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美徳とは
「心中で謝ることも美徳です」 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/04e2005a5162b78dff63ce2643a05ec5 最近の相談を観ていて思いますのは、素直に謝れなくて損をしている人が多いなと感じます。 自分が謝る視点がそもそも無い人が、社会には増えています。訴訟社会でもありますから、欧米のように”謝ること=不利益”のような風潮があります。国同士を見ましても、この要素は多々有ります。 しかし、これを子供の段階から浸透するのは、いかがなのでしょうか? 純粋な子供に、社会ルールとして「謝ること=ダメなこと」のような雰囲気が在りますと、どんな成人になるのでしょうか。 自分の権利ばかりを主張する嫌な大人になりかねません。そんな人間は、現実の社会では生きにくいものです。仕事にも影響します。 結局、自分が損をすることに成ります。 だから子供の間は、謝ることの「美徳」を身に付けて、”その上で”社会でのディベート術(議論術)を行使するのは良いとは思います。 しかし、口には出さなくても心中では謝る視点を持つことが、生霊の観点から見ましても、絶対に自分のために成ります。 私などは家庭内では、私から「ごめんなさ〜い」「は〜い」とよく言っています。 「謝れば済むの?」な〜んて言われますが、話は落ち着くものです。 仕事では、私も謝ることは少ないですが、心中では「ごめんなあ〜」「仕方が無いんだよー」と思っているものです。この視点を持って相手と接する間は、深刻な事態には成らないものなのです。 ブログをしていても、よく誤解をされます。 読者からの相談内容により影響があるので、質問の一部しかコピーをしなくて「本人だけに分かる」返答をすることがあります。 私の返答コメントに強い語調や、叱責的な表現がありますと、もの凄い反応が他の読者から来ます。 その言葉だけを取り上げて、私の人格否定までするコメントをされる人がいます。 しかし、相談者の内容を読者がすべて知れば、私がそのように言いたくなった意味も少しだけ理解はされるでしょう。 このような時にも私は、批判者には心中で「いやな表現で申し訳ないです」と思っています。でも、「その読者を助けたいので、ごめんね〜」とも思います。 皆さんも生活をしていれば、誤解を受けたり、腹がたつことは必ずあるものです。 言葉に出しての説明や言い訳をしても、余計にダメな場合も多々有ります。 そんな時は、心中で「ごめんなさい」「申し訳ないです」などと、謝って「置け」ば良いです。 その謝罪の磁気を「置く」ことで、いつまでも自分がクヨクヨと影響を受けたり、心の漏電をすることが減ります。 これは霊的にはムダなことでは無く、とても有効なことです。 また、相手との改善への霊的な援助作用も起こります。覚えて置いてください。 (感想) 私は悪くない!と思い浮かぶ間は、心が苦しいものです。 これからは、ますます自分の心の状態が健康にも環境にも反射する時代に入っていますから注意が必要です。 どんなに心中で、自分の正当性や相手への非難を思ったところで、物事は進展も改善もしません。 逆に、そのような執着を持つことは、誘導電波を自分から発信していることになり、相手も執着をすることになります。実際の機器で電波を受信するには、自らも波長を合わせるための電波を「出す」理論と同じです。 災難を呼ぶような電波を、自分が発信していないかを反省する気持ちは大切です。悪い誘導電波を自ら出す間は、運気は上がりません。 逆に感謝の思いは、良い縁と機会を引き寄せる誘導電波と成ります。 釈尊が仰った、「人間のすべての苦しみの原因は執着することである」とは、今でも真理です。 すべてが流れて行くこの世では、執着するとは、それを止めようとすることに成ります。時間という川の流れに逆らっても、苦しいだけです。 だからこの世では、心配しないで自分が出来る努力をしながら流れを静観することが、その場合の最善を自分に教えてくれます。 自分は悪くないと思うよりも、それでも自分は生かされていると感謝をしているほうが改善を呼びます。 他人と争えば、心中だけでも謝っておけば、自分は執着を解かれて楽に成っていきます。これが生霊の視点でも、改善を呼びます。 相手には、本人の内在神(良心)からの反射が起こります。これは、ある意味では生死を超えた厳しいものなのです。 この世だけが、心の成長のために色んな葛藤が生じるように出来ています。 逆に、この限定時間(人生)を楽しんでやりましょう。 生かして頂いて ありがとう御座位ます
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