March 11, 2011.
2011年3月11日
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地震の揺れが続くなか、書店で机の下に避難する男性=2011年3月11日午後2時50分、仙台市青葉区
地震で書店内部の天井が崩れる。=11日午後2時50分、仙台市青葉区(共同
大きな揺れが起こり、ベンチなどからグラウンドに非難した選手や関係者=横浜スタジアムで2011年3月11日午後2時53分、安田光高撮影
地震直後、路上に避難する人たち=仙台市青葉区で2011年3月11日午後3時7分、丸山博撮影
地震で出来た段差=仙台市青葉区で2011年3月11日午後3時8分、丸山博撮影
けがをして横たわる人たちを治療する消防隊員ら=東京・九段下で2011年3月11日午後3時5分撮影
地震後、仙台駅前に避難した人たち=2011年3月11日午後3時13分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
地震後、炎と煙を上げ燃えるマンション=仙台市内で2011年3月11日午後3時18分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
利根川河口をさかのぼる津波=2011年3月11日午後3時半すぎ
火災が発生し、黒煙を上げるビル=東京都江東区で2011年3月11日午後3時32分、本社ヘリから佐々木順一撮影
地震で外壁が崩れた建物も=東京都千代田区で2011年3月11日、米田堅持撮影
地震で落下したビルの壁=仙台市青葉区で2011年3月11日午後3時33分、丸山博撮影
倒壊したビール工場の施設。建物屋上には避難した大勢の従業員の姿があった=仙台市内で2011年3月11日午後3時36分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
地震で列車が駅の途中でストップし、係員の誘導で車両から脱出して避難する人たち=東京都立川市で2011年3月11日午後3時47分、小林努撮影
地震で携帯電話が通じず、電話ボックスにならぶ人たち=東京都千代田区で2011年3月11日、米田堅持撮影
津波が押し寄せ水位が上昇した浦河港=北海道浦河町で2011年3月11日午後3時50分頃、第一管区海上保安本部提供
防潮堤を越えて押し寄せた海水と散乱する魚箱=北海道根室市で2011年3月11日午後、根室市提
押し寄せる津波にのみ込まれる住宅=宮城県名取市で2011年3月11日午後3時55分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
押し寄せる津波にのみ込まれる住宅=宮城県名取市で2011年3月11日午後3時56分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
津波にのみ込まれる宮城県岩沼市の沿岸=2011年3月11日午後3時56分、手塚耕一郎撮影
津波にのみ込まれる車両や軽飛行機。手前は建物の屋上に避難した人たち=仙台空港で2011年3月11日午後3時59分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
仙台空港周辺で大津波に飲み込まれた多くの家屋。火災も発生している=午後4時ごろ、本社へりから手塚耕一郎撮影
仙台空港周辺の津波被害=2011年3月11日午後4時頃、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
津波にのみ込まれる仙台空港=2011年3月11日午後4時、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
津波にのみ込まれる車両や軽飛行機=仙台空港で2011年3月11日午後4時1分、手塚耕一郎撮影
大津波で流された多くの家屋=宮城県名取市で2011年3月11日午後4時8分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影
釧路港の岸壁を乗り越えた津波で水浸しになった道路=釧路市海運1で11年3月11日午後4時16分、山田泰雄撮影
新幹線の改札口の近くで座り込む乗客=JR東京駅で2011年3月11日午4時23分、梅村直承撮影
窓ガラスが割れたビルの下を通る人たち=東京都千代田区で2011年3月11日午後4時24分、森田剛史撮影
地面に亀裂ができた横浜市中区役所前=横浜市中区役所前で2011年3月11日午後4時30分、中島和哉撮影
火災が発生し、黒煙を上げる石油施設=千葉県市原市で2011年3月11日午後4時38分、本社ヘリから佐々木順一撮影
倒壊した立体駐車場スロープ=町田市小山ケ丘で2011年3月11日午後4時46分、喜浦遊撮影
地震で倒壊した民家のブロック塀=前橋市下大島町で2011年3月11日午後4時49分、奥山はるな撮影
津波の影響で大きく傾いた船=北海道広尾町の十勝港で2011年3月11日午後4時50分、三沢邦彦撮影
津波を受け、火災が発生している海岸沿いの住宅地=福島県相馬市で2011年3月11日午後5時22分、本社機から後藤由耶撮影
建物の上に打ち上げられた船=福島県相馬市で2011年3月11日午後5時25分、本社機から後藤由耶撮影
津波で海岸線一帯が水没し、火災が発生した住宅=福島県相馬市で2011年3月11日午後5時25分、本社機から貝塚太一撮影
津波で海岸線一帯が水没し、孤立する学校=宮城県山元町で2011年3月11日午後5時28分、本社機から貝塚太一撮影
津波で海岸線一帯が水没し、住宅などが燃え続ける現場=宮城県仙台市で2011年3月11日午後5時44分、本社機から貝塚太一撮影
津波で海岸線一帯が水没し、住宅などが燃え続ける現場=宮城県石巻市で2011年3月11日午後5時57分、本社機から貝塚太一撮影
火災が発生した住宅街=宮城県石巻市で2011年3月11日午後5時57分、本社機から後藤由耶撮影
停電したコンビニに並ぶ人たち=仙台市青葉区で2011年3月11日午後6時7分、丸山博撮影
激しく燃えるコンビナート=千葉県市原市で2011年3月11日午後6時9分、本社ヘリから馬場理沙撮影
停電した真っ暗な避難所に集まった人たち=仙台市青葉区で2011年3月11日午後6時12分、丸山博撮影
地震の影響で首都高速が通行止めになったことを知らせる電光掲示板=東京都中央区で2011年3月11日午後6時44分、西本勝撮影
仙台市立中野小学校方向を見つめる人たち。辺りは油のにおいが充満している。住民は「地獄だ」と話した=仙台市宮城野区で2011年3月11日午後9時56分、丸山博撮影
走って逃げる人たち=仙台市宮城野区で2011年3月11日午後9時57分、丸山博撮影
津波で建物の屋上に取り残された人たち。消防隊員が「また来る」と言い残して数時間たったというが、救助の手が回っていない=仙台市宮城野区で2011年3月11日午後9時58分、丸山博撮影
200〜300人が死亡したとの情報がある仙台市若林区荒浜地区(奥)の前で警戒する消防隊員。大津波警報が出ている中、大勢の人が家族の安否を確認するため同地区に入ろうとする。消防隊員が「津波が来ます。危険です」と大声で制止している=仙台市若林区で2011年3月11日午後11時半、丸山博撮影
200〜300人が死亡したとの情報がある仙台市若林区荒浜地区に向かう消防車=仙台市若林区で2011年3月11日午後11時48分、丸山博撮影
200〜300人が死亡したとの情報がある仙台市若林区荒浜地区に近い仙台市立七郷中学校に避難した人たち。体育館内は真っ暗で時々余震が襲う。家族の安否を気遣う人たちの泣き声が響いていた=仙台市若林区で2011年3月11日午後11時50分、丸山博撮影 |
2011年3月12日
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津波で道路脇に押し流された車=仙台市若林区で2011年3月12日午前0時1分、須藤唯哉撮影
余震で子どもを抱き締める母親=12日午前5時12分、仙台市の若林区役所(共同
津波で流された車=12日午前5時33分、福島県南相馬市(共同
大勢の犠牲者が出たと見られる荒浜地区(奥)への交通を規制する消防車両=仙台市若林区で2011年3月12日午前5時40分、丸山博撮影
津波で流され、散乱するがれきと破壊された家屋=12日午前5時55分、福島県南相馬市(共同
津波で被害を受けた集落=12日午前6時6分、福島県南相馬市(共同
地震で崩れ落ちたJR常磐線の橋脚=福島県双葉町で2011年3月12日午前6時12分、武市公孝撮影
津波で倒壊した家屋=相馬市原釜で、2011年3月12日午前6時15分、金寿英撮影
津波によるがれきで壊滅した水田をぼうぜんと眺める男性=12日午前6時25分、仙台市若林区(共同
自宅2階で助けを求める住民。1階は津波で破壊された=相馬市原釜で2011年3月12日午前6時29分、金寿英撮影
黒煙を上げる石油施設=宮城県多賀城市で2011年3月12日午前6時38分、本社ヘリから佐々木順一撮影
折れ曲がった信号機。後方左は宮城県多賀城市方向に上がる黒煙=12日午前6時46分、仙台市宮城野区(共同
津波で壊滅的な被害を受けた住宅街=宮城県宮城野区で2011年3月12日午前6時48分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で流され、土台だけが残った住宅地=宮城県宮城野区で2011年3月12日午前6時48分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波が押し寄せ倒壊した多くの家屋=福島県南相馬市で2011年3月12日午前6時53分、本社ヘリから馬場理沙撮影
津波で岸に乗り上げた船=宮城県宮城野区で2011年3月12日午前6時53分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で流された住宅=宮城県若林区で2011年3月12日午前6時57分、本社ヘリから佐々木順一撮影
孤立した地区で救助活動する人たち=宮城県若林区で2011年3月12日午前7時1分、本社ヘリから佐々木順一撮影
孤立した地区ではヘリによる救助活動が行われた=宮城県若林区で2011年3月12日午前7時1分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波にのまれ、冠水した住宅地=宮城県若林区で2011年3月12日午前7時3分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波被害を受けた地域で生存者を探す消防隊員ら=仙台市宮城野区で2011年3月12日午前7時5分、丸山博撮影
津波で住宅が流され、冠水した住宅地=仙台市若林区で2011年3月12日午前7時7分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で住宅が流され、冠水した住宅地=仙台市若林区で2011年3月12日午前7時8分、本社ヘリから佐々木順一撮影
救助を求める人たち=仙台市若林区で2011年3月12日午前7時9分、本社ヘリから佐々木順一撮影
自衛隊員に背負われながら避難する被災者ら=仙台市若林区荒井で2011年3月12日午前7時10分、須藤唯哉撮影
周囲が冠水し、孤立した場所に集まる馬=仙台市若林区で2011年3月12日午前7時12分、本社ヘリから佐々木順一撮影
孤立した地区ではヘリによる救助活動が続いている=仙台市若林区で2011年3月12日午前7時13分、本社ヘリから佐々木順一撮影
滅的被害を受けた蒲生地区から避難する親子。右の家屋は堤防を乗り越えて七北川側に押し流された。奥は太平洋=仙台市宮城野区で2011年3月12日午前7時13分、丸山博撮影
津波で冠水した住宅=宮城県名取市で2011年3月12日午前7時21分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で道路に打ち上げられた船=宮城県名取市で2011年3月12日午前7時23分、本社ヘリから佐々木順一撮影
一夜明けても煙を上げる住宅=宮城県名取市で2011年3月12日午前7時25分、本社ヘリから佐々木順一撮影
屋上で救助を待つ人たち=宮城県名取市で2011年3月12日午前7時31分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で流され、滑走路に集まった車=仙台空港で2011年3月12日午前7時40分、本社ヘリから佐々木順一撮影
数百人が一夜を明かした仙台市立中野小学校(左)。2階まで浸水し、避難者は全員屋上に逃げた。奥は津波で住宅街が壊滅した仙台市宮城野区蒲生地区。奥の松の木まで住宅街だった=2011年3月12日午前7時40分、丸山博撮影
路線バスが、津波で流され市街地で大破したまま放置されていた=岩手県釜石市の大渡町商店街で、2011年3月12日午前7時40分ごろ、鬼山親芳撮影
津波が押し寄せ、ひっくり返ったりぶつかり合ったりする漁船=茨城県日立市の茨城港日立港区で2011年3月12日午前7時43分、本社ヘリから馬場理沙撮影
炎を上げて燃える乗用車=茨城県日立市の日立港で2011年3月12日午前7時43分、本社ヘリから馬場理沙撮影
津波で住宅街が壊滅した仙台市宮城野区蒲生地区から避難する人たち。奥の松の木まで住宅街だった=2011年3月12日午前7時50分、丸山博撮影
地震による津波で土砂に埋もれた土地を見まわる人たち=福島県南相馬市原町区上渋佐で2011年3月12日午前7時50分、武市公孝撮影
津波が押し寄せ、散乱するコンテナ=茨城県大洗町の茨城港大洗港区で2011年3月12日午前7時54分、本社ヘリから馬場理沙撮影
津波と火災で街中が廃墟と化した中で、消火活動に当たる消防隊員ら=宮城県気仙沼市の鹿折地区で2011年3月12日午前8時7分、手塚耕一郎撮影
津波と火災で街の中が廃墟と化した宮城県気仙沼市の鹿折地区=2011年3月12日午前8時9分、手塚耕一郎撮影
津波と火災で街の中が廃墟と化した地区を歩く地元の人たち=宮城県気仙沼市の鹿折地区で2011年3月12日午前8時9分、手塚耕一郎撮影
津波と火災で焼け野原となった宮城県気仙沼市の鹿折地区=2011年3月12日午前8時16分、手塚耕一郎撮影
津波による犠牲者が出た高齢者福祉施設の「ヨッシーランド」=福島県南相馬市原町区上渋佐で2011年3月12日午前8時16分、武市公孝撮影
津波で冠水した函館朝市で片付けに追われる従業員ら=北海道函館市で2011年3月12日午前8時10分、小出洋平撮影
津波で冠水した函館朝市で片付けに追われる従業員ら=北海道函館市で2011年3月12日午前8時17分、小出洋平撮影
津波と火災で街の中が廃墟と化した中、立ち上る煙を見つめる消防関係者ら=宮城県気仙沼市の鹿折地区で2011年3月12日午前8時24分、手塚耕一郎撮影
数百人が一夜を明かした中野小学校から被災者を救助する消防ヘリ。右奥は津波で壊滅した蒲生地区。奥の松の木まで住宅街だった。左奥は火災の白煙=仙台市宮城野区で2011年3月12日午前8時25分、丸山博撮影
津波と火災で街中が廃墟と化した宮城県気仙沼市の鹿折地区=2011年3月12日午前8時32分、手塚耕一郎撮影
津波と火災で壊滅的な被害を受けた市街地=宮城県気仙沼市で2011年3月12日午前9時33分、本社機から貝塚太一撮影
ぐにゃりと折れ曲がったJR常磐線の車両=福島県新地町のJR新地駅で2011年3月12日午前10時15分ごろ、太田穣撮影
消防団によってボートで救出される航空大学校の職員ら=宮城県岩沼市で2011年3月12日午前、高橋宗男撮影
腰の高さまで浸水した荒浜地区の自宅を片付ける合間に玄関に立つ女性=仙台市若林区で2011年3月12日午後3時38分、津村豊和撮影
壊滅的な被害を受けた南三陸町。救助を待つ志津川町の学校の校庭にはSOSの文字があった=宮城県南三陸町2011年3月12日午後3時51分、陸上自衛隊ヘリから梅村直承撮影
東京電力福島第1原発の1号機(左)。爆発前は右の建屋と同じ外観だった=福島県大熊町で2011年3月12日午後3時55分、本社機から貝塚太一撮影
消火活動が続くコンビナート=千葉県市原市で2011年3月12日午後4時11分、本社ヘリから西本勝撮影
津波で大きな被害を受けた住宅地。打ち上げられた船が津波の大きさを物語っていた=宮城県東松島市で2011年3月12日午後4時19分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で流された自衛隊機=宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地で2011年3月12日午後4時23分、本社ヘリから佐々木順一撮影
はぐれないよう1本の消防ホースを握りながら避難する住民ら=仙台市若林区荒浜で2011年3月12日午後、竹内良和撮影
津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の市街地=岩手県同市で2011年3月12日午後4時47分、兵藤公治撮影
津波に飲み込まれ廃虚と化した気仙沼市南郷=宮城県気仙沼市南郷で、2011年3月12日午後5時52分、垂水友里香撮影
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2011年3月13日
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がれきの中を歩き、自宅を探す男性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前6時52分、兵藤公治撮影
津波で流された市街地を見て呆然とする男性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前6時54分、兵藤公治撮影
顔を覆いながら、がれきの山の中を歩く男性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前6時56分、小川昌宏撮影
津波が押し寄せ、無残な姿を見せる街を走る緊急車両=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前7時5分、小川昌宏撮影
余震が続く中、自宅の状況を確認する人たち=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前7時6分、兵藤公治撮影
津波で行方不明になった人たちを捜索する自衛隊員=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前7時8分、兵藤公治撮影
基礎部分が残り、建家だけ流された家屋=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前7時9分、兵藤公治撮影
飲み物を飲みながら被災地を歩く親子連れ=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前7時21分、石井諭撮影
被災地を歩く親子連れ=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前7時21分、石井諭撮影
病院の屋上から荷物を持ってヘリに乗り込む人たち=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前7時28分、三浦博之撮影
津波によって廃墟と化した南三陸町内=宮城県同町で2011年3月13日午前7時39分、三浦博之撮影
がれきの中を歩く被災者=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前7時50分、石井諭撮影
津波で根元から倒れた電柱=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前7時22分、兵藤公治撮影
津波にのまれた病院(奥中央右)を指し示す、病院の院長=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前7時51分、石井諭撮影
大きな荷物を抱え、避難所に向かう女性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前8時、小川昌宏撮影
緊急津波警報が出され高台に避難してきた人たち=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前8時11分、石井諭撮影
ペットボトルに井戸水を汲む被災者たち=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前8時4分、小川昌宏撮影
津波が押し寄せ、無残な姿となった街の前でぼうぜんと立ち尽くす男性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前8時24分、小川昌宏撮影
がれきの山の中から毛布を拾い上げる男性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前8時26分、小川昌宏撮影
ガソリンの入荷に見通しが立たず、一般客への給油を断念して緊急車両に限った給油を始めたガソリンスタンド=岩手県一関市で2011年3月13日午前8時27分、後藤由耶撮影
津波によって変わり果てた町を目の前に、フェンスに寄りかかる男性=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前8時43分、三浦博之撮影
津波の影響で壊滅的な被害を受けた市街地。志津川高校(左下)のグラウンドには「SOS」の文字が見える=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前8時47分、本社機から貝塚太一撮影
津波の影響で壊滅的な被害を受けた市街地=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前8時49分、本社機から貝塚太一撮影
橋脚が崩壊したJR気仙沼線=宮城県本吉町で2011年3月13日午前8時52分、本社機から貝塚太一撮影
津波で打ち上げられ、横転したイカ釣り漁船=青森県八戸市で2011年3月13日午前9時、共同
山の麓には津波で押し流され、行き場を失った家々が折り重なっていた=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前9時7分、本社機から貝塚太一撮影
津波で倒壊した家屋近くで活動する自衛隊員=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午前9時9分、本社機から貝塚太一撮影
断水が続く中、コンビニの店先で水の補給に並ぶ人たち=仙台市宮城野区で2011年3月13日午前9時14分、手塚耕一郎撮影
がれきの撤去作業をする人たち=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前9時12分、石井諭撮影
水没した寮に避難のために使用したゴムボートを再利用して防寒着や水、食料を取りに行く航空大学の生徒たち=仙台空港で2011年3月13日午前9時21分、梅村直承撮影
水没した寮に避難のために使用したゴムボートを再利用して防寒着や水、食料を取りに行く航空大学の生徒たち=仙台空港で2011年3月13日午前9時23分、梅村直承撮影
飛行機や車両が水没したままの仙台空港=仙台空港で2011年3月13日午前9時23分、梅村直承撮影
津波に押し流されて傾いたままの家屋=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前9時38分、三浦博之撮影
津波が襲った自宅アパートに戻る人たち。昨日は水が残っていてたどり着けなかったという=仙台市宮城野区で2011年3月13日午前9時41分、手塚耕一郎撮影
張り出された避難した人たちの名前から、知人らの名前を探す被災者=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月13日午前10時2分、小川昌宏撮影
ガソリンを買い求めて並ぶ車の列=仙台市青葉区で2011年3月13日午前10時13分、丸山博撮影
仕事の同僚と無事に再会し、抱き合って喜ぶ女性=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前10時5分、三浦博之撮影
避難所の近くで座り込む女性=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前10時13分、三浦博之撮影
大勢の被災者が身を寄せる市立第一中学校。周辺は卒業式用の紅白幕で覆われていた=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月13日午前10時34分、小川昌宏撮影
避難所の窓から町の方を見つめる女性=宮城県南三陸町で2011年3月13日午前11時10分、三浦博之撮影
休業店舗がほとんどの仙台市内で、スーパーが食料品などの店頭販売を開始し、行列を作る付近の住民ら=仙台市宮城野区で2011年3月13日午前11時11分、手塚耕一郎撮影
自衛隊のヘリで搬送される症状の重い被災者=仙台市若林区の陸上自衛隊霞目飛行場で2011年3月13日午前11時31分、梅村直承撮影
給油のためガソリンスタンド前には長い車列ができた=福島県須賀川市で2011年3月13日午前11時44分、尾籠章裕撮影
行列をつくり灯油を買い求める被災者=仙台市太白区で2011年3月13日午前、共同
新聞社前に掲示された新聞を食い入るように見詰める被災者=仙台市青葉区2011年3月13日午前、共同
地震による津波で大きな被害を受けた久慈港。防波堤には船が打ち上げられている=岩手県久慈市で2011年3月13日午後0時16分、木葉健二撮影
地震による津波で大きな被害を受けた久慈港=岩手県久慈市で2011年3月13日午後0時23分、木葉健二撮影
地震による津波で大きな被害を受けた久慈港=岩手県久慈市で2011年3月13日午後0時27分、木葉健二撮影
福島県南相馬市鹿島区でがれきが積み上がった津波被害の現場=2011年3月12日午後0時50分、太田誠一撮影
福島県南相馬市鹿島区で道路も寸断された津波の被害=2011年3月12日午後0時51分、太田誠一撮影
遺体安置所で警察関係者に行方不明者の特徴を伝える捜索者ら=福島県南相馬市の県立原町高校で12日午後1時ごろ、袴田貴行撮影
荷物を手に壊滅状態の街を歩く人たち=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後0時51分、本社ヘリから佐々木順一撮影
荷物を手に津波で破壊された道路を歩く人たち=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後0時53分、本社ヘリから佐々木順一撮影
高校のグラウンドに書かれたSOSの文字。海を望むと壊滅状態の街が広がる=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後0時58分、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時2分、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時3分、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時3分、本社ヘリから佐々木順一撮影
津波で流された志津川駅=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時6分、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時10分、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時12分、本社ヘリから佐々木順一撮影
南三陸町では津波で住宅などが流され、壊滅的被害を受けた=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後1時24分、本社ヘリから佐々木順一撮影
食料品が底をついたコンビニの店内。この店舗では地震発生当日から停電の中で営業を続けていたが、発生翌日には食料品が売り切れた。仙台市内の物流センターは津波の被害に遭い、商品の入荷がいつになるかは分からないという=仙台市宮城野区で2011年3月13日午後0時10分、手塚耕一郎撮影
ホームセンターの軒先に並べた物資を求める被災者たち。食料はほとんどなかった=宮城県名取市で2011年3月13日午後12時22分、梅村直承撮影
チリ地震の際の津波水位を示されていた。今回はその水位を遙かに上回る津波が町を飲み込んだ=宮城県同町で2011年3月13日午後0時時52分、三浦博之撮影
名取市役所に作られた無料の公衆電話で安否確認などをする被災者=宮城県名取市で2011年3月13日午後12時51分、梅村直承撮影
名取市役所に作られた無料の公衆電話で安否確認などをする被災者=宮城県名取市で2011年3月13日午後12時52分、梅村直承撮影
がれきの上でたたずむ女性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後0時54分、兵藤公治撮影
名取市役所に作られた被災者のメッセージボード。「心配しています」。「無事でいます」などのメッセージが書かれていた=宮城県名取市で2011年3月13日午後1時2分、梅村直承撮影
避難後初めて集落に戻り、被災状況を見て回る住民ら=宮城県東松島市野蒜地区で2011年3月13日午後1時21分、津村豊和撮影
JR東名駅は残った改札機で痕跡をうかがうことができる程度だ=宮城県東松島市野蒜地区で2011年3月13日午後1時17分、津村豊和撮影
津波で自動車が突っ込んだ病院=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後1時22分、兵藤公治撮影
がれきの中を歩いて自宅を探す女性。「2階建の大きな家だったんだ」とつぶやいた=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後1時36分、小川昌宏撮影
泣きながら肩を抱かれ遺体安置所に入る被災者=宮城県名取市で2011年3月13日午後1時47分、梅村直承撮影
津波で建物が流されてしまった市街地の中心部=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後1時47分、兵藤公治撮影
松原地区の避難場所となっていた市民体育館も津波の被害を受けた=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後1時53分、兵藤公治撮影
地震発生から黒煙を噴き出して燃え続けるコンビナート火災=宮城県多賀城市で2011年3月13日午後1時58分、手塚耕一郎撮影
地震発生当初、災害対策本部が置かれていた市民会館を捜索する消防団員ら=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後2時11分、兵藤公治撮影
断水が続く中、給水場所に行列する大勢の人たち=宮城県多賀城市の総合体育館で2011年3月13日午後2時25分、手塚耕一郎撮影
津波で家屋が流されてしまった市街地の中心部=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後2時28分、兵藤公治撮影
がれきの山の間の道を孫と一緒に歩く女性=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後2時40分、兵藤公治撮影
自宅のあった場所を訪れた男性。「くやしいなあ」と何度もつぶやいた=宮城県同町で2011年3月13日午後2時57分、三浦博之撮影
一帯が地盤沈下した可能性があり、一向に海水が引かない沿岸部。写真左下から中央に向かって走るのは仙台東部道路=宮城県亘理町で2011年3月13日午後3時3分、本社機から貝塚太一撮影
一帯が地盤沈下した可能性があり、一向に海水が引かない沿岸部=宮城県亘理町で2011年3月13日午後3時8分、本社機から貝塚太一撮影
上流のため池が決壊し、下流の民家が飲み込まれた=福島県須賀川市滝で2011年3月12日午後3時14分、蓬田正志撮影
東日本大震災の救援活動のため、成田空港に到着したスイス隊=共同
成田空港に到着し、仙台市に向かうバスを待つドイツ隊と救助犬=共同
火災が続く仙台塩釜港の石油コンビナート=同港で2011年3月13日午後3時18分、本社機から貝塚太一撮影
津波警報が発令され、高台から海の方を見る人たち=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後3時24分、三浦博之撮影
「津波が来る」との情報が地区に流れ、走って高台に避難する自衛隊員ら=宮城県東松島市野蒜地区で2011年3月13日午後3時36分、津村豊和撮影
行方不明者の捜索などをする警察関係者=福島県相馬市で2011年3月13日午後3時47分、本社ヘリから西本勝撮影
行方不明者の捜索などをする警察関係者=福島県相馬市で2011年3月13日午後3時45分、本社ヘリから西本勝撮影
突然の津波の警報に高台から状況を見守る人たち=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後3時52分、兵藤公治撮影
泥とがれきの荒野と化した荒浜地区で、捜索する消防団員ら=仙台市若林区荒浜で2011年3月13日午後、竹内良和撮影
東日本大震災の影響で大きく崩れた建物=福島県須賀川市で2011年3月13日午後3時48分、尾籠章裕撮影
津波で押し寄せられた漂着物。左は行方不明者の捜索をする警察関係者=福島県相馬市で2011年3月13日午後3時45分、本社ヘリから西本勝撮影
津波に飲み込まれた住宅地に立ちつくす男性(中央下)=福島県相馬市で2011年3月13日午後3時48分、本社ヘリから西本勝撮影
津波で打ち上げられた漁船=福島県相馬市で2011年3月13日午後3時50分、本社ヘリから西本勝撮影
がれきの上空を捜索する自衛隊ヘリ=宮城県南三陸町で2011年3月13日午後4時15分、本社機から貝塚太一撮影
津波が山の麓まで到達し、多くの行方不明者を出している南三陸町=宮城県同町で2011年3月13日午後4時17分、本社機から貝塚太一撮影
大津波で大きな被害を受け、地震発生から2日経っても火災の煙が立ち込める気仙沼市街地=宮城県気仙沼市で2011年3月13日午後4時20分、本社ヘリから野田武撮影
津波で家屋が流され、地面には土台のみが残されていた=福島県相馬市で2011年3月13日午後4時25分、本社ヘリから佐々木順一撮影
倒壊した家屋で捜索活動する人たち=福島県相馬市で2011年3月13日午後4時半、本社ヘリから佐々木順一撮影
大津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市中心部=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後4時32分、本社ヘリから野田武撮影
大津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市中心部=岩手県陸前高田市で2011年3月13日午後4時34分、本社ヘリから野田武撮影
夕暮れまで自宅の整理をし、避難所に戻る人たち=宮城県東松島市野蒜で2011年3月13日午後4時47分、丸山博撮影
夕暮れまで自宅の整理をし、避難所に戻る人たち=宮城県東松島市野蒜で2011年3月13日午後4時48分、丸山博撮影
横転した貨物列車の中から荷物を取り出す人たち=宮城県山元町で2011年3月13日午後5時、本社ヘリから佐々木順一撮影
県立大槌病院から負傷者を吊り上げる航空自衛隊のヘリ=岩手県大槌町市で2011年3月13日午後5時3分、本社ヘリから野田武撮影
今だに1000人以上の人が取り残されているという仙台空港=宮城県岩沼市で2011年3月13日午後5時51分、手塚耕一郎撮影
日本を支援しようと、赤、白のシャツ姿で集まった集会参加者たち=ベルリン市庁舎前広場で2011年3月13日、小谷守彦撮影
日本を支援しようと、赤、白のシャツ姿で集まった集会参加者たち=ベルリン市庁舎前広場で2011年3月13日、小谷守彦撮影
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2011年3月14日
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布団の上に新聞を広げ、じっと読み込む被災者たち=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月14日午前6時39分、小川昌宏撮影
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた南三陸町=宮城県で2011年3月14日午前7時1分、長谷川直亮撮影
被害の大きかった宮古市で懸命に生存者を探す自衛隊員ら=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時11分、木葉健二撮影
被害の大きかった宮古市で懸命に生存者を探す自衛隊員ら=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時11分、木葉健二撮影
被害の大きかった宮古市で懸命に生存者を探す自衛隊員ら=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時13分、木葉健二撮影
被害の大きかった宮古市で懸命に生存者を探す自衛隊員ら=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時15分、木葉健二撮影
被害の大きかった宮古市で懸命に生存者を探す自衛隊員ら=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時16分、木葉健二撮影
被害の大きかった宮古市で懸命に生存者を探す自衛隊員ら=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時18分、木葉健二撮影
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた南三陸町を歩く女性=宮城県で2011年3月14日午前7時38分、長谷川直亮撮
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた南三陸町でしゃがみ込む女性=宮城県で2011年3月14日午前7時47分、長谷川直亮撮影
東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた南三陸町=宮城県で2011年3月14日午前8時1分、長谷川直亮撮影
自宅のあった場所から100メートル離れた場所で所持品を探す女性=岩手県宮古市で2011年3月14日午前7時59分、和田大典撮影
津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町で、行方不明者の捜索に向かう自衛隊員ら=2011年3月14日午前8時21分、手塚耕一郎撮影
津波で倒れた電柱=岩手県宮古市で2011年3月14日午前8時23分、和田大典撮影
避難所で地震が起きた時の事を話し合う子供たち=宮城県:女川町で2011年3月14日午前7時29分、手塚耕一郎撮影
壊滅的な被害を受けた荒浜地区の東六郷小学校。避難した2階の教室では、情報を取ろうとしたラジオのアンテナが目一杯伸びていた=仙台市若林区で2011年3月14日午前8時27分、梅村直承撮影
壊滅的な被害を受けた荒浜地区の東六郷小学校の教室=仙台市若林区で2011年3月14日午前8時34分、梅村直承撮影
壊滅的な被害を受けた荒浜地区の東六郷小学校の図書館。卒業式用のくす玉が津波の衝撃で割れたのか、近くの黒板には「あと8日」と書かれていた=仙台市若林区で2011年3月14日午前8時36分、梅村直承撮影
津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。この写真を撮影した場所も、津波に襲われた痕跡が残る=2011年3月14日午前8時45分、手塚耕一郎撮影
津波の被害を受け残骸でうまった宮古市役所の1階出入口=岩手県宮古市で2011年3月14日午前8時41分、和田大典撮影
大津波で壊滅的な被害を受けた野田町で続く行方不明者の捜索活動=岩手県野田町で2011年3月14日午前8時50分、本社ヘリから野田武撮影
川を逆流した津波で壊滅的な被害が出た野田町=岩手県野田町で2011年3月14日午前8時50分、本社ヘリから野田武撮影
大津波で壊滅的な被害を受けた野田町で続く行方不明者の捜索活動=岩手県野田町で2011年3月14日午前8時51分、本社ヘリから野田武撮影
大津波で壊滅的な被害を受けた野田町中心部=岩手県野田町で2011年3月14日午前8時51分、本社ヘリから野田武撮影
大津波と火災で壊滅的な被害を受けた山田町中心部=岩手県山田町で2011年3月14日午前9時20分、本社ヘリから野田武撮影
道路の泥を掃除する住民=岩手県宮古市で2011年3月14日午前8時59分、和田大典撮影
津波被害を受けた自宅付近を見つめる人たち=宮城県山元町で2011年3月14日午前11時36分、丸山博撮影
津波で流された荷物を整理する人たち=宮城県山元町で2011年3月14日午前10時40分、丸山博撮影
ほとんどの建物が原形をとどめていない南三陸町の中心部=宮城県南三陸町で2011年3月14日午後3時38分、近藤諭撮影
線路のような物が突き刺さり、がれきに覆い隠された南三陸署=宮城県南三陸町で2011年3月14日午後3時58分、近藤諭撮影
津波で大きな被害を受けたJR気仙沼線志津川駅=宮城県南三陸町で2011年3月14日午後4時0分、近藤諭撮影
避難所で幼児を抱きしめる看護師=岩手県大船渡市の大船渡北小で2011年3月14日、三木幸治撮影
漂流するライフラフトで生存者の有無を確認する潜水士=八戸市沖東36キロで2011年3月14日、海上保安庁提供
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2011年3月15日
福島第一原発3号機(左)と4号機=2011年3月15日午前7時33分撮影(東電提供)
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会に笑顔の子供たち=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前7時52分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々に再会した友達と抱き合う子供たち=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前7時59分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会に笑顔で駆け出す児童も=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前7時59分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会に笑顔で駆け出す児童も=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時1分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々に再会した友達と抱き合う子供たち=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時1分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会に笑顔で駆け出す児童も=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時5分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会に笑顔の子供たち=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時5分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。友達との再会を手をつないで喜ぶ子供たち=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時8分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会を喜ぶ子供たち=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時10分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。登校出来た生徒は7割ぐらいだった=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時10分、木葉健二撮影
児童の安否確認登校が行われた宮古小学校。久々の無事な友達との再会に涙ぐむ子供も=岩手県宮古市の宮古小学校で2011年3月15日午前8時13分、木葉健二撮影
火災で煙を上げるがれきの中の市街地。山火事も発生し、辺りは白煙につつまれていた=宮城県気仙沼市で2011年3月15日午前8時56分、本社機から貝塚太一撮影
火災で煙を上げるがれきの中の市街地=宮城県気仙沼市で2011年3月15日午前8時56分、本社機から貝塚太一撮影
大震災発生から5日目の朝を迎え、被災地で発生した山火事=岩手県大槌町で2011年3月15日午前8時58分、本社ヘリから野田武撮影
大津波と火災で壊滅的な被害を受けた集落で続く行方不明者の捜索活動=岩手県大槌町で2011年3月15日午前9時、本社ヘリから野田武撮影
大津波と火災で壊滅的な被害を受けた集落で続く行方不明者の捜索活動=岩手県大槌町で2011年3月15日午前9時1分、本社ヘリから野田武撮影
津波と火災で壊滅的な被害を受けた集落で続く行方不明者の捜索活動=岩手県大槌町で2011年3月15日午前9時、本社ヘリから野田武撮影
大震災発生から5日目の朝を迎え、川で洗濯をする人たち=岩手県大槌町で2011年3月15日午前9時5分、本社ヘリから野田武撮影
大震災発生から5日目の朝を迎え、厳しい冷え込みの中、がれきから集めた木材で焚き火をして暖を取る人たち=岩手県大槌町で2011年3月15日午前9時4分、本社ヘリから野田武撮影
津波で大きな被害を受け火災が発生している大島。奥は火災の煙に包まれる気仙沼市街地=宮城県気仙沼市で2011年3月15日午前9時8分、本社機から貝塚太一撮影
救助犬を使ってがれきの中から生存者を捜す米国などの救助隊=岩手県大船渡市で2011年3月15日午前9時24分、近松仁太郎撮影
大震災発生から5日目を迎え、今夜からの雪に備えてホームセンターに列を作る人たち=岩手県宮古市で2011年3月15日午前9時32分、本社ヘリから野田武撮影
大津波と火災で壊滅的な被害を受けた集落で続く行方不明者の捜索活動=岩手県野田村で2011年3月15日午前9時50分、本社ヘリから野田武撮影
米シンクタンク、科学・国際安全保障研究所(ISIS)が公表した、14日に撮影された福島第1原発の衛星写真。(矢印下から順に)12日の爆発で建屋が損傷した1号機、15日に爆発音が確認された2号機、14日の爆発で建屋が損傷した3号機。上は4号機=デジタルグローブ・ISIS提供・共同
道路には打ち上げられた船が今も残る=岩手県宮古市で2011年3月15日午後1時55分、木葉健二撮影
靴店では水に浸かり使えなくなった靴を積み上げ、靴のない被災者に自由に持って帰ってもらっていた=岩手県宮古市で2011年3月15日午後1時59分、木葉健二撮影
自宅から使えるものを持ち出し、避難先に戻る人たち=岩手県宮古市で2011年3月15日午後2時4分、木葉健二撮影
津波で水に浸かった地域を消毒する市職員=岩手県宮古市で2011年3月15日午後2時38分、木葉健二撮影
津波で水に浸かった地域を消毒する市職員=岩手県宮古市で2011年3月15日午後2時39分、木葉健二撮影
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2011年3月17日
がれきの山の前に置かれた避難している場所が書き込まれた立て看板。その横では自衛隊が道路の拡張作業をしていた=岩手県陸前高田市で2011年3月16日午前7時33分、兵藤公治撮影
情報源となる朝刊を読む被災者たち。その避難所の壁には励ましの言葉が書かれていた=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月16日午前7時54分、兵藤公治撮影
雪が積もった被災地で救助活動に向かう自衛隊員=岩手県宮古市鍬ヶ崎で2011年3月16日午前7時59分、和田大典撮影
雪が残る中、がれきの撤去作業を進める消防団員たち=岩手県陸前高田市で2011年3月16日午前8時10分、小川昌宏撮影
避難所で再会した女性。地元「親友会」の友人同士で、2人とも主人が行方不明となり涙を流しながら励まし合っていた=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月16日午前8時19分、兵藤公治撮影
がれきの撤去作業の手を休め、幼なじみ(左)との再会を喜ぶ男性。男性は大船渡市から自転車でやってきた=岩手県陸前高田市で2011年3月16日午前8時19分、小川昌宏撮影
高台にある公園に消防団員が震災後初めて届けた全国紙を読む人=岩手県釜石市で2011年3月16日午前8時25分、後藤由耶撮影
3階部分まで津波に流された建物のがれきを撤去しながら、大きく息を吐く消防団員=岩手県陸前高田市で2011年3月16日午前8時36分、小川昌宏撮影
避難所で朝食のおにぎりをほおばる被災者たち=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月16日午前8時47分、兵藤公治撮影
津波で破壊された自宅の前で、飼い犬を抱え顔を覆う女性=岩手県大槌町で2011年3月16日午前9時10分、久保玲撮影
避難指示が出ている福島県広野町から千葉県松戸市に避難してきた人々。計画停電で電灯が消えたままの市役所で氏名を書いている=千葉県松戸市で16日午前10時7分、西浦久雄撮影
大津波で漁船が流入し、ワカメ加工場(右)も倒壊した重茂地区=岩手県宮古市で2011年3月16日午前10時26分、土本匡孝撮影
津波で破壊され、雪で覆われた街を歩く女性=岩手県大槌町で2011年3月16日午前10時48分、久保玲撮影
会見冒頭に、燃料や食料の買いだめの自粛を訴える枝野幸男官房長官=首相官邸で2011年3月16日午前11時17分、藤井太郎撮影
津波で流され泥まみれになったアルバム=岩手県山田町の同町役場で2011年3月16日午前11時44分、森田剛史撮影
伝言板にメッセージを書く女の子=岩手県山田町で2011年3月16日午後0時11分、久保玲撮影
避難所の行方不明者名簿を見る被災者たち。避難した人が作った名簿には、21人の名前が書かれ、依然として10人が行方不明のままだった=岩手県陸前高田市小友町で2011年3月16日午後0時17分、小川昌宏撮影
避難所の子どもたちが避難場所の体育館に「がんばろう!」と書いた紙を張った=岩手県釜石市栗林町で2011年3月16日午後0時44分、後藤由耶撮影
避難所で自衛隊員から支援物資のお菓子を受け取る子どもたち=岩手県釜石市栗林町で2011年3月16日午後1時1分、後藤由耶撮影
震災から6日がたち、高齢者の避難所での生活は厳しさを増す=岩手県山田町で2011年3月16日午後1時4分、久保玲撮影
震災から6日がたち、高齢者の避難所での生活は厳しさを増す=岩手県山田町で2011年3月16日午後0時53分、久保玲撮影
津波で大きな被害に遭い、近くの中学校で避難所生活をする名取市閖上地区の住民たち=宮城県名取市の名取1中で2011年3月16日午後1時7分、手塚耕一郎撮影
津波で自宅などが流され、避難所生活を送る人たち。これから親戚の家に移るという男性(右から3人目)が親族とともに荷物を外に出していた=宮城県名取市の名取1中で2011年3月16日午後1時47分、手塚耕一郎撮影
津波で家が壊れ、避難してきた夫妻の話を聞く隊員(中央)=岩手県宮古市愛宕の市立愛宕小学校で2011年3月16日午後1時49分、山中章子撮影
雪が舞う中、焼け焦げた臭いが漂うがれきのそばを歩く人たち=岩手県山田町で2011年3月16日午後2時20分、森田剛史撮影
激しく降る雪の中で捜索活動をする消防隊員=岩手県大槌町で2011年3月16日午後2時半、竹内幹撮影
避難所の小学校で診察をする医師=岩手県山田町で2011年3月16日午後3時2分、久保玲撮影
避難所の小学校で診察をする医師=岩手県山田町で2011年3月16日午後3時4分、久保玲撮影
行方不明者の捜索に向かう消防隊員ら=仙台市若林区荒浜で2011年3月16日午後3時19分、手塚耕一郎撮影
「味玉」を被災者らに振る舞う店員=仙台市青葉区中央1で2011年3月16日午後4時10分、須藤唯哉撮影
吹雪の中、倒壊した家屋を見回る関係者ら=岩手県宮古市で2011年3月16日午後4時15分、木葉健二撮影
吹雪の中、避難所前の給水車に水をもらいにくる人たち=仙台市宮城野区の岩切小で2011年3月16日午後4時54分、鈴木一也撮影
大津波で養殖棚や漁船が流入した重茂地区=岩手県宮古市で2011年3月15日午後5時34分、土本匡孝撮影
募金活動をする西武の菊池(手前)ら選手たち=2011年3月16日、埼玉県・所沢駅で、田中義郎撮影
東日本大震災に関してお言葉を述べる天皇陛下=皇居・御所で2011年3月16日(宮内庁提供) |
2011年3月17日
雪が残る寒い朝、自宅周辺を見に来た被災者たち=岩手県山田町で2011年3月17日午前7時55分、木葉健二撮影
雪が残る寒い朝、被災地を歩く地元住民と自衛隊員たち=岩手県山田町で2011年3月17日午前7時57分、木葉健二撮影
雪が残る寒い朝、被災地を歩く地元住民たち=岩手県山田町で2011年3月17日午前7時58分、木葉健二撮影
雪が残る寒い被災地の朝、自転車や徒歩で行き来する被災者たち=岩手県山田町で2011年3月17日午前8時、木葉健二撮影
避難所の体育館で疲れ切った表情のお年寄り=岩手県釜石市で2011年3月17日午前7時46分、長谷川直亮撮影
廃校になり使われていなかった旧釜石第一中学校の体育館で避難生活する被災住民=岩手県釜石市で2011年3月17日午前7時58分、長谷川直亮撮影
避難所の窓から顔を出す子供たち=岩手県大船渡市の盛小学校で2011年3月17日午前8時16分、竹内幹撮影
おばあちゃんに抱かれて配給されたあんパンを食べる女の子=岩手県釜石市で2011年3月17日午前7時48分、長谷川直亮撮影
避難所で涙を流す子ども=岩手県大船渡市の盛小学校で2011年3月17日午前8時半、竹内幹撮影
避難所内でトランプをして遊ぶ中学生=岩手県大船渡市で2011年3月17日午前8時30分、武市公孝撮影
避難所で過ごすお年寄り=岩手県大船渡市の盛小学校で2011年3月17日午前8時41分、竹内幹撮影
避難所の教室で体操をする子どもたち=岩手県大船渡市の盛小学校で2011年3月17日午前8時52分、竹内幹撮影
がれきの山が残る岩手県釜石市。復旧までには時間がかかりそうだ=2011年3月17日午前8時44分、長谷川直亮撮影
母親に手を引かれがれきが広がる町を歩く女の子。さびしそうな表情に見えた=岩手県釜石市で2011年3月17日午前8時44分、長谷川直亮撮影
うつむきながら安否が分からない友人の家を見に行く女子高生=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午前8時45分、森田剛史撮影
避難所に設けられた子供専用の部屋で眠る赤ちゃん。震災4日前に生まれ、家族と避難した=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午前9時5分、久保玲撮影
がれきのそばを通って一時帰宅する女の子。折れた信号を見て驚きながらも元気に雪で遊んでいた=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午前9時11分、森田剛史撮影
避難所に設けられた子供専用の部屋で眠る親子=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午前9時12分、久保玲撮影
爆発事故のあった福島第1原発(奥)の30キロ以上沖合の海面に広がる無数の白い浮遊物=2011年3月17日午前9時15分、本社ヘリから山本晋撮影
釜石港の岸壁に再び接岸し、支援物資の陸揚げ作業を行う国交省の大型船「清龍丸」=岩手県釜石市で2011年3月17日午前9時12分、本社ヘリから野田武撮影
消火活動を待つ福島第1原発。1、3、4号機の建屋は骨組みをあらわにし、3号機(左から2番目)からは煙が上がっている=30キロ以上沖合で2011年3月17日午前9時14分、本社ヘリから山本晋撮影
厳しい冷え込みと昨日からの雪で一面真っ白になった大津波の被災地=岩手県大槌町で2011年3月17日午前9時20分、本社ヘリから野田武撮影
救援物資を積んで被災地の宮古市(後方)に向かう海上保安庁の巡視船(手前)。中央はヘリコプターを使って救援活動をする海上自衛隊の護衛艦=岩手県宮古市沖で2011年3月17日午前9時42分、本社ヘリから野田武撮影
自衛隊の給水車から水を袋に入れる子供たち=岩手県陸前高田市気仙町の長部小学校で2011年3月17日午前9時42分、兵藤公治撮影
次々とトラックに運び込まれる救援物資=秋田県議会棟前で2011年3月17日午前10時0分、加藤沙波撮影
避難所に運び込まれる救援物資の毛布=岩手県山田町の山田高校で2011年3月17日午前10時17分、木葉健二撮影
連日の行方不明者の捜索で疲れを見せる消防団員=岩手県陸前高田市気仙町で2011年3月17日午前11時19分、兵藤公治撮影
灯油を買うためガソリンスタンドに並ぶ人たち=岩手県宮古市で2011年3月17日午前11時24分、和田大典撮影
大型船舶が流れ着き、大規模な火災が起きた鹿折地区を歩く消防隊員ら=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午前11時49分、森田剛史撮影
避難所で過ごす高齢者ら。疲労の色も濃い=宮城県石巻市鮎川で2011年3月17日午前11時40分、手塚耕一郎撮影
大津波で自宅が流された跡地で、残されたものを探す夫婦=宮城県石巻市鮎川で2011年3月17日午後0時14分、手塚耕一郎撮影
大津波で自宅が流された跡地で、「こんなの残ってた」と、冷凍していた鯨肉を見つけ、取り上げる女性=宮城県石巻市鮎川で2011年3月17日午後0時29分、手塚耕一郎撮影
大規模な火災が起きた気仙沼市の鹿折地区で、流れ着いた大型船舶から食料などを運び出す関係者ら=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午後0時18分、森田剛史撮影
避難所で生活する宮館ウメさん(中央)。疲れ切った表情だったが、「多くの人が支援してくれてありがたいことです」と話した=岩手県釜石市で2011年3月17日午後0時20分、長谷川直亮撮影
被災した住宅街を歩く親子=岩手県大船渡市の2011年3月17日午後0時22分、竹内幹撮影
避難所は昼でも寒く、1つだけつけられたストーブに足の不自由なお年寄りが暖を取っていた=岩手県山田町の山田高校で2011年3月17日午後0時23分、木葉健二撮影
大型船舶が流れ着き、大規模な火災が起きた気仙沼市の鹿折地区で、自宅近くの家財道具を探す人。避難所での配給が足りず、食料を探す被災者もいる=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午後0時28分、森田剛史撮影
昼間でも避難所は寒く、毛布で寒さをしのぐ。山崎律さん(83)(左)は宮古に住む娘とまだ連絡が取れないと涙ぐんだ=岩手県山田町の山田高校で2011年3月17日午後0時31分、木葉健二撮影
がれきの中を支援物資を手に歩く子ども=岩手県釜石市で2011年3月17日午後0時39分、後藤由耶撮影
自転車など生活物資を満載して出発する兵庫県豊岡市の支援部隊=同市城南町の市仮庁舎で、2011年3月17日午後1時2分、皆木成実撮影
開会冒頭に東日本大震災の犠牲者に黙とうがささげられた衆院本会議=国会内で2011年3月17日午後1時4分、藤井太郎撮影
衆院本会議の冒頭に東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげる菅直人首相(最後列左から2人目)、松本龍防災担当相(右同)ら=国会内で2011年3月17日午後1時4分、藤井太郎撮影
避難所で時間をもてあまして宙を見つめる子ども=岩手県釜石市の釜石小で2011年3月17日午後1時10分、後藤由耶撮影
避難所に設置された携帯充電所には、数十台の携帯電話が並ぶ=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午後1時36分、久保玲撮影
消滅した南三陸町の市街地を歩く男性=宮城県南三陸町志津川で2011年3月17日午後1時39分、丸山博撮影
避難所となっている高台から、姿を変えた街を見つめる被災者=岩手県陸前高田市気仙町で2011年3月17日午後1時47分、小川昌宏撮影
避難者用にこの日から開設された図書室で本を読む姉妹=宮城県南三陸町志津川小学校で2011年3月17日午後2時15分、丸山博撮影
全壊した自宅前で昔の同僚と出会い喜び合う女性=岩手県大船渡市で2011年3月17日午後2時22分、武市公孝撮影
全壊した自宅前で昔の同僚と出会い喜び合う女性=岩手県大船渡市で2011年3月17日午後2時23分、武市公孝撮影
雪の中、行方不明者を探す自衛隊員=岩手県山田町で2011年3月17日午後2時28分、木葉健二撮影
全国から集積所に集まった多くの支援物資。気仙沼市では水と毛布は足りているが、食料が不足している。緊急車両も給油制限されているため、各避難所への輸送は1日に1回にとどまっている=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午後2時30分、森田剛史撮影
避難所にある灯油が残り少なく、午前8時から午後6時ごろまで点火していないストーブの前で、被災者は白い息を吐きながら厚着をして寒さをしのいでいる=岩手県釜石市で2011年3月17日午後2時37分、後藤由耶撮影
津波が押し寄せた南三陸町の防災対策庁舎で行方不明者を捜索する自衛隊員=宮城県南三陸町志津川で2011年3月17日午後2時45分、丸山博撮影
友人との再会を喜ぶ地元の住民たち=岩手県大船渡市の2011年3月17日午後2時27分、竹内幹撮影
大船渡のガス補給施設が再開し、被災後初めて交換されるガスボンベ=岩手県陸前高田市気仙町の月山神社で2011年3月17日午後3時2分、兵藤公治撮影
津波の被害に遭い、荒れてしまった自宅から灯油の入ったポリタンクを見つけた人たち。「これで少しはこの寒さをしのげそうです」と白い息を吐きながら足を進めた=岩手県釜石市で2011年3月17日午後3時6分、後藤由耶撮影
いまだに電気が通じず、薄暗い避難所で座り込む熊谷なつえさん(88)。自宅は流され、夫吉郎さん(75)と避難しているが「水も電気も電話も何もない」とため息をついた=岩手県陸前高田市気仙町の月山神社で2011年3月17日午後3時14分、小川昌宏撮影
給水の量が足りず、避難所にある池の水をくむ人たち=宮城県気仙沼市で2011年3月17日午後4時19分、久保玲撮影
避難住民が自主的に始めた炊き出しで配られた魚の煮炊きのスープを味わう親子。暖かい食事は久しぶりだ=岩手県宮古市で2011年3月17日午後4時23分、和田大典撮影
病気の感染を防ぐため手洗いが励行されているが、断水のためひしゃくを使い手を洗う女性=岩手県大船渡市で2011年3月17日午後5時5分、武市公孝撮影
地震からまもなく1週間を迎える中、宮城県の牡鹿半島では、集落の中で津波の被害を免れた会社の倉庫に集まって、寝泊りしている人たちもいる。急いで逃げたため、靴下を履いていない子供たちも多い=宮城県石巻市小渕浜で2011年3月17日午後5時17分、手塚耕一郎撮影
給水車から水を受け取る住民たち=岩手県大船渡市の2011年3月17日午後5時34分、竹内幹撮影
漂流するクレーン台船の無人を確認し、確認済みマークの×印をつける潜水士=金華山沖南東18キロで2011年3月17日、海上保安庁提供 |
2011年3月18日
炊き出しの準備をする避難所で生活する女性たち。この避難所では料理や掃除などを被災者同士が役割分担して助け合っている=宮城県南三陸町の志津川中学校で2011年3月18日午前7時15分、長谷川直亮撮影
地震発生から1週間を迎えた。避難所となっている中学校の教室でおばあちゃんの背中におんぶされてあやされる子供=宮城県南三陸町の志津川中学校で2011年3月18日午前7時39分、長谷川直亮撮影
同じ避難所にいる中国人実習生が歌を披露し、歌声に涙する女性。「国は違っても人は同じだからいっしょにがんばりたい」と話した=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前7時41分、小川昌宏撮影
避難所となっている体育館で、ラジオ体操をする被災者たち=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前7時43分、小川昌宏撮影
運動不足解消のため避難所になっている小学校の廊下を走る被災者=宮城県南三陸町で2011年3月18日午前7時46分、武市公孝撮影
避難所に届いた新聞を運ぼうとする少女=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前8時4分、小川昌宏撮影
当番とは別に自主的に避難所内を掃除する被災者=宮城県南三陸町で2011年3月18日午前8時19分、武市公孝撮影
当番とは別に避難所内の自主的な掃除を手伝う女の子=宮城県南三陸町で2011年3月18日午前8時25分、武市公孝撮影
津波で浸水した田んぼに雪が降り積もる=仙台市で2011年3月18日午前8時23分、陸上自衛隊ヘリから久保玲撮影
避難所となっている小学校の校庭で火を絶やさないように薪をくべる男性=岩手県宮古市で2011年3月18日午前8時24分、和田大典撮影
避難生活も1週間が経ち、避難所で疲れた表情を見せるお年寄り=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前8時31分、小川昌宏撮影
起床後、手を合わせる避難所の被災者=岩手県釜石市の石応寺で2011年3月18日午前8時39分、竹内幹撮影
起床後、手を合わせる避難所の被災者=岩手県釜石市の石応寺で2011年3月18日午前8時39分、竹内幹撮影
避難生活も1週間がたち、避難所で疲れた表情を見せるお年寄り=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前8時49分、小川昌宏撮影
布団の上に食べ物を並べ、朝食をとる被災者たち=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前9時5分、小川昌宏撮影
避難所の小学校で、午前中に1時間だけの臨時授業を受ける避難してきた小学生たち。この日は先生が黒板に書いたひらがなを漢字にする授業などをした=岩手県釜石市で2011年3月18日午前9時16分、後藤由耶撮影
ガソリンスタンドでの給油を待ち、長蛇の列を作る無数の車=宮城県登米市で2011年3月18日午前9時12分、森田剛史撮影
届いた救援物資を避難所へ運び込むボランティアの人たち=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月18日午前9時半、兵藤公治撮影
親類の安否を確かめようと、避難所の避難者名簿を見に来る人は絶えない=岩手県宮古市で2011年3月18日午前9時50分、和田大典撮影
炊き出しのカレーうどんを受け取る家族=岩手県釜石市で2011年3月18日午前10時9分、竹内幹撮影
炊き出しのカレーうどんを食べる親子=岩手県釜石市で2011年3月18日午前10時15分、竹内幹撮影
給水タンクから水をくむ女の子=岩手県釜石市で2011年3月18日午前10時23分、竹内幹撮影
体育館に安置されている、大震災で犠牲となった人たちの遺体を入れた棺=宮城県利府町の県総合体育館で2011年3月18日午前10時18分、手塚耕一郎撮影
がれきの中から見つかった白黒写真のアルバム。自衛隊員が黙々と拾い集めていた=宮城県南三陸町志津川で2011年3月18日午前10時54分、丸山博撮影
避難所となっている愛宕小学校で卒業式があり、消防団員や自衛隊員、避難住民らも見送りをする教員の輪に加わり卒業生を祝福した=岩手県宮古市で2011年3月18日、和田大典撮影
少しずつがれきが撤去された市街地を歩く人たち=岩手県陸前高田市高田町で2011年3月18日午前11時42分、兵藤公治撮影
がれきの中から思い出の品をさがす家族。「家がどこにあるかもわからず、何も見つからない」と肩を落とした=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前10時47分、小川昌宏撮影
がれきの合間を縫って自転車で走る少年たち=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前10時59分、小川昌宏撮影
自衛隊ヘリで避難所に運ばれた灯油の入ったドラム缶を運ぶ人たち=宮城県南三陸町で2011年3月18日午後0時28分、武市公孝撮影
避難所に届いたストーブ用の灯油を運ぶ被災者たち=宮城県南三陸町で2011年3月18日午後0時51分、長谷川直亮撮影
連日の作業に、疲れた表情を見せる消防団員=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前11時15分、小川昌宏撮影
がれきの上で肩を落とす消防隊員=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午前11時29分、小川昌宏撮影
支援物資を運ぶ自衛隊と避難所の被災者ら=宮城県南三陸町で2011年3月18日午後1時41分、長谷川直亮撮影
避難所となる中学校の運動場で仮設住宅の建設戸数を調査する県の職員とプレハブ協会の作業員=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月18日午後1時44分、兵藤公治撮影
救援物資を積んで釜石港に入港する水産庁の大型船。後方は荷揚げを待つ陸上自衛隊のトラック=岩手県釜石市で2011年3月18日午後2時32分、本社ヘリから野田武撮影
東日本大震災の発生から1週間。大津波と火災で壊滅的な被害を受けた被災地で、地震発生時刻に黙とうする人たち=岩手県山田町で2011年3月18日午後2時46分、本社ヘリから野田武撮影
震災から一週間がたち、発生時刻の午後2時46分に合わせて黙とうする自衛隊員ら。陸上自衛隊仙台駐屯地では、陸・海・空自衛隊に加えて在日米軍の連絡調査員も一緒に救援活動をしている=仙台市で2011年3月18日午後2時46分、久保玲撮影
行方不明者の家族に配慮して発生時刻の放送を取りやめた避難所で自主的に黙とうし涙する被災者の女性=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月18日午後2時47分、兵藤公治撮影
地震から1週間。避難所で発生時刻に合わせて手を合わせる女性=仙台市若林区の七郷小で2011年3月18日午後2時46分、手塚耕一郎撮影
地震から1週間、避難所で発生時刻に合わせて黙とうする男性=仙台市若林区の七郷小で2011年3月18日午後2時46分、手塚耕一郎撮影
震災発生から1週間。津波に襲われた市街地を見下ろす高台で、地震発生時刻に合わせて黙とうする被災者たち=岩手県陸前高田市で2011年3月18日午後2時46分、小川昌宏撮影
地震から1週間を迎える中、自宅1階が津波に飲み込まれ、近親者11人で避難所生活を続けているという家族=仙台市若林区の七郷小で2011年3月18日午後3時7分、手塚耕一郎撮影
地震から1週間を迎える中、小学校の体育館で避難所生活を続けている人たち=仙台市若林区の七郷小で2011年3月18日午後3時15分、手塚耕一郎撮影
(写真上)津波で大きな被害が出た岩手県陸前高田市の市街地。街の中に道が通り始めている=2011年3月18日午後0時47分。(写真下)地震翌日の市街地=2011年3月12日午後4時44分、いずれも本社機から貝塚太一撮影
津波で破壊された自宅に向かって、逃げ遅れた息子夫婦の名前を叫ぶ菅原豊子さん(手前)。返事はなく、この日の捜索でも手がかりはつかめなかった=宮城県南三陸町で2011年3月18日、森田剛史撮影
漂流する漁船の無人を確認し、確認済みマークの×印をつける潜水士=塩屋崎沖南東41キロで2011年3月18日、海上保安庁提供
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2011年3月19日
がれきの山が連なる岩手県陸前高田市内。上空から聞こえる鳥のさえずりだけが、平穏な日々を思わせる=2011年3月19日午前7時6分、尾籠章裕撮影
朝日に照らされる被災地。ガレキの山のかなたから、かつての平穏な日々を思わせる鳥のさえずりが聞こえた=岩手県陸前高田市で2011年3月19日午前7時48分、尾籠章裕撮影
避難所そばの路上わきで井戸水をくむ被災者=岩手県陸前高田市で2011年3月19日午前7時20分、尾籠章裕撮影
18日からガソリンの販売が再開されたガソリンスタンドの前で、携行缶を手に待つ人たち=岩手県大船渡市で2011年3月19日午前8時2分、西本勝撮影
がれきの中に残された商店街名を記した柱=岩手県陸前高田市で2011年3月19日午前8時6分、尾籠章裕撮影
避難所生活が一週間過ぎ、疲れた表情の被災者=岩手県大船渡市で2011年3月19日午前8時31分、竹内幹撮影
避難所生活が一週間過ぎ、疲れた表情の被災者=岩手県大船渡市で2011年3月19日午前8時33分、竹内幹撮影
ポリタンクを手に18日から灯油の販売が再開されたガソリンスタンドへ向かう男性=岩手県大船渡市で2011年3月19日午前8時44分、西本勝撮影
仮設住宅の建設作業が始まり、避難所となる中学校の運動場に続々と運び込まれる建設資材=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月19日午前8時57分、兵藤公治撮影
変わり果てた事務所跡を見て肩を落としながら書類を探す漁業関係者=宮城県気仙沼市で2011年3月19日午前8時59分、森田剛史撮影
大島を行き来する船を待つ人たち。物資輸送の手段も限られている=宮城県気仙沼市で2011年3月19日午前9時16分、森田剛史撮影
壊滅した街を歩く人たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前9時27分、久保玲撮影
津波に流された自家用車のガソリンタンクからガソリンを抜こうとする男性。不純物が混じって使えそうになかった=岩手県宮古市田老で2011年3月19日午前9時28分、和田大典撮影
地震後、初めて対面した娘の大久保希さん(右)を抱き寄せ涙を流す小野寺貞子さん=宮城県気仙沼市の大島で2011年3月19日午前9時54分、森田剛史撮影
ポリタンクを持って給油所へ向かう男性。「どこでしてくれるかわかりませんが」と話した=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前9時54分、久保玲撮影
仮設住宅の建設が始まった市立第一中学校の避難所=岩手県陸前高田市で2011年3月19日午前9時57分、兵藤公治撮影
仮設住宅の建設が始まった市立第一中学校の避難所=岩手県陸前高田市で2011年3月19日午前10時14分、兵藤公治撮影
お湯を沸かすため、倒壊した家屋から避難所に釜を運ぶ男性たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前10時5分、午前10時7分、久保玲撮影
避難所にある丘から救援物資を積んだ自衛隊のヘリコプターを見つめる子供たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前10時47分、久保玲撮影
家屋の残がいを捜索する自衛隊員=岩手県宮古市田老で2011年3月19日午前10時50分、和田大典撮影
船の残がいを捜索する自衛隊員=岩手県宮古市田老で2011年3月19日午前11時1分、和田大典撮影
急ピッチで進む仮設住宅の建設作業=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月19日午前11時8分、兵藤公治撮影
被災者に見守られながら建設が進む仮設住宅=岩手県陸前高田市の市立第一中学校で2011年3月19日午前11時12分、兵藤公治撮影
「亡くなった人たちの供養に」と団子を作る人たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前11時11分、久保玲撮影
線路を修復する作業員=岩手県宮古市田老で2011年3月19日午前11時18分、午前11時19分 和田大典撮影
震災当時のことを話し、涙をぬぐう男性=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前11時25分、久保玲撮影
津波で倒壊した家屋の前を通るお年寄りら=宮城県気仙沼市の大島で2011年3月19日午前11時46分、森田剛史撮影
避難所の暖房器具の使用を控え、日の当たる所に集まる人たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午前11時48分、久保玲撮影
避難所で子供たちが見守る中、進む仮設住宅建設作業=岩手県陸前高田市で2011年3月19日午前11時52分、尾籠章裕撮影
被害を受けなかった工場から寄付された、地元の特産品のめかぶがテーブルに並ぶ=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後0時2分、久保玲撮影
祖父の後藤義幸さん(56)に抱かれた瑚々奈ちゃん(8カ月)。約210人が暮らす宮城県南三陸町波伝谷地区の避難所では最年少だ=2011年3月19日午後0時18分、久保玲撮影
避難所で支給されたおにぎりなどを食べる子供たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後1時5分、久保玲撮影
地盤が沈下したため、満潮時刻が近づき海水が岸壁を乗り越えて浸水した港=宮城県気仙沼市の大島で2011年3月19日午後1時14分、森田剛史撮影
JR志津川駅の線路に置かれていた像=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後1時19分、丸山博撮影
親戚らの手を借りて片づけられる被災した老夫婦の家屋=岩手県大船渡市で2011年3月19日午後1時23分、西本勝撮影
風が吹き荒れ、がれきの山から砂埃が舞い上がるなか、遺留品を探す人たち=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後1時27分、丸山博撮影
気仙沼港で荷物を手に大島行きの船を待つ大勢の人たち。輸送手段が限られ物資が不足している離島の大島では、買い出しに海を渡る住民も多い=宮城県気仙沼市で2011年3月19日午後1時42分、森田剛史撮影
被災を免れた実家で、母静子さん(右)と再会を果たし、ほっとした表情を見せる上野さん=2011年3月19日午後、山本将克撮影
がれきの中から行方不明者を探す自衛隊員。南三陸町では依然として大勢の安否が不明になっている=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後2時23分、丸山博撮影
町の奥にまで津波が押し寄せ住宅を破壊し、残った団地の横に集合する消防車両=宮城県女川町で2011年3月19日午後2時37分、本社ヘリから塩入正夫撮影
いまだに海水が道路を浸す女川町役場周辺=宮城県で2011年3月19日午後2時40分、本社ヘリから撮影
体育館の廊下で避難生活を送る人たち。上着や毛布に包まって寒さをしのいでいる=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後4時11分、丸山博撮影
身元不明遺体の身長や所持品の掲示を見る人たち。多くの人が肉親を探して各避難所を毎日歩き回っている=宮城県南三陸町で2011年3月19日午後4時13分、丸山博撮影
避難所でストーブにあたる避難住民。灯油を節約するため火がつく時間は限られている=岩手県山田町で2011年3月19日午後4時57分、和田大典撮影
ボランティアに付き添われ、避難所のある4階へ向けて階段を上る福島県双葉町の被災者=さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナで2011年3月19日午後4時31分、梅村直承撮影
救援物資を運ぶ福島県双葉町の被災者とボランティア=さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナで2011年3月19日午後3時38分、梅村直承撮影
救援物資を自ら運ぶ福島県双葉町で被災した少女=さいたまスーパーアリーナで2011年3月19日午後3時57分、梅村直承撮影
滑走路の土砂や流木が取り除かれた仙台空港=宮城県で2011年3月19日午後4時26分、本社ヘリから塩入正夫撮影
防波堤が寸断され満ち潮で海水が流れ込む=宮城県の山元町で2011年3月19日午後4時36分、本社ヘリから塩入正夫撮影
避難所でストーブにあたる避難住民。灯油を節約するため火がつく時間は限られている=岩手県山田町で2011年3月19日午後4時46分、和田大典撮影
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2011年3月20日
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食料を買い求める人でにぎわう仙台朝市の店頭に置かれたユリ。津波で親族10人を失った女性がひとり、ユリを2本買いに来たという=仙台市青葉区で2011年3月20日、丸山博撮影
がれきの中を歩く子供=岩手県大槌町で2011年3月20日午前8時36分、小出洋平撮影
トンネルを抜け被災地に向かう女性=岩手県大槌町で2011年3月20日午前10時、小出洋平撮影
腰を下ろして眼前の景色を見る男性=岩手県大槌町で2011年3月20日午前10時4分、小出洋平撮影
9日ぶりに家族と被災した自宅を訪れ、がれきの中に飼っていた愛犬のラブを見つけ涙を流す娘を抱く母親。「ラブちゃんごめんなさい」と何度も声をかけていた=岩手県宮古市で2011年3月20日午前10時45分、和田大典撮影
がれきの中に立ち尽くす男性=岩手県大槌町で2011年3月20日午前10時47分小出洋平撮影
震災発生から9日たったものの、いまだ壊滅状態にある宮城県南三陸町=2011年3月20日午前10時51分、久保玲撮影
堤防に手をつき、眼前の景色を見る男性=岩手県大槌町で2011年3月20日午前10時58分、小出洋平撮影
疲れた表情を浮かべる消防隊員=宮城県南三陸町で2011年3月20日午前11時10分、久保玲撮影
漁業を営む男性は自宅近くで大漁旗を見つけた。「船が流されたからもう必要ないね。娘と孫の着物も見つけたけど、家も流され、着の身着のままの生活で必要ないってわかっているんだけど、思い出だから」と苦笑いした=岩手県大船渡市で2011年3月20日午後1時39分、佐々木順一撮影
枠だけが残った家屋から家財道具を取り出す男性=岩手県釜石市で2011年3月20日午後2時、小出洋平撮影
転倒するなどした墓石に手を合わせる祖母と孫=岩手県釜石市で2011年3月20日午後2時12分、宮間俊樹撮影
津波に襲われた家屋から衣類を取り出す人たち=岩手県大船渡市で2011年3月20日午後3時5分、佐々木順一撮影
津波の被害を受けた自宅から、使えるものを持って帰る女性=岩手県大船渡市で2011年3月20日午後2時26分、佐々木順一撮影
薄暗い避難所の体育館に敷いた布団の上に座る女性=岩手県釜石市で2011年3月20日午後3時11分、小出洋平撮影
薄暗い避難所の体育館で横になる男性=岩手県釜石市で2011年3月20日午後3時33分、小出洋平撮影
福島県いわき市などから避難してきた被災者が生活する東京都足立区の東京武道館=2011年3月20日午後3時37分、長谷川直亮撮影
救援物資が入った段ボールの中から衣類を探す女の子=東京都足立区の東京武道館で2011年3月20日、長谷川直亮撮影
物資を届けたボランティア(手前)に手を合わせて感謝するお年寄り=宮城県南三陸町で2011年3月20日午後4時8分、久保玲撮影
釜石のぞみ病院の入院患者を輸送車両に乗せて転院作業をする自衛隊員。この日だけで同院では16人が岩手県の内陸部にある転院先の病院へ搬送された=岩手県釜石市で2011年3月20日午後4時17分、宮間俊樹撮影
地震で倒壊した家屋(左奥)から消防隊員や警察官に救助されるお年寄りの女性。壊れた時計の針(左上)が地震発生直後の午後3時前を指していた=宮城県石巻市で2011年3月20日午後4時53分、森田剛史撮影
地震で倒壊した家屋から助け出され、救助隊員の手を握る阿部寿美さん(80)=宮城県石巻市で2011年3月20日午後4時55分、森田剛史撮影
地震で倒壊した家屋から消防隊員や警察官に救助される阿部任さん(16)=宮城県石巻市で2011年3月20日午後4時59分、森田剛史撮影
C17から支援物資を降ろす米軍車両=仙台空港で2011年3月20日、浅野翔太郎撮影
火災で黒焦げになった門脇小学校の校舎内。机と椅子のパイプ以外に教室を思わせる物はなかった=宮城県石巻市で2011年3月20日、森田剛史撮影
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2011年3月21日
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十分な商品が入荷しないため1日2時間だけの営業をするコンビニエンスストア。手前の毛布は治安の悪化もあり、防犯のため店長らが店舗内で寝泊りするのに使っている=岩手県釜石市で2011年3月21日午前11時12分、宮間俊樹撮影
親族が見守る中、犠牲者のひつぎに土をかける大島の島民たち=宮城県気仙沼市の大島で2011年3月21日午前11時26分、喜屋武真之介撮影
遺体の情報の掲示板。行方が分からない人の手がかりを求め、多くの人が訪れている=宮城県南三陸町で2011年3月21日午前11時50分、丸山博撮影
避難者名簿を見る人たち。地震から10日が経過したが、行方が分からない人の手がかりを求め、多くの人が訪れている=宮城県南三陸町で2011年3月21日午後0時13分、丸山博撮影
全壊した自宅で洋服などを探す女性。「80歳になってこんな目に遭うとは」とつぶやいた=岩手県陸前高田市で2011年3月21日午後0時25分、佐々木順一撮影
長野県栄村の避難所に届けられたパンをほおばる子供たち=同村で2011年3月21日午後0時36分、福田智沙撮影
がれきの中を歩く少年。半径100メートルほどを何度も回っていた=宮城県南三陸町で2011年3月21日午後0時44分、丸山博撮影
女川町では木造だけでなくコンクリート造の建物の倒壊も多い=宮城県同町で2011年3月21日午後1時24分、森田剛史撮影
津波によって溜まった海水の上に浮く家屋を捜索する自衛隊員=岩手県陸前高田市で2011年3月21日午後2時2分、佐々木順一撮影
がれきの海となった小友地区で行方不明者の捜索を行う消防隊員=岩手県陸前高田市で2011年3月21日午後2時39分、佐々木順一撮影
自宅で地震の片づけに追われる江口さん(右)=長野県栄村で2011年3月21日午後2時57分、福田智沙撮影
津波に襲われ、遺体となって発見された高校生を乗せた車が避難所に到着し、涙を流す人たち=岩手県陸前高田市で2011年3月21日午後3時23分、佐々木順一撮影
震災で亡くなった加藤町長に代わり町の陣頭指揮を執る東梅政昭副町長=岩手県大槌町で2011年3月21日午後4時6分、小出洋平撮影
福島第1原発で、3号機の原子炉建屋から上がる灰色の煙=2011年3月21日午後4時10分、東京電力提供
値段が高騰し、4分の1カットが200円もする白菜=仙台市宮城野区で2011年3月21日午後6時12分、梅田麻衣子撮影
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2011年3月22日
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地震から初めての登校日となった県立釜石商工高校で、友人の無事を確認して涙を流す高校生たち=岩手県釜石市で2011年3月22日午前8時12分、佐々木順一撮影
地震から初めての登校日となった県立釜石商工高校で、友人の無事を確認して涙を流す高校生たち=岩手県釜石市で2011年3月22日午前8時26分、佐々木順一撮影
石巻市役所渡波支所で1日1回の配給を知らせる鈴木伸一さん。極端に配給できる品が減っているという=宮城県石巻市で2011年3月22日午前8時8分、梅村直承撮影
石巻市役所渡波支所で朝1回だけ行われる配給の列に並ぶために走る男の子=宮城県石巻市で2011年3月22日午前8時52分、梅村直承撮影
石巻市役所渡波支所で朝1回だけ行われる配給の列に並ぶ1歳の男の子=宮城県石巻市で2011年3月22日午前8時52分、梅村直承撮影
安否確認のために集まった避難所で抱き合って互いの無事を喜び合う岩手県立高田高の卒業生たち=岩手県陸前高田市で2011年3月22日午前9時41分、宮間俊樹撮影
支援物資が置かれた避難所の体育館で卒業証書を受け取る大槌中の卒業生=岩手県大槌町で2011年3月22日午前9時42分、小出洋平撮影
大島に渡るため気仙沼港から船に乗り込む人たち。後方には津波によって打ち上げられた漁船の残骸がある=宮城県気仙沼市で2011年3月22日午前9時43分、梅田麻衣子撮影
空自ヘリで届けられた水を受け取る島民(中央)ら=宮城県石巻市の田代島で2011年3月22日午前9時53分、丸山博撮影
安否確認のために集まった避難所で黙とうをする岩手県立高田高の卒業生たち=岩手県陸前高田市で2011年3月22日午前10時13分、宮間俊樹撮影
地震後、初めて新聞を読む男性。停電でテレビも見られず、情報はすべてラジオから得ていた。船で約1時間の距離にある石巻市街の写真を見て、「こんなにひどいのか」と驚いていた=宮城県石巻市の田代島で2011年3月22日午前10時25分、丸山博撮影
米軍ヘリから届いた着替えなどの救援物資=宮城県南三陸町の志津川高校グラウンドで2011年3月22日午前10時47分、山本晋撮影
救援物資を届けてくれた米軍ヘリに手を振る被災者ら=宮城県南三陸町の志津川高校グラウンドで2011年3月22日午前10時49分、山本晋撮影
販売が再開され、3000円分まで買えるようになったガソリンスタンド。来店者の車が行列し周辺道路を渋滞させないよう携行缶でのみ給油している=岩手県大船渡市で2011年3月22日午前11時9分、西本勝撮影
通っている小学校が避難所となっているため、自宅前に不要品などを並べ「傘、子供服など必要な方はお持ち帰りください。重いものは自転車で運びます」と声を出す小学3年生の斉藤健介君(左)と千葉友裕君。震災で困っている人たちの役に立ちたいという=宮城県気仙沼市三日町で2011年3月22日午後0時52分、梅田麻衣子撮影
大熊町の避難者に謝罪する東京電力の鼓紀男副社長(左)=福島県田村市の市総合体育館で2011年3月22日午後3時6分、坂本智尚撮影
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2011年3月23日
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避難所となっている石応寺では、多くの人たちが朝の読経で手を合わせていた=岩手県釜石市で2011年3月23日午前8時6分、佐々木順一撮影
津波の被害にあった宮古市内を走る三陸鉄道の列車。20日から一部の区間で運転を再開した=岩手県宮古市で2011年3月23日午前8時39分、小出洋平撮影
家も道路も何もかもが破壊された街中を手をつないで歩く石川博さん(右)と孫の荒木幸春さん。「避難所にずっといると息が詰まるから」と二人は流された自動車を探しまわっていた=岩手県陸前高田市で2011年3月23日午前8時46分、宮間俊樹撮影
もとの場所から約100メートル流された自宅のがれきから思い出の品を探す村上ヒロ子さん。「夢中でやっているから寒さを感じない」と話す=岩手県大船渡市で2011年3月23日午前8時49分、金澤稔撮影
がれきの中から孫が乗っていた自転車と似たものを見つけ出して孫に確認させるため、小さな自転車を運ぶ男性=岩手県陸前高田市で2011年3月23日午前9時4分、宮間俊樹撮影
祖父と炊き出しの味噌汁などをもらい、ボランティアに手を振る女の子=岩手県釜石市で2011年3月23日午前10時17分、佐々木順一撮影
16日から営業再開した青果店。津波や火災で打撃を受けた街の中心部でにぎわいが際だつ。被災前よりも安い価格で提供しているという=宮城県気仙沼市で2011年3月23日午前11時5分、山本晋撮影
がれきの中から自動車を見つけた女性はなすすべもなく立ち去った=岩手県大船渡市で2011年3月23日午後0時13分、金澤稔撮影
岩手県宮古市中心部の商店街は依然、電気は通じていないものの水道は普及しつつある。日中、避難所などで暮らす住民らが総出で片付けに追われ、使い物にならなくなった家財道具などが歩道上にあふれている=岩手県宮古市で2011年3月23日午後1時18分、小出洋平撮影
卒業証書が見つかった南気仙沼小学校の校長室=気仙沼市南郷で2011年3月23日午後1時41分、須藤唯哉撮影
被災者と一緒に救援物資を運ぶ自衛隊員=岩手県大槌町で2011年3月23日午後2時48分、西本勝撮影
避難所の入り口に積まれた大量の泥だらけのアルバム。地区を捜索した消防隊員らが持ってきてくれたが、ほとんどは持ち主が見つからないままという=宮城県気仙沼市で2011年3月23日午後3時26分、山本晋撮影
避難所となっているベイサイドアリーナで絵本をつかんだまま離さない女の子=宮城県南三陸町で2011年3月23日午後3時53分、梅村直承撮影
雪が降る中、被災者と一緒に救援物資を運ぶ自衛隊員=岩手県大槌町で2011年3月23日午後3時57分、西本勝撮影
避難所の庭でがれきの中から拾ってきた木材を燃やして暖をとる被災者ら=岩手県大槌町で2011年3月23日午後4時半、西本勝撮影
瓦礫にの中に落ちていた真っ赤なリュック=宮城県女川町で2011年3月23日午後4時43分、梅田麻衣子撮影
盤沈下により冠水した道路を自転車で走行する男性=宮城県石巻市で2011年3月23日午後6時2分、梅田麻衣子撮影
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2011年3月24日
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避難している子供たちが守るなか、釜小学校で炊き出しのカレーを作るパキスタン人のボランティアたち=宮城県石巻市で2011年3月24日午前8時14分、梅村直承撮影
背中に「がんばるぞー女川」と手書きして町立病院で交通整理する地元ボランティアの岡裕彦さん(53)。自分の家も津波で流されたが、妻子を実家に帰し、震災翌日から病院を手伝っている。「町の知り合いとすれ違って言葉を交わすと励みになる」。=宮城県女川町で2011年3月24日午前8時48分、山本晋撮影
がれきの撤去をする茨城県から来た男性。亡くなった人の家族らが被災地を訪れた時に、釘だらけの道路で車がパンクしてはいけないと道路の掃除から始めた。歩道(手前)が見えた時、被災者の「町の面影が見えた」との言葉を聞き、少しでも希望が見せられればと1人で掃除を続けている=岩手県陸前高田市で2011年3月24日午前8時49分、西本勝撮影
一般車両の通行が再開され、混雑する長者原サービスエリア入り口付近。サービスエリアのガソリンも底をついた。「ガソリンはどこに行けばあるか」との運転者の問いかけに、警察官が「それが分かれば私も入れたい」と答えていた=宮城県大崎市の長者原サービスエリアで2011年3月24日午前9時26分、丸山博撮影
緊急ポンプで地下の貯蔵タンクにあったガソリンを入れるスタンドの社員。先頭車両は前日の午後3時から待っていた=宮城県南三陸町で2011年3月24日午前9時27分、梅田麻衣子撮影
釜石港の入り口に建設された釜石湾口防波堤。2009年に完成し、北側は全長990メートル、南側は670メートル。水深63メートルの海底に作られ、世界一深い防波堤としてギネスにも登録されている。M8・5で発生する津波を設計基準としていたが、今回の津波の巨大な破壊力に無残な姿を海面から見せている。手前が北側、右奥が南側の防波堤=岩手県釜石市で2011年3月24日午前11時46分、本社ヘリから加古信志撮影
石巻の名の由来となった住吉公園の巻石に住み着いていたアヒル。津波後13日経って住吉公園に戻った。近隣住民は「真っ白いアヒルだったが、黒く汚れてしまった。無事だったのがうれしい」と話した=宮城県石巻市で2011年3月24日午前、梅村直承撮影
東京電力福島第1原発の保健安全センター(別館)の状況=2011年3月23日正午ごろ撮影(原子力安全・保安院提供)
東京電力福島第1原発1、2号機防護管理ゲート前から新サービス建屋方面の状況=2011年3月23日正午ごろ撮影(原子力安全・保安院提供)
照明のついた福島第1原発1号機の中央制御室=2011年3月24日午後1時撮影(東京電力提供)
両親の名前を書いた手作りのベストを着て、両親を探す佐藤和子さん(38)。ガソリン不足のため、毎日自転車で街中や避難所、遺体安置所を回っている=宮城県気仙沼市で2011年3月24日午後1時37分、丸山博撮影
津波後の火災で焼き尽くされた市街地=宮城県気仙沼市で2011年3月24日午後2時52分、丸山博撮影
津波でつぶれた住宅で行方不明者を捜す自衛隊員ら=宮城県女川町で2011年3月24日午後3時8分、山本晋撮影
「壊さないで」と書かれた津波に流された住居=岩手県陸前高田市で2011年3月24日午後3時27分、西本勝撮影
電気が復旧していないためランプやろうそくの明かりが頼りだ。暗い中で愛犬を囲む被災者=岩手県大槌町の安渡小で2011年3月24日午後6時5分、金澤稔撮影
被ばくした作業員らの搬送作業を行う救急隊員ら=福島県立医大病院で2011年3月24日午後7時ごろ、岩佐淳士撮影
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2011年3月25日
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震災発生から2週間がたった現在も1万人以上の行方が分からない。壊滅した市街地の建物前には行方を尋ねる看板が立っていた=岩手県大槌町で2011年3月25日午後0時44分、小出洋平撮影
津波で壊された自宅を重機で撤去される前に必要な物を運び出すお年寄り=岩手県陸前高田市で2011年3月25日午後2時33分、西本勝撮影
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2011年3月26日
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津波に襲われた家屋から使える物をもって避難所に戻る女性たち=岩手県大船渡市で2011年3月26日午前8時7分、西本勝撮影
昨夜から降り続く雪の中、捜索活動をする自衛隊員=岩手県山田町で2011年3月26日午前8時19分、金澤稔撮影
厳しい寒さの中、自宅を片付ける人=岩手県釜石市で2011年3月26日午前9時7分、佐々木順一撮影
雪が舞う中、食料を手に避難先へ戻る人=岩手県釜石市で2011年3月26日午前10時10分、佐々木順一撮影
母親と祖父母が被災した自宅の様子を見に来た女性。「どこになにがあるか分からない」とつぶやいた=宮城県気仙沼市で2011年3月26日午前10時29分、梅村直承撮影
自宅周辺の様子を見に訪れ泣きながら帰る女性=宮城県気仙沼市で2011年3月26日午前10時32分、梅村直承撮影
不明になっている弟の手がかりを探すために気仙沼を訪れた女性。当て所もなくさまよった=宮城県気仙沼市で2011年3月26日午前10時49分、梅村直承撮影
がれきの捜索中に見つかったアルバムなどが並ぶ漂流物置き場。大切な写真を探す人たちが後を絶たない=岩手県山田町の同町役場で2011年3月26日、金澤稔撮影
被災者の生活用水になっている不通となった大船渡線の線路脇の湧き水=宮城県気仙沼市で2011年3月26日午後1時3分、梅村直承撮影
雪が降る中、津波で崩れた自宅で思い出の品を探す母子。避難先の仙台からガソリンスタンドに7時間並んで戻ってきたが、見つけられる物は少なかった=宮城県石巻市雄勝地区で2011年3月26日午後1時41分、山本晋撮影
沿岸部の避難所を離れて、バスで内陸部の旅館に向かう人たち=岩手県釜石市で2011年3月26日午前2時5分、佐々木順一撮影
震災から2週間たっても水没したままの農地に入り込んで行方不明者を捜す自衛隊員ら。手前右の隊員は水中からアルバムを見つけた=宮城県石巻市河北地区で2011年3月26日午後2時49分、山本晋撮影
雪が降る中、震災から2週間たっても水没したままの農地に入り込んで行方不明者を捜す自衛隊員ら=宮城県石巻市河北地区で2011年3月26日午後2時56分、山本晋撮影
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2011年03月27日
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住民によって壊れた家から取り出されたぬいぐるみ=宮城県石巻市で2011年3月27日午前11時24分、梅村直承撮影
陸に乗り上げ転覆した漁船を背に、漁業者や市職員から津波被害の説明を受ける民主党の岡田克也幹事長=青森県八戸市で2011年3月27日午後、野口武則撮影
被災地の火葬場の煙突からは、とぎれることなく煙が上がっていた=岩手県宮古市の田老地区で2011年3月27日、金澤稔撮影
被災地の上空を舞うカラスの大群=宮城県石巻市で2011年3月27日午後0時23分、梅村直承撮影
生存者情報があり、続けられた救出作業=宮城県石巻市で2011年3月27日午後0時43分、梅村直承撮影
70人以上の児童が亡くなったり、行方不明になっている大川小学校で遺留品を集める消防団員=宮城県石巻市で2011年3月27日午後0時56分、丸山博撮影
自動車教習所に市が用意した「簡易ガソリンスタンド」。1台につき20リットルまで各地区に配布されるチケットが必要になる。1日2000台分が準備され、29日まで=岩手県陸前高田市で2011年3月27日午後2時58分、大西岳彦撮影
支援物資の置き場で使われている個人宅の物置=岩手県大船渡市で2011年3月27日午後5時6分、小出洋平撮影
がれきの中に、新しい電柱が次々と経った南三陸町。架線はまだ施されていていない=宮城県南三陸町で2011年3月27日午後5時23分、梅村直承撮影
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2011年03月28日
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避難所で久々の乳製品を口にする女の子=宮城県石巻市で2011年3月28日午前7時13分、梅田麻衣子撮影
自宅が津波に流され、家財を探す女性。「指輪や写真など思い出の品が見つかれば」と話していた=岩手県陸前高田市で2011年3月28日午前10時57分、岩下幸一郎撮影
連日続けられるがれきの撤去と行方不明者の捜索。現場の隊員は「誰も経験したことがない規模で先が見えない」と話した=岩手県陸前高田市で2011年3月28日午前11時33分、大西岳彦撮影
石巻高校に避難している人たち自らが作った千羽鶴(奥)に行方不明となっている長男の敏彦さんが無事に帰ってくるようにと祈った鈴木やよえさん。全てが流され、携帯電話に唯一のこされた写真を見ていた=宮城県石巻市で2011年3月28日午前11時43分、梅村直承撮影
土台だけになった自宅に座り込み、行方不明となっている妻の仁美さんの手がかりを探す岡島由隆さん=宮城県石巻市門脇町で2011年3月28日午後2時2分、梅村直承撮影
津波をかぶった靴が無料提供され、サイズの合う靴を探す被災者たち=岩手県大船渡市で2011年3月28日午後2時16分、岩下幸一郎撮影
行方不明者を探す地元住民ら=岩手県宮古市で2011年3月28日午後2時30分、金澤稔撮影
倒壊した住宅の壁に書かれたメッセージ。遺体はすでに収容されたという=宮城県石巻市で2011年3月28日午後3時7分、山本晋撮影
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2011年3月29日
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朝日を浴びながらラジオ体操をする男性。長引く避難所生活での健康維持と気分転換のため、重要な日課になった。「体操をしながら朝日を見ると一瞬だけ『きれいだな』と感じるが、すぐに現実に戻り、将来が見えない不安に襲われる」と話した=宮城県南三陸町の志津川中学校で2011年3月29日午前6時34分、丸山博撮影
運休で列車の来ない線路を使って犬の散歩をする人たち=岩手県大槌町で2011年3月29日午前6時58分、須賀川理撮影
配給の食糧や湧き水を汲んだポットを手に自宅に戻る親子。毎日坂道を上り下り。息を切らせていた=岩手県陸前高田市で2011年3月29日午前8時21分、岩下幸一郎撮影
避難所の脇にお風呂を建設する避難者たち=岩手県大槌町の大徳院で2011年3月29日午前8時47分、須賀川理撮影
祭りで塩竃神社の御輿を乗せる御輿船。被害が最小限だった=宮城県塩竃市で2011年3月29日午前9時36分、梅村直承撮影
空気中の放射線量を測るイスラエル医療部隊のスタッフ。「自然界に存在する以上の値ではなく、まったく問題ない」と話した=宮城県南三陸町で2011年3月29日午前9時43分、丸山博撮影
通行のために中央分離帯に避けられた被災車=仙台市宮城野区で2011年3月29日午前9時55分、梅村直承撮影
仙台港の新車の集積場で被災しスクラップとなった新車=仙台市宮城野区で2011年3月29日午前10時7分、梅村直承撮影
津波にのまれて肋骨を痛めた佐藤仁・南三陸町長(右)のレントゲン検査をするイスラエル人医療スタッフ=宮城県南三陸町で2011年3月29日午前10時54分、丸山博撮影
荒浜小学校の教室。黒板が衝撃でなくなっていた=仙台市若林区荒浜で2011年3月29日午前11時19分、梅村直承撮影
津波に流された家屋の撤去作業中に自衛隊員が見つけた写真やアルバム。ボランティアらが災害対策本部の脇に並べて展示し、持ち主が現れるのを待っている=岩手県大槌町で2011年3月29日午前11時43分、須賀川理撮影
避難所で炊きたてのご飯が渡されるのを待つ萬大樹君(9)。「家は流されてしまった。次の家は海がないところがいい」と話した=岩手県釜石市で2011年3月29日午前11時57分、大西岳彦撮影
津波で流された自宅の跡からぬいぐるみを見つけて喜ぶ山田理裟さん(13)=宮城県女川町で2011年3月29日午後2時18分、幾島健太郎撮影
行方不明になっている80歳代の女性の捜索に向かう自衛隊員ら(左奥)。捜索を依頼した川端芳之さん(52)は「自分の家も流され父親が亡くなった。他人とはいえ放っておけない。亡くなった近所の人たち全員があの世で会えるように」と語った=岩手県釜石市で2011年3月29日午後2時47分、大西岳彦撮影
基礎だけを残し流されてしまった姉夫婦の自宅跡から、思い出の品を探す女性。姉はチリ地震の津波でも被災したが、それをはるかに上回る規模の被害にショックを受けているという=岩手県大船渡市で2011年3月29日午後3時1分、岩下幸一郎撮影
津波に流された家屋の撤去作業中に自衛隊員が見つけた写真やアルバム。ボランティアらが災害対策本部の脇に並べて展示し、持ち主が現れるのを待っている=岩手県大槌町で2011年3月29日午前11時43分、須賀川理撮影
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2011年3月30日
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岩手県釜石市の避難所の一つとなっている市立甲子小学校で、歯をみがく女の子たち。柏崎楓さん(13)=左=は毎日ボランティアをしている。「掃除や食事のお世話とか仕事はいっぱい。さあ、一日が始まる」=岩手県釜石市で2011年3月30日午前7時50分、大西岳彦撮影
宮城県石巻市の石巻工業高校で、来月5日の入学試験のために自衛隊と在日米軍の兵士、石巻工業高校の生徒らが協力して校内の清掃を行った=宮城県石巻市で2011年3月30日午前9時27分、三浦博之撮影
津波による障害物の除去のために米軍のサルベージ船が宮古港に到着し、米軍ダイバーによる港内の調査が行われた=岩手県宮古市で2011年3月30日午後0時48分、木葉健二撮影
津波による障害物の除去のために宮古港に到着した米軍のサルベージ船=岩手県宮古市で2011年3月30日午後0時50分、木葉健二撮影 |
2011年3月31日
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未明の静寂の中、ドラム缶で廃材を燃やしながら人々の会話が始まる。そして被災地の朝がまた始まる=宮城県石巻市の同市役所渡波支所で2011年3月31日午前4時49分、三浦博之撮影
ガレキの中から肉親を見つけ、座り込む女性。震災から3週間が過ぎようとしているが、まだまだ行方がわからない人たちが数多くいる=岩手県陸前高田市で2011年3月31日午後2時24分、岩下幸一郎撮影
壊滅的な被害を受けた大槌町の中心部。発生から3週間が経過しても闇を照らすのは往来する車のヘッドライトだけだった。左奥は避難所から漏れる明かり=岩手県大槌町で2011年3月31日午後7時3分、須賀川理撮影
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