序 章 (へんろ道へのいざない)
山頭火歩いて 66年後のへんろ道(2−1)
山頭火のお遍路
俳人 種田山頭火の終焉の棲みか、「一草庵」に立ち寄った。8月
13日午前8時、四国を歩いて33日目のことである。
一草庵は松山市の道後温泉に近い住宅地にひっそり佇んでいた。手入れも行き届き、まるで人が住んでいる風情である。
私は一草庵を「あばら家」、と思い描いていた。それが見事に外れて、この地の人情の濃さをあらためて知ったのだった。
『俳人山頭火の生涯』 大山澄太著 弥生書房刊には、日本中を歩いた山頭火が、中でも伊予の風土と人情をもっとも好み、この地を死に場所と思い定めた、と記している。
俳句の同人たちが山頭火の家探しに奔走した。やっと探し出したのがこの家だった。道後温泉に歩いて20分の距離。温泉好きの山頭火は小躍りしたことだろう。
山頭火の四国遍路は昭和14年の秋だった。宿がないため、山の落ち葉の中で寝たし、川べりの小船に一杯機嫌で野宿をすることもあった。安宿の狭い一室で五人の客と雑魚寝もした。托鉢のつらさを何度も味わい、宿を断られることも珍しくなかったという。彼の俳句を読むと、杖と網代笠のうしろ姿が目に浮かぶ。(四国遍路での句かどうかは別として)
濡れて知らない道を歩く
振り返らない道を急ぐ
降るまま濡れるまま歩く
何かを求むる風の中ゆく
しとど濡れてこれは道しるべの石
捨てきれない荷物の重さまえうしろ
それでも山頭火が冬間近かの四国路を歩き続けた。へんろ道で受けた人情のお陰であった。野宿を覚悟で歩いているところに声をかけられ、宿と温かい食事をいただく。路傍のおばあさんから、ふかしたサツマイモをごちそうになる。宿のおかみさんがお賽銭を持たせてくれる。四国の人々のやさしさはこの上ないもののようだった。(この項続く)
(画像は「一草庵」) トップページへ 前ページへ 次ページへ