風は強いし 視界は悪いし それらがおさまる間に せっせと お片づけをしていたのでしょう。
その方にとっては迷惑千番な話なのですが 私は何処から 描き出したらいいのかと SOSを出した
のです。おじさんは---失礼ないいかたかもしれない。立派な画家を前にして,何とお呼びしたら
いいのでしょう。寒いので 着膨れるほど 着ていて 顔も 手ぬぐいで 頬かむりの状態で 丸い
やさしそうな目だけは 確かに見えました。年のころも定かでない--- 私の水張りした 画用紙を
汚してはいけないと言いながら ご自分の車の中から紙を取り出し山の中央部分から描きだしました。
描きながら 八ヶ岳の 最高峰は 分水嶺になっていて こちらは 太平洋側に向かって流れ、反対側は 日本海側に向かうのだと説明してくれました。
山並みに沿って枯れた木々の間に点在する 常緑樹の 松をみてごらんなさい、その流れに沿って
生えているでしょう。ただ表面ばかりを じっと見て 形だけを追っていた 自分に どきっとしました。
以前にも 山を描いたとき 私の山は 八ヶ岳の連峰でなく 一つ一つの山が別々に聳えていて
全体が繋がっていないといわれた事を思い出しました。そうだ 八ヶ岳を描くということは ただ その形を追うのではなく 一つの塊として 全体の流れを汲まなくてはならないのだと気がつきました。
遠くに見える山やまは グレーぽっく、手前は少し茶系を入れてとか 目先のことだけに囚われて描くと
みな 個々の山になってしまう、そこで 私は 天女山から 賽の河原、権現岳、阿弥陀岳,
赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳とずうっと 八ヶ岳を制覇するつもりで 眺め直しました。
山々はまだ 深い雪で覆われていました。
おじさんは紙3枚に渡って 八ヶ岳を描いてくれました。、私は絵の描き方というよりは 絵を描く
基本的な心構えのようなものを 教えていただいたように思いました。
おじさんの描きかけている絵は ものすごく大きくて 工事現場の足場のような 鉄パイプで組立てるような絵で その日は青いビニールシートに包まれて 駐車場の片隅に片付けけられていて見ることは出来ませんでした。その一枚の絵を描くのに 何ヶ月 いえ、 何年もかかるようでした。
そのときは風がおさまってから 大きな溶岩(獅子が岩)を描いていました。油絵でした。それでも
相当な大きさでした。いつか機会があったら そのビニールシートの下にある大作を見せていただきたいと言い残し 博も戻って来たので 帰ることにしました。
それから 3ケ月ほどたった 先週の日曜日 5月21日 博は囲碁の大会で朝から出かけていたので私はまた 飯盛山駐車場まで ドライブしてみました。途中 清泉寮のパンやさんでパンを仕入れ もしあのおじさんにお会いできたら と思って買ったのです。今回は 駐車場もすっかり整備され 売店も開いていました。日曜日だし 陽気もよくなっていたので それまで ほとんど 人影をみることもなかった場所が まったく様変わりしていました。おじさんは見えませんでした。遭えるはずがないと 諦めてはいたものの それでも あの大作の 絵はどうしたのかとまわりを 見回しました。すると 登山口から少し 登った 木の下に 例の青いビニールシートらしきものが目に入りました。もしやと一縷の望みをかけて 山を登っていきました。ありました。おじさんは今でもこの絵をかき続けていたのです。私は紙を取り出し 鉛筆で ラブレターを書き そのシートの間に挟みました。この絵が完成して展示するときにはぜひ お知らせくださいと 電話番号を入れておきました。
山から下りて 売店により その話をしました。おそばを一杯注文して おじさんの話をしたのです。
もう半月くらい来ていないということでした。山に雪がなくなって 絵が描けなくなったとか話していた
そうです。冬までこのままにしておくつもりなのか、・・・おそばを食べながらそんな話をしている時ひょっこりおじさんが現れました。何か道具を取りに来たとか ほんの10分ほどで 帰って行きました。
おじさん(由井さん)も 嬉しそうに覚えていてくれたんですかといい、私もラッキーな再会を喜び
持ってきた パンを渡して別れました。
いつかきっと 絵が完成したら 連絡してくれることを 期待しながら 家に戻りました。
絵を描くって 楽しい!!!!!
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そのU

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