古代ローマ帝国の皇帝一覧

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 ユリウス=クラウディウス朝

 死因

 

前27−後14

アウグストゥス

自然死

14-37

ティベリウス

自然死 (?)

37−41

カリグラ

殺 衛

41−54

クラウディウス

殺 妻

54−68

ネロ

自殺

 内乱 69年

 

68−69

ガルバ

殺 軍

69

オト

自殺

69

ウィテリウス

殺 軍

 フラウィウス朝

 

69−79

ウェスパシアヌス

自然死

79−81

ティトゥス  

自然死

81−96

ドミテイアヌス  

殺 衛 

 五賢帝・アントニヌス朝

 

96−98

ネルウァ   

自然死

98−117

トラヤヌス   

自然死

117−138

ハドリアヌス  

自然死

138−161

アントニヌス・ピウス

自然死

161−180

マルクス・アウレリウス 

自然死

161−169

ルキウス・ウェルス   

自然死

180−192

コンモドゥス          

殺 衛

 内乱 193年

 

192−193

ペルティナクス        

殺 衛

193

ディディウス・ユリアヌス   

殺 衛

 セウェルス朝

 

193−211

セプティミウス・セウェルス 

自然死

193−194

ペスケンニウス・ニゲル

戦死

193−197

クロディウス・アルビヌス

自殺

211−217

カラカラ

殺 軍

211

ゲタ

殺 (兄)

217−218

マクリヌス

殺 軍

218−222

エラガバルス

殺 衛

222−235

アレクサンデル・セウェルス

殺 軍

 

 混乱期の皇帝

 

235-238

マクシミヌス・トラクス

殺 軍

238

ゴルディアヌス1世

自殺

238

ゴルディアヌス2世

戦死

238

プピエヌス

殺 衛

238

バルビヌス

殺 衛

238-244

ゴルディアヌス3世

殺 衛

244-249

フィリップス・アラブス

戦死 

249-251

デキウス

戦死

251-253

トレボニアヌス・ガルス

殺 軍

253

アエミリウス・アエミリアヌス

殺 軍

253-260

ウァレリアヌス

捕虜 のち死亡

253-268

ガリエヌス

殺 軍

268-270

クラウディウス2世

自然死

270

クィンティルス

自殺

270-275

アウレリアヌス

殺 衛

275-276

タキトゥス

殺 軍

276

フロリアヌス

殺 軍

276-282

プロブス

殺 軍

282-283

カルス

自然死(落雷?)

283-284

ヌメリアヌス

殺 衛

283-285

カリヌス

戦死

 ガリア皇帝

 

260-269

ポストゥムス

殺 軍

269

ラエリアヌス

不明

269

マリウス

殺(喧嘩)

268-271

ウィクトリヌス

殺 

271-274

テトリクス

自然死

 復興期の皇帝

 

284-305

ディオクレティアヌス

自殺(?)

286-305、307−308

マクシミアヌス

殺あるいは自殺

305-306

コンスタンティウス1世

自然死

305-311

ガレリウス

自然死

306-307

セウェルス2世

殺あるいは自殺

306-312

マクセンティウス

自然死(溺死)

310-313

マクシミヌス・ダイア

自殺

307-337

コンスタンティヌス

自然死

308-324

リキニウス

殺 処刑

 

 コンスタンティヌスの後継者

 

337-340

コンスタンティヌス2世

戦死

337-350

コンスタンス1世

337-361

コンスタンティウス2世

自然死

350-353

マグネンティウス

戦死

360-363

ユリアヌス

戦死(?)

363-364

ヨウィアヌス                 ‖自然死(二酸化炭素中毒死)

東部帝国

 

364-378

ウァレンス

戦死

西部帝国

 

364-375

ウァレンティニアヌス1世

自然死

367-383

グラティアヌス

殺 軍

375-392

ウァレンティニアヌス2世

殺 衛

392-394

エウゲニウス

戦死

383-388

マグヌス・マクシムス

殺 軍

テオドシウス朝

 

379-395

テオドシウス1世

自然死

テオドシウス朝・東ローマ帝国

 

395-408

アルカディウス

自然死

408-450

テオドシウス2世

自然死(落馬)

テオドシウス朝・西ローマ帝国

 

395-423

ホノリウス

自然死

423-425

ヨハネス

殺 軍

425-455

ウァレンティニアヌス3世

殺 衛

西ローマ帝国・最期の皇帝

 

455

ペトロニウス・マクシムス

殺 襲撃

455-456

アウィトゥス

殺 捕虜

457-461

マヨリアヌス

殺 処刑

461-465

セウェルス3世

自然死

467-472

アンテミウス

殺 処刑

472

オリブリウス

自然死

473-474

グリケリウス

殺 (逃亡)

474-475

ユリウス・ネポス

殺 軍

475-476

ロムルス・アウグストゥルス

自然死(?)

 ビザンツ(東ローマ帝国) 省略




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古代ローマ関係の本を読んでいて思うのは、ローマ皇帝の変死の割合は異常に高いということです。
死因のトップは圧倒的に殺害で、暗殺、謀殺に怯える皇帝も少なくなかったようですが、注意深く身辺を警護させていても結局殺される割合が高く、結果、約65パーセント以上の皇帝が自然死以外の死因で亡くなっているようです。 身近な者、自軍の将校、兵士、親衛隊などに殺される場合も多いので、猜疑心が強くなるのも無理はないのかもしれません。
病気や高齢のために亡くなったのは、やはり賢帝といわれた皇帝が多く、当然ですが混乱期、内乱期の皇帝たちは殆んどといってもいいほど殺害されています。

死因の欄で
「殺 軍」 は軍隊によって殺害された皇帝。
「殺 衛」 は親衛隊や警護によって殺害された皇帝。
「自殺」 は追い詰められて、やむなく自死した皇帝です。
「自然死」 には病気や高齢のために死亡した以外に、不慮の事故死も加えてあります。
また死因がハッキリしない場合は(?) を付けておきました。
  参照:ギボン著「ローマ帝国衰亡史」 村山勇三訳 他                                  04年12月7日  



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