第二のふるさと 筑豊

〜 私の青春の門・筑豊編 〜

 

2001年5月20日

2002年6月15日、追記

嘉穂郡嘉穂町立大隈中学を卒業し、山田市にある県立山田高等学校に入学したのは、昭和33年(1958年)春。単身赴任していた親父と、居候をしながら高校受験をしていた私と、家族全員が移り住んだのは、飯塚市の隣にある稲築町新山野である。

日本炭業株式会社新山野鉱業所の社宅は、小高い丘の上にある相変わらずの炭住街であったが、一戸建ての住宅で、配給の石炭で炊く内風呂があった。4歳下の動物好きの弟は、犬・鳩・カラスを飼い、育てていた。

隣の山田市にある県立山田高校は、後年「蒲田行進曲」、「寝盗られ宗介」、「熱海殺人事件」など多くの作品を書いた嘉穂町出身の劇作家・つかこうへい氏が卒業した高校で、私はその先輩と言うことになります。

県立山田高校に通うためには、西鉄バスで稲築町の「岩崎バス停」から嘉穂町「下牛隈バス停」まで行き、旧国鉄下山田線(注1)「大隈駅」からディゼル車に乗り換え、「山田市駅」までの通学路であった。この地方は石炭の発掘元であったが、さすがに蒸気機関車はもう少なくなっていた。入学後半年位してからは、下鴨生経由の直通バスに変えて通学した。しかし、この山高への通学は、1年間だけであった。

(注1)昭和63年(1988)年8月31日、この下山田線は、赤字路線の為、廃線となった。

山高での「部活動」は、中学から始めたラジオ製作をやるために「無線部」に入部した。中古のラジオから使える部品はすべて活用し、足りない部品だけを飯塚市にある「嘉穂無線」で買い求めた。この頃は、真空管の時代で、ST管と呼ばれる大きな真空管が主流で、MT管と呼ばれた小型真空管がぼつぼつ出回り始めていた。テレビ受像機は、昭和34年の現・平成天皇の御成婚パレードを観るために、爆発的に売れたと言うが、まだ高価で、とても親父の給料では買えなかった。テレビを観たい時は、会社の独身寮に観に行った。3年生になり、深夜自作のラジオで「旺文社の大学受験ラジオ講座(注2)」を聴きながら受験勉強した。何故か、英語講師であった早稲田大学の龍口直太郎先生の名前と語り口の上手さだけを記憶している。英語の大学入試に、英国作家の作品から出題されることを知り、そんな問題、解るやろか、と思ったことを鮮明に憶えている。そんな田舎の孤独な受験生だった時分が懐かしい年令になりました。

(注2)「大学受験ラジオ講座」は、昭和27(1952)年3月、地方や独学の受験生の勉強の手助けをするために、文化放送をキー局ににして、旺文社が始めた。最終的には全国31局で放送され、最盛期の1960-1970年代、テキストの販売数は50万部前後。テレビも予備校もまだ定着していない時代の受験生の救世主であり、全受験生の6-7割が受講生であったという。その後テレビの普及や大手予備校の地方進出等により、「大学受験ラジオ講座」の人気は失速し、平成7(1995)年4月、43年間続いた長寿番組は惜しまれながら幕を閉じた。43年間の受講者は、推定1,500〜2,000万人という。

このあたりは、筑豊地方と呼ばれ、福岡県の西北部にあたり、旧筑前国(福岡藩)の遠賀、鞍手、嘉麻、穂波の4郡に、旧豊前国(小倉藩)の田川1郡を含む、遠賀川(おんががわ)本支流流域の呼び名である。その中心地・飯塚市は、江戸時代、豊前小倉(北九州市小倉北区常磐橋)から筑前-肥前(長崎市出島)までの約230kmの道のりを25か所の宿場で結んでいた長崎街道の宿場街として栄えた所である。又、五木寛之氏の「青春の門・筑豊編」の舞台となった場所でもあり、遠賀川沿いに開けた炭坑町の中心であった。

遠賀川は小石原村を源流とし、嘉穂町内で嘉麻川となり、私の住んでいた稲築(いなつき)町を経て、飯塚市で穂波川と合流、遠賀川となる。さらに、直方(のうがた)市で彦山川と合流し、中間市、水巻町、遠賀町、芦屋町を経て玄海灘に流れ込み、北九州市若松の洞海湾に繋がっている。建設省九州地方建設局によると、幹線流路延長(河川本流の延長距離)61キロ米、流域面積 1.030キロ平方米、流域内人口 65万8千 とある。流域内人口は現在のもので、炭坑最盛期には100万を超えていたと思われる。

その昔、鉄道がなかった頃、掘り出した石炭を運ぶ「川ひらた」と呼ばれる五平太船(石炭輸送船)が、この遠賀川を行き来し、洞海湾内の若松港まで石炭を運搬していた。この「川ひらた」の船頭たちは、気性は荒いが、義理人情に厚く、任侠的気質で結ばれていた。いわゆる「川筋気質」である。のちに、遠賀川沿いの人間は「川筋モン」と呼ばれるようになった。若松港の沖仲仕の世界を描いた火野葦平の「花と龍」と同様の世界であった。

後年、大阪に就職した夏のある日、帰省のためスーツ・ケースを持ち、社内を歩いていたところ、ある役員に呼び止められた。「どこに行くンや」「田舎に帰ります」「田舎はどこや」「飯塚です」「何や、川筋モンか」と言われ驚いた事があった。まさか、大阪で「川筋モン」を聞くとは思いもしなかった。伺ってみると、その方は、東筑高校の御出身という事で、御本人自ら「川筋モン」であった。東筑高校の出身者で「川筋気質」を表現する第一人者は、御存じ「高倉健さん」である。又、少年時代を飯塚で過ごしたことのある元役員は、どういう訳か、私のことを「飯塚」と呼ぶ。それやったら、あんたが「飯塚」で、私は「稲築」やないか。

昭和33年頃の飯塚市は、石炭産業がやや斜陽化していた、とは言え、宝珠山村出身の田舎者にとって、それは魅力的な歓楽街でありました。当時飯塚市には、映画館が10軒以上ありました。東映、大映、松竹、東宝、日活、新東宝の6社に洋画専門館があり、映画好きの高校生には、実に刺激的な都会でした。

ここには、「嘉穂劇場」という有名な芝居小屋(昔ながらの桟敷・ます席で、大正11年に建設されたが火災により消失。その後昭和6年に現在の木造2階建て劇場として再建)もあり、私が始めて「スターの実演」を観たのも、ここでした。「この世の花」をヒットさせ「からたち日記」プレス直後の島倉千代子を観たのです。

2001年4月、親父の13回忌のため帰省した折、嘉穂劇場を訪れた。周囲の環境が大きく変わってはいたが、劇場は昔と変わることなく悠然としてそこにあった。そして5月26日、昔の芝居小屋の面影を残す全国で唯一の民間劇場「嘉穂劇場」(飯塚市、伊藤英子社長)の創立七十周年を祝う会が、地元の有志でつくる発起人会(代表=麻生泰・飯塚商工会議所会頭)の主催により、飯塚市片島の九州寿会館で行われた。会場には、地元の文化、政財界関係者ら約三百五十人が詰め掛け、いくつもの危機を乗り越え、大衆演劇の殿堂の灯をともし続ける同劇場と伊藤社長の功績をたたえた、という。

当時は映画館、劇場ばかりでなく、炭坑労働者の憩いの街であり、当然のことながら、飲み屋さんの数も多く、公営ギャンブルは「飯塚オートレース」、昭和33年3月31日以前には、買う場所もたくさんあった、と思われる。

私の住んでいた嘉穂郡稲築町から飯塚市に行くには、西鉄バスで15分位でした。お金がなくて、それでも映画を観たい時は歩きました。当時は、映画全盛の時代で、石原裕次郎の映画をよく観、主題歌のレコードを買いました。ギターを買ったのも、この街の楽器屋さんでした。

中学から始めた趣味のラジオ製作は本格的になり、成績が急降下し、昭和34年(1959年)4月には、ついに近所の県立稲築高校に転校することを一人決意した。それでも、ラジオ製作は止められず「嘉穂無線」というパーツ屋さんにも、よく出入りしました。そのラジオを通じて「落語」という大衆芸能にも興味を持つようになりました。

福岡県立稲築高校は、その後平成9年4月、福岡県では初めての総合学科に改編され、校名も稲築志耕館高等学校として発足しました。関西には稲高OBも数多く住んでおり、毎年秋には、母校から恩師の先生方を招待し、関西支部同窓会(稲耕会関西支部非公式ホームページ)が盛大に行われています。

考えてみれば、趣味のラジオ製作が、私を工学部電気工学科に導き、映画とプロ野球が大好きで、さらに、大衆芸能に興味を持ち出した事が、私を現在の職業へと導いていったのではないだろうか。

私にとって飯塚市は、高校時代3年間の短い間ですが、まさに「青春の門・筑豊編」でした。

2007年8月1日

稲築志耕館高等学校  URL http://shikoukan.fku.ed.jp/

平成9年4月、福岡県では初めての総合学科に改編され、校名も稲築志耕館高等学校として発足。後輩たちよ、頑張れ!

稲耕会(稲築志耕館高校同窓会)東京支部  URL http://www.toukoukai-tokyo.com/index.htm

稲築高校同窓会東京支部のホームページ。膨大な「卒業年度別東京支部名簿」の他に、「福岡・関西支部同窓会の開催日時情報」「漆生線鴨生駅跡の写真」等、もあります。

西日本新聞 聞き書きシリーズ「夢ひびく街」 元RKB毎日放送音楽プロデューサー・野見山實さん

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/lifestory/nomiyama/20070328/20070328_002.shtml

2007年7月22日、西新の黄鶴楼で「野見山實先輩を囲む会」がありました。野見山實は稲築高校第2期生(昭和27年卒)の大先輩です。詳しくはこちらを御覧下さい。

稲高昭和34年卒同窓会  URL http://www.jttk.zaq.ne.jp/matsuguma-office/dousoukai.htm

兵庫県川西市に在住の建築士、松隈紀二郎氏制作の「稲高昭和34年卒同窓会」ホームページ。在校中のクラス別の「級友消息」はすごいの一言。旧稲高敷地跡、三井炭坑の写真も懐かしい。稲高情報満載、卒業生必見のホームページ。

稲高第11期生(昭和36年卒)還暦同期会

URL http://ytaguchi.digiweb.jp/inatsuki_high_school/inako_intro/inako_index.html

2002年6月に行われた「第11期生還暦同期会」「稲耕会総会」「第11期生二次会」の写真集。恒例の「麦畑総踊り」まで一挙公開。「第11期生掲示板」もあります。同期のみなさん、書き込みをどうぞ。(2002年6月16日、記)

稲耕会関西支部非公式ホームページ」を新設しました。(2002年11月24日、記)

ライコスがインフォシークと統合されたので、URLが変更されています。(2003年10月12日、記)

インフォシークス・サーバー閉鎖のため、デジウェブに移転しました。(2011年2月18日、記)

「稲友(いいとも)25」 URL ../../imoken25/

稲高第25期生の同期会ホームページ。地元発の最新情報を発信すべく、嘉穂町在住の在田(旧姓・甲斐)ふみ子さんが頑張っています。掲示板も設置されていますので、卒業生であれば、御自由に書き込み下さい。(2004年6月19日、記)

GUITARIST KAZUMARO KOMINAMI(稲築高校36期生)  URL http://www.kominamikazumaro.com/

稲高出身のギタリスト・小南一麿くんのホームページ。1967(昭和42)年生まれだと、36期生ですかね。(2002年7月14日、記)

小南一麿さんからメールをいただきました。無断でリンクを貼っていたのですが、お礼を言われると恥ずかしい。スミマセン。URLが変更されています。新しい Book Mark をどうぞ。稲高時代にお世話になった飯塚の叔母さん宅の従姉妹さん二人も稲高出身だそうです。(2003年10月12日、記)

小南さんからメールを貰いました。「メールをさせていただいたのは、この度僕のソロアルバムが4月8日に発売になります。是非聴いてほしいなと思いまして、ソロアルバムをお送りしようかな、と思った次第であります。アコースティックギター一本でのインストゥルメンタルのアルバムです」

早速住所をメールしたところ、昨日1枚のCDが送られて来ました。「Time」というタイトルで、彼が自作自演したオリジナル「Morning Glory」「Life」「Night Birds」「Pray」「天気雨 〜 序章 〜」「天気雨」「Ordinary Day」の7曲と、あの「大きな古時計」が収録されています。

小南くんのアコースティック・ギターは聴く人にやさしく、正に“癒し系”の音です。私と小南くんの共通点は、蠍座であり、Mac ファンであり、2年生の時稲築高校に転校して来たということです。これからは Macintosh を触る時は、小南くんのギターがいつも流れていると想像して下さい。(2005年4月10日、記)

2005年10月、大阪大融寺「シティ・ウエスト・ド・チャウカ」という小さなスナックでのライブで、初めて小南くんに会いました。この項は、ここをクリックして下さい。(2005年10月15日、記)

2006年11月、小南くんから携帯メールを、程なく「稲友(いいとも)25」事務局の在田(旧姓・甲斐)ふみ子さんからも長文のメールを貰いました。在田さんは11月4日にJALリゾートシーホークホテル福岡で行われた「平成18年度稲耕会福岡支部総会」の当番期生だったそうですが、小南くんがギター演奏を先輩後輩たちに聴かせた、というメールでした。いゃぁ、これはいい話題です。小南くんにとっては、一生の思いでになるライブでしょう。(2006年11月11日、記)

山高行進曲 福岡県立山田高校・閉校を前に 西日本新聞

<1>校舎建設 「おらが学校」愛着強く 平塚巌さん(77)(2007/03/20)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070323/20070323_003.shtml

<2>悪さ仲間 忘れられない芋の甘さ 裏山開墾 岩下昭文さん(76)(2007/03/21)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070323/20070323_002.shtml

<3>汽車通学 SLの音色いつまでも  手島静恵さん(59)(2007/03/22)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070323/20070323_001.shtml

<4>生徒を包んだ夜学の光 定時制 三宅宣二さん(75)(2007/03/24)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070324/20070324_001.shtml

<5>全国3位、地域に希望 イレブン 大塚拓生さん(75)(2007/03/25)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070326/20070326_001.shtml

<6>昼と夜、同じ机が結ぶ恋 ラブレター 高木義紀さん(59)(2007/03/27)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070327/20070327_001.shtml

<7>山高歌壇 長い歴史に「ありがとう」 諫山剛一さん(40) 高橋マミさん(18)(2007/03/28)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070328/20070328_001.shtml

<8完>記者ノート 1万5000通りの青春 輝く学びや、人々の心に(2007/03/29)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/chikuho/yamako/20070329/20070329_001.shtml

昭和33(1958)年4月、県立山田高校に入学し、一応勉学に勤しむつもりでしたが、中学の2年から通信教育で学び始めたラジオ製作に強い興味を持ち、部活は「無線部」に入りました。これが面白くなり、勉強はそっちのけ。当然のことながら、成績は急降下。1年で転校することになります。あんまりいい思い出のなかった高校ですが、閉校となれば寂しいものです。

稲築高校第3期生(昭和28年3月卒)の大先輩・福澤正喜さんのお話しでは、当時「嘉穂高が横綱、嘉穂東高と山田高が大関ならば、わが稲高は十両以下」と言われていたそうですが、その大関であったヤマコー(山田高校)が閉校となり、十両以下と言われていたイナコー(現・稲築志耕館高)が存続しているとは、不思議な運命の悪戯です。イナコーに転校した私は、まるで難破船から密かに脱出した鼠でしょうか。(2007年7月8日、記)

嘉麻市 Official Web Site  URL http://www.city.kama.lg.jp/

私が高校3年間を過ごした稲築町は、山田市、碓井町、嘉穂町と1市3町の合併により平成18年3月27日、「嘉麻市」としてスタートしました。高校時代の僅か3年しか住んでいなかったところですが、今となっては第二のふるさとです。私の本籍地は嘉麻市にあります。(2006年11月11日、記)

飯塚市 Official Web Site  URL http://www.city.iizuka.lg.jp/

飯塚市は2006年3月26日、穂波町、筑穂町、庄内町、頴田町の1市4町が合併により新しい「飯塚市」として発足しました。旧・稲築町のとなりにある筑豊一の繁華街で、高校時代は毎週映画を観に行きました。生まれて初めて芸能人・島倉千代子さんの実演を観たのも、先年水害から復興した嘉穂劇場でした。ラジオ製作のパーツを買い、ギターを買い、参考書を買ったのも、この街でした。そして18歳の4月、この街から夜汽車で旅立ちました。我が「青春の門」は、この街から始まったのです。(2006年11月11日、記)

NPO嘉穂劇場  http://www.kahogekijyo.com/

嘉穂劇場の公式ホームページ。私がスターと呼ばれる芸能人を初めて観たのは、昭和38(1958)年、高校1年生の時、この劇場で観た島倉千代子さんです。「からたち日記」をリリース直後の公演でした。

平成15(2003)年7月遠賀川の氾濫のため水没しましたが、多くの芸能人や一般市民に支えられて、翌年9月に再建されました。私の寄付金も屋根瓦の一部になっているでしょう。(2007年7月8日、記)

嘉穂劇場  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%A9%82%E5%8A%87%E5%A0%B4

嘉穂劇場1日ドキュメント  http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0102/kaho/dokyu.html

2001年1月30日の「水前寺清子公演」のドキュメント。

伊藤英子“一座”の物語 嘉穂劇場70周年(2001/02/08−02/14)

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0102/kaho/kaho-ren.html
読売テレビのローカル番組「真紀子体当たり」という末広真紀子さんの対談番組の収録で、当時孤軍奮闘されていた小屋主の伊藤英子さんにお会いしました。「稲築町出身です。高校1年生の時、嘉穂劇場で島倉千代子ショーを観ました」と自己紹介すると、「そうですか。頑張って下さいね」とお声をかけていただきました。(2007年7月8日、記)

嘉穂劇場  URL http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/kahogeki/kahogeki.htm

ホームページ「よかとこBY」に嘉穂劇場の内部の写真が、数多く紹介されています。

とくだね紀行 福岡県・筑豊 舞台守った川筋かたぎ  URL http://osaka.yomiuri.co.jp/tokudane/td60904a.htm

水害による復興ドキュメンタリー。宝珠山中学同窓会出席の折立ち寄り、僅かですが寄付をしました。(2006年11月11日)

川筋ロマン 筑豊を行く  URL http://www.kbc.co.jp/tv/ruri/housou/212.htm

KBC九州朝日放送のホームページ。番組「るり色の砂時計」で放送された内容が紹介されています。

碧(あお)と黒 遠賀川と石炭 西日本新聞

<1>川ひらた(上) 石炭載せて風を切る 「船頭は3日すればやめられん」(2007/06/19)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_002.shtml

<2>川ひらた(下) 観光船で雄姿再び 「原寸大で忠実に…石炭ロマン」(2007/06/20)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_003.shtml

<3>源六渡し 白蓮乗せて自慢話 「でっちから始めた伝右衛門さん」(2007/06/22)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_004.shtml

<4>水墨画 豊穣への感謝込め 「川下った年貢米、賃料一石五斗」(2007/06/23)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_005.shtml

<5>サケと少年 遡上再び願い込め 「川のにおいと色を頼りにするとです」(2007/06/24)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_006.shtml

<6>100年の計 川の再生森に託す 「下流は汚れた水を飲んでいる」(2007/06/26)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_007.shtml

<7>ひな流し 河川敷で風流句会 「生い茂るアシやヨシ。風情があったね」(2007/06/27)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_009.shtml

<8>赤い水 鉱害対策 今もなお 「ぼた山消えるまで流れ続ける」(2007/06/28)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070628/20070628_008.shtml

<9>水との戦い 大蛇行を一直線に 「牙むく川に親しむ姿勢こそ」(2007/06/29)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070705/20070705_001.shtml

<10>子守唄 「川は記憶のアルバム、筑豊人の“血液”」変わらない心の古里(2007/06/30)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070705/20070705_002.shtml

<11>記者ノート 小さな一歩から始めたい 「碧」に染まる川を見たい(2007/07/01)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/aotokuro/20070705/20070705_003.shtml

拝見・炭鉱王宅 読売新聞  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/

<1>長屋門 焼失の別邸から移築  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/1.htm

<2>応接間 舶来品ズラリ  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/2.htm

<3>畳廊下 長さ30メートル、舟底天井  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/3.htm

<4>本座敷 東郷平八郎直筆の書も  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/4.htm

<5>ひな人形 離縁から86年ぶりに戻る  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/5.htm

<6>東座敷  戸棚に描かれた黒のチョウ  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/6.htm

<7>白蓮の間 女性らしさ随所に  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/7.htm

<8>庭園 新緑がまぶしい別世界  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/kikaku/088/8.htm

飯塚を語る  URL http://www.try-net.or.jp/~yog/indexa.html

飯塚市上三緒の霞龍太郎氏が発信するホームページ「QCY Web」に飯塚の歴史、等が紹介されています。

筑豊ゼミ  URL http://www.pluto.dti.ne.jp/~kishiro/

近畿大学九州工学部が地域との共催で開講しているゼミナール。

Sukabura  URL http://homepage1.nifty.com/sukabura/index.htm

飯塚市幸袋在住の映画プロデューサー・松本廣氏のホームページ。「川筋気質」「スカブラ」の解説が興味深い。私は「筑豊原色図鑑」という「筑豊の総てが解る大全集」をメールで注文しました。それによると、万葉の歌人・山上憶良が「しろがねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」と詠んだのは、私が住んでいた稲築町、という。

穂波町  URL http://www.geo.chs.nihon-u.ac.jp/tchiba/comp/5297065/html10.htm

穂波町出身の平畑拓史氏のホームページ「郷土の紹介 福岡県」に、懐かしいボタ山の風景が紹介されています。

直方市石炭記念館   URL http://www.nogata-cci.or.jp/kan-sekitan.html

直方市商工会議所のホームページ。炭坑の歴史を後世に伝えるために昭和46年に開設された。ヤマの男を父に持った身としては、懐かしい気持ちになります。

三池炭坑   URL http://www.top.or.jp/~tomo1954/index.htm

炭坑マンの息子・TOMOおやじさんのホームページ。「炭坑節」に唄われ、平成9年3月に閉山した三池炭坑を紹介しています。忘れることの出来ない風景が数多く載せられています。

赤紙 みいけの年表  URL http://www.biwa.ne.jp/~fumiko/akagami3.html

「総労働対総資本の戦い」と言われた三井三池炭坑の争議を克明に記録しています。当時の炭坑労働者の状況が、御理解頂けるかと思います。

Skip in 若松  URL http://www.shinkin.co.jp/wakamatu/wsb/index.htm

若松信用金庫のホームページ。若松のタウン情報が紹介されています。

福岡っちゃあどげんとこかいな?  URL http://www15.big.or.jp/~labor711/fukuoka/fu_data/data.htm

「地理」「交通」「気候」「人口」「鉱業」「工業」「農業」「水産業」「県民性」「県木」「県花」「県鳥」「有名人」「歴史」「リンク集」「地図」と、福岡県のことなら何でも解るページ。あの劇作家・つかこうへい氏が県立山田高校の後輩だと知ったのは、このページです。

あなたにも使える博多弁講座   URL http://www.ronax.net/hakata/

 
博多ん言葉、話さんね。聞いたら懐かしか〜。博多弁の練習問題があり、回答用紙提出用のフォームを利用して解答を提出すると、リアルタイムに 採点・判定され、全問正解だった場合には認定証を表示して、即座に認定者一覧に掲載されます。

福岡用語の基礎知識  URL http://rcweb.rc.kyushu-u.ac.jp/~tajima/word/word.html

博多んこつ、なんでんかんでん、九大の学生さんが教えちゃるちばい。
       
 

忘れがたきふるさと 目次  

藤田先生、ようこそ再び宝珠山小へ

思い出すままに 私の親父・正英のこと

 
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