2000年4月、北筑後教育事務所生涯学習課に赴任された藤田良治先生は、このたびの異動により2年振りに、今度は校長先生として、宝珠山小学校に戻って来られました。これは、もう会いに行くしかない。博多出張の帰りに、足を延ばし宝珠山小学校を訪れることにした。
5月31日(金)、JR博多駅発8時20分の大牟田行きの快速に乗る。JR鹿児島本線の久留米駅まで約30分。今度は9時6分発の日田行き普通で筑後川を遡る。
この路線は久留米と大分を結ぶところからJR久大本線と呼ばれている。インターネットで調べてみると、1929(昭和9)年11月に日田−天ケ瀬間が開通し、大分−久留米間が全通となり、久大線と命名され、その後1932(昭和12)年6月に久大本線となっている。
10時頃夜明駅に着いた。JR夜明駅は大分県日田市である。どういうわけか、このジーゼル車は待機し、宝珠山から日田行きの車両が着き、これが先に発車した。私は同じホームでひとり、大行司行きの車両を待った。良い天気である。日影のないホームはさすがに暑い。20分程待つとジーゼル車が到着。JR日田彦山線・夜明駅10時21分発城野行きに乗り換えた。ふるさと宝珠山は、もう目と鼻の先にある。

JR今山駅、JR大鶴駅と過ぎ、いよいよ福岡県に入り、JR宝珠山駅である。小さな村ではあるが、宝珠山村には3ッのJR駅がある。夜明−宝珠山間が1937(昭和12)年9月20日に開業、その後は戦後になり、1946(昭和21)年9月20日に宝珠山−大行司間までが開通、1956(昭和31)年3月15日には彦山−大行司間まで開通し、南北間の連絡が完成した。村の中心にある駅は大行司駅である。10時36分、その大行司駅に到着した。
高台にあるプラットホームから大行司が一望出来る。宝珠山小学校はすぐ目の下にある。完成したばかりのプールが見える。おーい、戻って来ましたよ〜〜〜〜〜。我がふるさと宝珠山村。1年間の御無沙汰です。急な階段を降りずに、坂道を駅舎に向かって歩く。無人の駅舎には明日明後日と行われる「ほたる祭り」のポスターが貼ってある。

駅舎を出て、だらだらとした坂道を国道に向かって歩く。国道に面した美容院の窓ガラスに手書きのポスターが貼られている。なんと、あの池田さかえさんの「こども美術学園宝珠山教室」の生徒募集のポスターだ。駄廻というところで教室を開かれているらしいが、駄廻という地名は聞いたことがある。はたしてどのあたりであったのだろうか。
今回の宝珠山訪問は、藤田校長先生にはアポを取ったが、カネダイの靖子さん、樋口のおばちゃん、村役場には突然の訪問になる。
まずカネダイに行くことにし、事務所に靖子さんのご主人・井上邦康氏を訪ねた。運良く靖子さんも在宅で、1年振りの再会である。ご主人は1年前と変わりなく、お父上の介護の話、仕事の話、遊びの話までとうとうと述べられる。
宝珠山村にあった、かっての鉱区をすべて村が買い取り、村民グランドや特別養護老人ホーム等の公共施設を建設して来た、とか。そう言えば、村役場や村の特産品直売所は、炭坑施設のあった場所に建てられている。
腰痛持ちであることを白状すると御主人は、「ハリボーイ」という発電式電気治療器を下さいました。

最近になって、東京出身の柱雅志さん(右の写真)という方が、お隣の小石原村に手作り木造の家を建てられ、喫茶店を営業されているお話をお聞きしました。簡単な食事も出来る、と言うことで連れて行って貰いました。小石原村と言っても、もう宝珠山村の中のようなところで、私はこのような場所が小石原村であることを初めて知りました。
お店の名前は
「June
Berry(ジューン・ベリー)」と言い、村役場をすこし小石原に行ったところ(当たり前のことですが)にあります。奥様の郷里が近いということもあり、この地に住まわれることを決心された、とか。「忘れがたきふるさと」のことは御存じで、小学1年生の娘さんが「忘れがたきふるさと」の小学校紹介のページに載っているとお聞きしました。と言うことは、小石原村にお住まいでも、宝珠山小学校に通学している訳です。中学になれば、小石原小学校の卒業生も、宝珠山村にある東峰中学校に通う訳ですからね。この場所だと、東峰中学校が一番近い学校になります。

お店の中に入ってみると、木の香がぷんぷんする見事な家です。棟上げ等の作業は、プロの大工さんがされたそうですが、全部手作りでコツコツと造られたとか。椅子やテーブルも全て手作りです。東側に大きく開かれた扉は全て開くことが出来、田植えの終わった田んぼやビニールハウスが広がり、開放感があります。日曜大工もここまでくれば、もうプロですね。
写真は御主人・柱雅志氏と井上靖子さん。
ここで手作りパンのランチをいただきました。解放された空間でのランチは最高です。葉書大のチラシにはこう書いてあります。『田園の中の小さなカントリーハウス 心をこめてパンとお菓子をつくっています。でも、いちばんのごちそうは 緑の山と澄んだ風・・・』 なるほど、緑の山と澄んだ風、か。なんだか自慢したくなる宝珠山、いや小石原のカントリーハウスです。
午後1時過ぎに「June
Berry」をお暇し、靖子さんの車で村役場に向かいました。昨年帰省した折に、ネット村民としてメールアドレスを頂き、且つ「忘れがたきふるさと」を村役場のサーバーに置いてもらえるようになりました。ところが、未熟者の私には、なかなかアップ出来ずに1年が過ぎてしまいました。帰省する直前の休みに挑戦し、なんとかアップ出来たのですが、今度はそのURLが解らなくなり、見ることが出来なくなっていたのです。その事情をシステム管理者の眞田秀樹さんにお聞きすることと、中学時代の同級生である梶原助役に会う為です。
樋口総務課長に伺うと、生憎、助役さんは出張、眞田さんは「ほたる祭り」の準備で外出でした。藤田校長先生との約束の時間は3時半ですから、まだ時間があります。仕方なく、隣の公民館でインターネットをしながら、眞田さんの帰りを待ちます。そこにいらっしゃった有水館長と住民の方に「宝珠山村の出身者です」と自己紹介しました。公民館には分煙器も置いてあり、チェーンスモーカーは大助かりです。
パソコンはWINDOWSでしたが、その回線速度は結構早く感じました。画像の多い「ふるさと写真館」もサクサクと現れます。
3時前になり、樋口のおばちゃんにも会わなければ、と村役場を退出し、小学校に向かう。樋口文房具店は旧大行司小学校の正門の側にあり、藤田校長先生にお会いするには好都合です。
店には総務課長夫人の則子さんが店番をしておられました。ひぐちのおばちゃんもお出ましになり、昔話に花を咲かせました。少し身体の状態が悪く、通院されているとか。しかし、お元気そうでした。則子さんから「FBS出身の方が、宝珠山に永住される」というお話をお聞きしました。今度帰省した時は、お会いしたいと思っています。話し込んでいると、藤田校長先生から携帯に電話が入りました。樋口のおばちゃん、お元気でね。いつまでも長生きして下さいよ。
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宝珠山小学校は昨年春にも訪れてはいたが、今回は何と言っても、藤田先生が校長として赴任されていることに大きな違いがある。
受付を探している内に、いきなり校長室に辿り着いた。ご挨拶をし、校長昇進のお祝を述べ、宝珠山での再会を喜んだ。写真を数枚撮り、また母校の後輩と2ショットに納まった。
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屋上に案内して頂いた。新設されたプールはすぐ下にある。近々「プール開き」があるとか。夏になれば、またここで子供達の歓声が聞こえるだろう。
屋上から遠くに見える岩屋方面の山々が懐かしい。
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突然、藤田校長先生が自習をしていた6年生の教室に入り、私の事を紹介して下さった。
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「何か喋って下さい」と注文され、「この小学校を随分前に卒業した田口といいます。しっかり勉強をして第二のビルゲイツになって下さい」と挨拶しました。
岩屋、竹を案内して下さる、とのことで藤田先生の車に乗り込んだ。1年前にも井上靖子さんに案内して頂いたが、村全体が新緑に包まれ、実に気持ちの良いドライブである。途中、田中前教育長に偶然出会い、紹介して頂いた。
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竹の棚田は「日本棚田百選」に選ばれています。残しておきたい日本の風景です。
棚田は、田植えが終わり、谷を吹く風が心地よかった。
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1年前は麓の広場までしか行かなかったが、今回は岩屋神社の本殿まで行きました。ちょつとしたハイキング気分です。
棚田が見える大きな岩にも登り、その風景をデジカメに納め、また目の奥にもしっかりとセーブしました。しかし、日頃の運動不足と還暦間近の私には可成りしんどい行程でした。藤田校長先生は若いですね。まいりました。
5時前に小学校に戻り、高速バスの杷木バス停まで送って頂くことにしました。このバス停では藤田校長先生が2ケ月前まで勤めておられた「北筑後教育事務所」副所長の大津山泰氏と偶然にお会いし、御紹介頂き博多まで同行することになりました。大津山氏は福岡県教育庁にお勤めで、いわゆる学校の先生ではなく、県の行政職の方です。一般的なパソコン、インターネット、ホームページの話しから学校のパソコン教育のことなど、博多までの1時間半、お互いにしゃべり続けました。お陰でJR博多駅で降りることを忘れ、とうとう天神のバスセンターまで行ってしまいました。楽しいバスの旅でした。大津山様、ありがとうございました。
今回もまた、突然訪問した私を、ふるさと宝珠山のみなさんは、温かく迎え入れて下さいました。ありがとうごさいます。その後、梶原助役さんからは電話を頂き、またシステム管理者の眞田さんからはメールを頂き、URLやカウンター設置の方法等を御指導頂きました。
2002年6月9日(日)、「忘れがたきふるさと」開設以来2年半利用していたサーバーを閉鎖し、全面的に村役場のサーバーに引っ越ししました。文字通り「ネット村民」としてアドレス帳に登録され、たとえ遠く離れていようとも、宝珠山村から「忘れがたきふるさと」を発信出来る喜びは、私にとって他に例えようもない名誉な出来事です。私を育ててくれた宝珠山村に、私は戻って来たのです。今日から私は、ここにいます、永遠に・・・。