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〜四つ木大正期の風景A〜 |
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| 今回は大正後期の四つ木についてです。 まず、この時期の出来事から、振り返ってみましょう。 大正12(1923)年9月1日、死者・行方不明142,800名、全壊建物128,000棟、全焼建物447,000棟という未曾有の大災害となった関東大震災が起こりました。しかし、幸いなことに葛飾区では被害をほとんど受けず、建物132棟が全半壊したのみで死者も火災も無かったそうです。 また大正9年(1920)年、セルロイド発祥の地として知られている、千種セルロイド工場(現在の渋江公園)が当時の不況のあおりを受けて倒産しました。従業員250人を有した大工場でした。 この2つの大きな出来事は、現在のような中小工場の集まるの地域をつくるきっかけとなりました。セルロイド工場で技術を身につけた人達がこの地に自ら工場をつくり始め、また震災で罹災した人達の葛飾区への移住が急激に増え、その人達も同じように工場をつくったり、そこに勤めたりしました。これによってこの地域に家内工業的な中小工場地帯が出来ていったのです。 さて、上の地図をご覧下さい。この当時四つ木は葛飾区の玄関口としての性格が強くなっていました。まず荒川放水路の開削の影響によって、京成線の新橋梁が完成しています。大震災直前の7月のことでした。これによって、今まで現在の商店街中央付近に駅を構えていた京成線は、現在の四ツ木駅付近に駅を移し、軌道も大きく変化しました。また、その南側に大正11年、四ツ木橋が完成しています。これによって四つ木地域への人の流れは、京成線または四ツ木橋を通り現在の商店街の通りへ、という流れになりました。このような人の流れによって、当時の四つ木では家や店が徐々に増え始めていたのではないかと考えられます。 |
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