「東海道五十三次・広重展摺り師実演」の巻
正月3日、池袋の百貨店で広重「東海道五十三次」展。浮世絵の基本的知識を
全く知らない年配おじさんと摺り師の会話。
摺り師が『東海道五十三次』の「日本橋・朝の風景」を摺り終わった時、
おじさん「あんた、今本当に摺った訳じゃないよね。摺る真似をしただけだよね。」
摺り師 「いえ、私が本当に摺りました。」
おじさん「嘘言っちゃいけないよ。今ちょこちょこっとこすっただけじゃない
の。真似しただけだろう。」
摺り師 「色付けをして私が今摺りました。」
おじさん「摺りましたって、江戸の人間じゃあないんだから、そんなの無理だ
よー。あんた今幾つよ。」
摺り師 「75です。」
おじさん「そうだろう。大正の人間が江戸の絵を描ける訳がないんだよ。」
摺り師 「いえ、これは安藤広重という江戸の絵師が描いたものを彫り師が
彫って、それを摺り師の私が摺ったのです。」
おじさん「彫るたって、あんた今彫ってなかったじゃあない。」
摺り師 「ですから私は摺り師ですので、彫りません。彫り師は別にいます。
きょうは摺りだけの実演ですから摺り師の私がやっております。」
おじさん「なるほどねえ。でも、いまみたいにこすっただけでこんな複雑な色
が出るのかい。魔術師みたいだね。」
摺り師 「浮世絵というのは多色摺りですから、何度も何度も色を塗り重ねて
いくのです。浮世絵についてはそこにあるパンフレットをよくお読みになって
おいてください。」
おじさん「でも、江戸時代に描いた人間の絵を彫るなんてすごい技だね。75の
歳で彫るのは大変だろう。」
摺り師 「お客さん、私は彫りません。私は摺り師です。」
おじさん「いやー、たいしたもんだね。浮世絵って版画だったのかー。それを
一人で彫って摺るとはね。それも75の歳でねえ。いやーすごい。」
摺り師 「ですから、私は彫りません。私は摺り師です。彫り師は別にいるん
です。そこのパンフレットをよーくお読みください。」
おじさん「いやー、何だかよく分からないけど正月からいいもの見せてもらっ
たよ。たいしたもんだ。これを全部一人でやってしまうんだもんな。たいした
もんだ。さっ、これから仕事だ、帰らなくっちゃ。じゃあどうも。」
摺り師 「・・・・・・」
その場の見学者 「・・・・」
中小企業の経営者風の人だったが、部下は大変だろうなと思った。一度こう思っ
たら絶対に変えられない、そして、人の話を聞かない典型的な硬直派タイプ。でも、
まっすぐな性格で、共感を覚える「今時の不可思議人」であった。
家に帰っても家族に、「いやー、きょうはいいものを見て来たよ。浮世絵って
すごいもんだぜ。一人で描いて彫って摺るんだもんな。それも75の爺さんがだ
ぜ。」などという会話が聞こえて来そうである。
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