2000年4月2日
福岡県朝倉郡宝珠山村にある宝珠山小学校の藤田良治教頭先生と私は、2000年1月にインターネット上で知り合いました。

平成11(1999)年12月23日、ホームページ「忘れがたきふるさと」の原形である「私のふるさと 宝珠山村」のページを、衝動的に立ち挙げた。1ページだけの簡単な代物であったが、その時、「風のように、旅へ」のコーナーで「岩屋神社御神体」について書かれた元フクニチ新聞編集局の
渕上孝文氏のホームページ「fpress」に無断でリンクを張っていた。その後、検索エンジン「Yahoo」を経て、渕上氏の知るところとなり、メールを頂いた。その時は、藤田教頭先生と渕上氏が朝倉高校の同窓生とは知る由もなかった。
藤田教頭先生に初めてメールを頂いたのは、平成12年1月27日、「友人渕上君の紹介で」とあり、「宝珠山小学校のパソコン教育の現状」が詳しく書かれていた。メールに添付された写真には、懐かしい宝珠山の風景があった。再度、「fpress」を訪れて調べてみると、渕上氏が「朝倉高校同窓生の広場」のページ上で、藤田教頭先生に「私のふるさと 宝珠山村」を紹介して下さったことを知った。やっと、その謎が解けた訳である。
その後も毎週のように、藤田教頭先生から数々の情報と写真を頂き、「これは、このままにしておくのはもったいない」と思うようになり、「宝珠山小学校は、いま」のページが出来上がった。小学校を紹介するページを一個人が発信することは、極めて烏滸がましいことではあるが、当時6年生の井上和枝さんへのメールにも書いたように、「私が知り得た情報を、宝珠山小学校(旧・大行司小学校)を卒業した方々にも知らせたい」という思いから始めました。従って、ここに書かれた記事の内容や誤りについては、その責任は私個人が負うべきものであり、宝珠山小学校とは何の関係もないことと考えています。

このたびの異動により、藤田良治教頭先生は、北筑後教育事務所の生涯学習課へ赴任されることになりました。藤田教頭先生は5年前に宝珠山小学校に着任され、その間教頭として校長を補佐し、学内を纏めるかたわら、自らパソコンを導入し、パソコンによる情報教育の実践に努力されました。ここで藤田教頭先生を失うことは、宝珠山小学校の児童にとっても、私個人にとっても、大きな痛手になります。私個人は、まだまだ「宝珠山小学校の今」を伝えて欲しかった、と思っています。もう1年早く「私のふるさと 宝珠山村」を立ち挙げていたら、と思うと、残念でたまりません。しかしながら、もう後ろを振り返ることは許されません。
知り合って2ケ月余りの私が、メールを通じて垣間見た藤田教頭先生は、真の教育者である、と断言します。最近、子供達からのメールに画像が添付されるようになりました。そして、藤田教頭先生に手伝ってもらいました、と書かれています。風評の教師像とは、どこか違う、私にはそんな思いがありました。想像の域を脱しませんが、気軽に子供達とスポーツも楽しんでいたのではないでしょうか。そんな光景が目に浮かびます。
これからの藤田教頭先生は、無垢な子供達ではなく、無知な大人達を相手に、教育者として、さらなる飛躍を期待しています。藤田教頭先生、短い間でしたが、お世話になりました。そして、ありがとうございました。これからも、よろしくお願い致します。
昭和30年3月、大行司(現・宝珠山)小学校卒業生
大阪府高槻市 田口 善敏