秘密の花園

第一章 ―― もう誰もいない

メアリー・レノックスがミスルスウェートの屋敷に送られて、そこで叔父さんと暮らすことになったとき、こんな感じの悪い顔をした子供は見たことがないとみんなに言われたものだったが、まったくその通りだった。メアリーの顔は小さくてとがっていたし、体もきゃしゃで小さかった。髪は細くて色が薄かったし、それにいつも不機嫌な表情をしていた。髪と顔が黄色かったのは、インドで生まれてから長い間ずっと、いつもなにかしらの病気にかかっていたからだった。父親は現地でイギリスの政府関係の仕事に就いていていつも自分の仕事で忙しかったし、それで体も悪くしていた。母親はたいそう美人だったが、パーティに出かけて行っては派手好きな知人たちと浮かれ騒ぐことにしか頭がない女だった。そもそも彼女は女の子なんか全く欲しくはなかったから、メアリーが産まれたるやさっさとアヤ(Ayah:ヒンズー語で「保母」)に世話をまかせてしまった。私の機嫌を損なわせたくなければ、出来るだけ赤ん坊を自分の目の触れないようにするようにと言い聞かせてきたのである。だからメアリーは、病弱で怖がりで醜いちっちゃな赤ん坊だったときはずっとのけ者にされていたし、病弱で怖がりでよちよち歩くころになってもやっぱりのけ者にされていたのだ。彼女の覚えていることといったら、自分の世話をしていたアヤと、他の召使たちの黒い顔を見ていたことだけだ。メンサエブ(Mem Sahib:植民地時代のインドで現地人が白人女性に対して用いる敬称。ここではメアリーの母親を指す。「奥様」)は子供がむずがって泣くと邪魔になると言ってお怒りになられるから、召使たちはいつもメアリーのやりたいようにさせていた。だからメアリーは六才にもなると、誰も見たことのないような自分勝手でわがままな子豚みたな子供になったのだった。読み書きを教えに来ていたある若いイギリス人の家庭教師は、あまりにメアリーが嫌な子なので、わずか三ヶ月で暇を取ってしまった。新しい家庭教師を呼んでも次々に止めていって、みんな結局最初の人より長く続かなかったのだ。だからもしメアリーが、本を読めるようになりたいと自分から本気で思っていなかったなら、彼女は文字なんか一つも理解出来るようにならなかっただろう。

ある恐ろしいほど暑い朝のこと、九才になったメアリーはものすごくいらいらした気分で目を覚ました。そして彼女を起こしに来た召使がいつものアヤでないのを見ると、さらにもっと不機嫌になった。

「なんであんたが来たの?」とメアリーはその見知らぬ女に言った。「あんたなんか出てって。私のアヤをつれてきて」

召使はおどおどして、アヤは来られないのですと口篭もって言った。するとメアリーは頭にきて召使を叩いたり蹴ったりしたから、召使はますます怖がってアヤはお嬢様のお相手はできないのですと繰り返した。

その朝の雰囲気はどうも妙だった。家の中のなにもかもがいつもと違う感じだったし、召使の姿が何人か見えないようだったし、他の使用人はこそこそしているか、そうでなければ青い顔をして怯えながら、ばたばた走っていたのだった。だけどそのことについて誰も何も言わなかったし、アヤもとうとう来なかった。日が高くなってもメアリーはとうとう一人ぼっちで、とうとう諦めて庭に出ると、ベランダの近くの木の下に行って一人で遊び始めた。花のベッドを作ろうと、あかね色のハイビスカスの大きな花を積み上げて、地面にこんもりと山を作った。その間にもメアリーはどんどんいらいらしてきて、部屋に帰ったら言ってやろうと、召使に対する悪口を一人でぶつぶつ言っていた。

「豚! 豚! 豚の子め!」とメアリーは言った。インド人に対する一番酷い侮辱は、彼女たちを豚呼ばわりすることだと知っていたのだ。

メアリーが歯軋りしながらそんなことを何度も繰り返し言っていると、母親が誰かと一緒にベランダへ出てきたのが聞こえた。一緒にいるのは金髪の若い男で、二人はくぐもった変な声で話をしていた。メアリーはその、少年のように見える金髪の男のことを知っていた。彼は士官でとても若く、イギリスから来たばかりなのだと聞いていた。メアリーは彼をよく見ようとしたが、目が行くのは母親の方へばかりなのだった。母親が近くにいると、いつも自然そうなってしまうのだ。なぜならメンサエブは――召使はいつも母親のことをそう呼んでいた――たいへん背が高くすらっとして、かわいらしい上にいつも綺麗な服を着ている人だったから。髪の毛は絹が波うっているように美しかったし、小ぶりで上品な鼻にはまるで何もかも軽蔑しているような感じがしていたし、大きな目はいつも楽しそうに輝いていた。着ている物はいつも薄くてふわふわした服で、メアリーが言うには「レースのお飾りでいっぱい」なのだった。ことにその朝はいつにも増してレースの多い服を着ていたのだが、彼女の目は全然楽しげではなかった。大きな瞳は怯えていて、金髪の少年士官の顔を、すがるように見上げていたのだった。

「そんなに悪いんですの? もうどうしようもないんですの?」と彼女が言ったのをメアリーは聞いた。

「残念ですが」と若い男が答えた。「本当に残念ですが、ミセス・レノックス。二週間前に、街を離れてくださっていれば」

メンサエブは自分の手を固く握った。

「ええ、分かってますとも! そうしていればよかったんですわ!」彼女は叫んでいた。「それなのに私ときたら、街から出ようとしなかったんですわ。あんな馬鹿らしい晩餐会にのこのこ出かけて行くために。なんて馬鹿だったんでしょう!」

ちょうどそのとき、大声で誰かが泣き叫ぶのが召使の宿舎の方から聞こえてきて、母親は若い男の腕にしがみついた。メアリーは頭から足までぶるぶる震えていた。叫び声はますます大きくなっていった。「あれは何ですの? 一体何ですの?」ミセス・レノックスは息を呑んだ。

「誰か死んだのです」と少年士官は答えた。「召使の間にまで広がっているだなんて、奥様はおっしゃらなかったじゃありませんか」

「私は知りませんわ!」とメンサエブは叫んだ。「来てください! 私と一緒に来てください!」と言って彼女は後ろを振り返り、家の方へ駆けて行った。

そのあとでおそろしいことが次々起こって、メアリーは朝からの妙な雰囲気の理由が何なのか、だんだん分かってきた。コレラの一番ひどいやつが流行して、人間が蝿のようにばたばた死んでいるのだ。アヤは昨晩から床に伏せっていたが、先ごろ息を引き取ったために、他の召使たちが恐ろしさのあまり泣き叫んだのだった。アヤ以外にもその日のうちに召使が三人死んで、他の者も怯えて逃げ出してしまった。どこもかしこもパニックで、家の人々は次々に死んでいった。

その翌日、みんながうろたえて家中ごたごたしている間にメアリーは子供部屋に閉じこもって、そしてすっかり忘れられてしまった。誰もメアリーのことを考えなかったし、いてもいなくても誰も気にしなかった。部屋の外では大変なことが起こっていたのだが、メアリーはその間ずっと泣いたり眠ったりしてすごしていたので、彼女が知っていることといったら病人が出ているということと、なんだか家中ぎしぎし変な音がするということだけだった。一度食堂まで行ってみたが誰もいなくて、作りかけの食事がテーブルの上に置かれてあったものの、椅子や皿が乱雑に置かれている様子はまるで食事が何かの理由で急にお開きになった後のようにも見えた。メアリーは果物とビスケットを口に入れ、のどが乾いていたのでそこにあったワインを一杯飲み干した。ワインは甘かったけど、とても強いお酒だということをその子は知らなかった。彼女はすぐに眠たくなって、子供部屋に戻るとまた扉をしめて閉じこもった。そして宿舎の方から聞こえてくる叫び声や、ばたばた騒がしい足音に怯えていた。しかしワインに酔って目を開けられないくらい眠くなっていたので、ベッドの上に横になってしまうと、あとは長い間、何が起こったのか分からないくらいぐっすり眠ってしまった。

ぐっすり眠っている間にいろいろなことが起こったが、泣き叫ぶ人の声も、家から何かが運ばれていく音も、メアリーは何も気づかなかった。

目が覚めるとメアリーは横になったまま部屋の壁を見つめていた。家中物音一つしない。こんなに静かだったことは今までなかった。人の声も、足音もしなかった。もうみんな元気になって、コレラはすっかり終わってしまったのだろうかと彼女は思った。きっともうすぐ新しいアヤが来るのだろうから、そのとき新しい話を訊けばいいと思った。今までのアヤにはもううんざりしていたのだ。世話をしてくれたアヤが死んだからといって、メアリーは泣かなかった。優しい子供ではなかったから、他人のことを気遣うことがなかったのだ。コレラのことでみんながごたごた騒いだり泣き叫んだりしているのが彼女は恐ろしかったし、自分がここにいることをみんな忘れていることにいらいらしていた。誰もが怯えていたから、姿の見えない女の子を心配している暇なんてなかったのだ。コレラが来たときは、誰も彼も自分のことにしか頭が回っていなかったのだ。けれども誰か病気が良くなったら、メアリーのことを思い出して迎えに来てくれるはずだった。

しかしいつまで経っても誰も来ず、寝転んで待っている間メアリーは家の中がどんどんどんどん静かになっていくように感じてきた。何かが敷物の上をかさかさ音をたてて動くのが聞こえたので、メアリーが下を見ると、床を這っている一匹のヘビが、宝石のような目玉で彼女の方を見つめていた。ヘビは小さくて人を噛みそうにはなかったから、メアリーは怖くなかった。それにそいつは、急いで部屋から外に出て行きたそうな様子だった。メアリーが見ている間に、ヘビはドアの下をくぐって出て行ってしまった。

「何て静かなのかしら。変な感じ」と彼女は言った。「まるで私とヘビの他は、誰も家にいないみたい」

そのすぐ次の瞬間、家の敷地に入ってくる幾つかの足音が聞こえて、それはすぐにベランダまでやって来たのだった。足音は男のもので、彼らは家の中に入って来ると低い声で何か言った。誰も出て来なかったので、彼らは部屋のドアを次々に開けて中を見渡しているようだった。「なんてこった、誰もいないじゃないか!」と一人が言うのが聞こえた。「あの綺麗な奥さんも! 子供だっていたはずなのに。そうだ、確かに子供が一人いるって聞いたぞ。でもその子はどこにいるんだ!」

数分後男たちが子供部屋のドアを開けたとき、メアリーは部屋の中央に立っていた。その醜い女の子は、空腹だったのと無残にも見捨てられていたせいでとても機嫌が悪く、眉をしかめて怒っていた。最初に部屋に入って来た男は大きな体をした将校で、メアリーは彼が昔父親と話をしていたのを見たことがあった。彼は何だか疲れていたように見えたが、メアリーを見るやいなや飛びあがるほどひどく驚いたのだった。

「バーニィ!」と彼は叫んだ。「ここに子供がいるぞ! 子供が一人だけだ! こんな所に、神様! 誰だこの子は!」

「私はメアリー・レノックスよ」と小さな女の子は言った。自分の父親の家を「こんな所」呼ばわりするなんて、なんて失礼な人だろう。「コレラが来たとき、私はずっと眠っていたの。どうして召使は、誰もここに来ないの?」

「じゃあ誰もこの子のことを知らないんだな!」と彼は叫んで、連れの男の方を振り向いた。「この子はすっかり忘れられたんだ!」

「どうして私が忘れられたの?」と、床を踏みながら彼女は言った。「どうして誰も来ないの?」

バーニィと言う名前の若い男は、とても悲しそうにメアリーを見つめた。彼は涙がこぼれてしまわないようにと、瞬きをしたようにメアリーには見えた。

「かわいそうな子だ!」と彼は言った。「もう誰もいないんだ。誰もこないんだよ」

こんなに変なことがあるのだろうか。父親も母親もいなくなったことを、メアリーはいきなり知ってしまった。二人は死んで、夜のうちにどこかに運ばれていったのだ。生き残ったわずかな召使もわれさきにと家から出ていって、お嬢様がいることなんか誰も覚えていなかったのである。だから家中が、こんなに静かなのだ。ここにいるのはメアリーだけで、家にはヘビがかさかさ這っているだけなのだった。

第二章 ―― つむじ曲がりのメアリーお嬢様

メアリー遠くから母親を見ているのが好きだった。とてもかわいらしい人だとメアリーは思っていたけれど、二人はあまり一緒にいたことがなかったので、母親になついたり、姿が見えないといって淋しがったりはしないだろうとみんな思っていた。実際、母親が死んだときも淋しいとは思わなかったのだ。メアリーは普段と変わらず、やっぱり自分のことばかりしか考えていなかったから。もう少し大きくなっていれば、世界にたった一人取り残されたということに不安でたまらなかっただろうけれど、メアリーはまだほんの子供だったし、いつも誰かが自分をかまってくれていたのだから、これからもそうだろうと思っていたのだ。彼女が考えていたことは、アヤや他の召使たちがしていたように丁寧にかしこまって、自分の好き放題にさせてくれる人たちのところへ行くかどうかということだった。

両親が死んだあと、メアリーは最初イギリス人牧師の家に連れて来られたが、これからもそこに住むのでないことは知っていたし、住みたくもなかった。牧師の家は貧乏で、薄汚い格好をした同じ年恰好の子供が五人もいて、いつもけんかをしたりおもちゃの取り合いをしたりしていた。このごちゃごちゃした家が大嫌いなメアリーはとても無愛想になっていたので、家に来てから一日か二日の間に誰も彼女と遊ばなくなっていた。そして二日目になると子供たちはメアリーにあるあだ名をつけたので、それで彼女は猛烈に怒ってしまった。

その名前を最初に考えたのはバジルだった。バジルは青い目と上向きの鼻をした小さな男の子で、メアリーはその子が嫌いだった。彼女はコレラが広まった日とちょうど同じように、一人木の下で遊んでいた。庭に土を盛って小道を作っていたらバジルがやって来て、側に立ってメアリーを覗き出した。すると彼は興味が出てきて、突然こんなことを言い出したのだ。

「石を使って、庭石みたいなのをこしらえちゃどうだい?」と彼は言った。「この真中のとこに置くんだ」と彼はメアリーの方に近寄って、その場所を指差した。

「あっち行って!」とメアリーは叫んだ。「男の子とは遊ばないわ。あっち行って!」

バジルは少しの間怒っていたようだったけど、じきにメアリーをからかい始めた。この子はいつも妹たちをからかっているのだ。メアリーの周りをぐるぐる回りながら変な顔をして、笑って歌を歌っていた。

「つむじ曲がりのメアリーお嬢様 お庭はどんなご様子で? 銀のお鈴と貝殻と 並んで植わったきんせんか」

バジルは同じ歌を何度も繰り返して、それを聞きつけた他の子供達も一緒に笑い出した。メアリーが怒れば怒るだけ、彼らはいよいよ「つむじ曲がりのメアリーお嬢様」と合唱するのだった。そんなことがあってから子供たちは、メアリーが近くにいるときには彼女のことを「つむじ曲がりのメアリーお嬢様」とお互いに呼ぶようになったし、時にはメアリー本人に向かってそう呼ぶようにもなった。

「おまえは他の家に連れていかれるんだ」とバジルがメアリーに言った。「この週末にね。それがおれたちうれしいんだ」

「私もうれしいわ」とメアリーが答えた。「家はどこにあるの?」

「こいつ家がどこだか知らないや!」とバジルは七才の男の子らしいやり方で馬鹿にして言った。「イギリスの家に決まってるじゃないか。イギリスにはおれたちのおばあちゃんが住んでて、姉さんのマーベルが去年そこに送られたんだ。おまえはおばあちゃんのとこに行くんじゃないんだぜ。だっておまえにおばあちゃんはいないもん。おまえは叔父さんのとこに行くんだ。アーチボルド・クレイブさんって名前なのさ」

「そんな人は全然しらないわ」

「そうだと思ったさ」とバジルは答えた。「おまえ何も知らないんだもの。女ってもんは何も知らないんだ。おれは父さんと母さんが話してたのを聞いたんだ。クレイブンさんはなあ、でっかい荒れた古屋敷に住んでて、その近くには誰も寄りつかないのさ。すごく気難しいから誰も家に近づけないし、もし呼ばれたって誰も行きやしないんだ。おっとろしい、せむし男なのさ」「そんなの信じないわ」と言うとメアリーは後ろを向いて指で耳をふさいだ。そんな話はもうこれ以上聞きたくなかったのだ。

だけど後になってメアリーは、その話を何度も何度も思い返していた。そしてその晩クロフォード夫人が、二三日経ったらメアリーはイギリスに発って叔父のアーチボルド・クレイブン氏と一緒にミスルスウェート屋敷に住むのだと言ったとき、彼女は固い無表情のままだったので、この子をどう扱っていいのか、誰も分からなかったのだった。家の人はメアリーに優しくしようとしたが、クロフォード夫人がキスをしてやろうとしても彼女は顔を背けたし、クロフォード氏が肩をたたいてやっても嫌がって体を固くするのだった。

「あの子は何て愛嬌がないんでしょう」と、クロフォード夫人は後で哀れがるように言った。「母親はあんなに綺麗な人なのに。あの人は立ち振る舞いだって美しかったわ。それなのにメアリーは、見たこともないくらい可愛げのない子供なんだもの。あの子は『つむじ曲がりのメアリーお嬢様』って呼ばれてるのよ。嫌らしい言葉なのに、誰も知らないで言ってるんだから」

「もしも母親が、そんな綺麗な顔や上品な立ち振る舞いでメアリーを育てていたら、あの子もそんな子になっただろうになあ。そんな綺麗な人も今はもういなくなって、子供がいたことなんて誰も覚えていないというんだから、悲しい話だ」

「あの人はきっと、子供の世話なんてほとんどしなかったに違いないわ」とクロフォード夫人はため息をついて言った。「アヤが死んでからは、誰もあの子のことをかまったりしなかったのよ。召使がみんな逃げ出して、子供一人で誰もいない家に取り残されたことを考えてみて。マクレガー大佐はメアリーが部屋の真中に一人で立っていたのを見つけたとき、驚いて腰を抜かすところだったと言っていたわ」

メアリーはある将校夫人に連れられて、イギリスへ長い船旅に出た。その夫人は自分の子供たちを寄宿舎に入れるために乗船したのだ。彼女は自分のところの男の子と女の子の世話に忙しかったから、ロンドンに着いてメアリーを、アーチボルド・クレイブン氏のところから来た女に引き渡すとほっとした。その女はミスルスウェート屋敷の家政婦で、名前をメドロックと言った。メドロック女史は厳格そうな女性で、真っ赤な頬と鋭い黒い瞳をしていた。着ているものは紫一色のドレスと、黒玉の縁飾りのついた黒い絹外套と、紫のビロードの花飾りの載った黒いボンネットを被っていた。その花飾りは出っ張っていて、彼女が歩くとゆらゆら揺れるのだった。メアリーは彼女のことが嫌いだったけど、そもそも人を好きになったこと自体滅多にないのだから、それに大した意味はないのだった。それにメドロック女史の方でも、メアリーのこのなどあまり気にかけていないのは明らかなのであった。

「あら! あんまり可愛くないんだねえ」と彼女は言った。「母親は美人だと聞いていたけれど、子供はそうでもないみたいですね。そう思いません?」「大きくなればきっと良くなりますよ」と将校夫人はおだやかに言った。「もしも顔色がこんなに悪くなくって、表情も明るかったなら、この子はもっと見栄えがよくなることでしょう。子供は見違えるくらいに変わるものですから」

「変わるにしても直ぐにとはいかないでしょうね、これじゃ」とメドロック女史は答えた。「それにしてもね、子供を可愛らしくするものなんかミスルスウェートにはありっこ無いんだから、期待されても困りますけどね」三人が入った宿泊所で、メアリーは少し離れての窓の側に立っていたので、二人は彼女が話を聞いていないものと思っていた。彼女は自動車や辻馬車や人々が通りを行くのを見ていたけれど、話はしっかり聞いていて、それで叔父さんのことや彼の住んでいる場所に興味を持ち出したのだ。そこはどんな所で、叔父さんは一体どういう人なのか? せむし男ってどんなだろう? メアリーはそんなものまだ一度も見たことがなかった。多分インドにはいなかったんだ。

しばらくよその家に住んでいてアヤがいなかったから、メアリーは心細くなり始めて、それで今までは考えたこともない、変な考えが浮かんできた。父親と母親が生きていたときでさえ、自分が誰かの子供だという気がしなかったのはどうしてだろう? 他の子供たちは、ちゃんと父親と母親がいる子供のように見えたのに、メアリーは自分が本当に誰かの子供だという気がしなかったのだ。召使がいて、食べ物も着る物もあったけど、誰もメアリーをかまってはくれなかった。それはメアリーが嫌な子供だったからなのだか、そもそもメアリーは自分が嫌な子供だということも知らなかった。嫌な人に会ったことはあるけれど、自分がそうだとは思わなかったのだ。

自分が見て来た人の中で、メドロック女史が一番嫌な人だとメアリーは思った。彼女の平凡な赤い顔と、面白味のない上品ぶったボンネットを見てそう思うのだった。翌日二人でヨークシャーに発つときも、メアリーは彼女の連れだと思われたくなかったので、列車に乗るために駅の内を歩くとき、顔を揚げて遠くを見据え、出来るだけメドロックを見ないようにしていた。自分が彼女の小さな娘だとでも思われたりしたら、メアリーはかんかんに怒ってしまったことだろう。

けれどメドロック女史は、メアリーのことや、メアリーが何を考えているかなど、ほんの少したりとも気にしなかった。彼女は「子供のたわごとにはかまっていられない」という考えの人だったのだ。少なくとも、人に聞かれればきっとそういうふうに言ったことだろう。ちょうど姉のマリアの娘が結婚を控えている時分で、彼女はロンドンになど行きたくはなかったのだけれど、ミスルスウェート屋敷で家政婦としてわりのいい仕事にありついていたいわけだし、そのためにはアーチボルド・クレイブン氏にやれと言われたことをやるしかないのだった。だから命令に対して質問することすら、一度もなかった。

「レノックス大尉とその女房が、コレラで死んだ」とクレイブン氏はいつも通り、そっけない冷たさで言った。「レノックス大尉はわしの妻の弟で、わしはその娘の後見人になっとる。その子がここに送られてくるはずだ。おまえがロンドンまで、迎えに行ってくるんだ」

ということなので、彼女は自分の小さなトランクに荷造りをすると、はるばる出かけて行ったのだった。

メアリーは客車の隅に腰を下ろしたが、しかめっ面でいらいらしていた。読むものも、見るべきものもなく、黒い手袋をはめた細い小さな両手を膝の上で握っていた。黒いドレスを着ていたから肌がいつもより黄色く見えたし、弱々しい髪の毛は黒いチリメンの帽子の下からほつれて飛び出ていた。

「こんな台無しな子供は今まで見たことないよ」とメドロック女史は思った。(「台無し」というのはヨークシャー地方の方言で、甘やかされて育てられた子供が拗ねているという意味だ。)じっと座ったままで何もしない子供なんて、見たことがなかった。しまいにはメアリーを見ていることに飽きてきて、彼女はきびきびした声でしゃべり始めた。

「あなたがどんな所に行くのか、話しておいた方がいいでしょうね」と彼女は言った。「叔父さんのことについて、何か知っているの?」

「いいえ」とメアリーは言った。

「お父さんとお母さんは、そんな話をしてなかったの?」

「いいえ」と顔をしかめてメアリーは言った。メアリーがしかめっ面をしたのは、両親が彼女に何か特別な話をしたことは、これまで一度もなかったことを思い出したからだ。何か伝えられたことなんて、全然なかったのだ。

「ふん!」とメドロック女史は低く言って、メアリーの妙な、表情の乏しい顔に見入った。彼女はそれから数分間何も言わなかったが、またしゃべり始めた。

「何か教えておいた方かいいだろうね、心の準備のためにもさ。なにせこれから行くのは変な場所なんだからね」

メアリーが何も言わなかったのでメドロック女史は当てが外れてげんなりしたようだったが、一つ息をつくと話を続けた。

「もっとも、陰鬱だからこそ威厳もあるという屋敷な訳なんだけどね。クレイブンさんもそれを誇ってらっしゃる――それぐらいに暗い家なのよ。屋敷は築六百年で、原野のはずれに建ってるわ。中はほとんどが開かずの間だけど、百近い部屋があるわね。絵画とか立派な家具とか、長い間そのままになってる物とかが置いてあって、周りには大きな庭園や、花畑や、地面まで枝が垂れ下がってる木なんかがあるんだよ」と、彼女はここで一息ついてから、「でも他には何もないよ」と言って唐突に話を終えた。

メアリーは知らず知らずの内に話に聞き入り始めていた。インドとはまるっきり違うようだったし、新しいものなら彼女は何でも気になったのである。けれど興味があるそぶりはしたくなかった。それは彼女の、不幸な、嫌らしい癖の一つなのだった。メアリーは黙って座っている。

「さて」とメドロック女史は言った。「こういう所だけど、どう思うんだい」

「別に」とメアリーは答えた。「興味ないわ」

これを聞いて、メドロック女史は短い笑い声を出した。

「まあ!」と彼女は言った。「あんたはまるで、おばあさんみたいなんだね。気にしないのかい」

「関係無いわ」と彼女は言った。「私が気にしようと、気にすまいと」

「そりゃそうだわ」とメドロック女史は言った。「関係ないわね。どうしてあなたがミスルスウェートの屋敷に住まなきゃならないのか、そうするのが一番面倒でないからだよ。あの方は、あなたのことなんかでかまったりしない、それは間違いないよ。誰のことにも、かまったりしやしないんだから」

そのとき、何かを思い出したように彼女は動きを止めた。

「あの方はね、背中が曲がってるのよ」と彼女は言った。「それでおかしくなっちゃったのさ。あの方は若い時分も気難しくて、資産や大きな家があっても面白くなかったのさ、結婚するまではね」

興味を顔に出すまいとする気持ちとは裏腹に、メアリーの目は彼女の方を向いていた。せむしの結婚なんて今まで考えてもみなかったので、彼女は少しばかり驚いたのだった。メドロックはこれに気づいて、もともとおしゃべりな女だったので興味を持って話を続けた。少なくとも、退屈しのぎにはなることだし。

「奥様はね、魅力的な美しい方だったよ。あの人のためなら旦那様は、世界中を歩き回って草のきれ一本探すことだってやっただろうね。奥様が旦那様と結婚するなんて誰も考えやしなかったけど、本当に結婚したもんだから、あの女は金目当てなんだろうって皆言ったもんさ。でも奥様は決して―― 決してそんな人じゃなかった」と断言した。「それで奥様が亡くなったとき――」

メアリーは思わず小さく飛びあがった。

「まあ! その人は死んでしまったんですって!」と彼女は叫んだ。叫ぶつもりはなかったのに。メアリーはその瞬間、昔読んだ「巻き毛のリケ」というフランスのおとぎ話を思い出した。それは哀れなせむし男と美しいお姫様の話だったが、それで彼女はアーチボルド・クレイブン氏のことが可愛そうに思えてきた。

「そう、亡くなったのよ」とメドロック女史は答えた。「それであの方は、ますますおかしくなったのよ。誰のことにも構わなくなってね。人に会わなくなったわ。ほとんど遠くの方へ出かけてるし、ミスルスウェートにいるときには何時も西翼に閉じこもって、ピッチャー以外の誰とも会わないんだからね。ピッチャーは年寄りの男だけど、旦那様が子供の頃に世話をしていて、どう扱っていいか飲み込んでるのさ」

それはまるで本のような話だったがメアリーは楽しくなかった。百もある部屋の内の、ほとんど全部が開かずの間だとか、原野のはずれにある家だとか――原野と言うのが一体どんなものだか知らないけれど――何とも面白くのない話だった。しかもそこには、背中の曲がった男が閉じこもっているだなんて! メアリーは唇を硬く結んで窓の外を見つめていたが、斜め降りの大雨が灰色の直線を描いて窓ガラスの枠木に激しくぶつかっている様子も、何だか当たり前の景色のように思えてきた。その綺麗な奥さんが今も生きていたならば、彼女はメアリーの母親のように「レースでいっぱい」のフロックを着てパーティーに出かけ、周りを愉快にしているに違いない。けれど彼女はもういないのだ。

「旦那様に会ったときの事なんか、考えなくてもいいんだよ、絶対に会うことなんかないんだから」とメドロック女史は言った。「それにね、誰かがあなたの相手をしてくれるなんて思うんじゃないよ。一人で遊んで、自分の世話は自分でやるんだからね。どこの部屋に入っていいか、どこの部屋には入っちゃいけないか、教えられるからね。花畑には入っていいよ。でも家の中に入ったら、うろうろ嗅ぎ回らないことね。クレイブンさんが承知しないから」

「嗅ぎ回るだなんて、やりたいとも思わないわ」とひねくれ者のちっちゃなメアリーは言った。そうしてアーチボルド・クレイブ氏のことを突然気の毒に思った時とちょうど同じように、彼女は突然彼に同情することをよしてしまい、こんなに不愉快な男なのだからその不幸は当然の報いなのだと思うようになった。

そしてメアリーは、雨の流れる窓ガラスに顔を向けて、永遠に続くかと思える激しい雨が降るのを見ていた。あまりにも長い間見つめていたので、視界の中で雨の灰色はどんどん深くなっていき、そしてメアリーは眠り込んだ。