みかたろうのフィンランド音楽話
目次
フィンランド音楽の概要(2005/02/02)
ポルスカ編(2005/01/12)
タンゴ編(2005/01/14)
第一夜 フィンランド音楽の概要編
そもそも 「フィンランド音楽」というものがあるのかどうか。まず、音楽はもとより、フィ
ンランド文化は、国土の東西でその様式が大きく異なります。ボスニア湾岸地域を中
心とした「西部フィンランド」、カレリア地方を中心とした「東部フィンランド」。
詳しい歴史的経緯は省略しますが、500年に及ぶ被統治の中で、小国フィンランド
は、スウェーデンとロシア、二つの大国の影響を常に受けてきました。結果、ス
ウェーデンと接していた西部フィンランドはスウェーデンの、東部フィンランドでは
ロシアの文化を色濃く反映することになりました。
音楽の面でも、この東西の差異は顕著に見られます。
東部フィンランドの音楽。これを語るには、まず『カレヴァラ』に言及する必要が
あります。フィンランドで古くから歌い継がれてきた民俗詩歌。これを編纂し、一大
叙事詩にしたてあげたのが、文学士であり、地方医であったエレアス・リョンロッ
ト。この物語は、英雄や魔術師といった登場人物たちの冒険を描き、またポホヨ族と
カレワ族の戦争を描いたものです。その多くが、後世の創作であったり、全く関連性
のない物語をつなぎ合わせたものでしたが、その根幹をなしていたのは、紛れもなく
シャーマンたちの呪術であり、ルーン歌唱の類でした。
フィンランドでは、歌は特別な意味を持ちます。歌は呪術の力を持ち、あるものに
よって災いを受ける時、その成立を歌った歌を歌うことで、災厄から逃れられるとさ
れています。つまり、斧で傷ついた時には斧の歌を、蛇に噛まれた時には蛇の歌を歌
うことで、傷や毒から逃れられると信じられていたのです。
東部フィンランドでは、こうした歌の伝統と、その歌に伴う木の皮の笛や、口琴、
カンテレ、ヨウヒッコといった民俗楽器が数多く残っています。
対する西部フィンランドでは、早くからスウェーデンの影響を受け、またスウェー
デンもフィンランドのスウェーデン化を図ったため、歌の伝統は次第に廃れていきま
した。ルーテル派教会による伝統文化への弾圧、「邪教」のラベリングに、宗教改革
が追い討ちをかけ、ルーン歌唱はすっかり下火になってしまいました。
代わって西部フィンランドで普及したのが、ペリマンニ音楽でした。
ペリマンニとは、結婚式や祝祭等でダンス音楽を提供する、基本的に無報酬の職業
音楽家たちのことです。スウェーデンですでに一般的だった旅する音楽家の伝統は、
第一十字軍派遣によって出来上がったポスニア湾岸地域の通信と通商の相互関係に
のっとり、フィンランドまで到達しました。外来者であった彼らは、やがてフィンラ
ンドの農村部に定住し、音楽によって市民権をえていきました。
当初、結婚式でダンスを踊る習慣のなかったフィンランドの人々も、ペリマンニ(
スウェーデンではスペルマン)の影響を受け、何より為政者である郷紳たちが「先進
的なもの」としてダンスを取り入れ始めたことで、急速に普及していきました。
フィンランドの音楽を語る際、民俗歌唱とペリマンニの音楽は両輪ですが、「フィ
ンランドの民俗音楽」といった場合、それはタンゴやフンッパHumppaといった、外来
の音楽でありながらも、フィンランド人の日々の楽しみと結びついたジャンルを内包
し、「フィンランドの民族音楽」といった場合、それはカレワラ調の歌であり、カン
テレです。それらが伝わる東部の民俗音楽は、民族意識と結びつく要素が多いと言え
ます。
(2005/02/02)
第二夜 ポルスカ編
ポルスカは、ルネサンス期にポーランドで原型が出来、16、17世紀に北海沿岸地域で
流行することで成立しました。特にスウェーデンでの普及は目覚しく、スウェーデンと言
えばポルスカ、というぐらい定着しています。地域によって演奏スタイル、アクセントの
位置、メロディラインは大きく異なり、それに伴ってステップも異なっています。しかし、
基本は
♪♪♪♪・♪♪♪♪・♪♪♪♪ / ♪♪♪♪・♪♪♪♪・♪♪♪♪
という、一小節の中にタイでつながれた四つの十六分音符が三組存在する、3/4拍子
の曲です。アクセントは頭にあり、1・2・3/1・2・3というリズムの取り方をします。アイルラ
ンドのスリップジグと、リズムのとり方は同じです。ですので、9/8拍子に聞こえるのでしょ
う。男女二人ずつペアになり、大勢で円周上を回転する輪舞の一種です。ステップをお
見せするのが、一番手っ取り早くわかっていただけるんですけどね。
スウェーデンとフィンランド間では、第一次十字軍遠征(1155年)をきっかけに通信と通
商の相互関係が生まれていました。同時期に、スウェーデンにおいてすでに活発に活動
していた職業音楽家たちは、富裕層にダンス曲を提供する一方、教会での賛美歌の演
奏等も行っていたと言われています。その活動を通じて市民層に指示を得た音楽家たち
は、旅をしながら音楽を提供し、ポスニア湾を渡ってフィンランドに到着しました。彼らは
結婚式でのダンス曲を提供し、富裕層には最新のダンス曲を提供していました。やがて
ポルスカが流行しだすと、彼らは自分たちのレパートリーにそれらを組み込むことで、フィ
ンランドにポルスカをもたらしました。
彼らが提供していたのはポルスカだけではなく、現在フィンランドのダンス音楽の主流を
占めるポルカやワルツ、マーチ、タンゴや、ポロネーズ、マズルカ、ショティッシュ、イェンカ、
リンパ、フンパなど多種多様です。
フィンランドにもリールはあります。あまり流行らなかったようで数こそ少ないですが、確か
に存在します。
(2005/01/12)
第三夜 タンゴ編
タンゴ…タンゴはいいですね、ちょっとやるせない気持ちになります…。…さあちょっと泣こ
うかな、みたいな(^^;;。
「情熱のタンゴ」って言葉がありますね。アルゼンチンタンゴ、コンティネンタルタンゴ…ちょ
っと色っぽくて情熱的です。でも、フィンランド人が「世界の三大タンゴ」と誇るフィンランドのタ
ンゴは、全く違う、物悲しくも美しい旋律です。
フィンランドにタンゴが紹介されたのは、1913年、ホテル・ビュールスでの公演でした。ロシア
とスウェーデン、1155年の第一次十字軍派遣に始まる被支配時代を通じて、フィンランドは、
スウェーデンとロシア、両方からの文化的影響を受けました。
また、イタリアからはアコーディオンが、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアなどの東欧からは
ロマの音楽が、ドイツからはフォークロアなどの「語り」が流入し、ここにフィンランド古来の歌の
伝統がミックスされることで、現在の物悲しいフィンランドタンゴは成立したと言われています。
フィンランドのタンゴは、そのほとんどに歌詩がついているのが特徴です。時に社会批判も歌
うタンゴは、やがて、フィンランド人の間で受け入れられ、「国民音楽」のような扱いをうけるよう
になりました。
フィンランドでは、毎夏、大きな音楽フェスティヴァルがいくつも開催されます。
よくフィンランド旅行ツアーにも組み込まれるサヴォンリンナ・オペラフェスティヴァル。
国内外のトップアーティストが集い、セッションに明け暮れるポリ・ジャズ・フェスティヴァル。
一週間以上続く北欧最大の民俗音楽祭、カウスティネン民俗音楽祭。
そして、セイネヨキ・タンゴ・フェスティヴァルです。
このフェスティヴァルは、国内外から集まったタンゴ。ダンサーたちのコンペティションという形を
とります。ただのコンペティションではなく、この優勝者は、一夜にして全国に知らない者はいない
大スターの地位を得ます。このフェスティヴァルには、フィンランド国中が注目し、四日間の会期中、
毎年10万人以上の人が訪れにぎわいます。
もちろん、コンペティションだけでなく、毎夜開かれるダンスホールには、小さな子供から、若いカ
ップル、しわくちゃのおじいちゃん、おばあちゃんが集まり、夜通しダンスを楽しみます。フィンランド
の夏は白夜。眠りを知りません。音楽とダンスに身を委ねて、一夜が過ぎていくのです。
タンゴ、踊ってみると、ワルツやポルカよりも男女がずっと密着するし、息の合った動きが要求さ
れます。それだけに、パートナー間には信頼関係が必要だし、踊ってる間に、何かいいムードにも
なってきます。「ダンスのパートナーはプライベートでもパートナーなのか?」という、ダンサーたちの
間でいつも話題になる問題も、ことタンゴでは、かなり高い確率で真実だと言えるでしょう。ちなみ
にステップは複雑です。念のため。
(2005/01/14)