いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。
 ようこそ「夢見通り商店街」へ
!!!
  近所のマーケットには品揃えは負けません
今後とも是非ともご贔屓に・・・・
   それでは楽しんでいってくださいな

おっと自己紹介が遅れました。
私、この商店街の会長でございます。
以後お見知りおきを・・・・

名前 ぽいた

生年月日 1977年3月17日

出身地 長野県上水内郡信州新町

現在地 埼玉県川口市

職業   なんちゃって営業マ


俺暦
昭和52年3月17日誕生
この日生まれた有名人は
「甲本ヒロト」・・・おおお、ヒロトと同じ日だ!!ハイロウズ最高
「横光利一」・・・文学の神様だ!!機械最高!!
「三木武夫」・・・総理大臣だ!!やっぱり俺もクリーン!!
「マギー司郎」・・・まじで!!最高だ!!
「島田直也」・・・元日本ハム投手!!まだまだ頑張れ!!


ちなみに動物占いはコアラらしい。
温泉好きってのはあたってんなぁ


疾風怒濤」幼児〜小学校編

私の生まれた信州新町はすごいとこよ

↑我が家があったところから30分以上車にのって長野市に近づいたところ
ってまだ山じゃん!!
かなり過疎の町にすんでいましたがその中でも超過疎の地域に住んでいたのです。
今考えると周りは老人ばっかり。平均年齢70歳といっても過言ではないかも。
だって一番近い民家まで300m
同じ学年の男子の家までは一山越えないと辿りつけませんでした。とほほ。
で、当時通っていたS小学校ですが(すでに廃校)児童数も少なかった。
たしか6年生の時の全児童数が99人!!
子供の数も少ないので児童会の役員も回ってくる回ってくる。
5年副会長、図書委員長、放送委員長、学級長数回と歴任。
こんな山に住むと野生児になるかとおもいきや、前述したように近所に子供がいないため、なんだかんだ家の中で本を読んだり、テレビをみたりであ〜んまり外で遊ばなかった。
当時から本が好きで図書館は心のオアシスでした。
運動会の実況を勤めグランドを笑いの渦に巻き込みこの頃からアナウンサーに興味をもつようになった。
家にいたとは言っても外で遊ぶ事もそれなりにはあって、沢で魚のつかみ取りや、アケビを採って食ったり、グミを採ってくったり、キイチゴを採って食ったり・・・
で、この生活に嫌気がさした親父(養子)が度胸一発。
家購入(長野市に土地付)
こうして山生活は12年でピリオドを打つのであった。


「阿鼻叫喚」中学校編
人口密度が0に限りなく近い新町を後にし、引っ越したところは長野市西部の新興住宅街でした。
小学校はMAX99人だったのに私の通ったS中学校はいきなり1200人オーヴァー。
入学式が終わっての感想はカルチャーショック
いやあ、人の多さに驚いた!!99人なんて、2クラス分なんだもん。
しかも、このS中学。ヤクザ養成中学としても有名でもおびびりまくり。
初めての転校ということで友達できるかな?であったのだがなんなく友人もできた。
入った部活は「理科部」
小学生時代から漫然と「文系」だなぁと思っていたが理科部。
それはなぜかと答えたら「アマチュア無線」がやりたかったから。
とにかくいろんな人と話したかったんだよね。
試験を一発合格したのだがお金がなくて親父の知り合いからハンディの無線機をもらい弱電波で友達と日夜交信。
なんせ電波が弱いので冬でも毛布を被ってベランダで交信。
クリスマスプレゼントに3段GPのアンテナを買ってもらうまでの1年半を最悪な状況ですごしたのであった。
さて、この中学生時代は私の今後の人生を左右する事件がいくつもおこるのだが、
第1位:伝説の番組「イカ天」開始
私の音楽原体験はここにある。「人間椅子」を筆頭に「たま」「宮尾すすむと日本の社長」「サイバーニュウニュウ」「ジッタリンジン」「BEGIN」と今でも聞きつづけるバンドが数多い。
第2位:甲子園のアイドル。松商上田ドラフト1位で日本ハム入り
それまでパ・リーグはぜ〜んぜん興味がなかったのだが上田投手(当時)の入団で一気にパ熱高まる。現在でも、そして札幌に移転しても日本ハムFANなのであろう。
第3位:クイズ熱一気に高まる
小学校の頃からウルトラクイズが大好きだったのだが、第13回ウルトラクイズを見て一気に熱が高まった。13回ではたー兄こと田川さんを応援。
友達とクイズを出し合ったりFNSの長野予選に参加してマグカップを貰って帰るなどちょっぴりマニア化(この頃が自分の中で一番盛り上がっていた)
成績は上の下といった所でY高校に願書をだすものの最終出願〆切の時点で60人オーバー。日頃の行いが悪くて内申点が微妙に足らずボーダースレスレ。試験でこけたらハイそれまでよという状態で安全策の送りバントでお山の上のN高校に出願変更期間を利用して変更。緊張の糸が音を立てて切れ受験日前日の日曜日に長野放送で
FNSクイズ王決定戦予選参加。その様子がばっちりローカル番組の特集コーナーで紹介され画面に超ドアップで移る僕・・・学校へ行くと罵声(笑)
当然次の日の受験もやる気がおきずケアレスミスの嵐でY高校ならあんなことがなければ確実に落ちていたね。
まさか60人オーバーしていたY高校が定員割れを起こしていなければ・・・

「隔靴掻痒」 高校編
適当な受験を経てN高校に入学したのだがここは素敵な高校だった。
男女比 1:3 1クラスに男10人:女30人
いやあ天国でしたね。男の数少ないからみんな仲よかったし、女の子も良い子が多かった。いや、まじで。
入った班活(長野県北部の高校では部活の事を班活と呼んだ)は放送班
アナウンスを中心にTV番組を作ったりして楽しんでいました。
アナウンスコンテストなんかも出場してN高校のエースと顧問に呼ばれていたが本番に弱く3年間、無冠の帝王の名を欲しいままにする。
学業の方はというと英語で8点、数学で7点、あんなに得意だった社会科関係でも地理30点、世界史25点と体たらく。
塾へ行ってくるといって友達の家でマージャン。学校行ってくると言って朝からパチンコ。授業がたるいといって国宝善光寺で煙草ぷかぁぁぁ
だめだめ。
模試なんか受けると英語で長野県ブービーを勝ち取る。
あー浪人して勉強しようなんておもってお気楽ご気楽に生きてきたのだが、3年の初春母が倒れ闘病生活の末、3ヶ月後に他界。
食欲不信、不眠、鬱のトリプルパンチをくらう。
昔から哲学じみたことに興味を持っていたが、眠れない夜にNHKラジオで聞いた仏教説話に感銘を受け仏教学を志す。
と書くと聞こえは良いが浪人できなくなったし、働きたくないし、大学くらいでときたかったので英語の要らない大学・学部を受けまくる決意をする。
通っていた塾の塾長の好意でタダで講義を受けさせてもらえることになった。
英語のある学校は受けるつもりが全くなくなったので日本史と国語に絞ってお勉強。
偏差値40からの大学受験を素で実施。
脳味噌が発酵しそうなほど勉強したらそれぞれ半年で偏差値20上昇。がんばったなぁまぁ英語は最後まで偏差値33でしたが・・・
で、大学受験のため上京。親戚の家で受験前に合格前祝宴会実施。
酒をしこたま飲み、生牡蠣に大当たり。
2教科での本命でA判定の出ていたR大学史学科(初日) 対抗のB大学教育学部(2日目)を軒並み失敗。腹が痛くて受験会場に行くので精一杯だった・・・
しかも、運悪く受験日程が6日間連続。ようやく腹の痛みの収まったころ滑り止め大学ラッシュということで人生ビンボーくじ。

「満身創痍」 大学編
立正大学仏教学部仏教学科仏教学コースに御入学。
合格した学校の中では一番規模が大きかったし、なによりも東京の大学というのが魅力的でした。
しかし、実際は1,2年を埼玉北部の熊谷キャンパスで過ごすという詐欺のような目にあいましたがね。
サークルは迷ったんだけど、学生放送会に入会。
アナウンスは続けたかったし結構音響なんかも本格的に出来そうだったので。あったら入ろうと思っていた応援団は過去の不祥事で潰れたままだったし、クイ研は説明を聞きにいったらなんだかよくわからない人に対応されて入る気が失せてしまった。
1年の9月まで南浦和にある長野県学生寮に入寮していたが、200人の男が入った後の垢の浮いた風呂や三畳一間、土曜日は毎回カレーとバナナなどといった内容が許せなくなり、丁度育英会の奨学金も受給できることになったので熊谷にお引越し。
1,2年は熊谷で発生する熊谷ガス(このガスを吸引すると学校に行きたくなくなる。または行っても講義に出たくなくなる)にやられ夏休みでもないのに1ヶ月以上講義に出ないなどのだめっぷり。
部室でマージャン、音楽鑑賞、バカ話に明け暮れる。
でも、1年の時は単位を全取得。2年の時も自分で試験を受けなかった講義以外は全通しと要領の良さだけは発揮する。
(毎回講義に出ていた友人が可、1回しか行かなかった僕が優など)
体育祭でクイ研に協力し○×クイズの司会。留さんのぱくりでご満悦。
3年で校舎が大崎(山手線一マイナーな駅)に移ることになったので、横浜という響きに憧れ川崎市の一部のような横浜市鶴見区にお引越し。
家賃が倍に跳ね上がったので松屋フーズでバイト開始。
主に深夜勤務を中心に全時間帯に顔を出す。
この頃の収入はバイト20万、仕送り5万、奨学金7万と30万越え。凄まじい裕福。
相変わらず授業にもでず、バイトとサークルに精を出していると大学3年冬頃店長より
「お前は松屋に入社するんだろう」と念を押される。
僕としてはもおどーでもよかったし、仏教学部じゃろくな会社には入れないと達観、就職活動も面倒くさかったので「ええ」とポツダム宣言受諾。
だがよく考えると10年後に牛めしを作っている姿が想像できなかったので、ひそかにリクルートの就職本を読みハガキをだしまくる。
一通りハガキを出し終わり、最後にもう1回読んでおくかとパラパラめっくているとなんだか業務内容が事務主体で楽そうな会社を発見し一応ハガキをおくる。
集団面接で面接官のハートをしっかりキャッチし、2次面接では「女性の多い職場で、女性が上司になることもありますが大丈夫ですか?」との問いに、
「女性は大好きです」というとんでもない返答が面接官の爆笑を誘い合格。役員面接も終始エセスマイルで通しなんだかわからないうちに内定を頂く
松屋フーズでは内定者確保のため、飯おごり作戦が実施されていたが、
あまり良心の呵責も感じずタダ飯、タダ酒を繰り返し最後の最後で
「いや、すんません。他で内定でたんで」と一言言い残し逃亡。

「櫛風沐雨」 社会人編
楽そうというただそれだけの理由で入社したわけだが入社当時はとんでもなく忙しく、
150時間残業。お休みってなんですか?状態であった。
しかも研修が終わって初出社即初出張で山梨に行く。
1年目、2年目は忙しかったし、出張も多く、長野・山梨・新潟・北海道などに飛んでいく事も多かった。
3年目になり上司が変わり、変わり目がチャンス!!とばかりに野球観戦に精を出す。
平日・休日の東京ドーム。休日の千葉マリンスタジアム、西武ドームはほとんど欠かさず観戦し、出世街道から早くも外れる
現在は、辞める人が多く、なんだかわかんないけど心太方式で部内三番目の権力者になってしまい悪さばかりしている。
なんちゃって営業マンではあるが学生時代の要領の良さを発揮しノルマは順調にクリアし、ノルマクリア=さぼるという方程式を確立し、今日はパチンコ、明日は映画、昨日はマンガ喫茶てな塩梅で仕事さぼりまくり。
休日は基本的には野球観戦や読書なのだが、シーズンオフの休日に本ばかり読んでいてもつまらないので社会人クイズサークル「東京問答会:通称 バナナクラブ」にも参加するようになりこつこつとクイズの勉強をし始めたりしている。
転職はそろそろ。秒読み段階です。

愛すべき作家達

江戸川乱歩 中島らも 宮本輝 原田宗典 稲垣足穂 辻仁成 沢木耕太郎 椎名誠
       

愛すべき音楽

人間椅子 (THE)真心ブラザーズ サザンオールスターズ ソウルフラワーユニオン
ヘルマンエイチ&ザペースメーカーズ 斎藤和義 橘いずみ AIR ハイロウズ 
スネオヘアー スパイラルライフ ホフデュラン サニーデイサービス バービーボーイズBEGIN THEブーム キングクリムゾン ブラックサバス ディープパープルなどなど 

ぽいたの由来
私のHNは「ぽいた」である。
昔のあだ名でも、本名をもじったものでもない。
・・・・・
キーボードの配列を見ていただきたい。
P・O・Iが横に並んでいるでしょ。入力楽そうと思い、当初は「ぽいぽい」にしようかと思ったのだが、性別不詳のHNではネカマと思われると思い「ぽいた」とする。
漢字で書くと歩威太。これは嘘。