無責任な意見

人は大体やりたいかどうかで判断して行動するが、中には正しいかどうかで行動する人もいる。もちろん一人で生きてるわけではないから、「正しいこと」から外れすぎてもいけない。でも基本的に「正しいかどうか」で決めようとすると疲れることになる。なんといっても基準が曖昧だから。世間はそれを押し付けようとするが、それはあくまでも、彼等のひとりよがりな「常識」に沿った無責任な「正しさ」、であることが多いということを知らなければならない。

引きこもってるなんておかしいとか、不登校なんて不良だとか、そんな無責任な「正しい意見」に過剰に反応することはない。もし引きこもることが今の自分に必要だと思ったら、堂々と思う通りにすればいい。これはどんなこともそう。自分がそれを「したいかどうか」で決めればいい。相手に迷惑をかける場合は、お互いに妥協しあうこともあるだろうし、公共の福祉に反するようなことはやってはいけないけれども、そうでなければ問題なし。他人の言うことを気にし過ぎると、逆に引きこもりから抜けられない原因になる。

長所への視点

獲得したものが多いほど余裕が出るかというと、そうではない。引きこもっている子には優秀な子もいるのが現実。大金持ちでも不幸な人は不幸のまま。不幸な人はたくさん獲得したところで不幸。なぜかというと、それらは視点の問題だから。だから柔軟な視点を持てるかどうかが幸せの鍵になる。欠点に目を向けてる限り、いつまでも幸せにはなれない。

視点じゃなくて実力の問題だと思いがちだが、実力があるとそういう視点を「持ちやすい」というだけの話。前向きに「なりやすい」というだけの話。実際に長所に目を向ける視点を「持てる」かどうか、前向きに「なれる」かどうか、というのは別の問題。幸せとは心の問題。それは視点の問題。長所に目を向ける姿勢の問題。自分の長所に目を向けよう。

適切な方法

何か出来ないことがあった場合に、人格攻撃をしてくる人がいる。できないお前はクズだとか素質がないとか。でも当然だけれど、出来ないのは人格や素質の問題ではなくて方法の問題。適切な方法を採れなかったというだけの話。自分にもうまく出来るやり方というのは必ずある。コツさえ掴めば必ずそれなりに出来るようになる。だから何か出来なくても、それらは修正がきく問題で、ということは克服すれば成長に繋がるということ。

繰り返すけれども、出来ないのは方法の問題。だから失敗した時に人格攻撃を受けたりしたら、相手の人格がおかしいということになる。まともな人は、うまくいくための「方法」をアドバイスする。なぜなら方法の問題だから。人格攻撃をいくら真に受けても出来るようにはならない。だから、そういう後ろ向きの言葉に気を取られてはいけない。ダメな人間の影響を受けると自分もどんどんダメになる。まともな人の影響を受けよう。

責める人

威張っているように見えても、他人を責める人は心の弱い人が多い。怯えてたり傷ついてたりで、自分を守るために人を責めてしまう。つまり余裕のない人。不必要に他人を攻撃することで、心の満たされない自分を満足させる。陰険な人や八つ当たりする人は、物事を前向きに処理することが出来ない。ある意味では、心の弱いかわいそうな人たち。

解けない「誤解」

我々はしょっちゅう誤解しあっているけれど、誤解というのは基本的には受け入れてしまうのが楽。本当に大切なこと以外は、誤解したままでも大きな問題にならないから。誤解を解くのは労力の浪費、キリがない。とはいえ攻撃を受けると、気にしないでいるのは困難。でも攻撃される場合の「誤解」は、大抵、解消できるものではない。だからやっぱり無視すべき。

いわれなき攻撃を受けた場合、相手からみたらそれはストレスの発散で、単なるやつ当たりなわけだから、何を言ってきても屁理屈。その言葉に意味なんてない。でも繊細で素直な人は、言葉を額面どおり真面目に受け取って傷ついてしまう。そして自分の気持ちを分かって欲しいと思う。しかしいくら分かってもらいたいと思っても、それは無理だし無意味。問題は相手の心にあるから。この「誤解」が解かれることはない。

吐き出される言葉に意味はないから、その奥に隠されている本音というか感情を理解する必要がある。理解できれば、攻撃をまともに受け取る必要なんてないことがわかる。人間関係が得意な人はこれが出来る。だからきつい言葉を受けても流せる。相変わらず機嫌悪い人だな、ぐらいに思って。このように余裕もって対処できるようになれば楽になる。攻撃してくる人と理解し合いたいなんて思わない。無意味な考えは捨てよう。

優しい人

相手がイライラしているときは無視すればいいとわかっていても、優しい人はみんなが穏やかでいて欲しいと思うかもしれない。こっちがクラシック音楽を聴いているときに、すぐ近くでハードロックをがなり立てられるようなものだから。これがあまりにひどいと、誰しも神経がまいってしまう。その場合の一番の方法は、その環境から逃れること。相手が静かになるならまだしも、そうでないなら我慢してそこにいることはない。もちろんそれが難しいから、みんな苦労してるのだとは思うけれど。

問題の相手は誰なのか

いじめや虐待からは自分を守らなければいけないが、難しいのは相手が一人でない場合。いじめでは、皆なんとなく一緒にシカトしてしまったりとかいう状況がある。対象を明確にできて抵抗する気持ちを強く持てば、抵抗力はつくのだけれど、相手がたくさんいたりすると、それだけで意識が分散されて難しくなる。対象を明確にできないと、心は不安定になりやすい。

例えば虐待の原因は自分ではなくて親にあるということがわかれば、心はそれなりに納得できるものなのだが、原因が自分なのか親なのかわからない場合は、どこまでも心が削られていくことになる。対象がはっきりして問題もはっきりしていれば解決方法はある。あとはそれを知ってるかどうか、それを実行できるかどうかだけで。

できることを明確に

いじめや虐待などが原因で、自分は対人関係が苦手だと思っている人は少なくないと思うが、大抵の場合、これは勘違い。「人とうまく接することができない」のではなくて、「自分を責めてくるかもしれない人と、うまく接することができない」だけ。実際、相手が心の広いやさしい人だと最初からわかっていれば、それなりにコミュニケーションを取れるはず。

だからまず、自分にできることと出来ないことをはっきりさせる。対人関係それ自体がダメなんじゃないことをはっきりさせる。優しい人なら大丈夫なのだから、まずそこをしっかり固める。きちんと自覚する。そうした後で苦手なことを洗い出して、対処法を考える。全部ダメと思うからやる気がなくなるわけだから。

やさしい人なら大丈夫。だから「優しい人なら大丈夫、優しい人なら大丈夫、優しい人なら大丈夫」と、念仏を唱えるように繰り返しくりかえし自分に語りかけて、自覚させてみる。優しい人なら大丈夫なのは事実だから。それがはっきりすると、自分は「対人関係が苦手」とは思わなくなる。人と対面した時、「この人は優しい人かな」という視点に変わるはず。

笑顔

閉塞状況を打ち破るには、誉めることと笑顔をたやさない意識が大事。笑顔は人や運を呼び込むだけでなく、自分の身を守る最高の手段の一つでもあるから。自分の周りを、誉め合って笑い合える空間にできると、ものすごく楽になる。お世辞で誉めてはダメ。逆効果だから。小さくても本当に好いことに目を向けて、誉めあい、笑いあおう。

気持ちの開放

我々は子どもの頃から、相手の気持ちとか周りを考えろと言われ続ける。集団の一員なんだから自分の気持ちを抑えなさいと刷り込まれる。でもこれだとストレスが溜まるし、人間関係も面倒になる。人付き合いの悪い日本人が少なくない理由も、たぶんこれだと思われる。相手と顔をあわせた時点で気疲れしてしまい、無意識に人を避けようとしてしまうのかもしれない。

これが度を越して、自分の気持ちを抑えて我慢ばかりしていると、人付き合いどころか自分を肯定すらできなくなり、オーラがどんどん小さくなっていく。そうなると人からなめられ、都合よく利用されてしまう。気持ちを開放できないことが、様々な心の問題の根源になっている。我慢せずに、思うことはきちんと主張しよう。それが健全な自分、健全な対人関係の一歩。

大人になるということ

こうすべきとか、こうしなければならないとか、そういう風に行動を規定されてきた子は、こうあるべきだと人に押し付ける傾向が強くなる。自分だけが決まりごとを守って人が守らないのはおかしいと思うから。自分だけが損をしてると思うから。「こうすべき」と考える癖が付いてしまうと、うまくいかないことを人のせいにしがちになる。親は自分の気持ちに気付くべきなのにとか、先生はもっと皆に気を配るべきとか。

でもいくら「こうすべき」と思っても、社会は思い通りには動かない。自分が相手の気持ちを汲み取るほど、相手は自分の気持ちを気にしない。だから自分で何とかするしかない。人のせいにせずに。人の言うことは参考程度にしか聞かない代わりに、自分のことは自分で責任を持つ。それが大人になるということ、自立するということ。

自分の感覚

画家の岡本太郎は言った。「認められなくても良い。自分自体に迫ることが芸術」。学校でダンスを教える先生が言った。「上手に踊る必要はない。自分自身を表現することが大事」。この人たちに限らず、アーティストというのは自分との対話を非常に大事にする。周囲の雑音に惑わされると自分を見失ってしまうから、周りの批評は気にしない。あるいは人一倍繊細であるがゆえに、意識して気にしないよう自分に言い聞かせているのかもしれない。どちらにしろ、人の批評より自分の感じたことの方がずっと大切。

能力

相手を和ませる術を身につけることは可能。相手に納得して貰う術を身につけることも可能。素質だけが重要なのではない。我々が素質だと思ってるものは、ほとんどが努力によって獲得されたもの。成績がいい友人を羨ましがっても、それは素質ではなくて努力の賜物。アインシュタインでさえ、1%の才能と99%の努力と言っている。努力しない子はこの大切なことに気付いていない。我々は強い心さえも、努力によって作り出せる。能力と名の付くものは全て、自らの努力で獲得可能なもの。

30人の法則

人は身近な30人に影響を受けて人生が決まる、と言う人がいる。我々が普段接する人の数が、大体それくらいだから。30人という数字が適切かどうかはともかく、限られた人間からほとんどの影響を受けているというのは間違いないのだろう。でもこれは改めて聞くと少し驚きかもしれない。日々目にする無数の人たちが、自分の人生にまず関係のない人たちということだから。当たり前のことだけど、でも普段は意識して考えないこと。

人間関係で引きこもっている人は、周りがみんな敵のように感じるかもしれないけれども、敵どころかどうでも良い人たち。みんな自分のことしか考えていない。それにいざとなったら敵よりは味方になってくれる人の方が多い。そう考えると、意識的に自分の理解者を集めることで、人生が随分と変わるように思われる。意識的にというところがポイント。たった30人で自分の人生が開けると思ったら元気が出るのではないだろうか。無理して無責任な人と関わり続けることほど無駄なことはない。無責任な人に悪影響を受ける人生ではもったいない。まず一人の理解者を見つけるだけで、随分変わる気がする。

人とは違う道

引きこもりから抜け出せない原因はいろいろあるだろうけど、一度レールから外れてしまって戻るべき場所がわからない、というものがあると思われる。これは学校の場合でも職場の場合でも。皆はきちんと学校に行ってるのにとか、ちゃんと勉強してるのにとか考えてしまって、それに遅れてる自分はダメなんだと思い込んでしまうと。皆と同じ道を進んで後から追いつこうとすると、誰しも気が滅入ってしまう。マラソンで自分だけ後れている状況を考えると理解できる。

逆に自分だけ進んでいるときは、周りとか考えずに自分のペースで進んでいけるように思われる。心に余裕のあるときが一番自由な状態だから。それには遅れていないのが条件だけれど、遅れないための方法は二つしかない。それは先に進むか別の道を行くか。ひきこもりの人は他の人とは全く別の道を歩んだ方がいいと思う。感性が繊細で素直な人が多いから、それを生かす方向で考えた方が良いと感じる。

おまけ〜親の視点で少しばかり〜
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