出の方でした。もっといろんなお話を聞きたかった・・・・今はただご冥福を祈るのみ・・・・

 

「シンジラレナーイ」!につづく・・・




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