丙戌の年回り   1・2・3月/06

 

 干支は中国では農暦といわれ、観天望気から生まれた60年1サイクルのカレンダー。━は陽気、|は陰気、陽気と陰気の組み合わせが農暦の文字だそうな。陽を男、陰を女と例えると、丙(ヒノエ)は男が内に入ると読める。因みに午 (ウマ)は女が男を突き上げると読める。故に丙午(ヒノエウマ)生まれの女の子は避けるという迷信が生まれた。

 

 では戌はどうか、陽気が茂みに隠れると読める。そしてそれが一杯になる。産婦は安産を祈願して戌の日に帯を締める風習はここから来ている。勢いよく伸びるモノに、大切なものが隠れて見えなくなりそしてそのエネルギーが一杯になるというのが丙戌の年回り。故に諸々の事を より見え易くする努力をしたいと思う。

 

 乙酉(キノトトリ)から丙戌(ヒノエイヌ)へ、乙(キノト)は春の終わり芽がグンと伸びる姿、酉(トリ)は酒壺の中で酒が盛んに発酵しているさま。欲求不満がグツグツと煮えている姿。それを次いで丙は夏、木が ドンドン伸びて下草も茂り始める姿。戌は欲求不満が一杯になる姿。そして来年丁亥(ヒノトイ)はついにそれが爆発という年回り。そういう事が起こりやすいということ。故に起こらないように工夫を凝らせばいい。

 


 

 工場へ設備を据付けるにあたり、安全祈願祭を実施。地鎮祭と同じよ

うに土地の神様にブタの丸焼きをお供えする。ロウソクを立て線香を3本ずつ持ち神様にお祈りをして線香たてに立てる。お神酒をテーブルの前面に撒いて神様に更にお願いをする。そして代表がこのブタのお供えに包丁を入れて完了。このようにしてブタのお供え物をした跡に瓦葺の屋根をつけたのが家という字であることが実感できる。日本の山の神様、海の神様からはこの家という字はわからない。

2006・3・13

 

 虎門砲台から虎門大橋を望む。海岸沿いにいくつもの砲門が並び、ここから珠江河口を広州へ向かう英国軍艦を砲撃した。1840年に開戦 1842年の南京条約で終戦。これから1911年の辛亥革命で清国が滅びるまで戦争が続く。

2006・3・8

 

 この博物館には林則徐が1839年に1ヶ月かけて鴉片を燃やし石灰に混ぜて海に流した池が二つある。この地に赴任してきた林則徐の宣言文がこの銅像の後ろの但し書きにある。

 

『若鴉片一日未絶、本大臣一日不回、誓與此事相始終、断無中止之理』

「アヘンを絶滅しない限りは、大臣としての私は家には帰らない、誓って終始このことに専念する、此れを中止する理由は断じてない」という決意。

2006・3・8

 

 東莞・虎門にあるアヘン戦争博物館、正面の『鴉片戦争博物館』の看板文字は思想解放を掲げた胡耀邦によるもの。3月8日は女性の日で、女性の見学者もたくさんいた。

2006・3・8

 

 ホテルロビーに飾ってある獅子舞の獅子。実際にこの中に頭と胴体の2名が入り獅子舞を演じる。正月は醒獅という舞を舞うらしい。そして年間通して各種行事の時にお客様を歓迎して獅子舞を披露する。会社に出来た獅子舞クラブは会社の面子だと皆言っております。

2006・2・4

 

 ホテルの春節デコレーション。赤い短冊のように見えるのは『紅包』の袋で、お年玉を入れる袋。広州ではこの袋の中に5元くらいの金額を入れて皆にわたすのが習慣であるそうな。

 

 会社で現金を袋に詰めて渡すのは危険だし、手間もかかるので銀行振り込みにした。それでも小額の金額を入れた袋を渡したいと言い張る。『風習は大事だ。北京でも爆竹が今年解禁になった。だから紅包をやらせてくれ。』 ならば『2500年続いた農民税を政府が廃止したのは、何故だ。風習は残してやり方を変えるのは問題なかろう?』というやり取りがありました。今年の旧正月は1月29日。そして閏月のある年で、7月が2回となっている。変えることと、変えないことの区別、いろいろ議論を尽くしながらやる。

2006・2・4

 

 北京で新年会、新年会というのは来るべき新年を祝うという意味の方が強いと思う。従って日本的感覚の忘年会とは少し違う。

 

 北京空港、北京市街の店の構え等を見ていると都会だと思う。広州のそれは都市の構えはしているものの文化がないと広州人自らが言う。広州は中国最大の鎮であると。鎮というのは日本でいう田舎町のイメージである。ほかの都市を訪問していろいろ触れてみると、私も確かにそのような感覚を持つ。

 

 養老孟司さんの本を読んでいて、日本と米国の共通点というところがあり印象に残った。欧州には住めなくなった人が新天地を求めてアメリカ大陸に渡った。いわば故郷を捨てて大陸に渡って来た。その時アメリカインディアンから七面鳥の取り方や、トマトや豆の栽培方法を教わり、自活して行った。生活圏が都市化するようになるとインディアンを追いやるようになり、今インディアンはグランドキャニオンの方の砂漠地帯、厳しい環境の所で生活することを余儀なくされている。Thanks Giving Day は感謝祭であるが、神への感謝であるとともに、先住民であるインディアンへの感謝ではないかと私は思っている。もう故郷へは帰れない。

 

 日本へは中国や韓国が嫌になった人達が渡って来たのではないかというのが養老さんの意見。多分弥生人としてそれまでの縄文人たるアイヌや沖縄の祖先を北と南へ追いやった。そして今の日本をつくり上げた。もう故郷へは帰れないという強迫観念を持ちながら。死ぬ思いをして海を渡って来たのだから相当故郷が嫌だったか、故郷に残れないくらいの何かをしでかしたか。唐招提寺を創った鑑真和尚は弟子に止められるのを振り切って『不惜身命』という言葉を残して日本に渡った。これは鑑真和尚の親戚が日本に居たからではないか? 空海だって疑問だらけ。なんで習字がうまかったのか? 時の唐皇帝の目に留まるほど見事な中国語のレターが何故書けたのか? これは空海が中国人だったからだ、と考えたほうが自然。

 

 中国や韓国が嫌になり、故郷を捨てて新しい国を作るのだと渡って来た人達が日本人の祖先? では、私はここ広州で何をしているのだろう?

2006・1・17

 

とても繊細な陶器の人形、広州には昔から職人が多い。台湾の故宮博物館でも玉石の透かし彫りなどレースのような細かい作業を得意とする職人が広州に大勢居たという説明があった。この辺を追求すれば何とかなるかもしれない。

2006・1・14

 

東方賓館のお茶屋さんに並ぶ茶器、種類が多いけれども実用的ではないものもある。茶道をしっかり身につけるには先ず道具から。面接で大学では実験したことあるの? という質問に対して、先生と一緒に工場を訪問して実見しました。実験と実見は一歩、否百歩くらい違う。産学協同でやりたいというこちらからの提案に対して大学で実習が出来るようにする、と。実習ではなくて研究にしたい。いろいろなギャップがあるけれども先ず茶道から勉強するべきか?

2006・1・14

 

広州日本商工会主催の新年会での48kgあるマグロの解体作業風景。切り身が抽選で当たりました。広東省でも賃金格差が進んでいる。広州では外から来た人と元から住んでいる人とのギャップをどのように埋めるかが課題。どちらに偏っても不満がおきるのでバランスをどう取るのか? 民主化は党内から進めるという大学の先生の話もあるし、今後予断を許さないのが2006年の年回り。大学卒業生の就職難と絡んで昨年の半日運動の背景なるものがもっと膨らむ可能性がある。という中で3800人に膨れ上がった広州に住む日本人の取るべき行動は如何!

2006・1・14

 

今年の旧正月は1月29日、春節休暇はその前日の大晦日から始まるのが普通らしい。ショッピングセンターは買い物客で賑わっておりますので、あまり立ち寄らないほうが無難かな? 北朝鮮の某将軍様が広州に来て宿泊したというニュースで新聞記者は大童でした。

 2006・1・13

 

武漢、揚子江を挟んで鶴山と亀山がある。鶴山に聳える黄鶴楼で鐘をついた。310元で願い事が叶うそうだ。西安の城壁内中心部にある中楼の鐘も35元で小振りの鐘だけれども良く響きました。子供の頃、近所のお寺の鐘を勝手に鳴らしていて叱られた記憶があります。あれは、時を告げる地元の鐘でしたからね。『七つの子』の歌詞の中にもある、♪山のお寺の鐘がなる♪。山には大体お寺があり、そこが寺子屋で学校。お寺の本山も一種の学校であり大体山の上に在ったから、学校に行くことを登校といい、学校から帰るのを下校という。ということを思い出しながら鐘を突きました。揚子江まで届いたかどうかは定かでない。

 

  広州に向かう飛行機の上から今日は下が大変よく見えた。中国で一番長い揚子江(長江)が眼下に蛇行して流れているのは実に雄大。揚子江の支流にあたる川に沿った所は人家が耐えることはない、そしてその民家から山裾にかけて田畑が広がる。流石に雪が降り積った高山になると民家はないが、開発が進むところまで進んでいるというのが大変よく判る。中国は既に世界第2位の穀物輸入国になっている。地球人口64億人、そしてなお毎年8000万人ずつ増え続けている。日本は減少に転じているけれども中国、印度はまだまだ増加。温暖化も進んでいるし、これから先環境を保全していく努力が世界規模で必要だと痛感する。その中で身の周りのことで出来ることは何であるかをよく考えながら環境対策を進めて行きたい。環境の4RRefuseReduceReuseRecycle 『止める、減らす、再利用、使い切ったらリサイクル。』

2006・1・6

 

 広州の新年の電飾は各ホテル工夫を凝らしております。日本料理屋ではお節の提供に余念がありません。

 

 クリスマスでもそうですが、人々は町に繰り出しひたすら歩き、ホテルなどをおとづれては写真を撮りまくります。西安のクリスマスイブでもそうでした。人々は町の中心へと爆竹を鳴らしながら歩き続けます。人が多いので当然車の立ち入りは禁止で、歩行者天国となります。屋台も出て、お祭り騒ぎであるのは間違いありません。

 

 このようなプロセスを経ながら2008年の北京オリンピックに向かっていくのですね。東京オリンピックの時もこんな風だったような記憶があります。

                      2006・1・1