宝珠山村は、いま

速報!! 岩屋祭'2002

5月3〜4日、於 岩屋神社

撮影 藤田 良治氏

 

2002年5月4日

 

「岩屋祭(まつり)」は岩屋神社で古くから行われている伝統的なお祭りです。「宝珠山村誌資料」によれば、以前は旧暦の4月8日に「春祭(おしゃかさままつり)」として行われていたが、いまは5月3〜4日に行われている。私が子供の頃は、お小遣いを握りしめて、大行司から徒歩で岩屋まで行きました。露天の駄菓子を買って食べることが、どんなに楽しみであったのか、今の若者には想像出来ない、と思います。日本が戦争に負け、国中が貧しかった子供時代の思い出です。お祭りは「ハレ」の日です。日常とは違う空間をそこに居る人達と共有する喜びの場です。

今年の「岩屋祭(まつり)」の模様を、宝珠山小学校の藤田良治校長先生がメールして下さいました。残念ながら、5月3日昼過ぎから雨が降り出し、祭り日和ではなかったようです。そう言えば、「博多どんたく港まつり」も雨のために、14年振りにパレードが中止されたようですね。残念な雨模様でしたが、来年はきっと晴れるでしょう。

「岩屋神社本殿」

「岩屋神社」は耶馬・日田・英彦山国定公園の一角にあり、権現岩と称する大岩のくぼみに建てられている。古文書によれば、その建立は文明10(1478)年3月という。現存している建物は、元禄11(1698)年戊寅年秋の建立という。

「岩屋神社本殿」内部

昭和63年、境内にある「熊野神社」とともに、国の指定重要文化財に指定されています。

拝殿には宝珠石(村俗は「星の玉」と呼ぶ)が菰を被せられて鎮座している。閏年の9月19日に、菰を着せ替えするが、菰替えに従事するものは、目隠しをしてその作業をする。従って、星の玉を拝んだ人は、古来より全くない、と言う。

「岩屋神社」参詣道

「岩屋神社」は山岳信仰の修験場として古くから知られていた。その為か、このように「岩屋神社参詣道」は、険しい階段が続いている。

元禄7(1694)年に記録された「彦山縁起」には、継体天皇25辛亥年に中国後魏の善正が新羅から日本に渡来して彦山を開いた、とある。また岩屋は「彦山の母神なり」と記した資料もあり、建暦3(1213)年の「彦山流記」には「第三窟は宝珠窟なり」と明記してある、とか。

「熊野神社」

境内社「熊野神社本殿」は、権現岩の西に隣接する熊野岩の南壁中腹に、貞享3(1686)年に建立された社です。

よくも、こんなところに建てたものだ、と感心します。

岩屋神社の記述には、平成4年10月、宝珠山村誌資料編さん委員会編集の「宝珠山村誌資料」から引用致しました。資料編さん委員には、俳優・高倉健さんが宝珠山村を訪れるきっかけとなった熊谷正勝氏も参加されています。

竹地区の棚田

岩屋神社から見た「竹地区の棚田」です。

先日個展を開かれた岸本信夫画伯も、このような地点から「棚田」を発見され、絵筆をとられたのでしょう。

岩屋祭恒例の「大人御輿」です。

50数キロの御輿を5人で担ぎ、岩屋神社境内までいかに早くはこべるか、を競争します。

優勝者には10万円の賞金がつきます。

これは相当にしんどい神輿担ぎです。

「大人神輿本部」

今年は、並み居る大人チームを押さえて、高校生グループが41秒のダントツの速さで優勝です。

野外ステージでは、「岩戸神楽」の奉納です。

若者向けのイベントもあります。

歌っているのは宝珠山小の卒業生の池田君と熊谷君です。

後日知ったことですが、この高校生バンドの池田君は、「こども美術学園 宝珠山教室」を営まれている池田さかえさんの甥御さんだそうです。へぇー、そうやったんかいな、驚きです。

2日目の今日は、「山伏の修験護摩供養」が行われますが、お天気が心配ですね。

藤田校長先生は、『岩屋神社では、祭りと言うことで、菰(こも)をかぶった「宝珠石(?)」が披露されていました』と伝えて下さいましたが、本当でしょうか。昔からこの「宝珠石」を見た者は、目が潰れると言い伝えられている御神体です。「この言い伝えについて」は、藤田校長先生の同級生であり、fpressのウエブマスターで元新聞記者・渕上孝文氏が「風のように、旅へ」の項に詳しい紀行文を書かれています。

                   

忘れがたきふるさと 目次  

宝珠山村は、いま 〜ふるさとの秋〜  

カネダイ、ジャンケンに泣く(1)

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