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避難所で支給された昼食のカップめんを食べる及川ユキ子さん(左)と鈴木哲郎さん(右)。「みんなの親切さに感謝している。食べ物があり布団で寝れるだけでも天国」と話す=岩手県大船渡市で2011年4月1日午後0時、矢頭智剛撮影
自衛隊のがれきの撤去作業を前に、自宅やがれきをどうするかの意思を示すために色分けされた旗を選ぶ人=宮城県亘理町で2011年4月1日午後2時11分、三浦博之撮影
周囲がかれきの山の中で営業する「らくらくセルフ丸新」。津波はスタンドの屋根までおしよせ震災直後は壊滅状態だったが、前日に満タンにした地下のタンクは無事で、自家発電機により18日から仮営業を行っている=岩手県大船渡市で2011年4月1日午後3時59分、矢頭智剛撮影
2011年4月2日 強風が吹きつけ、がれきから大量の砂が舞う市内=岩手県陸前高田市で2011年4月2日午後2時12分、須賀川理撮影
避難所の学校校庭で体操する人たち。普段は体育館内でやっているが、この日は初めて外で体を動かした。暖かな日差しを受け、子どももお年寄りも、笑顔を見せていた=岩手県陸前高田市で2011年4月2日午後2時55分、岩下幸一郎撮影
2011年4月3日
集団避難の朝、携帯電話で自宅跡地の写真を撮る池田綾さん。車で約2時間の栗原市に移転するが、自動車3台すべてが流されたため、当分は町に戻れないという。「必ずまた戻ってきたい。次に見るときはがれきがなくなっていてほしい」と話した =宮城県南三陸町の志津川中学校で2011年4月3日午前9時43分、丸山博撮影
津波で流された建物跡で涙をこらえる女性と手を合わせる女の子=宮城県南三陸町で2011年4月3日午後4時7分、幾島健太郎撮影
津波で流されたSLの車両=宮城県南三陸町で2011年4月3日午後4時55分、幾島健太郎撮影
2011年4月4日
津波で壊滅的な被害を受けた閖上漁港を一望できる丘の上に作られた慰霊碑の前で涙ぐむ女性=宮城県名取市で2011年4月4日午前11時56分、小林努撮影
津波の爪跡が残る中瀬地区=宮城県石巻市で2011年4月4日午後0時38分、三浦博之撮影
津波で流された自宅の近くでがれきの中から探し物をする女の子。「全部流されてしまいました、せめて思い出の写真だけは見つけたい」と話した=宮城県南三陸町で2011年4月4日午後1時53分、幾島健太郎撮影
2011年4月5日
祖母佐藤秀子さんの自宅跡で、津波で泥をかぶりながらも咲き続けるクロッカスの花を見つめる熊谷美優ちゃん(右)と母淳子さん=宮城県南三陸町で2011年4月5日午後3時19分、森田剛史撮影
2011年04月6日
JR釜石駅へ向かう一番列車。車内から震災の爪あとを見る人の姿も見えた=岩手県釜石市で2011年4月6日午後5時53分、石井諭撮影
津波で破壊された女川町役場。行政機能復興にはまだ時間はかかる=2011年4月6日、高山祐撮影
山田中学校のグラウンドで着々と工事が進む仮設住宅=岩手県山田町で2011年4月6日午後3時15分、本社ヘリから長谷川直亮撮影
2011年4月7日
大槌川で自宅から見つけたものを洗う建設業を営む小国五郎さん(73)。自宅は津波で2階部分までがれきに埋まったが、少しずつ手作業で使えるものを見つけ、毎日川で洗っている。早朝から冷たい川に手をつけ、衣類や靴、茶碗などを洗った。小国さんは「仕事の大工道具を見つけ、待っているお客さんのために働きたい」と話した=岩手県大槌町で2011年4月7日午後1時46分、小川昌宏撮影
避難所の被災者に声を掛ける秋篠宮ご夫妻=東京都江東区の東京国際展示場で2011年4月7日午後4時46分、(代表撮影)
ひっくり返った乗用車には家族からのメッセージが張られていた。子供が描いた似顔絵には「パパへ早く帰ってきてね」と書かれていた=宮城県気仙沼市で2011年4月8日午前9時13分、佐々木順一撮影
ひっくり返った乗用車には家族からのメッセージが張られていた。生きていてほしい、早く会いたいという家族の強い願いがにじむ=宮城県気仙沼市で2011年4月8日午前9時20分、佐々木順一撮影
ひっくり返った乗用車には家族からのメッセージが張られていた。子供が描いた似顔絵には「パパへ早く帰ってきてね」と書かれていた=宮城県気仙沼市で2011年4月8日午前9時27分、佐々木順一撮影
ひっくり返った乗用車には家族からのメッセージが張られていた。生きていてほしい、早く会いたいという家族の強い願いがにじむ=宮城県気仙沼市で2011年4月8日午前9時31分、佐々木順一撮影
震度6強の余震から一夜明け、ガラスが割れた建物の下を自転車で行き交う人たち=仙台市宮城野区で2011年4月8日午前9時36分、森田剛史撮影
地震で地盤が沈下し、段差ができた橋=岩手県奥州市水沢区の小谷木橋で2011年4月8日午前9時47分、湯浅聖一撮影
震度6強の余震でコンクリートの柱が崩落した建物=仙台市宮城野区で2011年4月8日午前11時32分、森田剛史撮影
支援物資を袋にいっぱい詰め込んで持ち帰る長洞奈央さん(8)=手前左=と臼沢咲音さん(9)=同右=。靴下やお菓子、おもちゃなどをもらった。2人は「文房具もあった」と袋もおもそうに抱えながら笑った=岩手県大槌町で2011年4月8日午前11時52分、小川昌宏撮影
福島県双葉町の町民が避難している旧騎西高校を訪れ、声をかける天皇、皇后両陛下=8日午後4時6分、埼玉県加須市(代表撮影)
自衛隊のがれき撤去作業を見つめる沢舘キワさん(59)。周辺に住んでいた兄夫婦と姪が見つかっていない。7日からようやく重機でがれきを撤去しながらの捜索が始まったが、この日も手がかりは見つからなかった。沢舘さんは「何日かかるか分からないと言われた。でも見つかるものなら見つけてあげた」と話し、うつむきながら避難所に戻っていった=岩手県大槌町で2011年4月8日午後4時26分、小川昌宏撮影
2011年4月9日
起床後、お茶やコーヒーを飲む人たち。震災発生直後は、1日1個の乾パンを2人で分けた。自衛隊の救援物資が届き、お茶を楽しむ余裕ができたという=宮城県気仙沼大島の避難所で2011年4月9日午前6時53分、丸山博撮影
小雨が降る中、朝食の炊き出しに並ぶ被災者たち。校庭の片隅では、8日までの陽気で一気にほころんだ梅が雨にぬれていた=岩手県大槌町で2011年4月9日午前6時57分、小川昌宏撮影
朝食の炊き出しに並びながら、傘をさしてじゃれ合う双子の小国優菜ちゃん(5)=右=と優花ちゃん(5)。支援物資でもらった子供用の傘を持てるだけで楽しい。「遊びに行こう」と父敬さん(42)の袖を引っ張っていた=岩手県大槌町で2011年4月9日午前7時1分、小川昌宏撮影
ブルーシートの下で朝食をとる志田正行さん(66)=中央=、妻節子さん(63)=右=、小国真美子さん(44)。志田さんたちは発生初日から車中泊を続ける。早朝から雨が振ったこの日は、干していた洗濯物にはゴミ袋をかぶせ、シートや傘を広げて車外にも雨宿りできる場所を作った。志田さんは「雨で何もできない。(町外の)温泉にでも行こうかな」と話した=岩手県大槌町で2011年4月9日午前7時20分、小川昌宏撮影
釜石市が無料配布するランドセルを選ぶ新1年生ら。「子どもたちの気持ちが少しでも明るくなれば」と9色用意した。川村咲愛さん(中央)は自宅が津波の被害にあい、すでに準備していた水色のランドセルも流された。同じ色を選び、姉(左)に披露した。「小学校ではたくさんの友達と遊びたい」と笑顔を見せた=岩手県釜石市で2011年4月9日午前8時45分、小松雄介撮影
震災発生から1カ月近く経っても放置された船。津波後の海上火災で、船も木々も焼き尽くされた=宮城県気仙沼市で2011年4月9日午後0時8分、丸山博撮影
来日のきっかけを作ってくれた日本人の母ら親類6人が津波に流された。がれきから家族の痕跡を門間鳴子さん(60)は左手の自由が利かない。右手で持つ棒に頼るが、「まだ何も見つけられない」=宮城県女川町で2011年4月8日午後3時4分、津村豊和撮影
2011年4月10日
「さよならわが家」とスプレーで書かれた家屋=岩手県陸前高田市気仙町で2011年4月10日午前10時45分、石井諭撮影
行方不明だった阿部うた子さんが土葬されていたことが判明し、仮埋葬地の前で涙を流すひ孫の女の子=宮城県石巻市で2011年4月10日午前10時56分、梅村直承撮影
行方不明だった阿部うた子さんが土葬されていたことが判明し、仮埋葬地の前で涙を流し抱き合う孫(右)とひ孫(中央)の親子=宮城県石巻市で2011年4月10日午前10時58分、梅村直承撮影
福島県いわき市の久之浜港に漂うごみと漁船=2011年4月10日午前11時15分、本社ヘリから撮影
地震と津波によって壊滅状態となった福島県いわき市平薄磯=2011年4月10日午前11時半、本社ヘリから撮影
津波に流され、土台だけとなった南三陸町の実家で、残されたものを探す長江美江さん(29)と娘の杏珠さん(6)。祖母と叔母が行方不明だという美江さんは「遺体はもう見つからないかもしれない。せめて思い出の写真だけでもと思うけど、1枚も出てこない」とつぶやいた。美江さんの父は遠洋マグロ漁船の船乗りで、昨年10月から出漁中。戻るのは秋の予定で、街の惨状をまだ見ていないという=宮城県南三陸町で2011年4月10日午前11時31分、手塚耕一郎撮影
がれきの中で再建した十字架の前で「復興礼拝」を行う人たち=仙台市宮城野区蒲生地区で2011年4月10日午後0時10分、丸山博撮影
土葬されている母と弟に手を合わせる(左から)斉藤知文さん、佑星君、あかりちゃん、るみ子さん=宮城県石巻市で2011年4月10日午後1時4分、梅村直承撮影
地震発生から約1か月が経過したものの、いまだに行方不明者の捜索にあたる警視庁の捜査員=岩手県陸前高田市小友町で2011年4月10日午後1時15分、石井諭撮影
震災から1カ月がたつ今も被災地のがれきの中で娘の手がかりを探す武田俊仙さん(右)と妻の幸子さん。俊仙さんは「見つかんねえなあ」と大きくため息をついた=岩手県宮古市で2011年4月10日午後1時17分、和田大典撮影
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http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110411/index.html
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2011年4月11日
地震の影響で地面が沈下した舞浜駅前のバス停=千葉県浦安市2011年4月11日午前7時21分、三浦博之撮影
地震で地盤沈下しタイルがはがれた上を歩いていく通勤客ら=千葉県浦安市2011年4月11日午前7時40分、三浦博之撮影
再開するはずだった水揚げやせりが延期となり、静まりかえる宮古市魚市場=岩手県宮古市で2011年4月11日午前7時43分、望月亮一撮影
妻を亡くした男性(中央)。娘も孫も涙ぐんでいた。「まだ悲しみが強いから」とその場を去った=宮城県東松島市で2011年4月11日午前8時8分、梅村直承撮影
いまだに水が残る津波の被災地で行方不明者の捜索をする自衛隊員=宮城県名取市で2011年4月11日午前8時24分、手塚耕一郎撮影
仮埋葬地で4カ所の墓標に手を合わせた女性。「多すぎる人が亡くなった」とつぶやいた=宮城県東松島市で2011年4月11日午前8時29分、梅村直承撮影
避難所となっている小学校で遊ぶ子どもたち。=岩手県宮古市で2011年4月11日午前8時40分、望月亮一撮影
地震で避難してきた多数の高齢者が津波に飲み込まれた野蒜小学校の屋内運動場。遺体を安置したマットの上には菊の花が置かれていた=東松島市で2011年4月11日午前8時47分、津村豊和撮影
がれきの撤去作業=岩手県大船渡市で2011年4月11日午前9時10分、兵藤公治撮影
入園式の看板の前で笑顔の矢本中央幼稚園の新入生と両親=宮城県東松島市で2011年4月11日午前9時16分、梅村直承撮影
がれきの中に立てた看板に「がんばろう!石巻」と書く佐藤光敏さん(右から2人目)ら=宮城県石巻市で2011年4月11日午前9時40分、森田剛史撮影
でこぼこになって波打つ道路を走る車=千葉県浦安市で2011年4月11日午前10時2分、三浦博之撮影
国内線運行再開を13日に控える仙台空港。周辺には津波の生々しい傷跡が残る=宮城県名取市で2011年4月11日午前10時2分、手塚耕一郎撮影
海上に流出したがれきの間をボートで捜索する海上自衛隊員=岩手県陸前高田市小友町で2011年4月11日午前10時36分、石井諭撮影
自宅で位はいを探す松田俊夫さん(左)と妻・扶貴子さん=岩手県大船渡市で2011年4月11日午前10時49分、兵藤公治撮影
がれきの撤去作業=岩手県大船渡市で2011年4月11日午前10時55分、兵藤公治撮影
矢本中央幼稚園の入園式には行方不明の新入生の写真を手に参加する保護者の姿もあった=宮城県東松島市で2011年4月11日午前10時59分、梅村直承撮影
宮城県災害対策本部会議の冒頭で黙とうする村井嘉浩知事(左から3人目)ら=宮城県庁で2011年4月11日午前10時、高山祐撮影
震災発生から1カ月となり、犠牲者の冥福を祈って黙とうする職員たち=仙台市青葉区宮城県庁の県災害対策本部で2011年4月11日午前10時、丸山博撮影
電線の設置作業をする作業員。この日も被災地には復興へのつち音が響いていた=岩手県大槌町で2011年4月11日午前10時2分、小川昌宏撮影
国内線運行再開を13日に控える仙台空港の1階入り口。津波の生々しい傷跡が残る=宮城県名取市で2011年4月11日午前10時5分、手塚耕一郎撮影
犠牲者の遺骨を納骨する遺族ら。津波は寺を破壊し、墓の一部も被害を受けた。遺族の一人は「1カ月たってようやく納骨することができた。まだ身内に行方不明者がいるが、少し心のけじめをつけることができた」と話した=岩手県釜石市で2011年4月11日午前11時30分、小松雄介撮影
避難所の小学校でボランティアによる炊き出しでふるまわれたラーメンを運ぶ子どもたち=岩手県宮古市で2011年4月11日午前11時47分、和田大典撮影
火災にも見舞われた江岸寺に向かってお経を唱える僧侶たち。「自分たちにはこれしかできない」と話した=岩手県大槌町で2011年4月11日午前11時53分、小川昌宏撮影
自宅の焼け跡に入り、行方不明の母を探す女性=岩手県大槌町で2011年4月11日午前11時50分、小川昌宏撮影
焼け野原になった町中心部を見下ろす高台の墓地で、犠牲者を悼んで手を合わせる遺族たち=岩手県大槌町で2011年4月11日午後0時50分、小川昌宏撮影
行方不明となった父母の自宅跡に手作りの祭壇を作り手を合わせ泣きじゃくる女性(右)。祖母を失った姪が見守っていた=宮城県石巻市で2011年4月11日午後0時13分、梅村直承撮影
行方不明となった父親の隆芳さんの車を発見し内部をしらべる高校1年生の佐々木奏太さん=宮城県石巻市で2011年4月11日午後0時45分、梅村直承撮影
被災した家屋などには解体を承諾する張り紙があった=福島県いわき市で2011年4月11日午後0時47分、西本勝撮影
被災したスーパーの掃除をするボランティア=福島県いわき市で2011年4月11日午後0時47分、西本勝撮影
津波と火災で被災した旅館から使える食器などを運び出す高木信勝さん(右)。明治時代から続く旅館だった=福島県いわき市で2011年4月11日午後1時1分、西本勝撮影
未だに冠水したままの道路を通る人=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後1時8分、佐々木順一撮影
小雨の降る中、傘をさして焼け跡に立つ被災者=岩手県大槌町で2011年4月11日午後1時15分、小川昌宏撮影
初めての月命日を迎え、路傍には新しい花と寿司などがたむけられていた=岩手県大槌町で2011年4月11日午後1時19分、小川昌宏撮影
地震発生から1カ月。警察や自衛隊による捜索活動は未だ続いている=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後1時21分、佐々木順一撮影
被災したスーパーの掃除をする人たち=福島県いわき市で2011年4月11日午後1時27分、西本勝撮影
取り壊される自宅を見つめる後藤春菜さん(13)。「すべてを失った友達もいる。思い出の写真を見つけただけでも良かった」と語った=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後1時29分、佐々木順一撮影
津波で流された大型船からがれきの海と化した街を見つめる人たち=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後1時37分、佐々木順一撮影
津波に襲われた閖上地区を見渡せる日和山で、お経を上げる福島と秋田から訪れた僧侶ら=宮城県名取市で2011年4月11日午後1時39分、手塚耕一郎撮影 2011年4月11日午後1時42分、手塚耕一郎撮影
福島第1原発に通じる道路に置かれた畳に書かれた原子力発電に反対するメッセージ=福島県いわき市で2011年4月11日午後1時40分、西本勝撮影
大川小学校内部の泥を撤去する自衛隊員=宮城県石巻市で2011年4月11日午後1時48分、梅村直承撮影
避難所で開かれたピアノとソプラノによるコンサートで「千の風になって」が歌われ、涙をふく避難所の女性=宮城県山元町で2011年4月11日午後1時51分、津村豊和撮影
震災後初めて水揚げが再開。新鮮な魚と一緒に水揚げされる津波によるがれき=岩手県宮古市で2011年4月11日午後1時52分、望月亮一撮影
地震発生から1ヶ月。警察や自衛隊による捜索活動は未だ続いている=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後1時53分、佐々木順一撮影
避難所で本を読む沢口コヨさん。「津波で家を流された。つらいけど、少しでも前を向きたい」と話した=岩手県釜石市の県立釜石高校避難所で2011年4月11日午後2時8分、小松雄介撮
お経を読み上げながら、津波に襲われた閖上地区を歩く福島と秋田から訪れた僧侶ら=宮城県名取市で2011年4月11日午後2時1分、手塚耕一郎撮 2011年4月11日午後2時20分、手塚耕一郎撮影
供える花束を手に変わり果てた教室を身動きせずに見つめる大川小学校の児童の保護者=宮城県石巻市で2011年4月11日午後2時12分、梅村直承撮影
供える花束を手に変わり果てた教室を身動きせずに見つめる大川小学校の児童の保護者=宮城県石巻市で2011年4月11日午後2時12分、梅村直承撮影
捜索活動中の自衛隊員が見つけたのは孫が空手大会で受賞したメダル。後藤タカ子さん(70)は受賞するたびに報告してくれた孫の笑顔を思い出し、「いいものが見つかった。孫のものは特別だから」と目を細めた=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後2時29分、佐々木順一撮影
津波に襲われた閖上地区を見渡せる日和山で、手を合わせる女性=宮城県名取市で2011年4月11日午後2時31分、手塚耕一郎撮影 2011年4月11日午後2時31分、手塚耕一郎撮影
地震発生の時刻に合わせ、自宅の焼け跡に向かって黙とうをささげる男性(右)ら家族。母親が行方不明のままという。「形見になるものだけでも見つかれば」と話した=岩手県大槌町で2011年4月11日午後2時46分、小川昌宏撮影
家族とともに黙とうする小野壱晴くん(10)。がれきの海と化した鹿折地区には大型船まで流されてきた。自宅は約300メートル流され、2階部分だけが残る。大切にしていた写真やおもちゃを見つけたが、この現状に「何も言えない」とつぶやいた。この日初めて自宅を見つけ「家が見つかっただけでもうれしい。いつかここに戻ってきてサッカーがしたい」と話した=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後2時46分、佐々木順一撮影
津波で亡くなった人たちの冥福を祈り、がれきの中で手を合わせる子どもたち=岩手県宮古市で2011年4月11日午後2時46分、望月亮一撮影
2時46分に合わせて大川小学校を訪れ、献花する行方不明や犠牲となった児童の保護者=宮城県石巻市で2011年4月11日午後2時46分、梅村直承撮影
両親と息子を亡くし「助けてあげられなくてごめんね」と繰り返し祈る菅原良枝さん(43)=岩手県陸前高田市で2011年4月11日午後2時46分、兵藤公治撮影
戸羽市長らは市役所の仮庁舎前で黙とうした=岩手県陸前高田市で11日午後2時46分、長野宏美撮影
2時46分に合わせて跡形もなくなった家屋の前で黙とうを捧げる人=宮城県石巻市で2011年4月11日午後2時46分、梅村直承撮影
犠牲者の冥福を祈って黙とうする人たち=宮城県南三陸町の避難所で2011年4月11日午後2時46分、丸山博撮影 2011年4月11日午後2時47分、丸山博撮影
焼け跡の中に立ち、地震発生の時刻に合わせて、手を合わせる女性=岩手県大槌町で2011年4月11日午後2時46分、小川昌宏撮影
方不明者の捜索の手を休め地震の発生時刻に黙とうする自衛隊員=福島県いわき市で2011年4月11日午後2時46分、西本勝撮影 2011年4月11日午後2時46分、西本勝撮影
東日本大震災発生時刻の午後2時46分に合わせて黙とうした後、涙ぐむ浜田マサさん。兄2人と弟夫婦が行方不明のままだという。「この1カ月はつらくて悲しくて、本当に長かった」と話した=岩手県釜石市の県立釜石高校避難所で2011年4月11日午後2時47分、小松雄介撮影
東日本大震災の発生時刻に合わせて避難所を訪れ、「がんばろう岩手宣言」を読み上げる達増拓也・岩手県知事知事=岩手県釜石市の県立釜石高校避難所で2011年4月11日午後2時50分、小松雄介撮影
友人ががれきに書かいたメッセージ「大樹君やすらかにねむってください」=岩手県陸前高田市で2011年4月11日午後2時51分、兵藤公治撮影
建物の中から3月11日朝に智子さんが寛さんに渡した弁当箱が見つかった=岩手県陸前高田市で2011年4月11日午後3時0分、佐藤敬一撮
全壊した自宅に残された写真の数々。家族の思い出がつまっていた=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後3時1分、佐々木順一撮影
津波で全壊した自宅前で写真を見る後藤春菜さん(13)。地震発生から1ヶ月を迎えた日に自宅は取り壊されることになった。「写真があるだけでも良かった」と語り、父親と子どもの時の思い出を振り返るとマスクの奥から笑みがこぼれた=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後3時1分、佐々木順一撮影
震災後初めて水揚げとせりが再開。新鮮な魚と仲買人らのかけ声で活気が戻った宮古市魚市場=岩手県宮古市で2011年4月11日午後3時14分、望月亮一撮影
12日から始まる重機を使ったがれきの撤去作業を前に、思い出の品などを捜す人たち。避難先のさいたま市から来た鈴木いさ子さん(左から2人目)は14年間勤めた記念に買い、娘に譲ろうと決めていたネックレスや指輪を探したが、見つけることはできなかった=福島県いわき市で2011年4月11日午後3時14分、西本勝撮影 2011年4月11日午後3時22分、西本勝撮影
倒壊した家屋などから必要な物を探しにきた女性たち。地域の祭りなどで使う天狗の面と鈴が見つかってよかったと話した=福島県いわき市で2011年4月11日午後4時23分、西本勝撮影
小学校が再開するため、避難所となっている教室から荷物を持って引っ越しをする被災者=岩手県宮古市で2011年4月11日、望月亮一撮影
倒壊した家屋などから必要な物を探しにきた女性たち。地域の祭りなどで使う天狗の面と鈴が見つかってよかったと話した=福島県いわき市で2011年4月11日午後4時28分、西本勝撮影
家族で仮土葬場を訪れた女性は兄の同級生の墓標に手を合わせた=宮城県女川町で2011年4月11日午後5時3分、梅村直承撮影
家族で仮土葬場を訪れた男性(右)は同級生の墓標に手を乗せ「じゃあな」と話しかけた=宮城県女川町で2011年4月11日午後5時4分、梅村直承撮影
女川町の仮土葬場に立ち並ぶ墓標。供えられた花が雨に濡れていた=宮城県女川町で2011年4月11日午後5時8分、梅村直承撮影
津波注意報が発令され、内陸に逃げる車の列=宮城県南三陸町で2011年4月11日午後5時43分、丸山博撮影
犠牲者を悼んで、キャンドルに火をともし、手を合わせる女性=岩手県宮古市で2011年4月11日午後5時45分、望月亮一撮影
津波で骨組みだけになった建物の中に掲げられる希望へのメッセージ=岩手県陸前高田市で2011年4月11日午後5時46分、兵藤公治撮影
犠牲者を悼んで、ともされた鎮魂のキャンドル=岩手県宮古市で2011年4月11日午後5時57分、望月亮一撮影
気仙沼市の鹿折中学校の体育館には約300人が避難している。被災地では今もなお多くの人たちが避難所生活を余儀なくされている=宮城県気仙沼市で2011年4月11日午後6時41分、佐々木順一撮影
懐中電灯の明かりで1日の報告会をする人たち=宮城県南三陸町の避難所で2011年4月11日午後6時54分、丸山博撮影
2011年4月12日
人懐こいリュウは避難所のアイドルだ。駐輪場の片隅に住まいを移して早1か月。主人の他に被災者も代わる代わる散歩や食事の面倒をみている=岩手県陸前高田市の市立第一中避難所で2011年4月12日午前9時28分、石井諭撮影
2011年04月13日
運航が再開され、被災した仙台空港に着陸する民間航空機。後方の被災地にはいまだに倒壊家屋が残る=2011年4月13日午前8時ごろ、本社ヘリから
大震災後初めて、仙台空港で国内線の運行が再開し、羽田から到着した一番機から降りる乗客ら=宮城県名取市で2011年4月13日午前8時5分、手塚耕一郎撮影
避難所で阪神大震災でも被災した谷純子さん(54)=左手前=に優しく声をかけながらマッサージをする奥尻島の津波で両親を亡くした函館市の看護師・石山正子さん(55)=岩手県大船渡市で2011年4月13日、兵藤公治撮影
10キロほど離れた場所に表周したホタテ養殖の浮きを回収する鈴木章登さんの妻。「このままだと食っていけねえ。どうしたらいい」と鈴木さんはつぶやいた=宮城県気仙沼市で2011年4月13日午後2時12分、梅村直承撮影
自宅がれきの中から衣服を取り出す被災者。気仙沼の沿岸部は通行可能になりようやく自宅跡に訪れる人が多い=宮城県気仙沼市で2011年4月13日午後2時36分、梅村直承撮影
自宅の解体作業があり、自衛隊員の手を借りてたんすから着物を取り出す女性(右)。息子の結婚式の時に着けていた帯以外は廃棄した。津波で夫を亡くし親戚の家に身を寄せている。作業を見守りながら「家はなくなっても夫さえ生きていてくれれば…」とつぶやいた=岩手県山田町で2011年4月13日午後4時4分、和田大典撮影
避難所に向かう臨時バスを、地面に座り込んで待つ岡崎瑠慰さん(17)。祖母が行方不明のままで、自宅周辺で手がかりを探したが、「何も見つかなかった」と話した。釜石市では14日から私有地も含めたがれき撤去が始まるという=岩手県釜石市で2011年4月13日午後4時32分、小川昌宏撮影
2011年04月14日
釜石市内の道路の補修をする韓国のNGO「ベターワールド」のメンバー。11日から釜石に入り、依頼された作業を行う。先遣隊18人に加え次のチーム16人が15日に到着予定。他の町に比べ救援隊の数が少ないとの情報で釜石入りを決めた=岩手県釜石市で2011年4月14日午前10時43分、武市公孝撮影
被災した家屋から出された茶碗やタオルなどを選ぶ被災者たち。岩手県大船渡市に住む男性(28)が実家の跡地に並べた。住んでいた母は亡くなり、祖母は町外へ避難。来週から仕事で片付けられないため、男性は「もう自分だけ。こんなに必要ないので、使えるものは持っていってほしい」と話した=岩手県山田町で2011年4月14日午前10時43分、小川昌宏撮影
町職員だった夫が津波で行方不明になったままだと言う母親と娘は、町役場に花とお茶を手向けた=岩手県大槌町の町役場で2011年4月14日午後5時19分、小関勉撮影
2011年4月15日
約1カ月ぶりに営業が再開される東京ディズニーランドでミッキーに手を振る人たち=千葉県浦安市で2011年4月15日午前8時13分、三浦博之撮影
行方不明者捜索のためがれきを撤去する警察官=岩手県陸前高田市で2011年4月15日午前11時4分、武市公孝撮影
2011年4月16日
約1カ月遅れの卒業式を終え、卒業証書を手に笑顔を見せる湊第二小の児童たち=宮城県石巻市の湊中で2011年4月16日午前10時2分、手塚耕一郎撮影
東海地方などの日系ブラジル人ら約40人が避難所を訪れ、肉料理を振る舞った。土日で約1000食を避難者に届けるという。参加した岐阜県大垣市の田中ビクトル・タツオさん(39)は日本在住20年。「日本大好き、日本人愛してますという気持ちを言葉でなく行動で伝えたかった。つらい思いをしている人たちに楽しい1日を届けられたら」と話した=宮城県気仙沼市の市立鹿折中で2011年4月16日、森園道子撮影
2011年4月17日
自衛隊の給水車に両親と一緒に来た畠山心愛ちゃん。地震以来、外に出るときは食料と懐中電灯を入れたリックを背負っている=岩手県大船渡市で2011年4月17日午前9時16分、小関勉撮影
津波で流された自宅前で、石灯籠などを再建する渡辺市雄さん(右)。骨董品集めが趣味だった。避難所から自転車で往復2時間以上かけて毎日通っている。「ここには二度と住めないかも知れないけど、何かに没頭したいんです。楽しいですよ」と話した=仙台市宮城野区で2011年4月17日午後3時、丸山博撮影
2011年4月18日
避難所そばで家族5人分の洗濯をする女性。洗濯機もあるが、節水のため手洗いですすいでいる=宮城県女川町で2011年4月18日午前9時21分、森園道子撮影
50年前に苦労して建てた家が流された夫婦。「子どもに迷惑はかけられない。がんばろう」と話していた=岩手県釜石市唐丹町本郷で2011年4月18日午前11時59分、小関勉撮影
仙台市内で学校給食が再開し、間借りしている学校でパンと牛乳だけの昼食をとる将監小の児童ら=仙台市泉区の将監中央小で2011年4月18日午後0時21分、手塚耕一郎撮影
避難所となっている大槌町の小学校を訪れ、子供たちとともにサッカーボールを使ったゲームをする三浦知良選手=岩手県大槌町吉里吉里で2011年4月18日午後0時23分、安達一成撮影
冠水したままの地区で不明者の捜索を続ける大勢の自衛隊員。ある隊員は「近くの大川小でたくさんの子どもたちがまだ行方不明と聞いている。何とかして見つけてあげたい」と話した=宮城県石巻市で2011年4月18日午後1時46分、森園道子撮影
がれきの山に手を合わせる2人。佐賀から来たという僧侶(左)は「想像もできない被害で言葉がない。四十九日も近いので、犠牲者のためにただ冥福を祈った」と静かに話した=宮城県石巻市雄勝町雄勝で2011年4月18日午後2時57分、森園道子撮影
がれきの横を通学する高校生。被災地では日常生活が徐々に戻りつつある=岩手県釜石市で2011年4月19日午前7時54分、小関勉撮影
30軒近い民宿街が壊滅した宮戸島・月浜地区。がれきの中にぽつんとトイレが残っていた=宮城県東松島市で2011年4月19日、森園道子撮影
津波で全壊した自宅近くで思い出の品を捜す女性。「避難した公民館から津波で流されてね。でも私もお父さんも助かったし、けがも治ってきた。こないだ、5年前に病気で亡くなった娘の結婚式の写真が出てきたの。うれしかった。他に何か見つかるかと思って」。冷たい雨が降る荒れた景色の中で、赤い傘が揺れていた=宮城県東松島市で2011年4月19日午前9時47分、森園道子撮影
みぞれ交じりの雨が降る寒い日となった19日、神奈川県鎌倉市の本庄佐季子さん(39)=写真左=は友人や家族と共に、震災後初めて、岩手県大槌町の自宅があった場所を訪れた。冷たい雨と風に打たれながらの帰郷。「やっぱり、自分で見ないとふんぎりが付かないですよね……本当に何もなくなったんだ」。=岩手県大槌町栄町で2011年4月19日午後1時4分、安達一成撮影
津波で陸上に打ち上げられた定置網漁船がクレーンを使って回収された。この船は「第一根滝丸」で、重茂漁協の所属船。漁協では「ほとんど無傷で奇跡に近い。点検整備をして6月ごろには漁に出したい」と話していた=岩手県山田町で2011年4月19日午後3時25分、小関勉撮影
2011年04月20日
ドラム缶を半分に切って煙突を付けた自家製のふたつのかまど。避難所となっている大沢小では、震災の2日目に作って以来ずっと使われている。水と電気は復旧しているが、寒い日には暖を取ったり、みそ汁用のお湯を沸かしたりと未だ活躍している。火は交代で管理している=岩手県山田町の大沢小で2011年4月20日午前4時59分、小関勉撮影
震災の影響で使われていない線路のトンネルを歩く女性。市役所から自宅へ戻る途中といい、「峠を越えなくていいから、こっちのほうが早いんです」と話した=宮城県気仙沼市で2011年4月20日午後0時25分、久保玲撮影
2011年4月22日
三陸やまだ漁協の港では、組合員らが1日も早く漁業を再開させようと港内に散乱するがれきの撤去を始めている。カキやホタテの養殖が盛んで山田湾一帯には約4000台のいかだがあったが全滅し、漁船の大部分も流され、多数の組合員が亡くなったり行方不明のままだ。同漁協の上林実理事(61)は「我々は漁業しかできない。多くの人から応援をもらっている。その恩返しのためにも早く復活し、おいしい海の幸を全国に届けたい」と話した=岩手県山田町で2011年4月22日午前9時45分、後藤由耶撮影
2011年04月23日
根元から折れながらも花を満開に咲かせた桜の木。奥は1880年築の旧石巻ハリストス正教会教会堂。雨の中、一人の女性が写真を撮っていた。自宅跡地の整理をした帰りに寄ったという西野亜実さん(26)。「高校時代に好きだった人と来た思い出の地です。その人も行方不明です。ここも変わり果て、帰る場所を失ってしまいました」と話した=宮城県石巻市で2011年4月23日午後4時2分、丸山博撮影
2011年4月25日
避難所で子どもたちと話をする女性自衛官=岩手県大槌町で2011年4月25日午後1時10分、三浦博之撮影
米軍の女性兵士と交流する児童=宮城県石巻市の貞山小で2011年4月26日午前10時6分、小林努撮影
身元不明遺体の着衣など遺留品。体育館内は着衣に染み込んだ油のにおいが充満していた=宮城県登米市で2011年4月26日午後、丸山博撮影
津波は12.5メートルあった防波堤も乗り越え、破壊した=岩手県釜石市唐丹地区で2011年4月27日午後5時1分、三浦博之撮影
津波で被害を受けた市街地に向かって黙礼する天皇、皇后両陛下=宮城県南三陸町歌津で2011年4月27日午後1時8分、代表撮影
警戒区域の南相馬市小高地区で保護された犬=福島県南相馬市の相双保健福祉事務所で2011年4月28日午後4時半、須賀川理撮影
震災発生から49日となり、雨の中たくさんの花やお菓子などが供えられている大川小=宮城県石巻市の飯野川で2011年4月28日午前7時23分、梅田麻衣子撮影
飯野川第二小での合同供養式典を終え、大川小で献花する遺族=宮城県石巻市で2011年4月28日午後0時10分、梅田麻衣子撮影
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