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今回は、過去何度となく続発しては、この地域に大きな被害をもたらした水害についてです。
皆さんご存知のように、隅田川、江戸川に挟まれた墨田区、江東区、江戸川区、そして四つ木を含め葛飾区一帯はゼロメートル地帯と言われるように、地面の高さが海の水面より低い地帯が広がっています。そして、大小河川が多くそれらに囲まれていることもあり、この地域は過去幾度となく水害に悩まされてきました。
明治以降だけでも葛飾区に大きな被害をおよぼした主なものとしては、明治23年、40年、43年の大洪水そして昭和22年のカスリーン台風による大洪水、34年の伊勢湾台風による大洪水、56年の台風15号による大洪水などがあり、江戸時代のものも合わせると、大小あわせて百数十にもおよびます。
その水害の中でも葛飾区史上最大であったものは、昭和22(1947)年9月に日本を襲ったカスリーン台風による洪水でした。この洪水での葛飾区での被害は、床上・床下浸水を合わせて54,128世帯の浸水家屋と、罹災者218,251人を出す大きなものでした。
明治43年の大洪水を経験している人々にとっては、まさか再び自分の家の庭先に、あの大水が押し寄せてくるとは思ってもいませんでした。なぜなら明治43年の大洪水での被害を教訓に、その後、治水対策として荒川放水路が掘られ、洪水から解放されたと思われていたからです。しかし、実際は戦時中に行われた上流部での山林の伐採や他の治水事業の延期・中止などで、全体的な洪水対策は進んでなく、そんな中ついにカスリーン台風による未曾有の洪水に至ってしまいました。
■カスリーン台風
カスリーン台風時の旧四つ木街道沿いの様子
↓↓ ※葛飾区郷土と天文の博物館さま 及び クボタ写真館さまよりご提供頂きました。

カスリーン台風のあった年は、関東地方では雨が少なく農作物への影響が懸念され、各地で雨乞いが行われる程でした。しかし、昭和22年9月14日夜半〜15日にかけて、関東地方に年間総雨量の約4分の1の豪雨をわずか1日半の間に降らせる戦後最大級のカスリーン台風が襲来したのです。そしてその記録的な大雨が去った後の出来事でした。15日夜半に利根川上流部での堤防決壊をきっかけに、濁流は埼玉県東部の市街を襲った後、19日未明都県境にある桜堤を決壊させ、葛飾区を襲い、さらには首都東京へも押し寄せたのです。
これによって、ほぼ葛飾区全域が浸水し、約20日間にわたって水の中につかる事となりました。鉄道も止まり、畳を積み重ねたり、屋根に穴をあけ出入り口を造ったりして避難している住民の救出や食糧の配給には船が使われました。その時の様子が上の写真です。これを見ると、洪水の凄まじさが見て取れます。
この時期は終戦から2年後で、社会的・経済的にも極めて不安定な時期であり、ようやく戦災から立ち直りつつあった住民にとっては衝撃的な出来事でした。
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