斎藤環氏による社会的引きこもりの分析


ひきこもりの理解におすすめ → 斎藤環著 『 社会的ひきこもり 』 ( PHP新書 657円 )




 病者は労働を免除され、治療を受ける権利がある。
 回復する機会を十分与えられる権利がある。
 そして病者の義務とは、治ろうとする意志を持ち、治療者に協力することである。






分析1: 何が問題か

社会的ひきこもりは事例の年齢にかかわりなく、思春期心性に深く根ざした問題。必ず思春期からの問題を引きずるかたちで、ひきこもり状況が生じている。つまり、人格発達の途上における一種の「未熟さ」ゆえに起こってくる問題だということ。したがって、就労などの社会参加を経験した事例も少ない。ある程度の社会的な成熟を経た後には、こうしたひきこもり状況はほとんど起こらない。


成熟した人とは、社会的な存在としての自分の位置付けに付いての安定したイメージを獲得し、他者との出会いによって過度に傷つけられない人。


分析2: どんな状態か

ひきこもる人たちの多くは無気力に見えるかもしれないが、こうした生活を自ら望んで続けているわけではない。ひきこもりから抜け出したいと強く願いながら、どうしてもそれが出来ないでいる。ひきこもりが自己嫌悪を深め、それがいっそう深いひきこもりにつながる。したがって、ひきこもりの期間が長いほどひきこもりが強化される。そういう意味で、アルコール依存症などの嗜癖と似ている。

本人の中では、これまでの人生が惨憺たるものだった、という思いが強くある。失敗の連続のようにとらえている。うつ病の患者はしばしば、「何もかも手遅れで、取り返しがつかない」と考えているが、ひきこもりの事例では、「一日も早く、何としてでもやり直したい」という葛藤を抱いていることが多い。ただそれが「希望」に繋がらず、「焦燥感」や「絶望感」にしか繋がらない。

ひとたびひきこもると、対人関係によって補われるはずの治癒の機会が奪われる。外傷やストレスは他人から与えられるが、他人からの援助なくして回復もありえない。ひきこもりの自然治癒が難しいのも、他人との有意義な接点がないから。ひきこもり自体が外傷に等しい影響を持つ。この悪循環をとどめるのが、家族や他人とのかかわり。彼等が抜け出せないのは、他人との関わりを拒むため。逆にいえば、他人との関わりを受け入れる決意をかためれば、ほぼ例外なく社会復帰が可能。


分析3: どんな子が多いか



内向的でほとんど反抗したこともない、「手のかからない良い子」。
圧倒的に男性。しかも長男。
両親共に高学歴で中流以上の家庭。
仕事熱心で養育に無関心な父親と、過敏で過干渉気味の母親。
家庭や親戚など周囲に優秀で勤勉な人間が多いことが負担になっている。
視野の狭さ、かたくなさ、自己愛的な構えがある。

離婚や単身赴任などの特殊な事情は少ない。
極端に破綻した家庭環境や、虐待といった大きな問題が控えていることは少ない。

きっかけは、「対人関係」、「学業上の挫折」、「修学環境の変化」、「不明」など。


分析4: 二次的症状

社会的ひきこもりから二次的に起こりうる症状。


不眠、昼夜逆転
幻聴、妄想
抑うつ気分
強迫症状  特定の言葉・イメージを思い浮かべずにいられない強迫観念等
退行、子供返り  家庭内暴力のほとんどは退行の産物
対人恐怖症 自己臭妄想=自分の匂いが気になる
自己視線恐怖=自分のきつい視線が相手を傷つけないか不安
醜形恐怖=外見的特長を気に病む




社会的ひきこもりに伴う症状はしばしば二次的なもの。ひきこもり状態に続発する形で様々な症状が起こる。そしてひきこもりに伴う様々な症状は、経過とともに消長することが多い。例えば最初は自己臭症状が強く出て、それが軽くなった後に、強迫症状や被害妄想などにとって変わることがある。したがって「対人恐怖症」や「強迫神経症」といった症状と診断してしまうのは好ましくない。

ひきこもりに伴う対人恐怖症状は、ひきこもりが長引くにつれて悪化することが多い。そしてその結果、いっそうひきこもってしまう悪循環に陥る。長く人に接触しない生活を続けていると、誰しも人と触れ合うことが次第に恐ろしくなる。こういった症状は、入院するとすぐに消えたりもする。


分析5: 家庭内暴力

家庭内暴力は基本的に親への恨みが込められているが、理解できるものもあれば、言いがかりにしか思えないものもある。したがって、家庭内暴力の原因として本人が主張する恨みについてはそれが事実か否かを問題にすべきでない。本人が暴力に訴えてまで家族に伝えたいことは何であるかを理解することが重要。

家庭内暴力の底にあるのは悲しみ。暴力を奮うほど自らも傷つき、暴力を奮う自分が許しがたく、しかしその様な「許せない自分」を育てたのはやはり両親なのだ、という自責と他責の悪循環がある。


分析6: 触れ合いと愛

母子間の距離とコントロールを失った「愛」は危険。家庭内暴力も、こうした「愛」ゆえの産物。誰よりも愛を強く求めるがゆえに、それをしっかりと母親がコントロールしてあげないと、ますます「成熟できない自分」のイメージを強めてしまう。こういった母親と共依存の関係にある事例は、ほぼ100%他人の関わりを嫌い拒否する。だがこのままではいつまでも抜け出せない。

人が生きていくには自己愛が必要だが、それがきちんと機能するには他者との触れ合いが必要。自己愛は、他人を愛し他人に愛されることによって維持することが望ましい。しかしひきこもっているとこういった客観的な自分を映し出すことが出来ない。「力と可能性に満ち溢れた自分」という万能のイメージが浮かび上がるかと思えば、「何の価値もない、生きていてもしょうがない人間」という惨めなイメージに打ちのめされる。きわめて不安定でいびつな像しか結べない。

幼児期までは、自分と家族との間の触れ合いで十分だった。しかし、思春期以降は事情が違ってくる。単なる友人との触れ合いだけでなく、そこに異性愛を介在させなければうまく機能しない。ひきこもり状態を乗り越えられない青年達にとって、異性関係こそが最大のハードル。最初に問題が起こる年齢は平均して15〜16歳であるため、異性との交友関係が全くない者が約8割もいる。しかし、こればかりは家族によっても治療によっても与えられない。


治療1: 免疫を獲得する

ひきこもりの治療は成熟の問題として捉える。成熟はいかにして可能になるか。それは「外傷への免疫の獲得」による。「心が傷つきそこから回復する」ことは、「感染症にかかり、回復する」ことと似ている。あとに「免疫」に似た変化が残る。感染症にはかかりたくないのは当然だが、ある程度雑菌にさらされたり、時には軽い感染症などを経験しなければ、免疫機能は発達しない。

ここで重要なことは、何らかのかたちで感染を経験すること、そしてその感染から確実に回復させること、の二点になる。「成熟」に欠かせないのは、この「外傷の体験と回復」というセット。そしてこれを可能にするのが他者との出会い。免疫と外傷が似ているのは、それが他者との出会いによって生じるという点。予測を超えコントロールできない存在としての他者をどう受け入れ、乗り越えていくか。

ひきこもっている人は傷つけられることを非常に恐れる。しかしひきこもっている限り、精神的に成長しないこともまた事実。傷つけられる一方では、他者の恐ろしいイメージしか残らないが、他者に癒されることを経験すると、「ただ恐ろしいだけのものではない」という、より正確な他者イメージが獲得される。「外傷への免疫の獲得」とは「有効な他者のイメージ」を学習する過程でもある。


治療2: 家族の協力が必要

ひきこもりの人たちは、「自分がひどく傷つけられてきた」というイメージに打ちのめされている。そして長期化するほど、自分で自分を傷つける悪循環に陥る。ここから抜け出すには第三者による介入が不可欠。コミュニケーションにより本人と家族、家族と社会の接点を十分に回復させてから、本人と社会の接点を回復させていく。本人をいきなり社会システムに結び付けようとすると失敗する。

本人が感じている引け目、劣等感、挫折感などは、周囲の想像を絶したもの。そして本人自身が、現状が続くことを誰よりも恐れている。将来の不安を感じ、自分の状態を情けなく思い、でもどうしていいかわからない。家族はまずこのつらさを理解しておく。丁寧に話を聞き取り、「本人がどう感じてきたか」を十分に理解することが、本当のコミュニケーションに入る前に必要。

慢性化した場合には努力と激励は無効になる。したがって受容が治療の基本姿勢になるが、受容には枠組みが必要。どのようにその限界を設定するかは重要なテーマ。一方的な受容は一方的なお説教と同じくらい有害。「耳を傾けること」と「言いなりになることは」全く異なる。必要なのは共感。子供が語る親への恨みつらみに対しても、親は反省こそすれ決して後悔してはいけない。

表面上は見えないかもしれないが、本人は家族の動向に非常に敏感になっている。したがって、一度はじめた働きかけは必ず続けなければいけない。そうでないと、本人は「見捨てられた」と思ってしまい、さらに悪くなる。なお、家族の誰か一人が治療に消極的であるだけでも大きな障害となるし、家族が治療に熱心すぎるのも焦りを招く。本人の気持ちを第一に考えること。


治療3: 必ず改善する

本人には家庭こそが唯一の居場所になっている。せめて家庭の中だけはくつろげて、本人の気持ちが安定することが、社会復帰の前提になる。したがって、本人の状態を「怠け」と考えてはいけない。世間体を気にして隠そうとする姿勢は、本人と社会との接点を乖離させる。「両親による問題の抱え込み」があるとしたら、それは治療の機会を奪っているということを意味する。

社会的ひきこもりの問題は、個人の病理を分析する立場からは、その全体像を理解することが困難。そこには家族や社会の病理が深く巻き込まれており、個人を対象とする精神分析をいくらしたところで、このような病理は扱いきれない。個人、家族、社会全体を「ひきこもりシステム」として捉える。本人の精神的成長を促すような治療態度と、家族を含む環境の調整によって治療が進む。

ひきこもり状態が慢性化したものは、家族による協力と専門家による治療無しには立ち直れない。長期間にわたるひきこもりの場合、短期間で立ち直らせる特効薬はない。じっくり腰を据えて取り組むしかない。簡単には治らないが、粘り強く十分に対応を続ければ必ず改善する。家族の基本的な心構えは、「本人の人格的成熟を、ゆっくり伴走しながら待ち続ける」。


結論 〜 光は人とのふれあいの先に 〜


病者は労働を免除され、回復の機会を与えられる権利がある。
病者の義務は、治ろうとする意志を持ち、治療者に協力すること。
短期間で立ち直らせる特効薬はない。じっくり腰を据えて取り組む。
簡単には治らないが、粘り強く十分に対応を続ければ必ず改善する。
家族は、「本人の人格的成熟を、ゆっくり伴走しながら待ち続ける」。
他人との関わりを受け入れる決意をかためれば、社会復帰は可能。
他人を愛し他人に愛されるような、他者との触れ合いが必要。
「人は恐ろしいだけの存在ではない」 という正確なイメージを獲得する。
「心が傷つきそこから回復する」 と、心の免疫機能を獲得できる。
他者との出会いによって過度に傷つけられない人が成熟した人。


参考

社会的引きこもりや家庭内暴力の事例では、「虐待」を受けたケースはほとんどない。

一部の神経症は戦時下では減少する。

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