極低出生体重児出産からNICUへ@


 出生〜1週間まで(予断を許さない状態が続く)

 2003年1月28日11時6分、体重1356g・身長38cmの男の子を出産。極低出生体重児と呼ぶらしい。私が実際、ゆうくんに面会ができたのは、1日おいた1月30日だ。夫にはお医者さんから予断を許さない状態だ…と言われていたそうだ。実際、ゆうくんは、動脈管開存症という早産の子供に多い病気で心臓と肺の機能が未熟な為に、肺に血液がたまってしまう病気だった。。1月30日の深夜にNICUに呼ばれ、動脈管開存症治療の為に、インダシンという薬を投与しますという話がされた。3日後には薬の効果があったようで、容態は落ち着いていたようだ。ゆうくんは呼吸器が弱かったようで、1ヶ月呼吸器をつけ、66日間、保育器で過ごすことになる。
 この時の私はゆうくんのことも心配だったが、自分のネフローゼという病気と今後どのように闘っていくか、そして、眼前にいる小さな優樹をどうやって育てていくのか、どうして自分だけがこんな目にあわないといけないのか、日々、自問自答だった気がする。母乳も初乳だけあげて、後は、ネフローゼの治療の為に母乳はやめてしまい、ゆうくんとのつながりは、保育器の中にいるゆうくんをふれることだけだった。


 呼吸器がとれた 

私は出産後1ヶ月入院の間、腎生検をし、ネフローゼではなく、妊娠中毒症という結果を聞いてから、本当にゆうくんのことだけを考えることができた。ゆうくんが元気になれば、3人で健康に暮らせる!それだけで本当に幸せだった。ゆうくんは呼吸機能が弱く、私が退院した翌日、3月1日に呼吸器がとれた。このときは、本当にうれしかった。我が子の顔を始めてきちんと見れたからだ。この1ヶ月、NICUのお医者さん、看護士さんたちには本当にあたたかくしていただいたと思う。未熟児を産むということは母親として子供に申し訳ない、母親失格だ…と自問自答の日々をいつも励ましてくれたのも看護士さん達だった気がする。ゆうくんのことを逐一ノートに毎日書いてくれ、面会に行ったときいつでもゆうくんの様子がわかって、私はNICUに癒されていたのかもしれません。


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