文法用語にこだわる

 吉川  武時

0 はじめに

 文法用語は、これを直接学生に教えるものではない、と言われている。しかし、効果的に日本語を教えるためには、ある程度の文法用語は必要である。また、研究をすすめるためには絶対必要なのであるが、人によって文法用語の使い方が違うことがあって、ときどき混乱を招いている。それは、日本語教育の場合だけでなく、外国語教育の場合にも言える。そこで、そういったいくつかの文法用語について、こだわりを感ずる点を述べてみたい。

1 品詞に関して

  文法用語と言えば、品詞に関するものが大部分である。それで、まずこれから始める。
 品詞の中、名詞、形容詞、動詞、副詞、これらの名称自体については、特に問題はない。ただ、英文法にある代名詞や固有名詞は、日本語でどういう扱いになっているのか、いわゆる形容動詞のことを「ナ形容詞」と言うが、この名称は適当かどうかなど、検討することがらはたくさんある。
 その他の品詞には、接続詞、間投詞(感動詞)や、助詞、助動詞がある。特に大きな問題があると思われるのは「助動詞」についてである。助動詞の問題点については節を改めてで述べる。
(1)名詞の下位区分について
 英文法では代名詞や固有名詞を立てている。代名詞は、格によって変化するし(I my me など)、固有名詞は、大文字で書き始めるとか、冠詞を付けないなどの理由で、名詞とは違う扱いになっている。
 しかし、日本語では代名詞や固有名詞を名詞と区別する必要はない。それで持って「日本語には代名詞や固有名詞がない」と言うのは、間違いである。文法的に名詞と区別して立てる必要性がないというだけの話である。そうかと言って、日本語で名詞の下位区分が必要でないわけではない。日本語の名詞で重要な下位区分は、ある名詞が物、人、動物、動作、場所、機関などのどれを指しているか、という区別である。
 存在を表すにはそのものが物か人・動物かによって「ある/いる」が使い分けられるし、同じ「ある」を述語とする文でも、動作を表す名詞の場合は、場所は「で」表される。
 「[場所]へ行く」と言えても、「[人]へ行く」とは言えない。「[人]のところへ行く」と言わなければならない。(場所を表す名詞の意味で「[場所]」と記す。同様に人を表す名詞のことを「[人]」と記す。)
(2)数詞と助数詞
 英文法では数詞は形容詞の類と考えられている。日本語では数詞は助数詞と共に名詞の類と考えられているが、一般に副詞のように動詞を修飾する使い方をしている。
(3)形容詞について
 国文法には形容詞と形容動詞ということばがある。日本語教育では、一般に形容動詞のことを「ナ形容詞」と言っている。この名称に対して、形容詞のことを「イ形容詞」と言うこともあるが、イ形容詞、ナ形容詞を含めて「形容詞」と言うこともある。
  ナ形容詞は、文法的ふるまいが名詞とほとんど同じなので「形容名詞」(英語では Adjectival Noun)と言うのが適当であろうと思う。1)
 「大きな」はナ形容詞ではない。ナ形容詞なら「大きだ」と言えなければならない。「大きな」は「連体詞」としなければならない。連体詞というのは、名詞を修飾する働きだけがあって、述語とならない品詞のことである。
(4)動詞の下位分類
 動詞自体は問題がない。ただその下位分類となると、いろいろ問題が出て来る。動詞が下位分類される基準には次のようなものが考えられる。その名称には適切なものとそうでないものとがある。
 @他動詞・自動詞
 対象を表す「を」をとるか否かで分けた分類である。対象をとる動詞を他動詞、そうでないのを自動詞と言う。
 A継続動詞・瞬間動詞
 「〜ている」の形で動作の進行を表すか、結果の状態を表すかによる分類である。前者を継続動詞、後者を瞬間動詞と言う。
  「ふとる」は、上の定義で言うと瞬間動詞になる。つまり、「ふとっている」はふとる過程を言うのではなく、ふとった結果の状態を示しているのである。
 ところで、「ふとる」は瞬間的な動作であろうか。そうではあるまい。この点で、瞬間動詞という名称はおかしいと言わざるをえない。それで、継続動詞・瞬間動詞という分類とは別に、後に結果が残ることを表すかどうかで、結果動詞・非結果動詞という区別を考えたことがあった。2)
 しかし、この分類をとる考え方は現在は少ない。それで、いま一度「ふとる」を瞬間動詞と言う不都合を言っておきたいと思うのである。
 B意志動詞・無意志動詞
  意志的な動作を表すか否かによる分類である。形態の上に現れないので、区別するのが難しい。しかし、この区別を用いると、いろいろな文法現象が説明できる。3)
 C五段動詞・一段動詞
 動詞の活用の仕方による分類である。形態上の分類なので一番区別しやすい。このことばは国文法(中学校、高等学校で日本人生徒に教えられている国語の文法のこと。以下「学校文法」と言うことがある。)の活用をもとにした用語である。
五段というのは「未然・連用・終止……」とアイウエオの各段にわたって変化するところから名付けられたものである。
 一段というのは「見る」ならイの段だけ、「食べる」ならエの段だけというようにそれぞれ一段の音しか取らないところから名付けられたものである。
  「子音動詞・母音動詞」、"U-verb・RU-verb"、「強変化動詞・弱変化動詞」 「第一種の動詞・第二種の動詞」という名称も行われているが、一般にそれほど浸透しているわけではない。
  一般的なのは、やはり「五段・一段」である。日本語教育は、学校文法の扱い方をしないと言いながら、名称だけはこれを使わざるをえないのは皮肉である。
(5)間投詞と感動詞
 「間投詞」と「感動詞」は、耳で聞けば「カントーシ」「カンドーシ」でトかド(ローマ字では t か d)の違いに過ぎないが、漢字で書くと全く違う。一般に、英文法はじめ外国語教育では、間投詞と言っている。また、国語の方では「感嘆詞」という言い方もある。
(6)後置詞
 英語の前置詞になぞらえて、日本語で名詞の後に用いられ助詞相当の働きをすることばを「後置詞」と呼ぶ。後置詞の多くは「に対して」のような動詞起源の語である。4)
 実は「後置詞」ということばは、フィンランド語の文法に出て来る。次の文の kanssa、viereen は後置詞である。これは
 Kenen  kanssa  matkustatte   sinne?.
  誰(生格)と一緒に あなたは旅行する  そこへ
(あなたは誰とそこへ旅行しますか。)
 Han istui ikkunan  viereen.
   彼  座った 窓(生格)そばへ
(彼は窓辺に座った。)

のように使う。
 

2 品詞名以外に関して

 品詞の名称以外でよく使われ、しかもこだわりを感ずる文法用語は、「疑問文」と「目的語」である。

(1)疑問文

 英文法をはじめ外国語教育の分野で、問いかける文のことを「疑問文」と言っている。しかし、これはよく考えるとおかしいのではないか。
 疑問とは、疑うことである。これは本当だろうか、どうだろうか、と自問自答する行為である。
「これは本ですか」あるいは「今何時ですか」と人に問いかけること、ここには少しも疑問に思うことはない。質問しているわけである。だから、「質問文」と言うのが正確なのではないか。

(2)目的語

 英文法で "John hits the ball." の the ball を目的語と言っている。それで、一般に日本語の「〜を」のことを指して「目的語」ということばを気楽に使っている。
 しかし、実はこのことばは、学校文法の用語にはないのである。それにもかかわらず、一般の日本人がよく目的語ということばを使っているということは、国文法の用語より英文法の用語がよく浸透しているということを表しているわけである。
 これは object の訳語であるから、「対象」と言うのが適当と思う。
 「目的」の本来の意味は「めあて・めざすところ」ということである。
  図書館へ 本を 借りに 行きます。
これを「往来の目的」を表す文と言う。この使い方が本来の「目的」の意味での使い方である。「目的」は purpose の訳語として使われなければならない。
 

3 「活用」と「変化」をめぐって

 学校文法で「用言が意味・用法によって形を変えること」を活用と言っている。外国語教育では人称・数・時制によって動詞の語尾を変えることを conjugationと言っている。また、性・数・格によって名詞の語尾を変えることをinflectionと言っている。conjugation や inflection の日本語訳は一般に「変化」である。後者について「曲用」「屈折」と言う人もいるが、現在はあまり使われていない。
日本語の「動詞の活用」と言うと、あの「未然・連用・終止……」という表を思い出させる。日本語教育では表1のように教えており、「活用」ということばを用いると紛らわしいから、「変化」と言った方がいい。
表1
普 通 形 丁 寧 形
肯定形 否定形 肯定形 否定形
食べる 食べない 食べます 食べません
食べた 食べなかった 食べました 食べませんでした

 しかし、最近は外国語教育でも活用と言う人がいる。5) 学校文法に妥協して 言っているのだと思う。
 「活用形」の名称の由来は、一般に@意味「仮定形」「命令形」A働き「連用形」「終止形」「連体形」B主な用法「未然形」である。
 日本語教育で一番よく使われる名称「テの形」というのは、意味・用法が複雑でひとことで言い表せないために、形の特徴を以ってその名称としたものである。こういうことはスワヒリ語の KA-tense などにも見られる。6)
 先に出した日本語教育の「変化表」で注意しておきたいのは、次のことである。「食べます」という形のことを一々「丁寧形の肯定形の現在形」というのはめんどうなので、形の特徴をとらえて「マスの形」と言う。ここでこだわりたいのは「マスの形」ということばの使い方である。マスの形というは「食べます」全体を指すことばである。この「食べ」だけをマスの形というのは間違いである。もしそういう使い方をする人がいるとすれば、その人は学校文法の連用形ということが強く頭の中にあってそれを言い替えているにすぎないのである。正しい使い方をしたいものである。
 

  4 「助動詞」と「補助動詞」と“Auxiliary Verb”

 英語の助動詞(Auxiliary Verb)と言えば can、may、must、will、shall などのことである。国語の文法で助動詞と言っているのは、「食べた」の「た」、 「見ない」の「ない」、「行きます」の「ます」などである。他に「取られる」の「れる」、「持たせる」の「せる」、「ようだ」「らしい」などがある。英語の助動詞は独立の単語であるが、国語の助動詞、特に「た、ない、ます」はそうではない。(「ようだ」「らしい」は半ば独立の単語のようだが。)
 このように「助動詞」には雑多なものが含まれているのに、一からげに同じ名前で呼ぶのは適当ではない。大文法家も文法辞典もそのことを承知しているが、一向に改まる気配がない。
 こういった助動詞の不当性を承知していて、「いわゆる助動詞」という言い方をする人もいるが、一々「いわゆる」を付けるのは煩雑だから「助動詞」とだけ言うことにするという人もいる。7)
 そういう妥協はせずに、一刻も速く日本語の文法から「助動詞」を追放したいものである。8)
ところで、
 私は本を読んでいる。 本を読んでおく。 本を読んでみる。
この文の「いる」「おく」「みる」は補助動詞と言われている。テの形の後に用いられているので、多くの人は「ている」「ておく」「てみる」と言っている。
もし日本語文法から「助動詞」ということばが追放されたら、この補助動詞こそ真の助動詞としてその名称を受け継ぐことになるだろう。
助動詞という名称は、本来英語の Auxiliary Verb を訳したものであるから、can や may のような独立の単語、しかも他の動詞を助ける働きをしていることばに使うべきである。上の補助動詞はまさにこれである。
イタリア語で助動詞と言っているのは、完了形を作る際に用いられる avere とessere だけである。英語の can に当たる potere は助動詞とはされていない。
 ここでなぜ、英語では can が助動詞とされるのかを考えてみたい。それは、直接動詞に続くことと、三人称単数現在で s がつかないという点、これだけの理由のようである。
 イタリア語では potere も他の動詞と同様に人称変化をする。また、英語と同様に直接動詞に続くが、一般の動詞でもそういうものがあるのであって、この理由で助動詞とするわけにはいかないのである。
 以上をまとめると次のようになる。
英語で can を助動詞とする理由
 @直接動詞に続く。      I can swim.
 A三人称単数現在で s がつかない。 He can swim. *He cans swim.
 イタリア語で potere を一般の動詞と同様に扱う理由
 @一般の動詞と同様、人称変化をする。Io posso nuotare. Lui puo nuotare.
(私は泳げる。彼は泳げる。)
 A一般の動詞でも直接動詞に続くのがある。Io so nuotare. Lui sa nuotare.
   (私は泳ぎを知っている。彼は泳ぎを知っている。)
 

5 外国語教育の場合

 文法用語でこだわりを感ずるのは、日本語教育の場合だけではない。日本における外国語教育の場合にも少なからずある。
(1)テンス
 英語、フランス語、イタリア語のテンスは、形の上では次の表のようになっている。(一部だけを示す。)
 表2 英語・フランス語・イタリア語のテンスの対照(一部)
 
現在完了  I have read  過 去  I read 
複合過去  j'ai lu  単純過去  je lus  半過去  je lisais
近過去  io ho letto 遠 過 去  io lessi 半過去  io leggevo

 英語の過去形に当たるものに、ロマンス語(フランス語、イタリア語など)では二通りある。単純過去(フランス語の用語を使う)は「した」、半過去は「していた」に当たる。単純過去はあまり使われず、その代わり複合過去が使われると言う。
 英語では現在完了形と過去形の使い分けをしつこく教えられる。現在完了形は過去を示すことばといっしょに使ってはならない、などと。しかし、フランス語、イタリア語、それにドイツ語でもそういうことはないのである。この点は英語が特殊なのである。
そのような事情があるにせよ、同じ組成のもの、例えば「have+過去分詞」という組み立てになっているものは、同じ名称で呼んだらどうであろうか。各々異なる名称を持っているので、これらを学習するときとまどいを感ずるのである。
(2)「条件法」
 次のイタリア語の文を見ていただこう。

 Sarei partito anch'io se il tempo fosse stato bello.

  (天気がよかったなら私も出発したろうに。)
  Sarei partito というのは条件法過去の形である。ある条件の下での帰結「〜したろうに」を表す形である。この形を条件法というと、学習者はちょっと誤解しかねない。「条件」法と言うなら「〜なら」の方こそそう言ってほしいところだ。ちなみに、「天気がよかったなら」は se il tempo fosse stato bello と接続法の形となっている。
  ついでながら、フィンランド語ではどうなっているかというと、条件を表す方にも帰結を表す方にも -isi- という形を使う。この形は条件法と言われている。だから、このことは問題にならない。
  Mina sanoisin sen, jos tietaisin.

 (私はそれを知っておれば 申し上げるのですが。)
(3)「ゲスト」
 最後に番外編として、文法用語ではないが、外国語教育の場で最も気になることばを挙げておこう。それは「ゲスト」ということばである。
 テレビによる外国語教育の場でネイティブのことを「ゲスト」というのはなぜなのか。ゲストとはお客さまのことであろう。それなのに、毎回決って出ている人をなぜ「ゲスト」と呼ぶのか。
以前、ラジオの英会話講座で、毎日ある中で、金曜日だけネイティブの人が出ていたことがあった。そのネイティブの人は毎週替わる。だから、そのときはゲストと言って間違いではなかった。
ところが、それから「語学講座のネイティブの出演者」のことをゲストと言うことになってしまったのである。毎回出てくる「お客さまでない」人でも。


1)International Christian University "Modern Japanese for University Students--Part I" 1963
2)吉川 1973 pp.170-172
3)吉川 1974 pp.67-76
4)鈴木 1972 pp.492ー502
5)『NHKラジオ・イタリア語講座』1993 など
6)D.V.Perrott 1964 pp.50-51
7)北原 1981 p.45
8)吉川 1988 pp.1-8

参考文献
D. V. Perrott(1964)"Teach yourself books: Swahili" The English Univer- sities Press Ltd
OZAKI, Yoshi(1952)"Suomenkieli Neljassa Viikossa" 大学書林
北原 保雄(1981)『日本語助動詞の研究』 大修館
鈴木 重幸(1972)『日本語文法・形態論』 むぎ書房
野上 素一(1954)『イタリア語入門』 岩波書店

吉川 武時(1973)「現代日本語動詞のアスペクトの研究」金田一春彦編(1976)         
『日本語動詞のアスペクト』(むぎ書房)所収
吉川 武時(1974)「日本語の動詞に関する一考察」『日本語学校論集』第1号
吉川 武時(1988)「"助動詞"のない文法」『日本語学校論集』第15号
吉川 武時(1989)『日本語文法入門』 アルク

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