ルナール遍歴譚
長編叙事詩なので、ファイルに保存し、印刷して、お読みください。
目次
世の人、獣、すべてをいたぶり、
奸策を按じては尽きるを知らぬ
かのルナールは頭を低め、
駆けるでもなく、ゆっくり急ぐ。
『狐物語』
「ルナール遍歴譚」
ルナールと呼ばれる男がいた。何の変哲もない街に生まれ、その街か
ら出ることをしなかった。世の中が変わると共に街も変わり、男の生
活も変わっていった。ルナールは人々の中の一人の人であった。朝に
なると起きて仕事に出掛け、夕方になると帰って来る。ある年の秋の
はじめ、嵐が夜の街を吹き荒んだ。朝になって、彼は見たのだ。
台風六号始末見聞録
風が
街路樹を 倒した
木は
柳だった
繁茂した枝が
道路にかぶさった
土木局のトラックが来て
枝を払い
春に芽吹くように
太い幹を残して
刈り上げていった
家から 人々が出て来て
それを見ていた
俺は数時間後
同じ道を通った
すると
家から ノコギリを持った男と
女が出て来て
「これがええわ」 と話しながら
まだ起こされていない
柳の幹をひき出した
確かに置物の台にするには
格好のいい部分だ
彼等の顔は
喜々としていた
見ると柳の根は
地表から三十センチも
入っていなかった
風が吹いて
倒されて
たとえ格好がよくなくても
ああやって俺も
必ずやられる
ルナールは人々の中の一人の人であった。朝になると起きて仕事に
出掛け、夕方になると帰って来る。人と会い、買物に出掛け、お金
を数えた。時には少年の頃からのように、ノートにひそかに詩を書
いた。ある時、鶏について奇妙な話を聞いた。
鶏
奇妙に
静かだ
白い
十何階建ての
公害のない
円筒形
鶏舎に
蛍光灯
円形に
連なり
卵と
肉とを
食われ
骨も
肥料に
される
鶏達が
音も
たてずに
生活
している
金網に
区切られた
丸い窓から
首を
出して
流れる
水を飲み
コンベヤの
波から
餌を掬い
声帯を
除去され
公害すら
起こせない
奇妙な
鶏達が
ひしゃげた身体で
蠢いて
いる
ルナールは朝になると仕事に出掛け、夕方になると帰って来る。そ
の間にも時は刻々移りゆき、会うては別れ、生ある者は死んでゆく。
男が人の死に初めて会ったのは、物心ついてすぐのことであった。
それから近親者の死にも、同級生の死にも、友人の死にも会って来た。
奴
「手の中を見せろ」
俺は叫んだ
「おまえがかくしているものを見せろ」
奴は右手を背中にまわした
奴は無言だ
俺は奴の身体にかぶさるようにして
右手をつかまえ こじあけようとした
奴はあけなかった
俺と 奴の間に
壁が出現し
たちまち 半年がたった
ガスの臭いがして
壁が崩れると
奴は血色のいい顔をしたまま
少し口をあけて
横たわっていた
無言だった
奴の家族や友達が泣き叫びながら
菊で奴をかくしていた
俺にも
菊が
手渡された
俺は
泣き叫ぶことが
出来ずに
菊を
折った
時は刻々移りゆき、会うては別れ、生ある者は死んでゆく。死は生
ある者の全てに訪れる。人であっても、人でなくても、この国の人
であっても、異郷の人であっても。ルナールと呼ばれる如く、ルナ
ールにはその身体に異郷の血が半分流れている。異郷の血が半分流
れているまま、この国で生活し、人々の中の一人の人として生活を
しようとする。
愛すべきギヨッタン
ムシュー・ギヨッタンは考えた
絞首刑は残酷だ
死ぬまで時間はかかるし 苦しみも見てられない
焚刑もひどいもの
魔女や異端はこれしかないが
臭いし 薪や柱の費用も馬鹿にならない
斬首も大変
一瞬で事は終るが
平穏無事の旧体制 ならいざ知らず
毎日何十人もの貴族や市民の首を斬るなんて
少々人間を増やしたとて追いつきゃしない
ムシュー・ギヨッタンは考える
大革命のパリ
ブルボンの残滓整理に明け暮れる街角で
刑死者にも光明をもたらすものを
日夜考え続けたに違いない
善良な男 たとえ飲んだくれであっても
妻には優しく 子どもには目がなく
不正に憤り 悲惨に涙し
快活に ワインのコルクを抜いては
友人と高笑いしていたに違いない
パリの夕暮はどんなふうに
君の姿をシルエットにしたのだろう
君の瞳は青い色か 鳶色か
与えられた職務に忠実で
仕事や人を信じないなんて
きっと大嫌いだったろう君
自分が改良した断頭台に昇らねばならなかった男
パリの平均的な市民
僕等の盟友 愛すべきギヨッタン
君は今 日本のどこにいるのか
ルナールは古い堺の街で働いたことがあった。冬も終ろうとするあ
る日のことだ。
鶺鴒
鶺鴒が飛ぶ
幅十メートルほどの百済川に沿って
時に高く 時に落ちるように飛んでは
三、四十羽 群れている雀達に
関わりもないように 川を舞い降りて
「石敲き」という異名どうり
長い尾で水をたたく動作をする
その尾羽の触れる水は
どこかの染色工場の 赤紫の廃液が流れ
子供のおもちゃやポリバケツが
泥に半分埋もれていたりする
左岸には スーパー・マーケットがあり
右岸には ボーリング場を背景に
ブルドーザーが二台
次第に高く昇ってゆく泉北一号線路盤造成に
忙しく働いている
鶺鴒は
迷ってそこにやって来たのではない
二羽 三羽
白鶺鴒と 黄鶺鴒がまじって
あたりの騒音を見下しては
川筋に沿って飛び 舞い降りる
その川は堺市内に発し
西へ 国鉄阪和線を潜り
石津川に合流して南海本線を越えると
その先はもう 堺泉北臨海コンビナートだ
やがては泉北一号線をクルマが走り
所々残っている空地や田圃に
マンションや家が建てられるだろう
腐臭にまみれた川を
上下して
その日でもやはり
全てに目もくれず
おまえは飛んでいようとするのだろうか
やはり、堺でのことだ。
仁徳天皇陵
図書館に行こうとした
仁徳天皇陵に差しかかると
一台のテレビ中継車が
正面入口に駐車していた
柵囲いの前に
ジャンパーを着込んだ男が三人いて
中を覗き込むように
カメラを回していた
黒の皮ジャンパーの男と
こけた頬をした顔に
冬でもサングラスをしている男と
黒いベレー帽の男だ
中継車を見ると
1 ch International・・・ とあった
関西の 高級ホテルの外人客向けに
英語放送をする有線テレビ局だ
彼等は何を映しているのか
最近戻って来た 鷺の生態か
それとも 仁徳天皇の 陵か
ディレクターは 日本語で何を指示し
彼等は何を撮影し
どんな解説が 英語で付けられるのか
小学生の時
仁徳陵のことを聞いたことがあった
俺は空想した
俺は 仁徳天皇だ
真昼 小高い山に登って告げた
「見渡す限り 人里に煙とてない
民は飢えている
三年の間 税を取るな!」
山を下りると
俺は歓呼の中に迎えられる
喜びに 泣き咽んでいる
俺は偉大だ
俺の名は永遠に残る
広大な 陵と共に
大 雀 命
俺は決しておまえを
仁徳天皇とは呼ばない
記紀の話が本当だとしても
三年 無収入でも悠々と出来た男
十二の 陪冢 を持った陵を
死ぬ前に二十年かけて
作らせ続けた男
確かにあの時
俺はおまえになろうとした
地響きを立てて 背後をトラックが通った
見ると 阪和線の方角から
行列がやって来る
先頭は 髪を角髪に結い
神代の服を着た男だ
肩に 金色の鴉がとまっている
鏡や剣を捧げ持った巫女が続く
時代祭でもないのに
それぞれの時代の衣装を纏った男や女が進んで来る
烏帽子と狩衣の男
水干の少年
牛車が続く
高位の女らしい
女官が随っている
あれは百姓 商人
笑っている奴
踊っている女
気がつくと
あたりは突然に黄昏ていた
道路は 丈高い林の道に変っている
夕陽の中に なおも行列は続く
冬枯れた木立は
炎の芯となって地上に屹立している
空が燃える
叫喚が湧き起こる
俺は足を踏み締める
どよもすざわめきが 俺に迫って来る
鎧の馬上の武者が太刀を振りかざすと
巨大な隊列は何事かを唱和し
樹林は一斉に鳴動する
俺は両手を耳に押しつける
続々と来る隊列の中で
一緒に唱和しながら 俺を凝視する奴がいる
雄叫びの増大する中で
俺を凝視しつづける男は
俺だ
ルナールは歩いた。大阪の街を歩き、堺を歩いた。皮靴で、サンダ
ルで、バックスキンで。歩かぬ日はなかった。歩くことは生活の一
部であった。歩きながら男は考え、ものを見、発見していった。
疑獄
海が 立ち枯れていく
街で貪婪な毛虫が 生を横溢している
若い男と女が 肩をもたせあったまま砂に変わり
あえかな吐息ばかり残して 列島は地殻に没する
歩くことは生活の一部であった。春がやって来て、街に春が満ち、
衰えて、夏が現われる。季節はルナールの歩みの中にも侵入し、痕
跡だけを残して去ってゆく。
ツバメ
死んだまま
ツバメが飛んでいる
風が吹き
風に流され
羽搏いて上昇し 下降する
瞬かぬ眼の中に
ボルト・ナット工場や
外環状線へと急ぐクルマを閉じこめたまま
角膜を凝固させ
操業前の工場の訓示や
鋭いサイレンの指令を耳に固着させている
碧空は 数年前に既に死滅している
川に並行に走る道路は
死に落ちたツバメ達の脂で固められ
何ミリかずつ
その厚さを増していくのだ
道路を主婦や高校生達が通り
美しく装い 楽し気に話す彼等を
確かにトラックが追い越したりするが
彼等の角膜にも
豊饒に立ち枯れていく稲と
誘爆を競い合うタンク群とが閉じこめられ
死滅した碧空を映して
川は無限の氾濫と滅水とに転変する
季節はルナールの歩みの中にも侵入し、痕跡だけを残して去ってい
く。街でも田園でも同じだ。ルナールは街を歩き、クルマを見、電
車に乗る。
警報ランプ
裏通りの喫茶店には
生きている客は一人もいない
テーブルにはマネキンが並び
背広やワンピースを着て
コーヒーやジュースを飲んでいる
レジの暗い奥から
無限に同じ曲が繰返され
マネキンのプードルが
外の世界に吠えかけている
裏通りにも雨が降る
空から無数の透明な糸が垂れ下がり
払いのけて 道を横切っても
同じ表情に惓んだ裏通りが続いているだけだ
ひっそり植えられたイチョウが
永劫の秋への渇望に疲弊し
ひそかな音をたてて
街が解体し始めたとしても
既に点滅し続けている警報ランプに付け加わるものは
何もない
街にもあらゆるところにも腐臭がきざしている。人々は貧しさから
逃れるとなすところをなくし、空洞の広がるのも気づかずに暮らし
を続けている。ルナールのまわりの人々とて同じだ。彼を生み、育
てた母さえも。
鬼行列
近鉄大阪線河内山本駅を降りて
その隣に鎮座している山本八幡宮を覗いてみた
四○メートル四方程の
さほど大きくもない境内に
杉や欅などが植わり
前を頻繁に通るクルマやバスが
あたりの空気を震わせていた
朝の 誰一人いない境内に踏み込むと
傍の梧桐の枝から 雀が一斉に飛び立つ
爪先が 砂にめり込む向うに
狛犬が沈黙し
そこかしこの枝に御籤が括り付けられ
常夜燈に隠れるようにして
御百度石があった
子供の頃
母は御百度参りをする度に
俺を南田辺の法楽寺や
石切神社に連れて行った
禿びた下駄を履いて
「家庭円満 身体健康 高校入試合格」などと
その時々の願いごとを祈願しようと
俯き加減に経文を唱えながら
御百度を踏んでいた
いつも俺は何かの木に凭れ
本を読んだり スケッチをしたり
日曜の午後にも
何万と参拝する善男善女の
こめかみの皺や蠢く唇に見入ったりした
次第に俺は
参拝に付いて行かなくなった
仏でも 神でも構わずに
何かの御利益が欲しいと槌る姿が
俺には不潔だった
台所の神様
母や叔父や伯母等の
迷信じみた話に
中学生の俺はいちいち反発するようになった
それだけの努力もせず
神仏に頼ろうとするのが俺には嫌だ
母や叔父は
神社やお寺に参る いわゆる善男善女は
どれほど懸命に働き
どれほど自分の運命を見据え
真剣に 体当たりをしていったのか
断じて否!
俺は
そう答えた
灼熱の太陽が
俺の眼を射た
と 本殿の中から
何かの音が耳を打つ
鉦の音 太鼓の音だ
御祭の囃子のようなものが聞こえて来る
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
何かわからない呪文が
地を這って俺に迫って来る
本殿の中で
何が行われているのかと
俺は近付いて行った
すると中から
鬼の面をつけた男が現われ
手に斧を持って
歌舞伎じみた動作で踊り始めた
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
男は地下足袋に
黒の法被と 股引を穿いていた
一人ではなかった
手に鍬や 鉈を持ち
百姓らしい男や女が
本殿に現われては境内に降り
列を作って舞い始める
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーむー
ぜーむー
ぜーぜーむー
もんぺの女
刀を手にした男
皆 申し合わせたように
いろいろな鬼の面をつけている
青鬼や赤鬼
二本角や 一本角
盤若や 夜叉の面をつけた者もいる
中に制服の高校生 背広の勤め人
主婦らしいのや OLらしいのや
子供等までが
打ち鳴らされる囃子に合わせて
呪文を唱え
手に手に持った棒切れやバットを
頭に振りかざし
行列になって舞い降りる
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーむー
ぜーむー
おーおん
おーおん
おーおん
ぜーむー
ぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
俺は 汗がシャツをとおしてしまったのを感じた
唇からは 彼等と同じ文句が出ていて
奇妙な踊りが
俺の手足をあやつっていた
見ると
境内の
枝という枝から御籤がほどけて踊り続ける鬼行列の上に
竜巻となって 舞い上がる
本殿からも 道路からも
鬼が続々やって来ては
踊りに投じる
向かい合っていた狛犬が
八幡宮を底から引き裂くような音をさせて
台座ごと動くと
二つの深い穴が地面に開いた
俺にも 鬼の面が渡され
手には モンキー・スパナを握っていた
振り向くと
どうしたことかいつの間にか
鬼になっている母や親戚が
竹箒を持って行列に入っていた
俺の眼で数えることすら出来ぬ鬼の行列が
奇妙な踊りと呪文とに従って
暗い穴の中に降りて行く
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーぜーむー
ぜーむー
ぜーむー
おーおん
おーおん
ぜーむー
ぜーむー
前後をはさまれて入って行くと
穴は意外に深く
呪文や囃子は洞内に反響し
暗闇に拡大する残響は三千年界の叫喚の集合したものの如くである
永劫が過ぎ去ったとも須臾とも言えぬ時が過ぎて
前方に 出口が開く
鬼行列の 先頭が出て行く
俺も 穴を抜け出すと
そこはテレビなどでよく見る部屋だった
フラッシュが焚かれ
テレビのライトが輝き
大臣がどこかの委員会室で答弁をしている
横に総理や高級官僚が並び
記者や傍聴人や衛士が囲む中を
鬼行列は亡霊のように通り抜ける
人々の 眼には見えないらしい行列の先頭が
大臣や官僚に襲いかかった
そして
俺は見たのだ
鬼が一太刀 大臣に打ち込んだ瞬間
その鬼だけが消え
「厭離穢土 欣求浄土」
との木霊だけが俺の耳を貫いた
身震いがした
スパナを握り締める
背後の行列からシュプレヒコールが沸き立った
俺もスパナを高くかかげた
大臣や 官僚に撃ちかかっては
瞬間に消滅していく鬼どもの形相を見据えながら
俺は それが現実の死であったも
鬼として瞬時に消滅しようと
スパナを振り上げ
「厭離穢土 欣求浄土」と叫んで
答弁している奴に向かって突進する
*
*
*
ルナールはどこに行くのか。肉親に囲まれ、一日の僅かな食を得る
ために、地上につながれながら。
風景
私の心の内の田野で
農夫が一人 ボンベを背負って
除草剤をまいている
風が吹き
空はあくまで青く
豊饒の秋が広がり
どこかで雀達の
けたたましいさえずりがおこっている
田野を歩く
私は何も持っていない
農夫は消え
見回すと いつの間にか
冬景色が取り巻いていた
つまずいた蛙の所で
私は土を掘り出し始めた
両手で 爪を立てて
いつからこんなことを
していたのだろう
汗がシャツを濡らし
ワイシャツや背広も
泥まみれになって
素手で土をつかんで
穴を掘ろうとしていた
汗が垂れる
首筋を伝う
目の中に入る
私は涙を流した
その日はそれが
ふさわしいように思えた
それから泣きながら
土を掘り返し続けることに
決めた
ルナールは強いられている。強いられているらしいことを、おぼろ
げに理解した。そしてそれを受け入れ、逆に自らが選び取ろうと考
えた。だけど、何をなのだろう。
狆を連れた男
朝と夕方の決まった時刻に狆を連れて散歩する男がいる。シャッタ
ーが全て降りて勤め人の靴音だけが駆け抜ける地下街に人工照明を
浴びた刈り上げの男は右手で狆をつないだ鎖を持ち左手を作業ズボ
ンに突っ込んで薄く着色した眼鏡の奥から私を射抜くように見るの
だ。地下街のシャッターの前で鳴かない狆を連れ薄汚れた男は顔を
上げ私を見詰め私が目を外らすまでやめようとはしない。毎日狆を
連れた男は閉ざされた地下街の季節を拒否した空間で同じ時刻の同
じねずみ色のシャッターの前で私を待ち受け限りなく遠い視線で私
の目を射抜こうとする。狆を連れたまま男は私の目の中に入り込み
私の心の地下街の中の降ろされたシャッターの前になおも立ち続け
ようとするのだ。店という店のシャッターは全ておりねずみ色の空
間を朝と夕方の決まった時刻に姿も見えない勤め人達の靴音だけが
駆け抜け人工照明が無限に散乱し続ける中に累積する徒労や空転の
うめきの陰影が地下街の床をベージュ色に染め上げていく。ベージ
ュのほこりにまみれた床にたばこの吸がらやチューインガムの食べ
かすが降り続けている。シャッターの背後のショウウィンドウの様
々な姿態を強制され永遠に動きも言葉も空転させられ続けている男
や女や動物たちのかたくなな視線が凝集しガラスやシャッターを貫
通して立ち続けている狆を連れた男に流れ込み男のさびしい視線を
も把えて私の瞳孔からあふれ出していくのだ。私の中にいる男の中
にまた狆を連れた男がいて同じような地下街を背景に何万回となく
散歩を繰り返しておりその男の中にまた男がいてそれら無数の男た
ちやマネキンたちのきしめきが私の内部を湿らせ私の足が決まりき
った時刻に決まりきった場所へとおもむくのを阻止し得ず私はベー
ジュ色に薄汚れていく。朝と夕方の決まった時刻同じ地下街の同じ
シャッターの前で頭を刈り上げにして作業ズボンをはき薄汚れた顔
のまま私は狆をつないだ鎖を右手に持って勤め人達の駆け抜けよう
とする足音の前に立っている
ある日のことだ。ルナールは運命について考えつゞけながら、小学
校の門の前を通り過ぎようとした。すると校門から一団の小学生達
が現われ、異郷の肌と髪を持つ男を見つけ、追い掛け、まとわりつ
いた。
生きている
誰もが私を見る
私は見られて生きる
見られて生きて
見られることを拒否し
ひとびとの中の一人として
生きたいと思い
思うだけで
見られて生き続けている
私が生きていることを隠そうとしても
生きている限り誰もが私を見つけ
私を視線で射抜き
私を見続けている
見続けられていて
耐えられなくなると
誰も見る人のいないところへと行きはするが
私がたえられなくなったとは
思われたくないので
すぐに私は人々の見続けている世界へ戻って行く
私は私でありたいと思う
思うだけで人々に見続けられていない私というものを見ることができず
絶えず見られており
私は見られていることを意識に刻印して
飲み食いをし喋り默り眠り
歩き手を振り小首をかしげ
あくびをしせきをしくしゃみをし
小便をひっかけ便器にしゃがみ手をもみ射精し
毒づき笑い悲しみ苛立ち
赤面する頬をふくらませ
全てを人々が見続けている世界の中で行い
人々の視線を意識しつつ全ての行為は始まり終わる
見られているということを意識しないで行為したいと思うことで全
ては始まり終わる
誰も私を見続けているとは言わない
私の仕草や言葉や表情や行動を見続けているとは言わない
だが見続けているのだ
私の声や眼やせきくしゃみ小便をする様を
目蓋のしばたく音も記録され口臭も腋臭も髪の臭いも
かぎつけられ見られているのだ
耐えられなくなると野に出山にのぼり海へと逃げる
見られていることが耐えられないと思われることが恐さに
野から山から海から飛び走って人々の世界に戻り
何食わぬ顔を用意して黙々と見続けられる姿態を取るのだ
見続けられている
見続けられていることは意識していないかの姿態を取ることを私に
強いる
意識していないかの姿態を取るかぎり私は被害者ではない
だが私は見られ続けている
人々はいつも私を見身体を裸にし髪にさわり目蓋を裏返し口をこじ
あけ耳たぶを噛み舌をまさぐりのどに光をあて腋毛をなぞり臍を腹
のうぶ毛をペニスを肛門をちぢれた陰毛を数えあげ私の鳥肌を写真
におさめ歪んだ足首をも調べあげているのだ
誰もが私を見る
見られて私は生きる
見られて生きて
生きることは見られることであって
見られたことのない私がどこかに生きていて
一度も私であったことのない私がいつわりのまま生きていく
生きているかぎり私には会えず
逢えない私は私であるかの如く振舞いながら
生きている
一団の小学生達に追い掛けられ、まといつかれる。ルナールの心は
うつむいて、顔には何の感情も出さず、まっすぐ前を向いたまま街
に入る。入ってまた違う自分のことを考えた。
私は犬だ
私は犬のように舌をのばした
日差しは照り付けてなどいない
舌を長くのばして
深夜の水銀灯の照り付ける中で
ひとえに渇きに駆られていた
私は犬であった。
のどはたえず渇き
舌はたえずのびて
あくまでも渇きをいやしたいと思った
私は犬であった。
私は犬であって 人間ではない
私は渇いていた 飢えていた
だが首輪のせいで
持っている者とみなされた
野良犬は私を飢え渇く者と見なかった
たまり水は私を見るとガラスになり
ゴミ箱はかたくなに私を拒絶した
腹は肥大し
のどは膨れあがって
用意されたものを食べても腹は満ちず
用意されたものを飲んでも渇きは
一層 募るだけだ
飢えている渇いている
舌をのばして金網の外を探り
コンクリートを舐める
私は犬だ 人間ではない
首輪は私を離さない
首輪は決まった柱へと連れ戻す
小屋は私を捕える
小屋は増殖を目指し
鎖は華やかな波打ちへの願望にくねり
首輪は光輝を欲する
痩せ さらばえながら
無限に食事と水が反復する
無限に首輪と鎖が回転する
ある夏の夕暮れ、ルナールはフランスの中世の物語を読みふけって
いた。その時、狐や狼やライオンが出て来る物語に出くわした。
狐物語
問題がある
私は問題を抱えている
夏の夕
私はとことこ歩く
山深い小道
笹が土を覆うところで
私はかたつむりをのみ
空に虹が架かるのを見た
私の顔は紫になり
口から 汗がほとばしった
かたつむりを
生きたまま のみこんでいた
夏が終わり 秋が来て
秋が終わり 冬が来ると
お腹から
大きくなったかたつむりが
はじけとんだ
「おゝ! 私の分身!」
私は 叫んでいた
冬の夕
私は狐の臭いを気にしながら
ステンドグラスの回廊中
かたつむりの殻に閉じこもる
「私の生」
涙を頬の毛に垂らして
つぶやく
かたつむりの内部はさんご色で
私の悲しみにおかまいなく
色がかわる
草原をとびはねた日
丘へ駆けのぼった日
犬とたわむれた日
アヒルの首をくわえた朝
ニワトリをなぶり殺した朝
血が私の口をぬらす
足を捕えた罠の痛み
浴びて来た怒声
くぐり抜け来た告発
私は生きた
生きるとは だますこと くすねること おどかすこと 逃げるこ
と つばを吐き しっぺがえしをすること 勇気をもってしっぽを
巻き 一瞬のスキも作らず やられたら いつかはやりかえすこと
頭を下げて下げてかくれ回り 感情にあおられず 弱点を見つけて
はのがさず 殺して 殺して 腹を一杯にしては絶えずそなえる
狐のルナールに
これ以上の生があるか
月がきらめき
りんどうの花が揺れても
このルナールに喜びはあるか
春の夕 夏の夕
ふとおとずれる おとし穴
避けようとしても
避けるすべない悲しみの日
かたつむりがせりあがり
殻にもぐりこんだ私は
ステンドグラスの隠れ家へ運ばれる
問題がある
問題がある
私は問題を抱えている
「私の生 私の生よ」とつぶやいて
強盗 ひったくり 詐欺師 ゆすり屋
すり 暴行犯 殺し屋のルナール様
膝を抱えて
えーい どんづまり
これもある夏の日のことだ。
阪急京都線
特急の振動が
神経繊維をバラバラにしていく
リノリュームの床には
わたしの眼がこぼれ
ココロの残骸が
尿と一緒に流れている
わたしはわたしの視線をさがし
曳きずったわたしの足跡を臭ぎつけようとし
暮れていく京都の街を這って来た
河原には
突き刺さるポプラの日溜まりがあって
入り組んだ男と女のブロンズの一組みとなって
そこにわたしも沈んでいた
わたしの抱いていた女は
臨終を迎えようとしていた
わたしは
死にそびれて しまっていた
ガスタンクが爆発し
時計台が 無数の街々にふきとばされる真昼に
美しいまま
毒をあおぐべきであった
ツバメが
家並みに沿って飛ぶ
前の座席の 赤いワンピースの少女は
美しいまま死んでいる
全ての人々は わたしと同じ所へと帰る
絵本の中に溶けこんで
存在しない向こうの世界へと行ってしまった子供も
巻きスカートを剥がれて 裏側の世界を見ている女も
どこかのくずれた街に
いびり殺した無数の生物が待ち構えていることを
予感している
全ての人々は 同じ所へと帰る
死んだまま座席に伏せている少女も
動かない女の跨間に指を没しているわたしも
次第に近づいて来るガスタンクの爆風を
のみこもうとしている
ルナールは大阪の街を逃れた。雑踏の街。めまぐるしく変転しつづ
ける街。男の生は全てそこで営まれ、封じられている。
白い顔の女
白い顔の女が
前髪を掻き上げると
夕暮れが来る
飛騨は 紫色になだれていて
僕はひっそりした暮しに
釣糸を垂れている
白い顔の女は
真昼の輝く背中に死を背負い
足元に湖を孕んで
僕のところまで
駆けようとしている
遠くで
球形のガスタンクの群れが
爆発をし始める
僕のココロは
カラスのクチバシみたいに
汚れてしまっている
アメリカ陸軍の軍服を着た父が
サングラスの奥で笑い
僕には聞き取れない英語で喋りながら
ライフルの照準を
僕に合わせている
空が全部
焼けただれることなんて
あるのかしら
今は 杉の造林地帯だけが激しく
炎をあげていて
僕の釣ざおも青く光り
釣糸を垂れたまま僕も
駆けている
背中に回った夕暮が
駆けて来ようとする女を
闇の入口に向う僕からひきはがして
どこにもない山の中に
閉じこめる
ああ、だけど、男にはひかりさざめく日々もあったのだ。
マルガレーテ
「私の心は」
マルガレーテは言った
白いセーターに ジーンズをはいて
両肩に 髪をふりわけながら
高槻に 電車が近づく
淡路で 今日はお別れ
「とってもブルーで ナイーブ」
僕は紺のベレーにして
茶色のベレーなんてやめにした
光が僕の虹彩に入るたびに
目の色が変るって
マルガレーテは大喜び
僕はマルガレーテの 赤い傘をふりまわし
空へ雨をふらせてやる
マルガレーテは
空へうたいだした
空はふしぎ すてきね
雨が走って 露が光って
流れていくわ 街の灯
そらここに 私の心
そうしてここに あなたの手
電車が鳴って 鐘がなって
空がオーロラに 光ってるわ
淀川を目指して走る
十三 を引きずって
教会の十字架をひっかけて
「わたし 茨木の娘よ
淡路には 止まらないわ」
広場に水があふれて
僕は水ぐるま
マルガレーテも くるくるまわって
白いセーターが透明になっていくと
空から闇が降りてくる
僕ののどから うたが出る
かよう心は 水の上
空みつ大和
まほろば飛んで
海原かけて地をかけて
風をわたって
飛んで飛んで闇を越えて
そしてまた
フェリーチェ
ビルの地下に降りていって
「フェリーチェ」のソファーに坐る
青褪めたバーテンが
カウンターのボードに逆さまになっていて
シェーカーを振りつづけている
「水割り」って言うと
向かいに坐ったエレーヌが
「あたしも」って言った
近頃エレーヌは
ますます透明になっている
たまに会うだけだけど
会うたびにたよんなくなってって
今はブラウスの後ろの椅子やテーブルが
見えていたりする
「現実から離れていってんだから
仕方ないよね」
くいと水割りを飲んで
エレーヌはセブンスターに火を点けた
「僕もずいぶん透明になってしまったな」
て言うと
「まだこの水割り程度にもなってないわ」
と来る
水割りなんて味がしない
エレーヌの手を握っていても
まるで存在感がない
「ねえ 踊りに行こうよ」
「どこへ」
「隣にあんのよ」
右横の壁が割れる
中にさっきのバーテンが三人になっていて
ボードに逆さまのままシェーカーを振りながら
踊っている
壁の中でエレーヌと踊り出すと
やっぱり世界はひっくりかえって
珊瑚や螺鈿の海がさざめいている
古い音楽が地層から沁み出て
音楽に合わせてくるっと回ると
たちまちふたりは
虹色の霧
またこんなこともあったのだ。
「銀のしずく降る降る」
「銀のしずく降る降る
金のしずく降る降る」
アイヌの神様の歌をくちずさんでいたら
エレーヌが僕の目の前にあらわれて
白い雪柳の上 舞う舞う
黄色い連翹 の上 ひるがえるひるがえる
猫柳 葉もしだれ
桃は満開も過ぎ
桜は七分咲き
「時は波打つのです」
エレーヌはそう言って
撫子の花をふりまき
藤色のヴェールをなびかせながら
僕の肩の上にとまる
「ピッカピカの一年生 並んで通るよ女の子」
歌うと僕もマッサラになる
エレーヌは肩の上で笑い出し
野辺は全て花盛り
山は緑に生まれ変わる
あれ ツバメが飛ぶ
ヒバリが舞い上がる
春がすみ たなびく野辺の 桜木の
花の小枝を ながめすぐさむ
「そうエレーヌ」 僕は声をあげる
「時は波打つのです」
ルナールは野に出た。荒寥 たる野である。一本のザクロの木があっ
た。木を見上げた。秋である。風が吹くと身を竦ませ、男は我が身を
呪った。
ソーディーズのエレジー
あなたは叫びたてる
ソールディーズ
空はいつのまにか紫
僕は頭をかかえ 何も言わない
かつて野は緑にしたたり
ソールディーズと僕は
陽の光と水面となってたわむれあったのに
今は紫
闇だけが増してゆく
僕は頭をかかえ 何も言わない
心の叫びを
だけど どうしえよう
正直に話すって
そんなこと できゃしない
ソールディーズは正直に叫びたて
白い顔に 涙をまきちらして
はだかの腕で
枯れていこうとする草をたたく
正直に打ち明けるって
そんなこと できゃしない
春には紅い花
無邪気にたわむれあって
秋になると
僕らの孕んだものが ザクロになるなんて
尻から割れ
小さなルビーの罪の子供達がはじけてとぶ
街が焼けている
あれは 僕の街
はだかの ソールディーズの向うの
はるかかなたに燃えている街
僕は何もかも
なくしている
僕がきづきあげ
設計して はしりまわってたてた街も
罪の子供達の怒りの中に滅んでゆく
はじけ飛ぶ ザクロの実
火を噴いて 街を焼き
裏切られたソールディーズの涙が
僕の心をちりぢりにする
あなたは叫びたてる
裏切るつもりなんてなかったって
言ってもなんになろう
山よもえろ 川よもえろ
黒い鳥が火をくわえ
わたしの街に火をつける
火箭よ 飛べ飛べ くすのきもやせ
こすい狐が躍り出て
シッポに火でもついたなら
それでめでたし 一巻のおわり
やがては迎える世界のおわり
ルナール狐のわたしももえる
火箭よ 飛べ飛べ 穴ぐらいぶせ
狐のしっぽも火を噴いて
わたしのココロも焼くならば
万事めでたし 一巻のおわり
ルナールはとある大学を卒業した。もう何年になるだろう。教養部
のひなびた芝生。専門キャンパスのバラの花。暗くよどんだ時代。
おたけびが空をつらぬき、夜明けというものを信じた時代。
すみれ
九月は青空に
とけてしまった
暗い川はおびただしい
酸を泡立てている
夕焼けが入り込む部屋で
赤い翳 を帯びたレコードをかけていると
蛇口から虹がほとばしり
僕の手首は
下水の澱みへと下ってゆく
すみれは どこに行ったか
すみれは 春だから笑い
春と思うから花を開いて蜜を溢れさせていたのか
とき色のまま
木々は停止すればいいと
そよいでいたのか
僕の指は
下水の壁をなぞりながら
メチルやブタンの思い出にまみれてゆく
コーヒーが沸きたち ルージュが破れて
全てがだいなしに
なってしまった
僕の舌が突き出したまま
燃えあがってもいい
僕の眼が鳶色に
はじけ散ってもいい
すみれはすみれのまま
透明な脳細胞に 呑みこまれてしまえばいい
あるいは すみれはすみれのまま
ナトリウムの輝きに照らされて
天へのぼってしまえばいい
夢を舌にのせて
そのままで 生きていたくない
九月が
メノウの小部屋にとけこんでしまってから
空なんて
なくなってしまった
どこかで街が
燃えている
青白い火の粉を浴びて
僕の髪はふきあげられ
海へ突き出してゆく堤防を 走っている
紫色に 僕の胸はなだれてゆきながら
さびしい歌を 海から釣りあげ
笑う野原をさがしに行く
燃えている街が
いっぱいに広がる
大学の バラに包まれた時計台なんて
とっくにくずれてしまっている
大学の バラに包まれた時計台なんて
とっくにくずれてしまっている
腹におしあてたさびしい歌をすくいとり
永遠にロケットに閉じこめて
銀の鎖で裸の胸に吊し
燃え続ける街の中点深く
降りてゆこう
転回しなければならない。生きようとするからには。
アンリエッタ
野に出て夢を食べる
鈍色に 針が生え
いつからか私は
夢をさがしては食べて来た
目を閉じると空の色は
薔薇にかわり
耳を閉じると
小鳥がさえずる
虹がすべてを汚す野で
目をふさぎ 耳をふさいで
手さぐりで夢をさがす
血の花が咲いて
私の身体は滅びにあえいで
針の野にねころぶ
ぶよぶよの夢
さゝくれたネッカチーフの夢
夢と思ったら 急いで食べ
食べた分だけ 青白く細り
夢なんて なかったのだとつぶやいて
つぶやいては 針を胸に突き刺して
私は野の中のカラスになる
カラスは私
夢を食べるカラス
薔薇が燃え
百合がただれる朝に
夢は私を待ちぶせる
ふしぎな歌が近づいて
ピアノが私の涙をすすると
さびしい夕暮がせまり
白いカラスがあらわれて歌を歌う
カラスは私
夢をさがすカラス
空が緋色に輝いて
百合が燃えたつ夕
私の歌は死に絶える
「アンリエッタ!」
懸命に 私は声をしぼる
野は廃滅に傾いて
残酷な虹ばかり吹きまくる
笛にとまったまま
白いカラスは羽ばたいて
私の瞳をだいて 空に歌う
夢を食べて 針をのんで
空は鈍色 小鳥は何羽
山は焼けて 地は炎
川は砂にうずもれて
さびしい星ばかり
ふりしきる
野は枯れ 街はとっくに滅び
くりかえすことのない歴史に
こわれた時計がうごめいている
見わたせば遠くに
生き残ったわずかのカラス達
ふりしきる銀色の塵埃
滅んでゆく私達
夢をさがして 夢を食べて
歌を歌って 空へ飛んで
それからずいぶん日がたった。初夏のある日、ルナールは大きな病
院に行った。外は明るい光が溢れ、さわやかな風が街を吹き抜けて
いるというのに、病院は暗く、順番を待つ患者に、空気は揺れもし
なかった。
月男
暗い病院の待合室で待っていると、ワタシの目の前に青白い月のよ
うな顔をした子供が診察室からあらわれる。白いシャツの、月の顔
を持った男の子はワタシの前に来て、遠いまなざしをワタシに注ぎ、
ワタシの目を青い光でみたしてココロの中に入って来る。病院を出
ると人々は暗い路地から顔を出し、目を細めてワタシを見ようとす
る。ワタシは声に出ない叫びをまきちらしながら、背後に夕暮れを
になって旅に出かける。夕暮れを背後に縛りつけ、長い影をワタシ
の前に追いながら、声に出ない叫びを後ろに引いて石畳の道を歩く
と、ワタシのココロの中の街でも、ただれた空気をあびながら白い
シャツの丸い月の顔を持った男の子が、声に出ない叫びを丸い口か
ら後ろに引いて歩いているのだ。くさってゆく街よ。ただれてゆく
光よ。人々はただ目を細め、暗い路地から顔を突き出してからだを
沈めている。路地の前には下り坂だけが広がっている。街はくさり
きったところから燃えはじめるのだ。胸をかかえアゴをかかえると、
ワタシは月男になっていた。丸い月の顔をかかえ目に青い光をたた
えながら背後から夕暮れに追われて長い陰を追いかける。ワタシの
ココロの街を見つめ、丸い月の顔をかかえて歩く男の子の唇の中に
入ってゆくことを望む。男の子は、「ホウホウ」と意味のない叫び
をその時発してワタシのココロを破って出てゆく。破れたココロを
両手でうずめながら、月の顔を持った男の子にひかれてゆくと、ワ
タシの前には閉ざされた夜ばかりが待ち受けているのだ。
ルナールには彼の生まれる前に肋膜で死んだ叔母がいた。戦災のあ
との残る大阪の街に若い体を横たえながら死んでいった叔母の三十
三回忌が来るというのだ。その日には、憎悪と奇妙な連帯を繰り返
している親族達が集まる。
叔母の三十三回忌
赤い信号が光っている
その下をきいろいクルマが
建材をかかえてとおってゆく
僕と信号の間に
道路は小高くせりあがっている
せりあがったところで
いつも右にまがる
叔母の三十三回忌
ツバメはもういなくなった
恩智川には鶺鴒が来ている
重たいココロを持って
朝と夜
この川をわたる
今は青空が静止したまま
目の前に迫り
向うのゴミ焼却場の煙突が
浮き立っている
浮き立ったココロなんて
どこかに忘れて来た
パール・グレーに輝く夢も
今はどこかにしまいこんでしまったのか
見当もつかない
叔母の三十三回忌
かげろうの燃える十月十日に向けて
僕は歩いてゆく
子供達は騒ぎ
娘達は結婚の準備にあけくれ
暗いガスタンクの群れだけが
じっと待ちつづけている
優等生達が群れている
社会にいだきとられたものら
長幼の順にひいでた詩人達の群れよ
空は深々と地球を突き刺しているというのに
豊饒の秋は
そのまま流れつづけるというのか
ココロなんて
かりいれ前のたんぼにけとばしてしまいたい
カエルが上に飛び乗り
ヘビ達がその前をくねり
イタチは僕のココロの陰で
獲物を狙うだろう
僕の詩は稲と一緒にかられ
ようやく迫る夕焼けに
日常の優等生の群れに消えてゆく僕がいる
青空は静止したまま
待ち受ける暗いガスタンクの群れに
棄てるといっても棄てられぬ僕のココロ
叔母の三十三回忌
鬼火のもえたつ十月十日の穴ぐらに向って
たんぼにはさまれた坂道を
おりてゆく
ルナールが勤めに出かけているところでは、時々カラスが飛ぶ。カ
ラスは大阪のどこにでもいる。周辺部でも、都心部でも。
透明なカラス達のクチバシ
ビルとビルとの空間に
太陽が落ちかかる時
わたしのからだはふるえ
透明なカラス達が
わたしのからだから飛び立ってゆく
この刹那を
くりかえし待っている
透明なカラス達のはばたきが
夜の街から父をひきだして
血みどろに
ついばみはじめる
それを見とどけてから
ようやく家を出る
父であることを 否認しつづけている父よ
生れなかったことにされているわたしは
おぐらいタマシイを抱きしめて
わたしとそっくりの父がクチバシでついばまれ
肉片をちぎりとられるさまをみている
たそがれる街でしか
わたしは生きることができない
昼の街でも 夜の街でも
わたしはニセモノでしかない
夜の街から唐突にやって来て
昼の街にわたしを生み落としていった父よ
人々はわたしを奇異な目でながめ
わたしがどちらの言葉を持っているかを
聞き取ろうと身構える
身構えられて 身構えて後ずさりし
昼の街と 夜の町のすきまに
ずり落ちてわたしは生きている
たそがれる街で
わたしとそっくりな父が
透明なカラス達のクチバシで
ボロボロの肉にかわる
おびただしく 父の血がひろがる
街が血で染まり
やがて赤黒く変色し出すころ
ふたたびわたしは家に閉じこもり
ビルとビルの空間に
太陽が垂直に落ちかかる日を待ち受ける
勤めからの帰りのことだ。その日ルナールは自閉症にとらわれた少
年の話を聞いた。折から田圃にはさまれた道を養護学校のスクール
バスが通り過ぎようとする。
手を振りながら
稲のかりおわった田に
百舌鳥が鳴いて
たそがれる運動場に
生徒らの声がする
恩智川を渡って
街に出ようとする私の前に
もみがらをいぶす煙がただよい
空に灯りをつけて
飛行機が
浮んでいる
生きねばならぬと
誰が言い得よう
閉ざされた野に
うつぶせになって生きることを
強いられた者等に
生きてゆかねばならぬと
誰が言い得ようか
安穏たる
生活に堕している私が
あらかじめ希望すら
奪われている彼等に
きれいごとの街よ
たてまえの学校よ
街と学校とを
行き来するしか
能のない私
稲のかりおわった田にはさまれて
私は街へ出ようとする
重いカバンを下げ
目的もなしに歩く私に
空虚なまなこをして
限りなく手を振りながら
半分脳を破壊された子供等が
近づいて来る
朝のことだ。
灰色の森の一枚の葉っぱとなって
たいてい
火曜日の朝だ
暗く よどんでいる川に
町工場が熱い廃液を流すのは
会社や学校へと
勤め人や生徒が急ぐ川沿いの道に
亜硫酸ガスの臭いがただよう
人々は日常に押しこめられて
顔をしかめるだけ
僕も顔をしかめては
足早に通り過ぎ
時には一緒になる同僚と
「公害課に通報しようか」
と言うだけで
日常の山の中に入ってゆく
冬には シラサギが来る
セキレイは 堤防で尾を敲き
今日はユリカモメが
ゆっくり川をさかのぼっていった
一週間のうち 火曜日の一瞬にだ眼ざめて
次の眠ざめまで 埋もれてゆく僕
日常はそんなにも荒々しく
きららかな まばゆさにみちているのか
僕はどこにいるのか
人々の中にまぎれて
灰色の森の
一枚の葉っぱとなって
今日も鳥が飛んでいる
建築廃材を積んだダンプが通り
田圃に棄てては 引きかえしてゆく
ここもかわるのだ
田圃から
廃材の上に組み立てられる街へ
日常だけが充満し 大手をふるう街へ
埋められていく田圃
追い払われる鳥達
いつもとかわらない表情をして
その横を
僕が歩く
ルナールは歩く。大阪の街に生まれ、異国の血を半分受けて、人々
の中の一人として生活をしている。仕事に出掛けては帰り、歩いて
は街を眺め、大阪周辺の風景を見る。男の心に何が生まれようと、
男は人々の中の一人でしかないのだ。
抱きしめて
埋めたてられた田圃に
ミドリのダンプがとまっている
砂が舞い
セキレイが 高く低く飛んでいる
近くの川では
ツバメ達が集まり
どこかで稲をかるコンバインのうなりが
僕の足元まで打ち寄せる
崩れてゆく田圃の風景を見ながら
僕は街へ出ようとする
田と田のあわいには
イタドリやカヤが生え
小さな蛇やイタチが
道を横切ったりする
今日は ダンプも通らない
砂だけが舞い
僕のココロは
崩れてゆく風景の中に溶けている
間断なく
空港へと向かう飛行機が
北へと空を滑ってゆく
本を詰めこんだカバンを抱えても
どんどん軽くなってゆく僕
人々は日常にふけり
遊びのさざめきの中に暮れてゆく
南へと帰ってゆくツバメ達は
そのうちに
帰るところをなくすのだ
すでにシラサギの群れは
泥田を失い
この風景を見限った
泥田にダンプが入り ブルドーザーが走り
廃材と土砂で街にかわってゆくさまを
僕は見て来た
ココロは埋めたてられ
黙って青い空の下で
言葉をなくしてゆく
今日も街へと帰ってゆく
日常のきらめきの中に
人々は行方をなくし
キラメキだけが
おびただしくまわりつづける
宝石で飾られた街
大理石で作られた床に
人々は生気なくただよい
瞳を失って
僕も街に帰る
どんどん軽くなってゆく ココロを抱きしめて
ルナールはこの街で生きてゆかねばならないのだ。朝起きて出かけ、
夕方になると帰って来る。僅かなお金を数えては買物をする。ある
夜。奇妙な夢を見たのだ。
緑の大使館
ナカノシマを歩いている
見上げると
空に青いクレヨンがたまっていて
向う岸に
外国の公館ばかりが並んでいる
僕はどこかの大使になるはずだ
乾いた砂を歩いて
灰色の川を渡る橋を見つけ
あのどこかの公館に
赴任しなければならない
巨大な翼手竜の翼が緑の大使館に生え
眼玉をむいたまま
胴からぶったぎられて
赤い怪魚がそのままで
領事館になっているものもある
ナカノシマを
歩いている
閉ざされたまま
ずいぶん昔から
もしかして
僕は川向うの奇怪な公館に生まれ
むしられた丸裸の鳥や 虫の死骸にまみれて育てられ
いつか
このナカノシマに
追放されたのかもしれない
クレヨンで描いた青空に
白い雲を描き忘れた
乾いたナカノシマに
草や木も描き忘れた
この橋を渡らねばならない
巨大なアーチの橋
朱色のパイプを組み合わせ
橋桁と 橋脚と 欄干ばかりがあって
踏み板だけがない橋
パイプの橋の向うに
青いクレヨンが燃えている
緑の大使館の
翼手竜の翼がふるえ
大使館がゆがむ
風がわだかまる
パイプの橋を よじのぼろうと願う
橋の向うへ!
橋の向うへ!
*
*>
*
目次
昭和56(1981)年11月5日発行 定価850円