を使う、という原則はあるものの、
これには次のような例外がある。
○生きているもので「ある」と言える(言う)場合
- 昔話の冒頭
- 親族関係の所有 「兄弟があります」
- 連体修飾構造の場合 「この言い方をおかしいと言う人がある」
※いずれの場合も「いる」とも言える。
○生きていないもので「いる」と言う場合
- 「タクシー」 タクシーなど背後にそれを運転する人を感じ取る場合
- 盤面上の将棋の駒 「あっ!角がいたか」。
※持ち駒は「ある」と言う。「お手は?」「飛車があるよ」。
「あなた」に代わる「おたく」
二人称代名詞「あなた」は適切に使うことが
難しい。
それに代わる何かいい言い方はないか、とパソコン通信のある
フォーラムで話題になったことがある。あれやこれや、いろい
ろ話が発展したのちに、やっと出てきたのが「おたく」だった。
敬意を払うこともなく、侮蔑することもなく、ごく普通の親し
くない人に使うには便利なことばだ。しかし、これは非常に気
づきにくいことばだ。普通の日本語教科書には出ていない。
金田一春彦先生が東京外国語大学留学生日本語教育センターで
の講演で同じように「あなた」ということばを用いるときは注
意が必要、何かこれに代わることばはないか、という話をし
たことがある。
そのとき、1人の韓国の留学生が「おたく」はどうですか、
と言った。どこで習ったのか、よく知っているな、と私は
「なるほど」と思ったものだ。
「田植えを行う」
ことばというものは不思議なもので、あると
きはおかしいと思われた言い方も、またあるときにはなんとも
(おかしいと)思わない、ということがあるものだ。
私の経験では「田植えを行う」と言う言い方
がそれである。あるとき、自分で「田植えを行う」と言ってみ
て、思わず「フフフッ」とふきだしてしまったことがある。
「行う」というのは、なにか大げさな行事に使うのが適当だと
思ったからだ。
日本語が堪能な外国人のN教授もこれを聞い
て同じようにふき出した。おかしい言い方だと思ったのだろう。
しかし、
百科事典にはあるではないか。そこでは、おかしいともなんと
も思わなかった。「行う」が使われるのは行事についてだけで
はない。「グレゴリー暦が行われている」など「採用されてい
る」という意味でも用いられる。
「アスペクト」という文法用語
日本語のフォーラムである方から「世間一般
の日本人の知らない日本語の文法用語があるなんてなんか変だ。
国語(科)の先生だって、日本語教育副専攻でもしてない限り
知らない。どうしてそんなことになったんだろう」という疑問
が出された。国語の文法用語にカタカナ表記の語があるなんて、
と思われたらしい。そう思っている人は多いことだろう。
「アスペクト」という語は、昭和25年の
金田一春彦の論文に出て来る。それ以来、アスペクトの研究が
さかんになされるようになったが、実は、「アスペクト」の概
念はもっと以前からあったのだ。詳しいことは、
金田一春彦 編『日本語動詞のアスペクト』(むぎ書房)に出
ているから、それを参照してほしい。
一方「国文法」は昭和17年ごろの橋本文法
が基になっている。これは、中学、高校で教えられる文法で、
一般の人は「<日本語の文法>というものはこれしかない」と
思っているわけだ。日本語文法の研究が進んだのに、これを学
校教育で取り上げないから、世間一般の日本人は新しい文法用
語をなにも知らない、ということになったのだ。新しい文法を中学、高校で教えれば、「世間一般の日本人はなにも知らない」ということにはならなかっただろう。
日本語教育では「国文法」では日本語が教えられない、とその
ことがすぐ分かったので、研究成果を取り入れた「新しい」文
法で教えている。「アスペクト」もその一つである。
日本語教育はこの文法、中学、高校で教える
文法はこの文法と区別することなく、「新しい」文法を中学、
高校で教えればいいのだ。「新しい」と言っても、日本語教育
ではずっと前から、昭和30年代から、行われている。
「新世紀」〜〜数字が変わることに意義がある
21世紀は、2001年から始まる事は確か
なようだが、でも、なぜ、誰がこう決めたのだろうか。
「2000年から」と決めて不都合なことはないだろうに。
「21世紀」はいつから始まるかということについていろいろ
疑問がある。だれが決めたのか分からないが、当時の人が紀元
1年から数え始めたから世紀の始まりも ○○○1年からと
なったのだろう。そして、0(ゼロ)が発見されてから、
のことだから、紀元0年というのはなかったのだろう。
紀元0年と唱えることはなかっただろうが、紀元0年に当たる
年はあったわけだ。紀元0年に当たる年とは紀元前1年のこと
だろう。紀元前1年の次の年は紀元(後)1年だったのだろう。
そうだとすると、これは将棋(その他の芸ごと(?))の進みか
たと同じではないか。
上達するに従って
3級→2級→1級→初段→二段 と進む。
(0級や0段はない)
そもそも西暦何年という言い方を決めたのは
いつのことなのだろう。21世紀は2000年からと決めて
不都合はないだろう。今までの取り決め(?)では確かに
21世紀は2001年から始まるということになっている。
しかし、21世紀がいつから始まると決めてあろうと、
数字が変わることに大きな意義があるの
ではないだろうか。数字が変わるという大きな意義のある年
からの百年を新「世紀」と決めればいいのではないか。つまり、
2000年からが新しい世紀である、と決めるのがいいと思う。
だが待てよ、数字が変わると言えば、19世紀から20世紀に
変わったとき、十の位の数字が変わったじゃないか。実際その
ときも、数字の変わることに大きな意義を感じて、大騒ぎした
のだろうか。じゃ、決め直すついでに2000年〜2099年
を『新20世紀』とすればいいではないか。歴史上のことで例
えば16世紀の出来事がうんぬんと言われると、いつも1を引
いて「ああ、千五百何年かのことか」と計算しなければならな
い。そんなら、千五百年代を15世紀 と言うように決めれば
いいではないか。
一々 計算しなければならない、ということ
に関して、次のようなことがある。建物の階数を表すのに
ヨーロッパの多くの地域では(その他のある地域でも)
日本で言う「二階」のことを「一階」と言う。そういうずれが
ある。イタリア語で quinto piano と言われて、quinto は
第5のことだから、1を足して6階のことだ、と一々計算して
理解せずとも、quinto は 第5だから「5と書いてある階」の
ことだ、と理解すれば、そんな計算をしなくても済むのではな
いか。実際 quinto piano には「5」と書いてあるし、エレ
ベーターでそこへ行くにはみなさん「5」を押すだろう。
タイ語のrの音は脱落しやすい
在バンコクの日本人の間でよく知られている
市場は パトゥナム と言われているが、これは、
元来 pratu nam(門・水)だ。pr- のrが落ちた音を聞い
て覚えているわけだ。
「うさぎ」のことを本で覚えた日本人は
krataai クラターイ と言うが、
タイの学生は カターイ だろう、といぶかしがった。
男性の丁寧化の終助詞(?) クラップ も
カップ と聞こえる。たぶん彼らはrを発音しているつもり
なのだろう。
ちなみにタイ語のさかな pla はラオス語では
pa となるという。
テレビのコマーシャルにフィンランド語
Onko sinulla reikiä hampaita? Ei.
あなたは虫歯がありますか。 いいえ。
と大きな文字で出た。キシリトールの広告だ。
フィンランド語がテレビの画面に大きな文字で出たのは初めて
ではないか。大変うれしい。
「とる」の2つの意味
「とる」というに動詞は多義語ですが、少な
くとも次のような反対の動きを表す場合があります。
昔、フランス語の授業で先生が「語尾をとる」
と言って、黒板に「語尾」を書き足したり、またすぐ「語尾を
とる」と言って、「語尾」を消したりしました。
もっとも、黒板に字を書いたり、消したりする動作が伴って
いたから、誤解はなかったですが、へんですね。
「普通」と「特別」が逆?
住民税の納付通知書が来た。これが
「普通徴収」だそうだ。それで、毎月給料から引かれるのが
「特別徴収」。「普通」と「特別」の使い方が逆ではないか。
つまり、毎月 決まって給料から引かれるのが「普通」徴収で、
アルバイト収入など特別の収入があったとき、納めなければ
ならなくなるのが「特別」徴収ではないか。
タイでは、
| 預金に利子のつくのが |
グンファーク・ピセート つまり 特別預金 |
| 利子のつかないのが | 普通預金 |
と言われていた。日本では、
| 利子のつくのが | 普通預金で、 |
| 利子のつかないのを | 当座預金 |
と言うが。
ローマ字で姓名を書くとき
ローマ字で姓名を書くときまだ名を先に、
姓を後にする人が多い。
言語学会の学会誌『言語研究』は1965年に、
日本語教育学会の学会誌『日本語教育』は1981年
に姓・名の順にした。
つまり、外国語に接する機会の多い機関ほど
「世界にはいろんな方式があるんだ、欧米式にこだわることはない、
日本は日本のやり方にしよう」
という考えに到達するのが早かったというわけだ。
国語審議会でもやっと最近、それが議題に
なったそうだ。
「あと10日ばかりとなった……」
2000年の12月20日のことです。
テレビで関口宏さんが
「あと10日ばかりとなった21世紀」と言ったら、
アシスタントの女性が「20世紀」と言い直したことがありました。
私は言い直さなくてもいいのに、と思いました。
「21世紀まであと10日ばかりとなった」
の 「21世紀」を「底」とする連体修飾構造だから、
「あと10日ばかりとなった21世紀」 でいいわけです。
ただ、格助詞「まで」が落ちたので、少し理解しにくかった
のかもしれません。