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寡黙な男を演じ続けた映画スター 〜 高倉健さんの生き様に共感 〜 |
2015年11月1日
宝珠山生まれの宝珠山育ち 田口 善敏
【まえせつ(一)】かねてから私は、嫁には「私の生れ育った宝珠山を見せておきたい」と思っていたが、しかし、なかなか果すことが出来ずにいた。映像技術局管理部時代、制作費精算システムに疑問を抱き、これを何とか改善したい、と考えて異動して来たテレビ局の司令塔・編成部ですが、気が付けば8年も居着いてしまっていた。口の悪い番組制作現場時代の元スタッフからは「編成の居残り」と呼ばれていた。編成部はだいたい3〜5年位在籍すると、他の部署に異動して行く職場ですから、8年もいれば「居残り」に間違いはない。還暦に手が届くようになり、そろそろ我がサラリーマン人生も第4コーナーをとうの昔に廻り切り、最後の直線ゴールに差し掛かった頃、子会社に出向する話が持ち上がった。いよいよ新天地、ラスト・スパートです。
親父の十三回忌を機に、出向2ケ月前の2001年4月、徳島の港町育ちの嫁と共に“懐かしいふるさと・宝珠山村”を訪ねた。その時、高倉健さんが「お忍びで宝珠山を訪れた」ことを初めて知った(詳細はここ)。私が「健さんと宝珠山」との関係を知ったのは、この時です。
その後2004年1月、そうです、今思えば、還暦を過ぎてから左右の下腹部を二度手術したことが原因で、「まだ、やり残したことがある」と考え、自己中心的に3年早く早期退職しました。その1年半前のことです。「宝珠山中学同期の同窓会」にお誘いを受け、卒業もしていない宝珠山中学の同窓会に参加を許され、出席し(詳細はここ)、昔の懐かしい同級生たちと、喋りまくり飲みまくった。あれからもう、10年の歳月が・・・。うーん、もう10年も経つたのか・・・。
いやいや、私自身の想い出に浸っている場合ではありません。このページは宝珠山と関係の深かった“映画スター”高倉健さんのページです。
私が記憶している高倉健さん主演の最も古い映画は、昭和33年11月に公開された内田吐夢・監督の「森と湖のまつり」です。イヤ、ひょっとすると宝珠山劇場兼映画館で観たのではなく、飯塚の映画館かも知れません。これ以前にも健さん出演の映画は宝珠山で観ていると思いますが、思い出せません。で、「森と湖のまつり」ですが、あらすじ等は全く憶えていませんが、アイヌの青年を演じた健さんが、散弾銃で撃たれた顔面のシーンだけが、何故か脳裏に焼き付いています。また、入社直前の昭和40年1月に公開された水上勉・原作、内田吐夢・監督の「飢餓海峡」も観た記憶がある。バンジュン(伴淳三郎)の刑事姿は憶えているが、高倉健さんの刑事は全く憶えていない。ええかげんな記憶力・・・(笑)。不思議な記憶力です(笑)。
まずは、映画スター・高倉健さんの略歴からご紹介しましょう。
【高倉健さん年譜】
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昭和6(1931)年 |
福岡県中間市に生まれる。本名は小田剛一。父は旧海軍軍人・敏郎。後に伊藤伝右衛門が経営していた宝珠山炭鉱の労務課長として単身赴任。健さんは中間小学校在学中に、父親を訪ねてしばしば宝珠山を訪れた、と言う。 【メモ】伊藤合名会社(伊藤伝右衛門)が統合買収し「宝珠山炭鉱」としたのは大正元年(1912年)。昭和15(1940)年には日本炭業橋上鉱業(株)が鉱業権者となります。ウチの親父が勤めていたのは、日本炭業橋上鉱業時代です。 |
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昭和19(1944)年 |
旧制・東筑中学(後の福岡県立東筑高等学校)に入学。 |
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昭和23(1948)年 |
学制改革により、新制高校となった東筑高等学校に編入。ボクシング部を創設。また、英語に興味を持ち、ESS部も創設。 |
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昭和25(1950)年 |
明治大学商学部に入学。父親の影響であろうか、相撲部に入部。ちなみに父親・敏郎のしこ名は「亀ケ嶋」と言うらしい。 |
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昭和29(1954)年 |
明治大学を卒業。就職難のため帰郷し、家業の採石業を手伝う。 |
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昭和30(1955)年 |
家出同然に状況。マネージャー補として新芸プロの面接を受けるが、偶然その場にいたマキノ光雄プロデューサーにスカウトされ、東映に入社。東映第2期ニューフェイス研修生となる。 |
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昭和31(1956)年 |
「電光空手打ち」(津田不二夫監督)で主演デビュー。「恐怖の空中殺人」(小林恒夫監督)で江利チエミと初共演。 TBSテレビの連続ドラマ「ぼんぼん頑張る」で笠置シヅ子と共演。 |
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昭和32(1957)年 |
日本映画製作者協会の第1回新人俳優顕彰制度で表彰される(現在の「エランドール賞新人賞」)。 美空ひばりと「青い海原」(小林恒夫監督)で初共演。以後、16作品で共演。 |
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昭和33(1958)年 |
「森と湖のまつり」で内田吐夢監督に出会い、自分の演技について真剣に考えるようになる。 「その灯を消すな」で歌手デビュー。 |
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昭和34(1959)年 |
誕生日(2月16日)に江利チエミと結婚。 江利チエミ作詞・作曲の「愛のブルース」をリリース。 |
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昭和38(1963)年 |
「人生劇場 飛車角」(沢島忠監督、鶴田浩二主演)で任侠映画に初めて出演。 |
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昭和39(1964)年 |
主演の「日本侠客伝」(マキノ雅弘監督)が公開。シリーズ化され、1971年の「日本侠客伝 刃(ドス)」(小沢茂弘監督)まで11作品に主演し、東映任侠路線のスターになる。 |
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昭和40(1965)年 |
主演の「網走番外地」(石井輝男監督)が公開。1972年の「新 網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義」(降旗康雄監督)までシリーズ18作品に主演。健さんが歌う「網走番外地」の主題歌が200万枚を越すヒットとなる。 主演の「昭和残侠伝」(佐伯清監督)が公開。1972年の「昭和残侠伝 破れ傘」(佐伯清監督)までシリーズ9作品に主演。 |
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昭和41(1966)年 |
「地獄の掟に明日はない」で降旗康男・監督の作品に初出演。 |
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昭和45(1970)年 |
東京・世田谷の自宅が全焼。 高倉プロモーションを設立。 |
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昭和46(1971)年 |
初めて「アサヒビール」CMに出演。 江利チエミと離婚。 |
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昭和51(1976)年 |
東映を退社。 この年に公開された「君よ憤怒の河を渉れ」で新境地を開く。この作品は中国で文化大革命以降に初めて公開された映画となり、絶大な人気を博す。 |
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昭和52(1977)年 |
「八甲田山」(森谷司郎・監督)、「幸福の黄色いハンカチ」(山田洋次・監督)公開。両映画で1978年、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、第20回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。「幸福の黄色いハンカチ」で第51回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞、第32回毎日映画コンクール男優演技賞も受賞。 TBSテレビの連続ドラマ「あにき」(倉本聰・脚本)でテレビドラマ初主演。 |
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昭和53(1978)年 |
NHKのドキュメンタリー「高倉健・北帰行〜さらば道産馬〜」(倉本聰・構成)出演。 |
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昭和55(1980)年 |
「動乱」(森谷司郎・監督)、「遥かなる山の呼び声」(山田洋次・監督)公開。両作品で1982年、第4回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。 TBSラジオドラマ「熊嵐」に出演。 |
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昭和56(1981)年 |
「駅 STATION」(降旗康男・監督、倉本聰・脚本)主演作公開。同作品で1982年の第5回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。第28回アジア太平洋映画祭主演男優賞を受賞。 |
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平成元(1989)年 |
「ブラック・レイン」(リドリー・スコット・監督)公開。流暢な英語を披露する。「あ・うん」公開。翌1990年、両作品で第35回アジア太平洋映画祭主演男優賞を受賞。 |
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平成2(1990)年 |
徳間書店の徳間康快社長の紹介でチャン・イーモウ監督と初めて会う、 |
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平成3(1991)年 |
初のエッセー集「あなたに褒められたくて」(林泉舎)出版。第13回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞。 |
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平成5(1993)年 |
200本目の出演作品「ミスター・ベースボール」(フレッド・スケビシ・監督)に主演。 フジテレビの単発ドラマ「これから 海辺の旅人たち」(寺内小春・脚本)に主演。 |
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平成6(1994)年 |
「忠臣蔵 四十七人の刺客」が特別招待作品に選ばれ、ヴェネチア国際映画祭に参加。 |
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平成7(1995)年 |
NHK土曜ドラマ「刑事 蛇に横切られる」(早坂暁・脚本)に主演。主題歌「約束」を歌っている。 |
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平成10(1998)年 |
紫綬褒章を受章 |
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平成11(1999)年 |
「鉄道員(ぽっぽや)」(降旗康男・監督)主演。第23回モントリオール世界映画祭主演男優賞を受賞。同作で翌2000年、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、第42回ブルーリボン賞主演男優賞受賞。第73回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞も受賞。 【メモ】11月12日、高倉健さんは父親の同僚であった熊谷正勝さんが健在で、宝珠山の千代丸ディサービスにいることを知り、前日に日田市の旅館から電話で連絡し、突然訪れたと言う。電話は本名でかかって来たので、熊谷正勝さん自身、会うまでは高倉健さんとは解らなかったようだ。父親と一緒に働いていた人たちの消息等を尋ねられた、と言う。 |
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平成12(2000)年 |
沖縄で小型船舶の免許を取得。 |
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平成13(2001)年 |
絵本「南極のペンギン」(集英社)を出版。 |
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平成15(2003)年 |
ニッポン放送で5年続けたラジオ特番「高倉健 旅の途中で・・・」をまとめて加筆したエッセー集「旅の途中で」(新潮社)を出版。 |
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平成18(2006)年 |
チャン・イーモウ監督「単騎、千里を走る」に主演。 文化功労者として顕彰。 高倉健さん写真集「俳優生活五○年 想」を出版。宝珠山炭鉱に単身赴任していた父親を訪ねていた頃の想い出を語り、数多くの宝珠山の風景写真を掲載している。 【メモ】健さん、私が生まれ育った「宝珠山」を紹介してくれて、ありがとう。 |
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平成24(2012)年 |
第60回菊池寛賞を受賞。 2005本目の出演映画「あなたへ」(降旗康男・監督)が公開。遺作となる。同作のプロモーションで、人生で初めてテレビの生放送に出演。 |
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平成25(2013)年 |
文化勲章受章 |
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平成26(2014)年 |
第37回日本アカデミー賞・協会栄誉賞を受賞。 11月10日、午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。83歳。近親者だけで密葬した後、11月18日に死亡を公表。 第56回日本レコード大賞特別栄誉賞を受賞。 |
【参考文献】週間朝日臨時増刊「追悼高倉健」 朝日新聞出版(2014年12月15日発行)
サンデー毎日臨時増刊「永久保存版 高倉健」 毎日新聞社(2014年12月26日発行)
写真集「俳優生活五○年 想」 集英社(2006年11月29日発行)
「宝珠山村誌資料」 宝珠山村誌資料編さん委員会(平成4年10月20日発行)
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【まえせつ(二)】私は40年にわたってテレビ業界に勤めて参りました。横浜の某私立大学工学部電気工学科(弱電専攻)を卒業し、本当はUターンして博多のテレビ局に勤めたかったのですが、それを果すことが出来ず、Jターンして大阪の某民放テレビ単営局に入社。入社後4年間は技術局送出部、“強く強く希望して”異動した制作技術局制作技術部ではカメラマン・スイッチャーを19年間勤め、「生涯一(いち)カメラマン」を目指しました。甲子園、難波(大阪)球場、西宮球場、日生球場、藤井寺球場、旧広島球場(広島テレビが日本テレビの系列になるまでの間)での野球中継、道頓堀中座、京都南座、名古屋御園座、東京新橋演舞場での松竹新喜劇舞台中継、本社スタジオ、大阪近郊の市民会館等が、我が“青春の舞台”でした。しかし、老眼のため頓挫。近視で且つ老眼でも、スタジオでのカメラ操作は出来たでしょうが、スポーツ中継は無理、と判断しました。5年間の映像技術管理部を経て、編成局編成部で制作費予算管理業務を8年間勤め、この間「制作費精算システム」の再構築プロジェクトを纏め、「関西地区視聴率三冠王」を7年連続獲得しました。その後2001年、パソコンを使用してテロップ、イラスト、ホームページ、システム構築、等を制作/製作する子会社に出向して役員として4年間を過ごしました。たいした出世はしませんでしたが、制作現場を離れてからは、パソコンに興味を持ち、表計算ソフトをフル活用することを憶え、「毎日楽しく仕事をする」ことを心掛けての40年でした。宝珠山村立大行司小学校の頃から宝珠山劇場兼映画館で観た「映画」と、宝珠山中学時代に通信教育で学んだ「ラジオ技術講座」が「映像を記録する我が職業の原点」です。「私の職業の原点は宝珠山時代にあった」と、これが言いたかったのです。
そこで、私が保存している健さんのDVDビデオ、映画パンフレット、CD、書籍、西日本新聞記事の切り抜き、炭鉱が多く存在した筑豊を描いた書籍、等々、そして、健さんが出演した205作品の映画データを、すべて御紹介することにしました。
【高倉健さんと宝珠山 目次】 項目をクリックして下さい
(1)高倉健さんと宝珠山(2)お忍びで宝珠山を訪ねた高倉健さん
【一、健さんと宝珠山】
(1)山村交流の郷「いぶき館」の館長・伊藤茂広さんの解説映像」
(1)https://www.youtube.com/watch?v=PSxzxaROZv0 (2)1999年11月12日、お忍びで宝珠山を訪ねた高倉健さん
千代丸デイサービスセンターての高倉健さんの写真 【二、私が保存している高倉健さんの映画DVD&ブルーレイディスク】
高倉健さん出演の映画全作品はここ
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東映配給 1965年9月公開 |
原作:吉川英治 脚本:鈴木尚之、内田吐夢 監督:内田吐夢 中村錦之助、片岡千恵蔵、高倉健、三國連太郎、里見浩太郎、木村功、入江若葉、丘さとみ、浪花千栄子、三島ゆり子、清水元、日高澄子、田村高廣、河原崎長一郎、千田是也 |
東映時代劇DVDコレクション |
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東映配給 1965年12月公開 |
監督・脚本:石井輝男 高倉健、千葉真一、田中邦衛、杉浦直樹、嵐寛寿郎、大原麗子、小沢栄太郎、由利徹、砂塚秀夫、山本鱗一、安部徹、藤木孝、宝みつ子、小林稔侍、石橋蓮司 |
テレビ大阪 |
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東映配給 1967年12月公開 |
監督・脚本:石井輝男 高倉健、山本鱗一、谷隼人、宮園純子、中谷一郎、笈田敏夫、菅原文太、石橋蓮司、梅宮辰夫、安藤昇、八名信夫、小林稔侍 |
テレビ大阪 |
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松竹配給 1977年10月公開 |
原作:ピート・ハミル「黄色いリボン」 脚本:山田洋次、浅間義隆 監督:山田洋次 高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり、たこ八郎、太宰久雄、岡本茉莉、渥美清 |
テレビ東京系 |
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松竹配給 1980年3月公開 |
脚本:山田洋次、朝間義隆 監督:山田洋次 高倉健、倍賞千恵子、吉岡秀隆、ハナ肇、武田鉄矢、木ノ葉のこ、小野泰次郎、杉山とく子、大竹恵、神母英郎、粟津號、園田裕久、青木卓、畑正憲、渥美清、鈴木瑞穂 |
映画監督50周年記念企画 山田洋次名作映画DVDマガジン |
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日本ヘラルド・東宝配給 1983年7月公開 |
脚本:野上龍雄、佐治乾、石堂淑朗、蔵原惟繕 監督:蔵原惟繕 ナレーション:小池朝雄 高倉健、渡瀬恒彦、岡田英次、夏目雅子、荻野目慶子、日下武史、神山繁、山村聡、江藤潤、岸田森、スーザン・ネピア |
フジテレビ系 |
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東映配給 1996年6月公開 |
原作:浅田次郎 脚本:岩間芳樹、降旗康男 監督:降旗康男 高倉健、大竹しのぶ、山田さくや・谷口紗耶香・広末涼子、小林稔侍、吉岡秀隆、田中好子、志村けん、安藤政信、奈良岡朋子、平田満、石橋蓮司 |
テレビ朝日系 |
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東宝配給 2012年8月公開 |
脚本:青島武 監督:降旗康男 高倉健、田中裕子、佐藤浩市、草なぎ剛、余貴美子、綾瀬はるか、三浦貴大、岡村隆史、大滝秀治、長塚京三、原田美枝子、上野忠信、ビートたけし、石倉三郎 |
テレビ朝日系 |
【三、健さんの遺作となった映画「あなたへ」パンフレット】
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高倉健・主演 降旗康男・監督
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1、解説 2、物語 3、高倉健 4、高倉健出演全二○四作品 5、キャスト コメント&プロフィール 田中裕子/ビートたけし/佐藤浩市/草なぎ剛/余貴美子/綾瀬はるか/三浦貴大/大滝秀治/長塚京三/原田美枝子/浅野忠信 6、降旗康男・監督 7、青島武・脚本 8、COLUMN 種田山頭火、散骨、星めぐりの歌 9、製作日誌 10、スタッフ プロフィール 市古聖智(企画)/中村裕樹(照明)/本田●(録音)/矢内京子(美術)/鈴村高正(装飾)/菊池純一(編集)/林祐介(音楽) 11、「あなたへ」ロケ地紹介 12、林淳一郎(企画・撮影) 13、「高倉健、演技を超えた精神」横尾忠則 14、「星めぐりの歌」作詞・作曲:宮沢賢治 |
高槻アレックス シネマ |
【四、健さん関連テレビ放送番組DVD&ブルーレイディスク】
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マキノ雅弘 |
ディレクター:貴志謙介 津川雅彦、富司純子、中島貞夫、マキノ雅弘、冨田美香、山根貞男、長門裕之、澤井信一郎、マキノ佐代子 |
NHK Eテレ |
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「あなたへ」公開SP 9000キロの旅 |
高倉健 |
テレビ朝日系 |
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プロフェッショナル 高倉健 |
高倉健 |
NHK |
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プロフェッショナル 高倉健インタビュー |
高倉健 |
NHK |
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徹子の部屋3時間スペシャル お宝52連発 |
和田アキ子、田村正和、松田聖子、佐藤浩市、みのもんた、松田優作、夏目雅子、近藤真彦、小栗旬、向井理、三浦春馬、芦田愛菜、加藤清史郎、大竹しのぶ、松岡昌宏、樹木希林、吉永小百合、村上ジョージ、間寛平、鈴木福、コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、ケント・フリック、はるな愛、ダチョウ倶楽部、高嶋政伸、ますだおかだ、AKB48、コロッケの物真似講座、【出張!徹子の部屋】水谷豊、森繁久弥、長谷川一夫、加山雄三、高倉健、渡辺謙、渡辺大、中村勘三郎、中村勘九郎・七之助、美空ひばり、館ひろし、渡哲也、石原裕次郎、田原総一郎・春香クリスティーン |
テレビ朝日系 |
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新春!徹子の部屋スペシャル |
石原裕次郎(昭和52年放送、当時43歳)、坂本九(昭和57年放送、当時40歳)、美空ひばり(昭和60年放送、当時48歳)、丹波哲郎(昭和55年放送、当時58歳)、森繁久彌(昭和59年放送、当時70歳)、嵐寛寿郎(昭和51年放送、当時73歳)、渥美清、倍賞千恵子(昭和54年放送)、高倉健、吉永小百合(昭和55年放送、高倉健当時49歳)、吉永小百合(昭和56年放送)、長谷川一夫(昭和53年放送、当時69歳) |
テレビ朝日系 |
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プロフェッショナル 映画界の伝説 高倉健スペシャル |
語り:橋本さとし、貫地谷しほり |
NHK |
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NHKニュース7 (プライベート再編集版) |
キャスター:武田真一 |
NHK |
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報道ステーション (プライベート再編集版) |
キャスター:古館伊知朗、小川彩佳 コメンテーター:恵村順一郎 |
テレビ朝日系 |
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いっぷく (プライベート再編集版) |
キャスター:国分太一、枡田絵理奈 ゲスト:阿藤快 コメンテーター:岩下尚史、久保田磨希、小谷みどり、杉尾秀哉 |
TBS系 |
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モーニングバード! (プライベート再編集版) |
キャスター:羽鳥慎一、赤江珠緒 コメンテーター:宇治原史規、松木安太郎、萩谷順 |
テレビ朝日系 |
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徹子の部屋 |
VTR:1980年放送、高倉健48歳 |
テレビ朝日系 |
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情報ライブ ミヤネ屋 (プライベート再編集版) |
キャスター:宮根誠司、川田裕美アナ ゲスト:ウエンツ瑛士、須藤五郎、赤星憲広 |
日本テレビ系 |
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スッキリ!! (プライベート再編集版) |
キャスター:加藤浩次、テリー伊藤 |
日本テレビ系 |
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クローズアップ現代 〜映画俳優・高倉健さん〜 |
キャスター:国谷裕子 |
NHK |
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緊急追悼特別番組 不器用な男の銀幕伝説 |
キャスター:小倉智明、加藤綾子 ゲスト:荻野目慶子、武田鉄矢 |
フジテレビ系 |
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新・情報7daysニュースキャスター 高倉健さん 素顔と秘話 (プライベート再編集版) |
キャスター:安住伸一郎 ゲスト:ビートたけし コメンティター:齋藤孝、福本容子 |
TBS系 |
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NHKスペシャル 〜最後の密着映像100時間〜 |
語り:橋本さとし |
NHK |
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NHKニュース7 肉声で残した終戦の日 (プライベート再編集版) |
キャスター:守本奈実 |
NHK |
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ニュースウオッチ9 死の直前に未公開手記 (プライベート再編集版) |
キャスター:大越健介、井上あさひ |
NHK |
【五、健さんの歌「唐獅子牡丹」CD】
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ビッグスター競演 |
唐獅子牡丹 歌/高倉健、他 製作:キングレコード |
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【六、健さんの著書、健さんを取り上げた書籍・雑誌】
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旅の途中で |
著者:高倉健 |
2003年6月 二刷 |
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西日本新聞一面コラム集 旅の途中で(1月22日) |
著者:川村俊郎 【ひとりごと】「健さん、お忍びでの宝珠山訪問」が掲載された西日本新聞一面コラム「春秋」の全文、及び2001年間のコラム「春秋」全文。 |
2005年5月 |
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俳優生活50年 |
著者:高倉健 撮影:今津勝幸 【ひとりごと】「健さんの俳優生活50年」を記念して出版された写真集。懐かしい宝珠山の風景や記述が数多く載せられている(注)。東峰村にある「山村交流の郷・いぶき館」の館長・樋口朗氏を通じて購入。 【山村交流の郷「いぶき館」の館長・伊藤茂広さんの解説映像】
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2006年11月 |
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高倉健 |
文・構成:野地秩嘉 |
2012年9月 第4刷 |
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週刊「女性自身」 私の原点は男が惚れる嘉納伝助 |
「人を恨まず」「言葉より行動で示す・・・」 【ひとりごと】NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」をネタにして、東峰村にある「山村交流の郷・いぶき館」の館長・伊藤茂広さんを取材。 |
2014年8月12日 |
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週刊朝日臨時増刊号 |
朝日新聞出版編集長:長友佐波子 |
2014年12月 |
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サンデー毎日臨時増刊号 |
毎日新聞社編集人:志摩和生 編集:毎日新聞社図書編集部(五十嵐麻子、高橋勝視)、藤井久子 【ひとりごと】東峰村にある「山村交流の郷・いぶき館」の元館長・樋口朗氏から贈呈。 |
2014年12月 |
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文藝春秋1月号 完全保存版 |
1、病床で綴った最後の手記 高倉健 2、深い海の底に−高倉さんの死 沢木耕太郎 |
平成27年1月 (2015年) |
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キネマ旬報 1月下旬号 職業、映画俳優。 |
スペシャルインタビュー:長嶋茂雄 「シゲちゃん」から「健さん」へ 高倉健讃:山田宏一 第一章 映画の世界へ ・高倉健の助走時代:伊藤彰彦 ・俳優デビュー作「電光空手打ち」を観る:尾形敏朗 ・高倉健と石井輝男:福間健二 ・高倉健と内田吐夢:浦崎浩寶 ・高倉健と鶴田浩二:嶋崎信房 第二章 任侠映画のスタァへ ・健ちゃんと「人生劇場 飛車角」:沢島忠 ・対談 芝山幹郎×鹿島茂 ぼくらの“体験的”高倉健 ・再録(71年) 高倉健論:南部僑一郎 ・再録(69年) “随想”より 高倉健、菅原文太 ・コラム 「歌手」高倉健:湯浅学 ・コラム 高倉健と丹波哲郎:坪内祐三 ・再録(68年) 対談 高倉健×横尾忠則 魅力の顔あわせ ・リスペクト、健さん 「昭和残侠伝 死んで貰います」:那須千里 「ゴルゴ13」:北川れい子 「幸福の黄色いハンカチ」:切通理作 「居酒屋兆治」:谷岡雅樹 第三章 「日本」映画のスタァへ ・再録(75年) 高倉健インタビュー ・再録(77年) 高倉健インタビュー ・1978年の高倉健:高崎俊夫 第四章 永遠のスタァへ ・再録 高倉健の言葉、高倉健への言葉 ・降旗康男映画の高倉健:佐藤忠男 ・僕が出会った高倉健さん:和田誠 |
キネマ旬報社 |
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Ken Takakura 1956-2014 |
・完全保存版 不朽の「映画名場面」ベスト20 ・アルバム「俳優・高倉健」 ・「任侠映画」ポスター・コレクション ・特別手記 養女が初めて明かす闘病の日々 高倉健というプライド:小田貴(養女) ・病床で振り返った83年の人生 「文藝春秋」で大反響 高倉健 最期の手記 ・独占インタビュー 健さんと生きた57年:降旗康男(映画監督) ・特別寄稿49枚 深い海の底に 高倉健さんの死:沢木耕太郎(作家) ・スペシャル対談 高倉健×国谷裕子(「クローズアップ現代」キャスター) 「反乱将校、三代目・・・法律に背くような主人公が好きです」 ・健さんと私 長嶋茂雄、岡本行夫、徐敦信、田中節夫、高岩淡、老川祥一、奈良岡朋子、王貞治、石倉三郎、内藤誠、紅谷愃一、加藤登紀子、藤裕己、辻田正美、阿藤快、中村努、望月英樹、松村映三、唐仁原教久、岡部秀年 ・池部良、中村錦之助、菅原文太、田中邦衛・・・ 高倉健を男にした男たち:坪内祐三 ・全205作品鑑賞ガイド 年代別リスト付 解説:川本三郎、鈴木敏夫、鴨下信一、佐藤忠男、白井佳夫、春日太一 ・健さんは2度遭難した 南極物語撮影裏話:角谷優 ・高倉健はなぜ中国で「熱烈歓迎」されたのか:劉文兵 ・痛快!「健さん名言録」:吉田豪 ・ガンと闘った人情医師との往復書簡:藤岡勇貴 ・憂魂、高倉健:横尾忠則 ・特別再録 健さんが自ら答えた「一問一答」 ・遺品コレクション お気に入りのハンチング、iPadminiのケース、特注のトートバッグ、平戸焼の香炉 |
文藝春秋 |
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石黒健治写真集 |
撮影:石黒健治 |
彩流社 |
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著者:谷充代(フリー編集者として80年代半ばから2000年代まで高倉健さんをめぐって取材を重ねる。ラジオ番組をもとにした高倉健・著「旅の途中で」のプロデュースを担当) プロローグ ニッポンの顔/屋台コーヒーの思い出/都わすれに落ちた涙/“終の棲家”わさがして/本当の贅沢ということ/女性は買い物を、お母さんにはお土産を/一言だけの日記/ペリカンの矜持/任侠肌の思いやり/「船上での最期」の話/靴デザイナーと任侠映画/おかげで堕落せずに/自分に対する望まれ方/津軽弁の大道具さん/ひばりさんの「無法松の一生」/刀匠と魚嫌い/初心から十年目の恋愛話/真正面は鬼門の席/マタドールの義理と人情/男の顔が変わるとき/水面下の努力/小林稔侍さんとベンツ/謎の一言と「男としての人生」/「将軍」に贈った陣床几/手作りのサプライズ・テープ/俳優業と「その女性」/旅行カバンの中の母親/トイレで受け取った夢/サイレントライターの心の枷/あの、よたもんの俳優/「健さん付き」一筋の半世紀/命あるうちに仕事を/エピローグ 心の杖/「健さん」の横顔/−−−献辞に代えて |
新潮社 |
(注)「俳優生活50年 高倉健写真集 想」に掲載された「宝珠山の写真と記述」(東峰村の「山村交流の郷・いぶき館」提供)
【七、健さんを取り上げた西日本新聞記事“切り抜き”】*印は東峰村の「山村交流の郷・いぶき館」の元館長・樋口朗氏提供
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*千代丸デイサービスセンター会報 |
【ひとりごと】「健さん、お忍びでの宝珠山訪問」が掲載された千代丸デイサービスセンター会報「ほたる通信12」(詳細はここ) |
1999年12月1日 |
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西日本新聞コラム「春秋」 |
【ひとりごと】「健さん、お忍びでの宝珠山訪問」が掲載された西日本新聞一面コラム「春秋」の切り抜き。 |
2001年1月22日 |
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*西日本新聞読者欄「こだま」 |
投稿者:白土秀美(70)福岡県飯塚市 |
平成19年2月21日 (2007年) |
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*西日本新聞コラム「春秋」 (2007年3月14日) |
著者:川村俊郎 【ひとりごと】「健さんの俳優生活50年」を記念して出版された写真集。少年の頃単身赴任していた父を訪ねて宝珠山炭鉱を訪ねて来たこと、俳優・高倉健さんが本名で宝珠山を訪ねて来たこと、懐かしい宝珠山の風景が数多く載せられている、というコラム。 |
2007年3月14日 |
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*西日本新聞 |
文:井口幸久 |
2014年10月16日 |
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*西日本新聞 証言・史料から」 1 突きつけられた絶縁状 2 女子教育を夢見た白蓮 3 前夫との子に養育費 4 ゴシップ記事が世論作る 5 金銭万能の悪俗結婚 6 世間の抜き難い差別意識 7 夫の無学はあき子が補う 8 夫は実務家、妻は夢想家 9 どこまでも救ってやりたい 10 夫婦とは謙遜し合うもの 11 出奔13日後には両家合意 12 自分の子として言い繕え 13 善意伝わらず誤解広がる 14 憎しみを貫き続けたあき子 15 帯を交換したあき子と静子 |
文:井口幸久
【ひとりごと】高倉健さんの父親が勤めていた宝珠山炭鉱の経営者・伊藤伝右衛門の元妻・柳原白蓮の資料。白蓮の本名は「火偏に華」、「子」と書き、「あきこ」と読むが、我がオールドマックでは表示出来ません。あしからず。 |
西日本新聞
1 2014年10月15日 2 2014年10月16日 3 2014年10月17日 4 2014年10月20日 5 2014年10月21日 6 2014年10月22日 7 2014年10月23日 8 2014年10月24日 9 2014年10月29日 10 2014年10月30日 11 2014年10月31日 12 2014年11月3日 13 2014年11月X日 14 2014年11月X日 15 2014年11月7日 |
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*西日本新聞「映画ダイアリー」 花田秀次郎、逝く |
文:矢野寛治 【ひとりごと】「花田秀次郎」とは「昭和残侠伝」シリーズに主演した高倉健さんの“役名”。 |
平成26年11月21日 (2014年) |
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*西日本新聞「金曜コラム」 |
絵:江口信博 文:井口幸久 【ひとりごと】「日本一の理想的炭鉱住宅」とは、健さんの父親が勤めていた“宝珠山炭鉱”のこと |
平成26年11月21日 (2014年) |
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*西日本新聞 残された2人に。 人生の歩みかた見せて 親代わりの苦悩に返信 撮影で交流、垂水市の篠原さんへ |
文:湯之前八州 |
平成26年11月25日 (2014年) |
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*西日本新聞 本当の男らしさを演じて |
文:佐藤忠男 |
平成26年11月29日 (2014年) |
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*西日本新聞「暮らしプラス」 さりげなく黙して語らず「引き算」 コート、ジャンパー話題に |
文:? |
平成26年11月29日 (2014年) |
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*西日本新聞「ワイワイ川柳」 |
投稿者:出雲一夫(福岡) |
平成26年11月29日 (2014年) |
【八、宝珠山、炭鉱及び筑豊、福岡に関連する参考書籍】
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宝珠山村誌資料 |
宝珠山村誌資料編さん委員会 委員:高倉一三、梶原豊、熊谷正勝 【ひとりごと】健さんがお忍びで会いに来た人とは、宝珠山村誌資料編さん委員会の熊谷正勝さん。なお、当時炭住長屋の隣同士であった久保山千晶ちゃんは、熊谷正勝さんの息子さんと、宝珠山中学の同級生で、その息子さんは「父親が亡くなった時、健さんから弔電を貰った」と語っていたそうです。ちなみに久保山千晶ちゃんは、私が大学を卒業した年の4月に同じ大学の同じ学部の同じ学科に入学し、我々は宝珠山村出身で大学の同窓生と言うことになります。 |
平成4年10月 (1992年) |
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宝珠山小学校閉校記念誌 ありがとう 宝珠山小学校 思い出の写真集DVD付き |
編集:宝珠山小学校PTA編集委員会 【ひとりごと】2011(平成23)年3月をもって閉校した東峰村立宝珠山小学校の記念誌。私は宝珠山小学校の前身・大行司小学校の卒業生です。2011(平成23)年4月からは、小中一貫校・東峰学園と校名を改め、再スタートしました。 |
平成23年3月19日 (2011年) |
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遠賀川 |
著者:香月靖晴 【ひとりごと】嘉麻市桑野を源流とする嘉麻川は、飯塚市で遠賀川となり、筑豊平野を流れる一級河川。この川筋に住む人々は「川筋者(もん)」と呼ばれている。まだ技術局に居た頃、スーツケースを片手に社内を歩いていたところ、重役に呼び止められた。「帰省するのか? 国はどこだ?」「はい、飯塚です」と答えると、「何だ、川筋もんか」と言われて驚いたことがある。お聞きすると、この重役は高倉健さんと同じく県立東筑高校の御出身であることが分かった。私が通学していた頃の県立稲築(現・稲築志耕館)高校は、嘉麻川の傍に建っていて、その校歌には、遠賀川の源流のひとつ「嘉麻川」が歌われていた。 |
1994年10月 第2刷 |
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炭坑節物語 |
著者:深町純亮 |
1997年11月 |
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筑豊 |
執筆者:井手川泰子、庄田明、立花達己、中山陽、橋本正勝、平田和幸、本田辰巳、山口勲、山崎富士雄 【ひとりごと】懐かしい炭住街を写した写真集。 |
2007年6月 |
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画文集 地の底の人生記録 |
著者:山本作兵衛 【ひとりごと】山本作兵衛は福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。2011年5月25日、国内初の「ユネスコ記憶遺産」に登録された。 |
2011年8月 新装版第二刷 |
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ヤマの記憶 |
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2011年10月 |
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蕨(わらび)の家 |
著者:上野朱 |
2000年8月 第2刷 |
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伊藤英子聞書 嘉穂劇場とともに |
著者:銅野陽一 【ひとりごと】県立山田高校1年の時、初めてスターと称する芸能人を観たのが、嘉穂劇場であった。ちなみに、その芸能人は島倉千代子さんです。後年、関西ローカル番組の「真紀子体当たり」というスタジオトークショーのカメラを操作していた時、当時、飯塚市の嘉穂劇場の小屋主であった故・伊藤英子さんがゲスト出演されることになり、収録の合間にこの話をしたところ「頑張って下さいね」と励ましの言葉を掛けられました。 |
平成5年8月 (1993年) |
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土門拳 筑豊のこどもたち ・筑豊 ・るみえちゃん姉妹その後 |
写真・文:土門拳 【ひとりごと】土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」初版は、昭和35(1960)年1月、パトリア書店から発売。 土門拳記念館ホームページ/作品集「筑豊のこどもたち」 |
2005年12月 第二刷 |
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伊藤伝右エ門物語 |
著者:深町純亮 |
平成19年5月 (2007年) 改訂版 |
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白蓮 |
著者:宮嶋玲子 【ひとりごと】娘とは宮崎竜介・●子夫妻の長女。長男は戦死。 |
平成19年5月 (2007年) |
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西日本人物誌 |
著者:井上洋子 編集:西日本人物誌編集委員会 |
2011年10月 |
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彷書月刊 大正十年のスキャンダル |
「評伝劇の危うさ−−柳原白蓮とその他大勢」斎藤憐、「関連略年譜」、「白蓮・伝右衛門・筑豊」深町純亮、「白蓮の歌と『心の花』、内なる情熱を生きる」稲葉真弓、「宮崎竜介・華子夫妻」堀切康司、「吉原の白蓮」河内紀、「満州における北小路功光」西原和海、「巷談大正十年史」田村七痴庵 |
2003年1月 |
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著者:林真理子 |
2004年5月 2刷 |
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著者:つかこうへい 【ひとりごと】劇作家・つかこうへいさんは、私が1年だけ通った県立高校の後輩。NHK会長の籾井勝人さんは1年後輩。 |
2010年8月 第2刷 |
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著者:井上精三 |
昭和50年11月 (1975年) |
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即訳! |
編者:中村萬里 編集委員:松尾真由美、占部匡美 |
平成17年9月 (2005年) |
【九、炭鉱、山本作兵衛関連映像】
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映像の20世紀 |
1901(明治34)年、官営八幡製鉄所第一溶鉱炉創業開始 1997(平成9)年、県内最後の炭坑・三井三池炭坑閉山 制作・著作:NHK福岡・北九州 |
NHK |
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作兵衛さんの炭鉱(やま) (初回放送日不明) |
語り:加賀美幸子 訪ねる人・演じる人:中西和久(俳優) 制作著作:NHK福岡 |
NHK Eテレ |
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クローズアップ現代 |
キャスター:国谷裕子 スタジオゲスト:五木寛之 |
NHK |
【十、炭鉱、筑豊に関する西日本新聞切り抜き】
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西日本新聞記事切り抜き (2007年3月22日〜年3月29日) |
著者:筑豊総局・一瀬圭司 1、「おらが学校」愛着強く 校舎建設 2、忘れられない芋の甘さ 裏山開墾 3、SLの音色いつまでも 汽車通学 4、生徒を包んだ夜学の光 定時制 5、全国3位、地域に希望 イレブン 6、昼と夜、同じ机が結ぶ恋 ラブレター 7、長い歴史に「ありがとう」 山高歌壇 8、輝く学びや、人々の心に 【ひとりごと】私が1年間だけ通学した県立山田高校閉校に伴う取材記事。 |
2007年3月 |
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西日本新聞記事切り抜き 閉校日、還暦祝う同窓会 人生再スタートも誓う」 |
【ひとりごと】私が1年間だけ通学した県立山田高校閉校に伴う取材記事。 |
2007年4月 |
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西日本新聞記事切り抜き |
著者:筑豊総局・宮原拓也 【ひとりごと】筑豊地区で合併に伴い閉校になる高校が記録されている。私が転校した県立稲築(現・稲築志耕館)高校は、未だ健在なり。 |
2007年4月 |
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