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その後の藤田先生と私
〜 御子息・陽生さんと黒田節 〜
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2000年11月4日
2000年4月、北筑後教育事務所生涯学習課に赴任された藤田先生からは、その後もたくさんのメールと写真を送って頂きました。

新しい職場である北筑後教育事務所での宿泊研修等、御多忙中にもかかわらず、「宝珠山小学校新一年生の教室風景写真」を撮影され、送って下さいました。この写真は
「にゅうがく、おめでとう 新一年生の教室」になっています。
その後、「三輪町の藤の花」「福岡ドーム」「門司港周辺のレトロ地区」「浮羽町のつづら棚田」「朝倉三連水車」「ライトアップされた三連水車」「キリンビール甘木工場ビール園のコスモス畑」と数多くのきれいな写真を送って頂きましたが、未だ世に出ることなく、私のパソコンのハードディスクに眠ったままです。
藤田先生のご子息・陽生さんが東レ松山工場の研修を終え、大阪営業に異動されることを知ったのは、6月半ばのことでした。7月に来阪されたようですが、陽生さんとのメール連絡が取れたのは、8月の半ば。お互いに飲み会などがあり、陽生さんにお会いしたのは、9月の14日でした。

早速、会社の近くにある鴫野の「若葉寿司」で乾杯し、ふるさとの話で盛り上がりました。私の高校の同窓会も大阪で開かれていますが、高校は稲築志耕館高校(嘉穂郡稲築町)ですから、広い大阪で福岡県朝倉郡出身の人と語り合うのは初めての事です。大阪暮らしも板につき、やや大阪弁ボケをしている私も、この日ばかりは、九州弁をいくつか思い出しました。陽生さん、ありがとう。
この「若葉寿司」は、私が昼飯に利用している店で、時々は夜にも酒を呑みに行く、お馴染みの店です。大抵は「お造り」でビールを飲み、寿司を少し食べてから、北新地に繰り出します。この日も、二人で北新地の「チャイム」へ行くことにしました。「チャイム」は、昭和49年、金田正一監督でロッテオリオンズが日本一になった時、会社の先輩に連れて行ってもらって以来、私が通い続けているスナックです。ママは作家の田辺聖子さんに良く似た美人(?)です。
その後、陽生さんと酒を呑んでいる非教育的な写真を藤田先生に送ったところ、思い掛けなく博多の明太子を送って頂きました。愚妻曰く「あんたなぁ、若い人に遊んで貰って、明太子送って貰うてたら、罰が当たるょ」。ほんまにその通りです。宝珠山では「ばちかぶる」と表現します。藤田先生、ありがとうございました。恐縮致しております。
陽生さん、私はもうすぐ60歳になる"おじん"で、Macintosh
を愛用し、千葉ロッテマリーンズを応援しますが、時々は付きおうてや。
来年の5月は親父の13回忌になります。帰省したら宝珠山を訪ねて、同級生の宝珠山村役場の梶原助役や同級生のみなさんにもお目にかかりたいと考えています。その時、まだお会いしたことのない藤田先生にお会い出来たら、最高の里帰りになります。