
![]()
上記は、優しい酔いどれロンドンジェントルメン・ロニーレインのテントショーのイメージ
| ロニー・レイン。説明不要なんだけど、一応簡単にご紹介。 1948年4月1日、イーストロンドンのプレイストウに生まれる。本名、ロナルド・フレデリック・レイン。 学生時代からモッズとしてアマチュアバンドなどを結成して遊んでいたが、ロニーのお兄さんの紹介により、ドラムスのケニー・ジョーンズと合流、スモール・フェイセズの母体が出来上がる。 65年スモール・フェイセズのベーシストとしてレコード・デビュー。ギタリストのスティーブ・マリオットと共にバンドの中心人物として作曲やボーカルを手がける。特に3枚目のアルバムでは、彼の持ち味である優しくてメロディアスな様々な曲が中心となっている。 スティーブ・マリオット脱退後、ストーンズ加入前のロン・ウッドに声を掛けたのは、ロニー・レインだった。 ロン・ウッドはジェフ・ベックグループのボーカリストだったロッド・ステュワートを引き連れ、スモール・フェイセズに加入。 再出発第1弾アルバム直後名前をフェイセズと変える。(なので彼等のファーストアルバムはバンド名がスモール・フェイセズ名義とフェイセズ名義がある)73年、全英第1位の4枚目のアルバム「ウー・ラ・ラ」ヒットの後、脱退。 73年末にはシングル「How Come?」リリース。こちらもヒットしたが、彼がチャートに顔を出すのはここまで。悲しき天使で有名なメリー・ホプキンのバッキングで有名なギャラガーアンドライルの全面協力の下リリースの初ソロアルバム「エニモア・フォー・エニモア」は、力が上手く抜けて、メロディの大変美しい、楽器の音色もとても優しい、どこか懐かしいサウンドで彩られ、独自のスタイルを築く。 リリース後は上記の絵のようなテントショーで、色々な出し物と共にコンサートを行っていた。 商業的な成功は無かったが、マイペースの活動は続き、ソロで3枚のアルバムを出した後、フーのピート・タウンゼントとコラボレートした名アルバム「ラフ・ミックス」を発表。こちらはストーンズからチャーリー・ワッツ。その他にもエリック・クラプトンなども参加して、内容は非常に濃い物と為る。 しかし77年のアルバム録音途中に多発性硬化症という難病に冒され、公の音楽活動は途絶えてしまうが、なんとか79年にポール・マッカートニー中心のチャリティーコンサート「カンボジア難民救済コンサート」には出演し、80年にはアルバムも出し、ストーンズのピアニスト・イアン・スチュワートや元ウィングスのヘンリー・マッカロックの援護のもと、コンサートも行われた。(映像も残っていて、発売されている) ここでメインストリームな活動は終わり。 本格的な闘病生活に入り、それを援護すべく彼の病気の救済基金の為のコンサート「アームズ」ではヤードバーズの歴代ギタリストが全員顔をそろえて、非常に話題となった。彼の人柄をうかがわせる面子が集っている。最近ロンドンロイヤルアルバートホールの映像がDVDで再発もされたので、こちらも観ておかねばなるまい。ジミー・ペイジがとっても下手な感じに「天国への階段」を弾いていることで有名な映像である。 90年にはスモールフェイセズ時代の盟友イアン・マックレガンを引き連れ来日。相変わらずの演奏を聴かせるが、1997年6月4日他界。このニュースは多くのロックファンを悲しみに陥れたが、その後に数々の彼の音の遺産が発売され、そのどれもが素晴らしい。 |