「美正堂・国分寺店
花子」の巻
JR国分寺駅北口に美正堂・国分寺店「花子」という画材店があった。近くに
武蔵野美術大学があるので店内はいつも客がいる画材店である。
この花子店を一言で説明すれば、おもちゃ箱をひっくり返した様な画材店とで
も言おうか。店は狭く足の踏み場がないほど商品が投げ散らかしてある。リュッ
クサックなんか背負って行こうものなら身動きができない。花子店に行く第一鉄
則は手ぶらで行くことである。
商品はおおざっぱに置いてあるだけで店員に聞いても「その辺を探して」と軽
くいなされる。自分が欲しい画材は自分で探すのが花子店の常識である。花子店
第二の鉄則である。整理されていない店内の商品を自分で探すのは結構大変であ
るが、時には思わぬ掘り出し物を見つけることがある(花子店の場合は文字通り
掘り出すのである)。昔に仕入れて以来何年も客の目に触れることのなかった掘
り出し物を見つける楽しみがある、古本屋的な魅力を持った店である。
値段は、どんぶり勘定とまではいわないがかなりおおざっぱである。値札が付
いてないものが多いので「これ位の金額かな」と思って買い物をすると、妙に安
く済んだりする不思議な店である。棚卸しはどうやっているのだろう、棚卸しの
誤差は(品不足それとも品過剰?)、などと余計な心配をしてしまう。いや、あ
の混沌無秩序花子店で棚卸しをすること自体が不可能で、この店には棚卸しとい
う概念は当初からないのではないかと思う。
この花子店のレジ(レジと言うよりもお勘定をする空間)には「ワンカップ大
関」が置いてある。こう書くと、「お酒も売ってるんだ」と奇異に感じつつも同
時にこの店の様子から納得もするところだが、これは売り物ではない。もちろん
飾り物でもない。と言うことは、そう、この「ワンカップ大関」は店主のために
置いてあるのである。と言うことは、そう、店主はこの酒を飲みながら仕事をす
るのである。冬場に店に行くと石油ストーブの片隅には「ワンカップ大関」が乗
せてあっていつも熱燗状態である。店主はこれをちびりちびりやりながら店を営
んでいる。羨ましい限りである。
親爺さんの風貌は横溝正史の小説にでも登場しそうな、ちょっと腰が曲がって
いてごましお頭に白い下着のシャツと年期の入ったズボン姿。タオルを鉢巻きに
しているか腰にぶら下げているかのどちらかである。若い頃は画家を目指してい
たのかもしれない。美大生を相手に時おり芸術論を交わしたりしている。芸術を
志した理想高き典型的放浪者タイプである。
この親爺さんの酔い加減で商品の値段が決まってくることもあるかもしれない。
酔いの恍惚絶頂状態の時に買い物をすると値段は完全にどんぶり勘定になるかも
しれない。
ずいぶん前になるが、この美正堂が花子店のすぐそばに「太郎店」という額縁
専門店を開いたことがある。オープン初日に行ってみると、「太郎店」の店長は
何と花子店の親爺さんではないか。オープン初日の祝い酒を一人で飲んでしまっ
たかのように早くも酩酊状態で、「きょうは開店記念で原価販売だよー!、これ
からもずーっと原価販売だよー!」などと恐ろしいことを言っている。これは長
くもたないなと思っていたら案の定三ヶ月後に店を畳んでしまった。親爺さんの
やりそうなことである。
「太郎店が潰れても俺には花子店がある!」計数管理とは無縁の親爺さんは今
日も酒を友にちびりちびりやりながら、若き将来の芸術家の卵たちを相手に花子
店で商売を続けている。
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