「郡山高校・古文漢文担当・鈴木康先生」の巻
母校郡山高校の不可思議教師 No.1の川端先生に次ぐ不可思議教師 No.2は、
古文漢文担当の鈴木康先生であろう。川端先生が動的な不可思議であるのに対し、
鈴木先生は静的な不可思議さである。川端先生のマルチ型教師に対し、鈴木先生
は職人型教師である。
最初の授業に登場した時の鈴木先生には驚いた。閻魔帳に剣道の竹刀を持って
の登場であった。暴力教師がいるとは入学前には聞いていなかった。鈴木先生の
風貌は、細身で背が高く、長顔で受け口、近眼で薄茶色レンズの眼鏡を付けてい
る。眼鏡の奥には鋭い目つきが見える。年齢は不詳、高齢にも見えるが意外に若
いのではないかと生徒間の噂。厭世的にゆっくりとしゃべる話し方が教室全体を
独特の雰囲気にしてしまう。
先生は厭世的な笑みを浮かべながらゆっくりと挨拶を始めた。「何の因果か知
らないが、君達アホウな生徒に古文と漢文を教えることになった鈴木です。」最
初から生徒に喧嘩を売ってくるが、多少難関な競争率を乗り越えてきた誇り高き
新郡山高校生はピクリともしない。「君達は今、なぜ私が竹刀を持っているか怪
訝に思っていることと思う。フフッ。」とこれまた厭世的な笑みを浮かべると竹
刀についてはそれで終わってしまう。
更に喧嘩を売ってくる。「君達は頭が悪いから、『万葉集』も『源氏物語』も
『徒然草』も何も理解できないだろう。それを承知の上で教えるということは、
教師としては大変つらい事だ。今日は最初の授業だから、一つの例として『源氏
物語』の「桐壺」の冒頭部分に触れてみます。」と言って黒板に書き始める。
『いづれの御時にか、女御・更衣あまた侍ひける中に、いとやむごとなき際に
はあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。』
達筆に驚いた。これほど流れる様な綺麗な字を黒板に書く教師は初めてだ。先
生はこの部分をゆっくり味わうように読む。「これが桐壺の冒頭部分です。短い
がじつに美しい文章です。君達は頭が悪いから、そんなことさっぱり分からない
だろう。教えても分からないのだ。これが私にとってはつらい。」と勝手に決め
つける。
この初回の授業に象徴される様に、授業中に先生からは「アホウな生徒」「馬
鹿な生徒」「君達は頭が悪いから」と類語的な言葉が発せられる。今の時代なら、
聞きつけた父母達から抗議の声が上がるところだが、当時としては何の問題にも
ならない。
だが、授業を受けるに従って、先生の言う「アホウな生徒」「馬鹿な生徒」と
いう表現は蔑視とは違う何か別なものではないかと思うようになる。先輩達にそ
の辺を聞くと、「まあ、その内に分かってくるよ。」と意味深長な返事が返って
くる。
こういう事があった。運動会が終わった後、教室に戻ると各机にはあんパンと
牛乳が用意されている。先生が言う、「普段は勉強もできない君達アホウが、あ
れだけ頑張る姿は君達の真実だ。これを大切にして欲しい。あんパンと牛乳は私
からの差し入れだ。明日からまたアホウな生徒になることだ。」と言って教室を
去って行く。こうした事を何度か経験すると先輩達の意味深長な言葉が何となく
分かってくるような気がする。
こうして、一年が経ち最後の授業を迎える。授業が終わると先生は挨拶を述べ
始めた。「今日が最後の授業です。私は一年間、君達をアホウ、馬鹿、頭が悪い
と言い続けてきました。」やはりいつもと何か雰囲気が違う。恐らく謝罪の言葉
でもあるのだろう。先生は続ける。「しかし、これは事実である。君達はアホウ
で馬鹿で頭が悪い。この事実は変えようがない。しかし、大人になると、もっと
アホウになり、もっと馬鹿になり、悪知恵という知恵をつける。私自身もその一
人だ。」しばらく沈黙が続く。そして「これで授業を終わります。」と言って教
室を去って行った。
鈴木康先生語録:
「私は毎朝詩人になる。ポエットになるわけだ。毎朝、家の裏山に分け入って散
歩する時、私は詩人になる。ゲーテやシラーの詩に思いを馳せ、そしてゲーテや
シラーと対話する。勿論、ドイツ語でだ。君達はアホウだから、シラーなどとい
う詩人はシラーないだろうな(先生独自の駄洒落である)。」(先生は東京教育
大学(現筑波大学)のドイツ語学科を卒業している)
「君達は真の美というものを知っているか。知らないだろうな。今朝、電車の中
で実に美しい女性を見かけた。私の目の前に座っていた。座っている姿勢、潤い
のある髪、清楚な顔立ち、体全体の美しさ。だが、この時点ではまだ真の美は存
在しない。私は思った、『ああー、この女性の胸を触ってみたい。』この瞬間に
真の美が存在するのです。」
鈴木先生は、我々生徒に何を伝えたかったのか、分かったようで分からない、
不可思議な先生である。
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