
(k2119yoshi)

(Home) (k203yoshi)
|
*k2119yoshi-SideRoom-0

生涯の良き思い出 |

| "いつまでも忘れられない校長先生" (九州大学・医学部創設の功労者) 大平得三先生(医学博士)もと[鹿児島県立医科大学学長]. [県立鹿児島大学学長]西南学院が三顧の礼を尽くしてお迎えした大平校長の指導のもとで、全教員が一丸となって努力した結果、以後の中学校の世間の評価は飛躍的に向上した。 | 私が赴任した翌年の昭和32年(1957年)に、我が校の校長に、大平得三先生をお迎えする事になりました。その年の暮れに近い、ある日の職員会議の席で、突然、次のような発言をされました。「私が思うには、皆さんの給料は低すぎます。そこで、多少、授業料を値上げする事に成りますが、何としても皆さんの給料をもう少し増やして差し上げたいので承知してほしい。」全体が水を打ったように静まり返り、しばし沈黙が続く中で、"生徒達に負担を掛けたくありません。私達は今のままで結構ですから、授業料を上げないで下さい” との思いが、無言のうちにも全体にゆき渡り、私達は、校長先生の有難い御厚意に感謝しながらも辞退しました。暫らく目を閉じられていた校長先生が、おもむろに立ち上がられると、私達の方に向かって深々と頭を下げられ、其の姿勢のままで、「どうか私の思いを通させて下さい」と言はれました。校長先生のこの温情溢れる誠意に打たれて、誰にも返す言葉はありませんでした。翌年四月から私達の給料はかなり増えることになりました。有難いことでしたが、それ以上に校長先生のお気持ちが有難く、嬉しかった。 ---- ちなみに---- 当時の『私の初任給(昭和31年4月)は9800円』でしたから、二食付きの下宿代5,500円を払うと、 残りの4,300円が、当時の私の一ヶ月の生活費でした。 |
| 「37年間私を用いて下さった 西南学院」の創設者C.K.ドージヤー師のご遺訓 | ”西南よ キリストに忠実なれ” ---"いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛です--- |
| キリストの信徒への道を歩むことになった動機 | 私が大学2年生の時の事でした。 ある日の夕闇迫るころ、 都内の、 とある町外れを歩いていたところ15人位の人だかりを見て、 好奇心から、 近寄って覗いて見ますと、服装からそれと分かる キリスト教会の牧師風の人が何かを熱心に語っていました。 後で解かったことですが、 神の子イエス様の教えを語っていたのです。 配られた聖書を、 家に戻ってから、 開いて少しばかり目を通しているうちに、 或る言葉が目にとまりました。 そこには、 ”人はパンのみで生きるにあらず、 神の口から出ずる一つ一つの言葉で生きるものなり” と記されていました。 その言葉に, 私は大きな感動を覚えました。 幸いなことに、 私の家の直ぐ近くに、 最近建ったばかりの教会が有りましたので暫くその教会の礼拝に集ううちに、イエス様こそ誠の救い主、 我が神、 信じて、 生涯この方に従って行こうという決意が生まれたのです。 今日までの我が人生を振り返りますと、 ”信じて神に頼れば幸せな日々生きて行ける” ことを実感させて頂いた幸せな人生でした。 ”我が喜び、我が望み、我が命の主よ、 昼たたえ夜唄いて尚足らぬを思う” 聖書に出会えたことが、 我が人生最大の喜びでした。 感謝です。 |
| 良き恩師に恵まれた幸せ | *渡辺孫一郎先生(東大名誉教授・数学)物理学校時代の恩師--解析幾何学の指導を受ける *矢野健太郎先生(東京工大教授・数学)・物理学校時代の恩師--微分積分学・解析学の指導を受ける *山田貫昭先生(寺の住職)・中学時代の恩師(1学年の時のクラス担任)--国語・和歌・仏教の指導を受ける *鈴木長十先生(駿台予備校の創設者の一人)・中学時代(4年の時のクラス担任)の恩師--英語の指導を受ける |
| 良き友、Mr. Fener (宣教師)夫妻との交わり | Mr.Fenerとは不思議と良く気が合い何んでも相談し合うことができました。互いの心が、信頼という太い糸で結ばれていたように思います。Mr.Fenerが、生徒達に向かって、私はフェナー先生です。ヘンナ(変んな)先生ではありません。と自己紹介されたのを今でもよく覚えています。私が西南に赴任してから何年後かに来られて、毎朝の礼拝、入学式、卒業式の奏楽をされました。日曜大工のような 手仕事がお好きで、時々は、 頼まれてお手伝いもしましたし、台所のリホームをしてあげたことも有ります。クローゼットの一部を自分で改造して、其処で、写真の現像を自分でされていました。アメリカに帰られる時、私は、maid in Texsasの銘記のある釣竿を頂きました。私も釣りは大好きでしたから喜んで受け取りました。”釣りをする時は何時も私を思い出して下さい”との思いが込められてのプレゼントでしたので、今でも大切にしています。現在は、母国のテキサスで、奥さんと一緒にキリスト・イエスさまの伝道に励んでおられます。 |
| --- み神と共に ---
我が人生に悔いなし | ”人生の岐路” 昭和31年の初め頃に、私には、卒業後は、建設会社横河橋梁の設計部に技師としての就職が約束されていましたが、その後間もなく、福岡の西南学院からの教員としての要請を戴き、熟慮の末、お受けすることにいたしました。西南学院を選択したことは、今思えば、最良の選択でした。良い生徒達に恵まれ、良き伴侶, 良き息子,良き人生が与えられ、総ては、神様のお導きと感謝しています。 |