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現在の四ツ木中学校内に建てられている吉野園跡の碑そして裏の小高い富士塚は、吉野園が当時ここに存在していたことを物語っています。吉野園は、元々江戸時代には、曳舟川沿いの吉野屋という「藤棚の茶屋」として知られる街道茶屋でした。それが明治に入り、明治20年代に吉野園という菖蒲園を開園し「四ツ木の花屋敷」と称され、賑わうようになりました。明治15年に曳舟川での曳舟が廃止になったことが多少なりとも菖蒲園開園のきっかけになったと考えられるかもしれません。しかし、堀切園、吉野園など賑わっていたこれらの菖蒲園ですが、昭和10年代になると戦時下の社会風潮や食糧難などの影響で、次々に閉園に追い込まれることになりました。吉野園も昭和15年前後に閉園に追い込まれています。(堀切園だけは戦後に再開し、今に至っています。)
そして、この地域の菖蒲園としての歴史に幕が下ろされました。
〜御礼〜
吉野園商事 吉野さん、色々と貴重なお話をお聞かせ下さりありがとうございました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
参考文献 葛飾区郷土と天文の博物館
「特別展 堀切菖蒲園−葛西花暦−」
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