自分に与えられた条件、目の前に開けた状況を常に肯定的、積極的に捉える。
ありがたいという気持ちを常に持っていれば、こちらが出している良い波長に見合った波長が相手からも出て、その結果は良いものになる。
愚痴をこぼしても何も生まれない。全てを感謝の気持ちで捉える。
背筋を真っ直ぐにして座る。
正座、あぐら、椅子に座るのいずれでもよい。
椅子の場合、背もたれに背をもたせかけない。
肘を直角に曲げ、両手を組む。
利き手を上にして親指を重ねる。
4本の指は揃えて両方の掌で丸い玉を包むように組む。
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観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
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摩訶(マハー)とは大、般若(プラジニャー)は智慧、波羅蜜多(パーラミター)は到彼岸と訳されるが、実際は多義を含んでいる為に、漢語への翻訳ではなく梵語のまま当てはめている。
名前、分別をつければ一物になる。言葉を離れ分別の無いところを摩訶という。摩訶不思議の不思議は思議せずという意味で、分別の超えたところを摩訶という。摩訶の一字がわかれば仏法は全てわかる。
般若は摩訶と同じ。般若の智慧とは自在の働き。我執を捨てて動く時に般若は働く。
波羅蜜多は到彼岸。悟りの境地に到ること。自己自身の本性を徹見すること。見性大悟する事。一言で言えば度。
心経の経は永遠に変わることの無い法、宇宙の大道。その要を表すものだから心経。
一心不乱に心経を唱えることで、摩訶と一体化する。心が一方に偏ることなく、一処にとらわれることなく、いずこにも心が行き渡る。
無我の境地に達することで、自分の行為は因縁によって現れた事象であると知る。自性が無いが故に、行為に対する責任も無い。
俗世の行為は海面の波。摩訶と一体化するとは、大きな海洋の深いゆらぎに身を任せること。内的呼吸。
摩訶と一体化することで、如是に観ずることが自在になるため、各人の自己を指して観自在菩薩という。我々の心は本来自由自在。
自己と観音を合一しなければ、自分の都合や利用できるものなどしか目に入らなくなり、貪瞋痴の三毒に振り回される。貪とはむさぼりの心。瞋とは怒り。痴とは愚かなこと。深般若を行ずるとは、この三毒をなくすこと。
浅とは色即是空、深とは色即是空・空即是色。生活していること、呼吸の一息一息が時。
蘊とは積集、五蘊とは色受想行識。色は肉体、他は全て心の働き。
地水火風の四つの要素が仮に集まってできたのが色蘊。自分の肉体。受蘊とは感じること、想蘊とは自然に思うこと、行蘊とは意志により行動すること、識蘊とは分別すること。
自分達の感じる世界、肉体、所有物など全ては永遠不滅ではない。一時的なもの。それがわかれば一切の苦厄を度す。
苦とみれば苦、楽とみれば楽。肉体そのものが空。
舎利子とは仏陀の十大弟子の一人。智慧第一。舎利子への名指しは、同時に我々への呼びかけ。
色も空も宇宙の実相に対する一面の見方。分別するのは誤り。摩訶を感ずる為の便宜的認識。
受想行識も亦復(またまた)如是(かくのごとし)。肉体や物質のみでなく、精神活動の一切も全て空。
全ての法(もの)がありのまま空の相(すがた)であると知るのが般若の智慧。
我々の世界、我々の分別は、全て相対的なものに他ならない。一もつながりの分別で異、異もまた一になる。
眼耳鼻舌身意を六根といい、色声香味触法を六境という。外界の六境を六根が受けて、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識が生ずる。
六根六境を十二処、そこに六識を加えて十八界(眼界乃至意識界)という。
十八界に執着すれば、心はそこに凝滞する。
丹田と土踏まずに心をおき、静かに揺るがせ、精神の虚を省く。
無明とは無知。無明も老いも相対的分別に過ぎず、死すら刹那変遷のひとつの現象に過ぎない。
四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦。苦諦とは人生は苦であるという真理。集諦とは苦悩の原因は執着心という真理。これらが衆生の世界。滅諦とは仏教の理想は煩悩が無い涅槃であるという真理。道諦とは涅槃に到達する実践方法。これらが悟りの世界。
無苦集滅道とは、原始仏教の根本教説の四諦すら、真理として絶対化することを拒否することで、さらに摩訶に近づこうとするもの。
禅にとって空とは、執着しないこと、自由自在、円融無碍と同義語に他ならない。
境智不二ゆえに、空を知る智も、知られる空理も全て不可得。見られる対象も見る主観もない根本無分別智。
無所得とは摩訶、般若、到彼岸、仏性。境智不二の鏡に万象森羅が映っているのが無所得。
罣礙とはわだかまり、こだわり。時々物々や是非善悪などの分別に心が惑わされなければ、真理に目覚め恐怖が消える。
自分の価値は不増不減という真理を知れば、損したり、衰えたり、貶されたり、思い通りに行かなかったりしても、心惑わされることはない。
顚倒とは、無我の身を我ありとし、清浄なものとし、永遠なものとし、人生を楽なものであるとする、原始仏教における誤った見方。
涅槃とは煩悩の炎を吹き消すこと。悟りの境地。究とはきわまり、竟とは終わり。一切の煩悩や妄念を遠離して涅槃を究め尽くす。
あらゆる分別は全て顚倒であり夢想。分別の離れた無所得の世界に住することが、涅槃を究め尽くすことになる。
三世の諸仏とは時間を超えた本来の世界に住する諸仏。
阿耨多羅三藐三菩提は梵語。阿は無、耨多羅は上、三藐は正、三は等、菩提は覚のことで、訳して無上正等覚。この上ない覚り。
呪とは総持。一字の中に無量の教を総べ収め、一法の中に一切法を摂持するという意味。
大神呪とは悪魔を追い払う呪文。大明呪とは愚痴を破り、智慧を輝かす呪文。これらは自分の心を制するもの。
無上呪とは最高の呪文。無等等呪とは等しいものがないのと等しい呪文。
絶対他力の大道を見知すれば、自己に不足を感じることなく、したがって求めることもなく、不満もない。自己充足こそ我に勝つ道。
如来に生かされている、与えられていることがわかった時、初めて自分がわかる。これが般若、悟り。可能性の無限なることを知る。
どんな環境でも自由自在なのが道者。
心の病は、執着して心を一ヶ所に留めた時に起こる。周りが見えず心が占領される。
行ける者よ 行ける者よ 彼岸に行ける者よ 彼岸に全く行ける者よ さとりよ 幸あれ