YURUのドレスデン奮闘記
(14_1:27.12.04〜31.12.04)


27.12.04(Montag)
今日で、ドイツ在住3ヶ月、あと、ついに、25歳になってしまった。昨日までは、四捨五入で二十歳だったが、今日からは...あまり、言いたくないな。今週は、特に、何もすることがないが、まだ、少し、鼻がくしゅくしゅなので、年末年始は、Dresden近辺で過ごすことにする。あと、せっかくの休みなので、ゆっくり本を読んだり、ホームページをバージョンアップしたりしてみたい。

今日は、未明から雪が降っており、朝のDresdenは、うっすらと、雪が積もっていた。9時に起きて、朝飯食って、スーパーでペットボトルを返してから、中央駅でコーヒーを一杯飲み、ショッピングに出かけた。最近、冬物のセールが始まっているので、掘り出し物を探しに。トラムを乗り継ぎ、以前見つけた商店街やら、Dresden Mitte駅の近くにある、家具?の大型商店やら、Altmarktのショッピングモールなんかを、あてもなく歩きながら、いろいろ見て回った。以前から、良いSchal(マフラー)はないかと、探しているのだが、なかなか見つからない。今日は、結局、何も買わずに、スーパーで、ちょこっと食料を仕入れて、寮に帰ってきた。そうそう、先週金曜日に終了したWeihnachtsmarktは、多くの露店が解体作業に入っており、いよいよ、今年も終わる感じがするのであった。


露店解体中(左)、雪の降る街(右)

寮に帰ってから、ホームページのバージョンアップを試みることに。タイトルの書き方を工夫したいなぁ、新企画も考えたいなぁ、トラム紹介の続きもやらなきゃなぁ...やりたいことは尽きないのだが、とりあえず、タイトルの書き方を考えることに。トイレに座りながら、どうしたもんかなぁ、なんて考えた。駅の出発列車表示板をモチーフにしたのはどうかなぁ...とりあえず、作ってみることに。でも、これを作るには、一度、しっかりと表示板を見て来なくてはいけない。明日の朝にでも行ってみるか。

今日の夕食は、Bockwurst(ぶっといソーセージ)と、Kartoffeln、Zwiebeln、Paprikaの炒め物。味の甲乙付け難い一品であった。
(終わり)


28.12.04(Dienstag)
今日は、朝10時過ぎに起きて、朝飯食ってから、先日少しだけ訪れた、Meissenへ行ってきた。

12時ちょうどのバーンに乗って、Meissenへ...と思ったのだが、何故か、途中の駅で、運転打ち切りになってしまった。なんでやねん。トラムでも、時々、運転経路変更なんかがあったりするのだが、そんなんありか?、と思う。しょうがないので、列車を降りて、ICEを上下1本ずつ見送って、次のSバーンに乗り、1時過ぎに、Meissenに着いた。Elbe川に架かる橋を渡って、とりあえず、Tourist Informationへ。ドイツ語と英語のパンフをもらい、駄目もとで日本語版はないか、と聞くと、あったね。Meissenすげぇ、と言うか、かなり、観光客多いのかも知れない。街中で、団体にも遭遇したし。あと、Meissenは、Dresdenから、各駅停車のSバーンでも40分くらいの距離だから、Dresdenを含むSachsenの観光拠点の一つなのかも知れない。


運転打ち切りのSバーン(左)、小山にそびえる城(右)


中央広場(左)、日時計(右)

パンフをgetした後、街の石畳を歩きながら、小山にそびえる、アルブレヒト城を目指すことにした。この城は、ドイツ語圏で最初の居城、かつての領主ヴェッティンが住んでいたそうな。城の石橋の手前にある急な階段を上り、城山の頂上へ。すると、そこからは、Meissenの街が一望できる。素晴らしい眺めである。今日、朝は雲っていたのだが、午後のMeissenは晴れ、天気も申し分なく、気持ちが良い。また、展望台のそばには、ヴェッティン家の墓もあり、こちらは厳粛な感じである。墓石のそれぞれに、"Amen"の文字がある。


城へかかる橋(左)、細い路地を覗く(中)、城へ続く急な階段(右)

頂上からの風景

城から中心街へ引き返す途中、城の門のところにある建屋に、"Modelleisenbahn(鉄道模型)"の文字を発見。なんで、こんなところに鉄道模型が、とは思ったが、重厚な扉を開けて、中へ入ってみた。すると、その建物は、どうも、城の関係者が使っていた、調理道具や家具などを集めた小さな博物館で、その屋根裏部屋が、小さな鉄道模型博物館になっているようであった。1.5ユーロの入場料を払って、博物館に入ってみると、そこには、HOゲージの模型が、所狭しと並ぶ。他にも、本物みたいに、煙と音がでる蒸気機関車も走っており、もう、ウハウハである。こうなると、俺の精神年齢は、小さな子どもと変わらないらしく、家族連れに混じって、にこにこしながら、模型を眺めるのであった。また、慣れないドイツ語で、"Kann ich bilder nahmen?(写真、撮っても良い?)"と聞き、良いと言われたので、何枚か写真も撮った。


鉄道模型博物館にて

どうも、鉄道模型博物館に長居してしまい、しかも、今日は、出発が遅かったので、博物館から出てきた時は、すっかり日が落ちてしまい、寒くなっていた。それから、街を少し歩いて、小腹が空いたので、パン屋に寄ってから、駅へ向かった。帰りは、4時49分発のSバーンに乗り、6時半頃、寮に着いた。

石畳に刻まれた街の地図

帰る途中、MeissenのStadtmuseum(City Museum)でも、Modelleisenbahnの展示があるとの情報を手に入れた。また、Meissenは、伝統的な陶磁器でも有名で、その博物館もあるらしい。なので、今週中に、もう一度、Meissenを訪れてみようと思う。
(終わり)


29.12.04(Mittwoch)
今日は、Meissen観光の2日目。9時過ぎに起きて、10時半のSバーンで行ってきた。


Meissen駅(左)、Stadtmuseum前の馬車(右)

まずは、Stadtmuseumからスタート。Modelleisenbahnもあると思っていたのだが、館前にあったチラシは、昨日訪れたところの宣伝だったようだ。現在、ここでは、Adventskalender(遊び心のあるカレンダー)100周年記念展が開催されており、一風変わったカレンダーが、沢山並んでおり、一坪ほどの大きさを持つものもあった。クリスマスの光景、音楽アーティストの写真...多くの絵柄が並ぶが、一番気に入ったのは、サンタクロースに飛びつく子供を描いたカレンダー。プレゼントを持つサンタに、小さい子供が抱き付く絵なのだが、2人の表情が、とてもやわらかく、幸せそうだった。ここまで、表情豊かに描けるものかと、感心してしまった。館内は、吹き抜けの3階建てになっており、2階と3階には、大昔の石器、剣と鎧、Meissen名物の陶磁器などが並ぶ。あと、館内の部屋で、ある団体が、結婚式を挙げていた。そして、式が終わった後は、館前に停まっていた馬車に乗って行った。なんと、粋な結婚式だろう。


博物館中庭(左)、Adventskalender展(中)、でかいKalender(右)

Stadtmuseumをあとにし、街中を歩いて、Meissenの観光客が必ず訪れる、陶磁器の博物館へ向かった。Meissen陶磁器の歴史は、1708年のDresdenに遡るらしい。この年、技術師ペドラーは、赤い陶磁器の製作に成功、翌年には、白い陶磁器を完成させた。世界で初めて、陶磁器の製作に成功したのである。ザクセンの王は、その技術が、外に洩れないよう、1710年、Meissenの地に、陶磁器の製作場を作ったのだが、それが、そのまま、現在に至っている。現在、この陶磁器製作場はザクセン州の所有である。

博物館には、展示場と実演場があり、両方入場すると7.5ユーロだが、学生証を持っていたので、7ユーロにまけてもらえた。あと、驚いたことに、展示場では、ヘッドフォンを使って、日本語の解説を聞くことが可能だ。その他にも、フランス語、スペイン語などもあり、観光マップといい、Meissenは、世界に開かれた観光地であると感じた。実演場では、陶磁器製作の際の主要工程を、実演を交えて解説してくれる。実際に、ろくろを回しながら、粘土からカップを作り上げたり、細かい装飾を作ったり、皿に絵を書いたり...大勢の人に見られながらも、手慣れた手付きで作業していた。Meissen陶磁器の製作工程は、おおよそ、以下のような感じ。

主要部分製作(左)、装飾製作(右)


下色付け(左)、本色付け(右)

出来上がるまでに、3回も焼くのには、驚いた。また、ここで作られる陶磁器は、全て、手作りらしい。出来上がった、カップや皿を見ると、とてもすばらしく、技術力の高さを証明している。実演終了後は、展示場へ。1710年以降、ここで製作された3000点以上の陶磁器が展示されているのだが、いかんせん、数が多過ぎる。食器、像、壷...どれもこれも陶磁器製。あと、干支の12の動物も居て、楽しかった。全体を通して感じたことは、絵が繊細で美しいこと。筆で、ここまで細かく描けるものかと、驚いた。帰りに、土産物屋にも寄ってみた。しかし...どれも、俺が手が出る値段ではない。下手をすれば、一年間の奨学金が一気にふっ飛ぶようなものもあった。仕方ないので、ウィンドウショッピングだけに留めて、博物館をあとにした。


豪華な食器(左)、展示場中央の吹き抜け(右)


小さな陶器製の人形(左)、でかい壷(右)

帰りは、また、街中を歩いて、昨日、気になった、画廊?に寄った。5ユーロで、Meissenのスケッチが売っていたのだが、気に入った一枚を購入した。その後、パン屋に寄って、少し、腹を膨らしてから、駅へ向かった。

今日は、多くの、美しい芸術に出会った。Meissenは、Sバーンに乗れば、いつでも行くことができるので、また、機会があれば、行ってみようと思う。
(終わり)


30.12.04(Sonnerstag)
今年も、あと、残すところ、一日だけか...

今日は、終日、のんびりと過ごした。朝、10時頃起きて、朝飯食って、買い物に出かけた。日本のKollegeに年賀状?を出そうと、ポストカードを買い求めたり、諸々の生活雑貨を揃えたり。午後は、一昨日と昨日の旅の写真を整理したり、ホームページのバージョンアップを試みた。結構、出来上がって来てはいるが、今一つ、物足りない感じ...

夕食は、のりたまご飯にハンバーグ...のはずであったが、ご飯の水加減間違えた...できたのは、おかゆに近かった。しかし、捨てるのももったいないので、我慢して食った。夕食後、踊り場で一服していると、AmarとそのKollegeがやって来たので、少し話した。ネパールでは、新年は4月らしい。だから。明日と明後日は、彼らにとっては、あまり意味のない日であるようだ。

どうでも、いい話だが、Silvesterが近づくにつれて、スーパーが花火を売り始めている。日本人にしてみれば、なんでこの時季に花火なの?、って感じになる。それで、子供たちが、近所で花火をしているわけだが、花火というより、爆竹に近い。うるさいし、危ないと思うのだが、ドイツの花火は、あんなもんなのだろうか...
(終わり)


31.12.04(Freitag)(Silvester/大晦日)
日記を書いている現在、ドイツ冬時間で31日夜10時(日本は、元旦朝6時)過ぎである。「明けまして...」と言わなければいけないかどうか、微妙なところではあるが、現在、ドイツ在住ということで、こちらの時間に従うことにしよう。

朝9時半頃起床、朝飯食ってから、読書に出かけた。Dresden Nuestadt駅のBARGER KINGにて、コーヒーを飲みながら、1時間半ほど小説を読んで、ついでに、スーパーで買いものもして、寮に帰ってきた。ポテトで、軽く昼食を取り、読書の続き。それから、年賀状書かなきゃ、なんて思っていたのだが、1時間半ほど、居眠りしてしまった。昼食が少なかったせいか、腹が減ったので、夕食の準備に取りかかる。今日のメニューは、ハンバーグの残りと、boilしたKartoffeln、それと、Gurken(ぶっといきゅうり)であった。それから、何故か、Knoppixに付いているゲームにはまってしまい、現在に至る。あと、暗くなってから、近所での、花火(爆竹)の音が激しさを増してきている。どうも、Silvesterの花火は、毎年の恒例行事らしい。

まぁ、今日は、今年最後の日ということなので、YURU的10大ニュースでも書きながら、少し、今年を振り返ってみることにする。

今年のYURU的10大ニュース
元旦、東京大学向ヶ岡学寮で新年を迎える。実家以外の場所で新年を迎えたのは、人生初。
2月、人生の岐路に立つ。年間で約5000ユーロの奨学金をもらえることになり、ドイツ留学を決意。
3月、4年間お世話になった、東京大学向ヶ岡学寮が、54年の歴史に幕を閉じ、閉寮となる。
3月、豊島各際学生宿舎へ引越し。初代寮委員長に就任。一時期、会計も兼任し、研究の忙しさも加わって、死にそうになる。
5月、ドイツでの学会のため、海外初体験。行きの機中で、ビールを飲んだ挙句、乱気流に会い、吐きそうになる。
8月、人生で初めて、江戸川花火を見る。友達の尽力により、特等席で見物。素晴らしかった。
9月、研究室歓送会。熊のぬいぐるみをプレゼントされ、毎度ながら、踊らされた。
9月、長年住んだ日本を離れ、単身渡独。一年間のドイツ生活が始まる。
10月、ドイツ生活のための諸手続きで死にそうになる...でも、何とか、全てクリア。
12月、人生初、冬山登山&洞窟野宿&寝袋を体験。顔だけ寒かった。

今年一番の事件は、やはり、ドイツ留学ということになろうか。5月に初めて海外へ行き、二度目の海外が留学ということで、出国前は、かなり、不安も大きかったのだが、これを書いている現在は、こちらでの生活にも慣れ、のんびりと、日々の暮らしを楽しんでいる、というところだろうか。東京での生活が忙しかったせいか、できれば、一生、今の感じのまま、この地で暮らしたいというのも、まんざら、うそではないのだが、そうは問屋が卸さないらしい。来年の9月には、また、忙しい?日々の待つ東京を帰らないといけない。修士過程も、半年残っているし...しかし、今回の留学では、東大での指導教官である古関助教授に、大変お世話になったことを、忘れてはいけないと思う。受け入れ先紹介から、ドイツ語のご指導、生活のアドバイスなど、あらゆる面で、サポートしていただいた。本当に、感謝しなければならない。

また、今年は、上京以来お世話になっていた、東京大学向ヶ岡学寮が、54年の長い歴史に終止符を打ち、閉寮となった。入寮前は、実家にしか住んだことがなく、上京の際は、かなり不安な心境だったように思う。しかし、どうも、この寮の雰囲気が、俺の気性に合っていたらしく、多くの寮のメンバーにも恵まれ、非常に楽しく、アクロバチックな4年間を過ごした。学生寮ならではの事件も多く、「酔った先輩、後輩を平手打ち事件」や、「○○交差点、○○屋、裸事件」などは、有名である。殊に、裸になるのが好きな寮生が多く、夏、全裸?で暴れていた光景は、忘れたくても、忘れないのである。とにかく、この向ヶ岡学寮は、俺に、単なる住居だけではない、多くの人間関係や、多くの貴重な経験を与えてくれた。また、向ヶ岡学寮閉寮に伴い、豊島国際学生宿舎へ引越したわけであるが、こちらは、新築ほやほやの、きれいな建物。部屋は個室で、きれいなキッチンも与えられたが、俺的には、前の寮の方が、人間味があって、好きであった。また、そういう意味で言うと、今住んでいる、ドレスデンの寮は、キッチン、シャワー、トイレが共同で、多くの寮生に会うので、何となく、向ヶ岡学寮の雰囲気に近い気がする。まぁ、裸になるなんて習慣はないが...

ということで、本当に、いろいろあった一年だったと、今さらながら、思うのである。また、来年も、今年以上に、ワンダフルな一年になることを期待して、年内最後の文章を締めくくることにしよう。
(終わり)


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