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 3月11日

地震の大きな揺れで座り込む人たち(11日午後2時50分、羽田空港で)=竹田津敦史撮影

 

改札が閉鎖され、不安げにテレビのニュースを見る人たち(11日午後2時59分、JR川崎駅前で)=多田貫司撮影

 

地震の後、上空にあがる黒煙(11日午後3時8分、東京・大田区で)=竹田津敦史撮影

 

地震が発生し、人であふれかえるJR新宿駅(11日午後3時10分、東京・新宿区で)=高橋美帆撮影

 

地震で落下した天井のパネル(11日午後3時11分、都庁で)=上甲鉄撮影

 

 

 地震で歩道に崩れた住宅のブロック塀(11日午後3時12分、東京・世田谷区で)=鈴木毅彦撮影

 

地震で物が散乱したコンビニ(11日午後3時17分、仙台市で)=池谷美帆撮影

 

地震で倒れた、仙台市中心部のアーケード商店街に設置された時計台(11日午後3時33分、仙台市青葉区で)

 

4階の壁が崩落した福島県のJR郡山駅前のビル(11日午後3時43分)=佐藤雄一撮影

 

 

 地震で波打った地面(11日午後3時48分、仙台市で)=池谷美帆撮影

 

地震で公園に避難した人たち(11日午後3時50分、東京・中野区で)=飯島啓太撮影

 

ガラスが割れた茨城県庁2階正面玄関

 

地震の影響でガラスが割れた窓(11日午後、東京・中央区京橋の第一ぬ利彦ビルで)=米田育広撮影

 

地震の影響でガラスが割れた窓(11日午後、東京・中央区京橋の第一ぬ利彦ビルで)=米田育広撮影

 

 

津波が気仙沼湾に押し寄せ、車や家は次々と流された(11日午後3時31分、宮城県気仙沼市潮見町で)=中根圭一撮影

 

津波が気仙沼湾に押し寄せ、車や家、荷物などが次々と流された(11日午後3時33分、宮城県気仙沼市潮見町で)=中根圭一撮影

 

九段会館前で治療する人たち(11日午後3時38分、東京・千代田区で、読売ヘリから)=菅野靖撮影

 

 

防波堤を乗り越えて津波が押し寄せた千葉県旭市の飯岡漁港(午後3時45分頃)

 

国道に落下した巨大な岩石(11日午後4時18分、岩手県陸前高田市矢作町で)

 

津波に繰り返し襲われる海岸沿いの町(11日午後4時31分、茨城県北茨城市で、本社ヘリから)=菅野靖撮影

 

津波で渦巻く海(11日午後4時36分、福島県いわき市で、本社ヘリから)=菅野靖撮影

 

 

 店内が危険なため、外で食料を買い込む人たち(11日午後4時36分、仙台市で)=池谷美帆撮影

 

 

 液状化現象が起き、泥に埋まった車(11日午後4時37分、千葉県市川市千鳥町で)=鷲巣真大撮影

 

 

 地震で延焼するコスモ石油千葉製油所(11日午後4時38分、千葉件市原市で、本社チャーターヘリから)=多田貫司撮影

 

 

 千葉市のJFEスチール製作所の火災(手前)と市原市コスモ石油千葉製油所の火災(11日午後4時44分、千葉市で、本社チャーターヘリから)=多田貫司撮影

 

 

 海岸に押し寄せる津波。中央は広野火力発電所(11日午後4時52分、福島県広野町で、本社ヘリから)=菅野靖撮影

 

 

 大地震について記者会見する菅首相(11日午後4時55分、首相官邸で)=田中秀敏撮影

 

地震で電車が止まり、改札口のコンコースで運転の再開を待つ乗客たち(11日午後5時6分、京王線新宿駅で)=吉岡毅撮影

 

津波が押し寄せた住宅街(11日午後5時24分、宮城県山元町で、本社ヘリから)=菅野靖撮影

 

 

 踏切と線路が流されたJR大船渡線(11日、岩手県陸前高田市矢作町で)

 

地下鉄の駅の構内で雪をしのぐ人たち(午後5時29分、地下鉄仙台駅入り口で)

 

 

 小学校の校庭に避難し、無事を知らせる女性(11日午後5時34分、仙台市で)=池谷美帆撮影

 

 

 火の手が上がる住宅街。周りは津波に流されている(11日午後5時35分、宮城県名取市で、本社ヘリから)=菅野靖撮影

 

地震の影響で倒壊した鹿行大橋(11日午後5時40分、茨城県鉾田市で)=建石剛撮影

 

地震で倒壊した民家(11日午後5時41分、水戸市内で)

 

大津波で浸水した仙台空港(11日午後5時45分、読売機から)=上田尚紀撮影

 

仙台空港は火の気があがり、周囲は浸水した(11日午後5時48分、読売機から)=上田尚紀撮影

 

大津波で浸水した住宅(11日午後5時49分、宮城県亘理町周辺で、本社機から)=上田尚紀撮影

 

地震で炎上する燃える岩手県大槌町(11日午後5時50分、読売機から)=清水健司撮影

 

 

 海上に浮く重油が燃え、一面に炎が上がる気仙沼湾(11日午後5時56分、宮城県気仙沼市潮見町で)=中根圭一撮影

 

炎上する市街(11日午後5時55分、岩手県山田町で、本社機から)=金沢修撮影

 

炎上する市街(11日午後5時57分、岩手県山田町で)=金沢修撮影

 

 

 土砂崩れで倒壊した旅館。80歳代の女性客1人が取り残されたていたが、救出された(11日午後6時8分、仙台市太白区で)=中川慎之介撮影

 

立体駐車場につながるスロープが崩壊したスーパー(11日午後6時20分、東京都町田市のスーパー「コストコ」多摩境店で)

 

 

 地震で火災が発生し燃え上がる工場地帯(11日午後6時39分、千葉県市原市で、本社チャーターヘリから)=竹田津敦史撮影

 

 

 交通機関がストップしたため、徒歩で帰宅する人たち(午後7時2分、東京・渋谷区で)=栗原怜里撮影

 

 

 天井や壁が崩れた北上市役所ロビーで夜を明かす人たち(3月11日午後7時30分、岩手県北上市で)

 

 

 水浸しになった函館駅周辺(11日午後7時32分、北海道函館市で)=伊藤紘二撮影

 

 

 公衆電話に並ぶ帰宅困難者ら(11日午後7時38分、JR渋谷駅前で)=杉本昌大撮影

 

 

 津波で水浸しになったベイエリアを見回る消防隊員ら(11日午後9時8分、北海道函館市で)=伊藤紘二撮影

 

 

地震で交通機関が乱れ、帰宅のバスを待つ人たちであふれた渋谷駅前(11日午後9時34分、東京・渋谷で)

 

避難所で一夜を明かす帰宅困難者ら(11日午後9時46分、東京・渋谷区の青山学院大で)=杉本昌大撮影

 

避難所の体育館でビニールにくるまり一夜を明かす人たち(11日午後10時11分、東京・渋谷区の青山学院大学で)=栗原怜里撮影

 

 

 津波で流されたものが散乱する函館朝市周辺(11日午後11時4分、北海道函館市で)=伊藤紘二撮影

 

地震の影響で交通機関が止まり、深夜になっても徒歩で帰宅する人々や車両で混雑する、東京都と神奈川県境の第2京浜・多摩川大橋(12日午前0時14分、神奈川県川崎市で)=園田寛志郎撮影

 

上野駅の地下通路で一夜を明かす人たち(12日午前0時38分、東京・台東区で)=鈴木竜三撮影

 

空港内で一夜を明かす利用客ら(12日午前3時50分、羽田空港で)=鈴木毅彦撮影

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月12日

 

 流木で埋まった道路(12日午前6時7分、仙台市若林区で)=中司雅信撮影

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

自衛隊員に救助されるお年寄り(12日午前5時58分、宮城県名取市閖上で)=菅野靖撮影

 

流木で埋まった道路(12日午前6時7分、仙台市若林区で)=中司雅信撮影

 

 

 津波に流された飛行機や車両(12日午前6時55分、宮城県名取市で)=関口寛人撮影

 

流木で埋まった道路を自衛隊員に付き添われ避難する住民たち(12日午前7時2分、仙台市若林区で)=中司雅信撮影

 

 

 流木で埋まった道路を荒浜地区方面に向かう消防隊員ら(12日午前7時10分、仙台市若林区で)=中司雅信撮影

 

 

 港から約5キロ離れた山あいまで達した津波のため、なぎ倒された家屋と泥だらけとなった集落(12日午前7時29分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

 

 津波の影響で流された航空大学校の取り残された生徒らを救助に向かう消防団員ら(12日午前7時29分、宮城県名取市で)=関口寛人撮影

 

津波で破壊された家屋や自動車の残骸の上を歩く人(12日午前7時33分、宮城県名取市閖上で)=菅野靖撮影

 

 

 津波で壊滅的な被害を受けた南相馬市(12日午前7時51分、福島県南相馬市で)=小林武仁撮影

 

 

 港から約5キロ離れた山あいまで津波が襲い、なぎ倒された家屋と泥だらけとなった集落で、津波警報で逃げる消防団員ら(12日午前7時56分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

 

 大津波で押し流された電車の車両(上)と住宅(12日午前8時11分、福島県新地町で)=冨田大介撮影

 

 

 大津波に襲われた南三陸町の学校に書かれたSOSの文字(12日午前8時33分、宮城県南三陸町で、読売機から)=上田尚紀撮影

 

津波が押し寄せた介護老人保健施設「ヨッシーランド」(12日午前8時34分、福島県南相馬市で、読売ヘリから)=足立浩史撮影

 

大津波で壊滅した南三陸町のビルの屋上に取り残されている多くの人たち(12日午前8時35分、宮城県南三陸町で、読売機から)=上田尚紀撮影

 

大津波で多くの民家が押し流された南三陸町(12日午前8時40分、宮城県南三陸町で、読売機から)=上田尚紀撮影

 

 

 津波から一夜明け、船が沈むなどの被害が出た函館魚市場の岸壁(12日午前8時40分、函館市で)=伊藤紘二撮影

 

 

 津波で流された住宅街を見つめる子どもたち(12日午前8時42分、宮城県名取市立閖上中学校で)=菅野靖撮影

 

 

 津波で脱線し、押し流されたJR仙石線の列車(12日午前8時43分、宮城県東松島市で)=山田滋撮影

 

 

 大津波で壊滅的被害が出た南相馬市の海岸部(12日午前8時45分、福島県南相馬市で、読売ヘリから)=足立浩史撮影

 

 

 「津波が来る」との情報で、安全な歩道橋の上に避難する人たち(12日午前8時47分、宮城県名取市閖上で)=菅野靖撮影

 

 

 大津波で押し流された東松島市周辺(12日午前8時58分、宮城県東松島市で、読売機から)=上田尚紀撮影

 

黒煙を上げる宮城県気仙沼市の沿岸(12日午前9時1分、読売機から)=清水健司撮影

 

津波で互いに乗り上げた大型船(12日午前9時11分、宮城県気仙沼市で、読売機から)=清水健司撮影

 

津波に押し流され、がれきで埋め尽くされた道路(12日午前9時16分、宮城県気仙沼市で)=池谷美帆撮影

 

 

 消防ヘリで救助される住民(12日午前9時52分、仙台市若林区で)=中司雅信撮影

 

 

 津波にながされ炎上した車両(12日午前10時7分、茨城県日立市で、読売チャーターヘリから)=竹田津敦史撮影

 

 

 津波で被害を受けた集落から避難する住民たち(12日午前10時22分、宮城県名取市閖上で)=菅野靖撮影

 

 

 津波で脱線したJR仙石線の列車と倒壊した家屋(12日午前11時50分、宮城県東松島市で)=大久保忠司撮影

 

 

 ボートで行方不明者を捜す自衛隊員ら(12日午後0時13分、福島県相馬市で)=冨田大介撮影

 

 

 自衛隊にボートで救出される住民(12日午後0時49分、宮城県石巻市で)

 

 

 自衛隊にボートで救出される住民(12日午後0時50分、宮城県石巻市で)

 

避難所で孫(左)との再会を果たし思わず抱きしめる女性(12日午後1時9分、宮城県名取市の閖上公民館で)=菅野靖撮影

 

 

市中心部でがれきの中、行方不明者を探す自衛隊員ら(12日午後1時52分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影 

 

大津波でがれきと化した市街地(12日午後2時8分、宮城県南三陸町で)=大野博昭撮影

 

がれきとなった市中心部で活動を開始した陸上自衛隊(12日午後2時27分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

津波で水没した仙台空港の施設から、ボートで避難する人たち(12日午後2時34分)=中司雅信撮影

 

徒歩で新しい避難所へ移動する住民たち(12日午後2時39分、宮城県名取市閖上で)=菅野靖撮影

 

 

 10キロ圏内の避難指示を受け、国などが手配したバスに続々と乗り込む町民たち(福島県大熊町の大熊中学校で)

 

 

 記者会見に臨む枝野官房長官(3月12日午後、首相官邸で)=田中秀敏撮影

 

車が大行列するガソリンスタンドの前で品切れの表示を出す店員(12日午後、青森県八戸市内で)=三上津与美撮影

 

 

 新日本石油精製からの重油が流出した湾(3月12日午後、宮城県塩釜市で、読売機から)=上田尚紀撮影

 

 

 津波で押し流されたがれきのそばを通り、避難する人たち。後方には2キロほど離れた海から流れてきた漁船も横たわる(3月12日午後、宮城県南三陸町で)=池谷美帆撮影

 

避難所で夕食を受け取る被災者ら(3月12日午後、宮城県南三陸町で)=大野博昭撮影

 

壊滅的な打撃を受け、まる1日たっても煙が上がる岩手県山田町(3月12日午後、岩手県山田町で、本社機から)=清水健司撮影

 

津波で押し上げられた車の横を歩く地元住民ら(3月12日午後、岩手県宮古市内で)=尾崎孝撮影

 

津波が押し寄せた高田小学校。時計の針は止まっている(3月12日午後、岩手県陸前高田市で)=金沢修撮影

 

岸壁に大型船が乗り上げた釜石市の港(3月12日午後、岩手県釜石市で、読売機から)=清水健司撮影

 

ゴミで埋め尽くされた釜石市の港(3月12日午後、岩手県釜石市で、読売機から)=清水健司撮影

 

 

 原発事故の本紙号外を受け取る人たち(3月12日、名鉄名古屋駅コンコースで)=尾賀聡撮影

 

 

 ビルの屋上に引っかかったブイ(3月12日午後、宮城県南三陸町で)=池谷美帆撮影

 

 

 岩手県気仙沼市の港で燃える船(3月12日午後、岩手県気仙沼市で、読売機から)=清水健司撮影

 

 

 流木と土砂で埋まった仙台空港の1階フロア(3月12日午後)

 

地震の影響で波打ち、大きな段差が発生した道路(12日午後、埼玉県幸手市で)=武藤要撮影

 

がれきとなった市中心部には、ボロボロになったアルバムが流れ着いていた(12日午後3時15分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

津波で一面水浸しになった市街地を徒歩で移動する人たち(12日午後4時20分、宮城県南三陸町で)=池谷美帆撮影

 

避難所で原発関連のニュースに見入る、原発周辺の大熊町の住民(12日午後5時40分、福島県田村市で)=小林武仁撮影

 

 

 暗い避難所で不安そうに夜を過ごす被災者たち(12日午後6時32分、岩手県大船渡市で)=松本剛撮影

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月13日

 

 寒さの厳しい避難所で一夜を明かし、疲れた表情を見せる女性ら(13日午前6時58分、岩手県山田町で)=尾崎孝撮影

 

 

がれきの中、水没した街を見つめる女性(13日午前7時38分、宮城県石巻市で)=大久保忠司撮影

 

津波で徹底的に破壊された岩手県山田町の織笠地区(13日午前8時3分)=尾崎孝撮影

 

避難所でネコと一緒に朝を迎えた女性(13日午前8時9分、福島県川俣町で)=若杉和希撮影

 

女の子を背負って水浸しの街を歩く母親(13日午前8時11分、宮城県石巻市で)=大久保忠司撮影

 

不明者の捜索をする自衛隊員(13日午前8時22分、岩手県陸前高田市で)=金沢修撮影

 

名前を書いたボードを持って行方不明者を捜して歩く女性(13日午前8時32分、宮城県石巻市で)=大久保忠司撮影

 

張り出された避難所の受け付け名簿で友人や家族を捜す人たち(13日午前8時39分、福島県川俣町の川俣小学校で)=冨田大介撮影

 

水没した街を歩く人たち(13日午前8時41分、宮城県石巻市で)=大久保忠司撮影

 

自衛隊のヘリで別の避難先へ運ばれる人たち(13日午前9時26分、仙台市の陸上自衛隊霞目駐屯地で)=中司雅信撮影

 

津波で消失したと思われるJR山田線の鉄橋。橋脚だけが残る(13日午前9時37分、岩手県大槌町で)=前田毅郎撮影

 

孤立した光ヶ丘保養園(13日午前9時40分、宮城県気仙沼で、読売機から)=上田尚紀撮影

 

崩壊した町役場を眺める男性。時計は、津波が押し寄せた時刻と思われる2時45分頃を指している(13日午前9時42分、岩手県大槌町で)=前田毅郎撮影

 

ライフラインが断絶され、電気も、薬もない病院で救助を待つ入院患者(13日午前10時5分、岩手県大槌町で)=鷹見安浩撮影

 

線路を歩く被災者ら(13日午前10時14分、岩手県釜石市で)=浦上太介撮影

 

県立大槌病院では、救助を待つ入院患者の搬送が始まった(13日午前10時15分、岩手県大槌町で)=鷹見安浩撮影

 

 

 がれきで埋まった自宅を片づける被災者(13日午後0時59分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

 

 被災地に向かう米原子力空母「ロナルド・レーガン」(13日午後1時5分、宮城県気仙沼沖東90キロで、読売機から)=清水健司撮影

 

 

 被災者に飲み物やお菓子を配るンビニエンスストアの店員(13日午後3時14分、宮城県石巻市で)=近藤誠撮影

 

 

 津波の情報で高台に避難する人たち(13日午後3時46分、岩手県陸前高田市で)=金沢修撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 14日

 

 

がれきで埋まった丘の斜面から、被災者らによって3日ぶりに救出されるお年寄り(14日午前9時14分、宮城県南三陸町で)=大野博昭撮影 

 

行方のわからない家族を捜す住民(14日午前9時36分、福島県相馬市で)=若杉和希撮影

 

がれきの中をバイクで移動する自衛隊員(14日午前10時34分、宮城県南三陸町で)=松本剛撮影

 

取り残されていた4か月の女の子を救出して笑顔を見せる自衛隊員(14日午前11時2分、宮城県石巻市で)=関口寛人撮影

 

漁船が沈み、油が浮いた漁港(14日午前11時9分、岩手県普代村で、読売ヘリから)=足立浩史撮影

 

がれきに立てかけられた、無事を知らせる看板(14日午後0時30分、宮城県女川町で)=近藤誠撮影

 

津波に流され、建物に接触したF2戦闘機(14日午後0時32分、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地で)=代表撮影

 

全壊した町を歩きながら、途中で涙を流す男性(左)(14日午後1時6分、宮城県女川町で)=近藤誠撮影

 

津波で車がつっこんだ住宅前で行方不明者を捜す救助隊員ら(14日午後2時6分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

懐中電灯の明かりで照らし、炊き出しの準備をする地元農家の女性たち(14日午後6時1分、千葉県旭市の海上公民館で)=鷲巣真大撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月15日

 

 

 

救助犬とともに捜索するアメリカの救助隊(左手前は自宅のあった場所から荷物を探す被災者)(15日午前9時33分、大船渡市で)=源幸正倫撮影

 

決壊した越喜来地区の堤防(15日午後2時16分、岩手県大船渡市で)=源幸正倫撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16日

雪の降り積もる中、ガソリンを求めて前夜から給油所の前に並ぶ車の列(16日午前6時19分、岩手県一関市で)=大野博昭撮影

 

一面雪に覆われた南三陸町の被災地(16日午前、宮城県南三陸町で、読売機から)=清水健司撮影

 

雪が降り積もった被災地で、被災後初めて手にする新聞を食い入るように読む被災者たち(16日午前6時27分、岩手県大槌町で)=林陽一撮影

 

津波で8メートルの堤防が決壊し、壊滅的被害を受けた大船渡市越喜来地区で、流された自宅から自衛隊員と生活用品などを運び出す及川久(67)さん。チリ地震による津波を教訓に、1961年に海から離れた場所に自宅を建てたが、被害を受けた(16日午前8時4分、岩手県大船渡市で)=源幸正倫撮影

 

雪が積もった被災地を歩く女性(16日午前8時27分、宮城県南三陸町で)=松本剛撮影

 

避難所で被災者と救援物資を運ぶ米軍の兵士(16日午後10時21分、岩手県陸前高田市で)=川口正峰撮影

 

雪が降り続く被災地で捜索を行うレスキュー隊(16日午前11時1分、宮城県南三陸町で)=松本剛撮影

 

雪の降る中、行方不明者の捜索をする消防隊員ら(16日午前11時12分、宮城県南三陸町で)=大野博昭撮影

 

急激に冷え込み、降り出した雪の中、母親の顔にそっと手を伸ばす子ども(16日午後3時2分、宮城県気仙沼市で)=冨田大介撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17日

 

 

「給油できません」の看板があるにもかかわらず前夜から、ガソリンスタンドの前で一夜をすごした住民ら。数百台に及ぶ道路の両車線を埋めるドライバーにスタンド定員が説明していた(17日午前6時27分、岩手県一関市で)=大野博昭撮影

母親の遺体が埋まったままのがれきの前で涙を流す平塚さん(17日午前8時18分、宮城県女川町で)=関口寛人撮影

津波で流された小型飛行機が折り重なる仙台空港(17日午前11時59分、読売ヘリから)=中嶋基樹撮影

 

滑走路の一部が利用可能になった仙台空港(17日午後0時1分、読売ヘリから)=中嶋基樹撮影

 

 

津波で仙台空港の到着ロビーに流れ着いた乗用車(17日午後1時50分)=伊藤紘二撮影

 

いわき市内などの医療機関から東京都庁前に到着した患者ら(17日午後2時13分、東京・新宿区で)=小浜誓撮影

 

自衛隊によって設置されたお風呂に並ぶ避難者たち(17日午後3時13分、福島市内のあづま総合運動公園で)=横山就平撮影

 

被災地の現状。死者数などは17日22時現在。避難者数は17日18時現在

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18日

身を切るような寒さの中、わき水で洗濯をする女性(18日午前6時58分、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

ガソリンなどを購入するため、車の中でエンジンを切り、毛布にくるまって待つ人(18日午前7時32分、岩手県山田町で)=尾崎孝撮影

 

ポリタンクを手に、廃虚と化した市街地でガソリンを探し求めて歩く被災者。「生きていくためには仕方ない」と話す。ガソリンなどの燃料不足は深刻な問題だ(18日午前7時47分、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

復旧作業が続く東北自動車道を走るトラックなどの緊急車両(18日午前10時27分、宮城県仙台市で、読売機から)=米山要撮影

 

高熱と疲れでぐったりとし、毛布にくるまりながら避難所の救護所で診察を待つ女の子(18日午前10時51分、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

地震発生後初めて、暖かい豚汁の炊き出しをする避難所の人たち(18日午後1時7分、宮城県石巻市立湊小学校で)=高橋美帆撮影

 

地震から1週間。あの時を告げるサイレンが響く中、海に向かって黙とうする被災者ら(18日午後2時46分、岩手県山田町の船越地区で)=尾崎孝撮影

 

地震から1週間。あの時を告げるサイレンが響く中、海に向かって黙とうする住民(18日午後2時46分、岩手県山田町の船越地区で)=尾崎孝撮影

 

地震の発生時間に黙とうする被災者ら(18日午後2時46分、岩手県宮古市田老地区で)=枡田直也撮影

 

地震の発生時間に黙とうする被災者ら(18日午後2時46分、岩手県宮古市田老地区で)=枡田直也撮影

 

地震の発生時間に黙とうする自衛隊員ら(18日午後2時46分、岩手県宮古市田老地区で)=枡田直也撮影

 

地震発生から1週間を迎え、作業を中断して黙とうする中国の国際救援隊(18日午後2時46分、岩手県大船渡市で)=源幸正倫撮影

 

流された自宅近くで、地震が発生した時刻に合わせて黙とうする親子(18日午後2時46分、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

流された自宅近くで、地震が発生した時刻に合わせて黙とうする親子(18日午後2時46分、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

停電中のため、懐中電灯で手元を照らして就寝の準備をする人たち(18日午後6時20分、宮城県石巻市立湊小学校で)=高橋美帆撮影

東日本巨大地震の犠牲者を追悼するために集まった人々(18日午後7時35分、ニューヨークで)=小西太郎撮影

 

 

19日

 

 

建設が始まった仮設住宅(19日午前11時、岩手県陸前高田市の市立第一中学校で)=泉祥平撮影

 

朝から800人近くの避難者が訪れ、避難所のさいたまスーパーアリーナ(19日午前、さいたま市で)=吉岡毅撮影

東北高ナインを見送りに詰めかけた人たち(19日午後1時6分、宮城県仙台市で)=伊藤紘二撮影

 

 

20日

壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田市。地元消防団が捜索活動を行うと、次々と遺体が発見された。気仙川の河川敷には、収容のために行き来する消防団員の無数の足跡が延びていた(20日午前)=上甲鉄撮影

 

 

 

21日

大潮で海水が流れ込んだ道路(21日午後4時5分、宮城県石巻市で)=三浦邦彦撮影

 

倒壊した家屋から9日ぶりに救出され、搬送された病院で父親の明さん(手前)と対面する阿部任さん(21日午後1時すぎ、宮城県石巻市の石巻赤十字病院で)=代表撮影

 

阿部寿美さんと任さんが発見された現場(21日午前9時20分、宮城県石巻市で)=池谷美帆撮影

 

園児を乗せたまま、津波に流された送迎バス(21日午前11時5分、宮城県山元町のふじ幼稚園で)

 

東松島市が22日から予定している土葬のために進められる準備作業(21日午後2時26分、宮城県東松島市で)=森田昌孝撮影

 

たき火で暖を取る人たち(21日午後5時57分、岩手県大槌町で)=秋月正樹撮影

 

津波の浸水被害に遭った自宅で生活を続ける佐藤さん夫妻(21日午後6時43分、岩手県陸前高田市で)=野本裕人撮影

 

 

22日

津波で全壊した役場機能が移された仮設のプレハブで,初の会議を開く町職員(22日午前8時36分、宮城県南三陸町で)=大原一郎撮影

 

本人確認などの受け付けをする即応予備自衛官(22日午前9時、岩手県滝沢村で)=前田毅郎撮影

 

地震で亡くなった5人の園児を乗せた送迎バス。花が手向けられていた(22日午前9時27分、宮城県石巻市で)=三浦邦彦撮影

 

亡くなった5人の園児を乗せた送迎バスの前で手を合わせる女性(22日午前11時4分、宮城県石巻市で)=三浦邦彦撮影

 

倒壊した家屋で行方不明者を捜索する、オランダの民間ボランティアと災害救助犬(22日午前11時9分、岩手県大船渡市で)=泉祥平撮影

 

 

 

列を組んで東北道を北上、被災地を目指すタンクローリー(22日午前11時35分、福島県内で)=鈴木毅彦撮影

 

 

手書きで作られ、避難所などに貼り出された石巻日日新聞の3月12日紙面(宮城県石巻市で)=高橋美帆撮影

東日本巨大地震で被災しながらも、新聞発行を続ける石巻日日新聞の記者たち(22日午後、宮城県石巻市で)=高橋美帆撮影 

 

主な道路、空港、港湾、新幹線の状況(3月22日)

 

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津波に襲われた鵜住居地区防災センターの避難室には花束が供えられていた(23日午前11時45分、岩手県釜石市で)=泉祥平撮影

津波に襲われた鵜住居地区防災センター。2階避難室も津波に飲みこまれた(23日午前11時54分、岩手県釜石市で)=泉祥平撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本巨大地震の犠牲者の冥福を祈り、黙とうする京大の卒業生たち。京大では、卒業間近の4年生3人が死亡した(24日午前、京都市左京区で)=川崎公太撮影

 

被災した工場を再開、避難所に届けるため、地元の味として親しまれてきた「揚げかまぼこ」を箱詰めする従業員ら(24日午前、宮城県女川町の「高政」で)=永尾泰史撮影

東日本巨大地震から2週間、がれきの街で、スコップを手に立ちつくす女性(24日午後1時32分、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

東日本巨大地震から2週間、避難所のそばで行われた生協の移動販売に並んだたくさんの被災者ら。野菜や果物、お菓子などが販売され、順番待ちする被災者らには買い物前から笑顔が見られた(24日午後、岩手県陸前高田市で)=上甲鉄撮影

 

移動の足がないため、ヒッチハイクしながら遺体安置所を回る山崎由衣子(左)さんら(24日午後、岩手県大槌町で)=秋月正樹撮影

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船上から行方不明の乳児を捜索する住民たち(25日午前8時48分、岩手県釜石市平田の尾崎白浜で)

 

ミーティングに参加する全国から集まった救護班のリーダーたち(25日午後6時1分、宮城県石巻市の石巻赤十字病院で)=森田昌孝撮影

 

病院の廊下で寝る救護班員ら(25日午後9時12分、宮城県石巻市の石巻赤十字病院で)=森田昌孝撮影

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捜索活動前に黙とうする、津波の被害を受けた多賀城駐屯地を拠点とする第22普通科連隊の隊員たち(26日午前7時24分、宮城県七ヶ浜町で)=三浦邦彦撮影

行方不明者の捜索を行う、津波の被害を受けた多賀城駐屯地を拠点とする第22普通科連隊の隊員たち(26日午前8時16分、宮城県七ヶ浜町で)=三浦邦彦撮影

 

物流が遮断されている福島県南相馬市で食料などの救援物資が配布され、多くの人で行列が出来た(26日午後)=吉岡毅撮影

 

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過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区に設置された、「ここより下に家を建てるな」と刻まれた石碑。先人の教訓を守った集落は無事だった(27日午後、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影

全国から東北地方に集結した陸海空の部隊

 

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米軍ヘリのパイロットのそでにはトモダチ作戦のワッペン(29日、米軍三沢基地で)=松本剛撮影

 

岩手県宮古市の沖12キロの洋上で活動する米海軍の揚陸艦「トーテュガ」(奥)と上陸用舟艇(29日午後1時21分、読売機から)=貞末ヒトミ撮影

 

任務を終えたダイバーらを乗せ米海軍揚陸艦「トーテュガ」に戻った上陸用舟艇(29日午後、岩手県宮古沖で)=松本剛撮影

 

 

 

水没地域が広がる宮城県東松島市。手前は淀川、左奥は太平洋(29日午後4時27分、読売機から)=貞末ヒトミ撮影

 

米海軍揚陸艦「トーテュガ」に着艦し放射線量を調べられるヘリの乗員(29日午後5時45分、岩手県宮古沖で)=松本剛撮影

 

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東京都内の避難所で被災者を励まされる天皇、皇后両陛下(30日午後、東京・足立区の東京武道館で)=代表撮影

 

 

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漁港に流れ着いた船を利用して行方不明者の捜索をする漁民たち。動力部は壊れて動かないため、手こぎで進む(3月31日午前8時32分、岩手県釜石市で)=中嶋基樹撮影

 

店がなくても、自分にできることで役立ちたい。喫茶店マスターの山浦進市さんは、避難所わきのテントでコーヒーを提供する(31日午後、宮城県気仙沼市で)=高橋はるか撮影

 

仲間を捜したいと、廃校生活を続ける漁師らが、校舎の裏に手作りした風呂。沢の水を引き、ワカメを煮るための機械を改造して作られている(3月31日、岩手県釜石市で)=中嶋基樹撮影

 

避難所で三線の音に合わせて郷土の歌を披露する沖縄から来た自衛隊員たち(31日午後、宮城県南三陸町の県立志津川高校で)=浦上太介撮影

 

 

 

 

真っ白だった浄土ヶ浜の浜辺を埋め尽くしたがれきなどを一つ一つ拾い集まる宮古市立第2中の卒業生たち(1日午前、岩手県宮古市で)=伊藤大輔撮影

 

日米合同での不明者捜索が開始され、行方不明者を捜索するヘリが離着陸する米軍の艦船(1日午前10時13分、宮城県気仙沼市沖で、読売機から)=永尾泰史撮影

 

日米合同での不明者捜索が開始され、給油のため護衛艦「ひゅうが」に着艦する捜索ヘリ(1日午前10時29分、気仙沼沖で)=前田尚紀撮影

 

がれきの除去作業などを行うため、上陸した米海兵隊の隊員ら(4月1日午後、宮城県気仙沼大島で)=高橋はるか撮影

 

米軍の活動状況

 

旧海軍時代の格納庫の中に、津波で水没し汚れたままのF2戦闘機など28機の航空機が所狭しと並べられていた(1日午後、航空自衛隊松島基地で)=若杉和希撮影

 

津波で亡くなった夫の形見の大漁旗を見つけ、きれいに洗って自宅前に干す小松ツヤ子さん(1日午後、岩手県陸前高田市で)=小林武仁撮影

 

震災後の16日からほぼ毎日、気仙沼港近くの壊れた薬局の前の路上で、青空市を開いている八百屋「宮川商店」(1日午後、宮城県気仙沼市で)=高橋はるか撮影

 

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避難所の中に入れないため、駐車場で過ごす飼い犬(2日午前、福島市のあづま総合運動公園で)=多田貫司撮影

 

避難所となっている小学校を訪れ、被災した女性に声をかける菅首相(2日午前、岩手県陸前高田市で)=中嶋基樹撮影

 

発見された遺体を整列して見送るインドの国家災害対策隊の隊員たち。横では地元の住民が手を合わせていた(2日午後2時8分、宮城県女川町で)=竹田津敦史撮影

 

花見などの自粛相次ぐ。靖国神社では、宴会自粛を求める看板が立てかけられている(2日、東京・千代田区で)=武藤要撮影

 

津波で命を落とした父の遺志を継ぎ、被災後も営業を続ける石巻葬儀社の太田かおりさん(右)(2日午後、宮城県石巻市で)=前田尚紀撮影

 

岩手県普代村の太田名部漁港(手前)と、明治時代の津波を教訓に作られた、高さ15メートルの防潮堤が機能して被害を受けなかった太田名部地区(奥)(2日)

 

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津波の被害にあった自分の家を片づける子供とともに救援活動をする米海兵隊員(3日午前9時34分、気仙沼大島で)=中村光一撮影

がれきの中から行方不明の長女・佳苗さんの手がかりを探す母親の瀬尾裕美さん(3日午前、岩手県大船渡市で)=宮坂永史撮影

 

 

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雪が降る中、がれきの撤去作業をする自衛隊(4日午前、岩手県山田町で)=里見研撮影

 

被災地で活動するインドの国家災害対応部隊の隊員ら(4日午後2時25分、宮城県女川町で)=栗原怜里撮影

 

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壊れた住宅などの撤去の可否を赤、黄、緑の旗の色で所有者に表示してもらう「3色旗作戦」。津波にすべて流され、土台だけが残った自宅に男性が立てた赤い旗は、建物もがれきも撤去の意思を表示している(5日午前11時3分、宮城県亘理町で)=栗原怜里撮影

 

被害を受けた3セク鉄道とJRの主な路線

 

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支援活動が終了し、大島の住民と握手を交わす米海兵隊員たち(6日午前11時15分、宮城県気仙沼市の大島で)=前田尚紀撮影

 

福島県南相馬市の被災者が避難している集会所の出入り口で飼われいる犬の「さくら」ちゃん。「出入りするたび明るい気持ちになれる」と好評だ(6日午前、福島市で)=多田貫司撮影

大津波に襲われる前の釜石港。番屋や倉庫が並んでいる(2010年2月28日、岩手県釜石市で、読売機から)=中司雅信撮影

大津波に襲われた釜石港、多くの建物が流された(6日午後、岩手県釜石市で、読売機から)=永尾泰史撮影

 

避難所を訪問し、被災者と話される皇太子ご夫妻(6日午後3時18分、東京・調布市の味の素スタジアムで)=代表撮影

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津波で破壊された田老地区の防潮堤(7日午前、岩手県宮古市で)=里見研撮影

岩手県宮古市の田老地区では、大津波が長大な防潮堤を越えて集落に向かった(3月11日午後3時25分頃、海上自衛隊のP3C哨戒機から、海上自衛隊撮影)

 

三重県でパン店を営むフランス人男性(左)。トラックにオーブンを積んで避難所を訪れ、被災者に焼きたてのピザを振る舞っていた(7日、岩手県大船渡市で)=宮坂永史撮影

 

 

 

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大津波が襲う前の南三陸町(2010年2月28日、読売機から)=中司雅信撮影

大津波が襲った宮城県南三陸町。左手前に見える白い建物が公立志津川病院。ほとんどの建物が流されてしまっいる。河口にある水色の防潮水門も破損している(10日午前、読売機から)=永尾泰史撮影

 

 

がれきの中、行方不明者を捜す自衛隊員(10日午前、宮城県東松島市で)=冨田大介撮影

 

宮城県の塩害が深刻。津波の直撃を受け、水をすい上げることができなくなったポンプ施設(10日午後、宮城県岩沼市の相の釜排水機場で)=江沢岳史撮影

 

 

4月10日までの警察庁や各県のデータを元に読売新聞が作成。避難者数は県外からも含め各県内の避難所にいる人の数

 

 

 

 

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入浴や食事などのため大型客船「ふじ丸」に乗り込む被災者たち(11日午前11時53分、岩手県大船渡市で)=林陽一撮影

避難所に設置されたテント。左は従来の居住スペース(11日午後5時31分、岩手県大船渡市で)=林陽一撮影

 

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震度6弱を記録した余震で、後方の山から土砂などが流れ住宅3軒をのみ込んだ(12日午前4時55分、福島県いわき市田人町石住で)=佐藤雄一撮影

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避難先の旅館で新聞を開き、死亡が確認された人の一覧に目を通す(左から)有川正則さん、直樹さん、佑美さん。きょうも、行方不明の母と長女の名前はなかった(13日、福島県二本松市で)=宇那木健一撮影

復興を目指す気仙沼市の姿をドキュメンタリー映像に残そうと被災地の撮影を続けるアン・マクドナルドさん(右)(13日午後、宮城県気仙沼市で)=加藤学撮影
【記事】気仙沼の再起を記録に…カナダ女性が撮影続ける

 

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事故後初めて、福島第一原発の10キロ圏内での行方不明者捜索に向かう福島県警の捜査員ら(14日午前5時44分、福島市の福島署で)=清水敏明撮影

 

震災後、被災地の漁港で初めて水揚げされたマグロ(14日午前7時10分、宮城県塩釜市の塩釜漁港で)=川崎公太撮影

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 http://www.yomiuri.co.jp/feature/graph/201012wind/glist.htm?pageNum=0&ge=863&gr=3497

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津波の被害に遭う前の高田松原(2006年7月、読売機から)

 

 

 

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