
在日インドネシアの女性、ルーシーさん
ある年の暮も押し迫った日 お正月の用意の品物を揃えに 一人で 30キロほど離れた町まで ぶらりと買い物にでかけた。 そこで ちょっと用事を思い出して 家に電話しようと とある電話ボックスの前に立ち止った。 使用中だったので 少し待つつもりで足を止めていると ふと耳に入ったのが 懐かしいインドネシア語だった。 その女性がボックスから 出るなり “ダリマナ?”(どこから来たの?)と思わず 口から飛び出したインドネシア語、 頭のどこかに 忘れかけていた 言葉が 突然に 思い出された。近くのスーパーに誘ってお茶をご馳走し いろいろ話す中 暮で仕事も終わりで ぶらぶらしているのだと聞き それなら家へ来ないかと誘った。 暮の買い物はそっちのけ。それがきっかけで それから 5年ほど たまには 泊まりに来て 温泉へ連れて行ったり、近くをドライブしたり 楽しいひと時を過ごすようになった。 私のインドネシア語よりルーシーの日本語の方が 遥かに うまい。彼女を見ていると ラスピー(愛犬ラスピーの名前の由来)を思い出だす。 親切にしてやると ああ、 ラスピーが喜んだと勘違いをしてしまう。“ニョニャ もうラスピーのこと心配しなくて大丈夫、 今は幸せだから”という言葉を残して 音信を絶った。 本当に幸せにやっているだろうか・・、私たちは 日に何回も 数え切れないほど ラスピーと呼んでいるのに、 事あるごとに お小遣いを送ってあげたが ありがとうと言うしかお礼のしようがないと 負担に思っていたらしい、 私にとって ラスピーの喜ぶのを見るのが何よりの楽しみだったのに。 その結果 こういう事になってしまったのか。 無理して調べれば何とか連絡も付くかも知れない。 でも 私は敢えて それはしなかった。インドネシア駐在4年と その後も 手紙のやり取りで 10年以上続いた関係は 今はもうない。 別れるとき 吹き込んで呉れた、「さようなら、トウワン、 ニョニャ」という カセットテープは今も 大事にしまってある。 ルーシーにも聞かせた。
小学校4年くらいまでしか行かなかった子が よくもこれだけの事が 云えるものだと感心するような話だ。 何年も私はそのテープを聞くたびに 涙を禁じえなかった。インドネシアの思い出の大半は メイド ラスピーとのことである。次の機会には 彼女のテープを訳したものを紹介することにしたい。
2003、5、11記
