日本人が書く日本文2003.6.13 アップ
思わず叫んでしまった!なぜ叫んだのでしょう?
日本語をゆがめるなおそろしいものを見てしまった。
言語学の究極の目的はそれはなんでしょう?
マニュアルはなぜ分かりにくいのか

日本人が書く日本文

日本人はどんな場合に日本文 (日本語の文章)を書くだろうか。 プロの作家でもない限り、 日本人が日本語を書く機会というのはそう多くはない。 書いたとしても大量に書くわけではない。
一般の人はたまに手紙を書き、きまぐれに日記を付ける。 研究者の場合は、論文を書いたり、雑誌に投稿する文を書く。 ビジネスマンの場合は、報告書や企画書などを書く。 官公庁に勤める人は公文書を書く。
大学受験を控えた高校生は、 受験勉強で英文和訳をするとき、その和文を書く。 日本人が書く日本文で一番多いのは、 英文和訳 時の日本文ではないか。
こうして日本語の文体が変化していく。

思わず叫んでしまった!

新聞の広告を見ていて
思わず「へえっ、ばかいえ!」と叫んでしまった。
「英語はなぜ論理的か」と書いてある。 英語は論理的であるという前提で、それはなぜか、という言い方である。 英語には論理的な言い方もあり、そうでない言い方もある。 日本語にも論理的な言い方もあり、そうでない言い方もある。 英語だけが論理的で、日本語はそうでないということはない。
どうしてそういう誤解が生まれたかというと、 「外国語」として提示されたものは、みな論理的だと 思ってしまうからだ。
日本語を学ぶ留学生たちは「日本語は論理的だ」 と言っている。(2002年8月)

雑誌のコラムを見ていて
思わず「ばかいえ!」と叫んでしまった。
「世界の言語の中で日本語はとても特殊だと言われる。 母音(アイウエオ)が多用されるのも特殊」とかと書いてある。 さらに「欧米の言葉は子音に比重がかかる」と続いている。 ハワイの言葉は日本語より母音が多い。 それに多くの言語の母音はaeiouの5つだ。 それで、ラテン文字はaeiouの5つの母音字を 用意しているのだ。
西洋の言語とだけ比べて、日本語は特殊だ、 などと言うべきではない。(2002年9月)

英語が日本語よりあいまいとなる例
I read the book on the desk.
私は机の上の本を読んだ。
私は机の上で本を読んだ。
私は机についての本を読んだ。
私は机について本を読んだ。
私は …… 読む。

有名な例
Time flies like an arrow.
時間は矢のように飛ぶ。
時蠅は矢を好む。
……


日本語をゆがめるな

ある翻訳ソフト事情

恐ろしいものを見た。「簡易日本語」どころではない。 「簡易日本語」というのは、1988年ごろ国立国語研究所の1研究員によって提唱されたが、 その後、マスコミによってたたかれて消えてしまった(かに見える)簡略化した日本語のことだ。 これは、日本語学習者からも、「正しい」日本語を学びたい、と言われてたたかれた。 私は、簡略化した日本語というその発想 自体は結構なことだと思う。 というか、日本語教育の初歩の段階では、意図するとしないとにかかわらず、簡易な日本語を使っているのだ。 「簡易日本語」がたたかれたのは、ことさらおかしな部分が例示されたからだ。
今回 ある本で見た恐ろしいものとは、あれよりもっとおぞましいものだ。 ある日本語を機械翻訳するのに、翻訳ソフトにかけやすくするために、 事前に日本語を直すというのだ。 例えば、「操作してみる」を「操作する」に。 事前に日本語を修正するということは、日本語の正常な表現をゆがめることにほかならない。 日本語の正常な表現、どんなに複雑でも、それを事前に修正することなく正常に翻訳できるのが翻訳ソフトではないか。 それができないのなら、翻訳ソフトの名に値しない。 また、事前に手を入れるくらいなら、ソフトにかける意味がないだろう。
この「してみる」の「みる」は試しに行うこと を表す補助動詞だ。「してみる」を「する」に直したら、 試行の意味が失われてしまうではないか。 たしかに補助動詞は、メモを書くときなど省略される。 また、西洋の言語に翻訳する際には省略されることがある。 どんなときに省略されるのか、 どんな場合に省略されるとおかしくなるのか、 こんなことを知りたくて私は補助動詞の研究を始めたのだった。
私は、機械翻訳に興味がある。 学部の卒業論文(数か国語のテンス・アスペクトの対照比較に関するもの) の終わりのところに 「これが将来 機械翻訳のために役に立てばうれしい」というようなことを書いた覚えがある。 当時は、機械翻訳などと言うと、一笑にふされた時代だった。 だから、大きくは書けなかったが、ひそかにそう思っていて論文をまとめたのだった。
機械翻訳ソフトの開発会社は、言語学者の智恵は借りずに 工学者やコンピュータの技術者たちで独自に開発しているのだろう。 ともかく私のところには相談に来ない。

言語学の究極の目的は機械翻訳

「言語学の究極の目的は機械翻訳だ!」などと言うと、 びっくりする人がいるかもしれない。 コンピュータによる翻訳が機械翻訳だ。 ひところより機械翻訳の精度が上がったそうであるが、 結局、最後には人間の目で修正する必要があるそうである。
コンピュータの性能が今ほどよくなかったとき、 機械翻訳など夢の話で、お金をかけるわりには つまらない翻訳しかできなかったそうである。 今はコンピュータの性能が格段によくなり、 機械翻訳と言ってもだれも笑わなくなった。
人間による翻訳の過程をつぶさに観察すると、
  • 文を単語に解きほぐし,
  • それに目的言語(target language)の単語を引き当てて、
  • 文を構成する