ムーンライトえちご 新潟一人旅 2008.03.24(月)〜03.28(金)



 浪人の末、志望校に合格できなかった僕は毎日だらだらと過ごしていた。本当ならば合格してこの旅行へ行くはずだったのに。

 図書館でいろいろと本を借りてきて、ムーンライトえちごの存在を初めて知った。今まで毎日単調な浪人生活を送っていたし、夜行電車なんて乗ったことがなかったので、始発から鈍行で行くことを止めた。しかしながら季節は春休み。本にある注釈のように「青春18きっぷ」シーズン。だめもとで地元の駅に行くとムーンライトえちごの指定席は簡単に買えてしまった。

 当日は新宿から乗車。9割の席は埋まっていた。周りの席には僕と同じような旅行者やスーツの人など様々な人がいた。でもみんなの共通点はこれから新潟に行くということだった。そう考えるとなんだか夜行っていいなと実感した。それに切符代(18きっぷ)と指定席代(510円)と信じられないくらいの安さで新潟まで乗り換えなしで行ける。


  写真:乗車したムーンライトえちご 高崎駅


 新宿を出て眠ることのないネオン街の中を古い電車が走り出す。

 高崎までの駅では乗車する人も多い。なぜか僕のには誰も乗ってこなかった。ラッキーだった。1号車に乗車したため、グリーン席と一緒だったのだが、1号車内の途中に壁があり、普通席とは完全に隔離されていた。途中、車内改札で車掌さんがきた。今ではこういう電車に乗らなくちゃなかなか車内改札なんて出くわさない。車掌さんが切符にハンコを押す姿は格好よかった。実は憧れている。

 高崎までは小説「雪国」をずっと読んでいた。高崎に到着してから停車時間もそこそこあるので、一度外へでた。この駅は小さい頃家族でスキーに行くときの通過駅であったので、かなり思い出深い。しかし残念なことに駅舎がかなり改装されていて、昔の面影がなくなってしまっていた。

 この目玉は、急行「能登」号と隣り合わせで停車する。オタクではないが純粋に鉄道が好きなので、ボンネット型車両を初めて見て興奮した。能登号の最後尾車両には10人くらいのファンが詰めかけ写真を撮っていた。
  写真:急行能登号 高崎駅


 隣の空席を使い思う存分に睡眠しようと思ったのだが、結局のところ一睡もできなかった。初めての夜行ということもあるだろうし、胸の高揚感みたいなものもあった気がする。

 新潟駅にはほぼ定刻通り到着。駅の中を散策してみたが、失礼ながら本当に質素な駅だった。本当にここが新潟一の駅なのかと。

 その後は信越線の始発で下って、何とまた越後中里まで逆戻りした。湯沢中里スキー場をどうしても見たかったのだ。ここは先ほど書いた家族で行った思い出のスキー場なのだ。もう何年も行っていない。

 越後中里まで行く途中地元の高校生がたくさん乗ってきた。真っ白な世界の中で生活は、いったいどういうものなのだろうか。日ごろ自分が使う通学電車とは全く雰囲気の違う和やかなものであった。
  写真:越後中里駅の通路から群馬方面 


 この湯沢中里スキー場には休憩場として使用できる昔のブルートレイン車両がある。これも本当に懐かしかった。小さな頃はここでよくお菓子を食べたなと思いだした。また一部の車両は座席が取り払われ、お座敷列車のように改装されたいた。

 それにしてもいくらシーズン終盤といっても、普通の服装でスキー場にいた自分周りの人から、どう見られていたのであろうか。
  写真:ブルートレイン中里の車内 湯沢中里スキー場

 付近を散策した後は、越後湯沢駅を目指したのだが、電車が来ない。仕方なくタクシーで越後湯沢へ。昨夜からの小説「雪国」はもう読み終わっていたので、ここがその舞台なのかと実感した。雪国記念碑を見に行こうと思ったが時間もなくなったので、電車にのった。

 ちなみに越後湯沢駅内に超特大のおにぎり屋さんや酒屋さんもありなかなか賑わっていた。
  写真:越後中里駅

   この電車を散散運転していた。「電車でGO!」でだが。

 越後湯沢からはまた新潟へ戻った。途中は長岡で接続待ちで途中下車したくらいだったので、いま思うともうちょっと時間を有効に使えたらなと反省している。

 車内はボックス席もあり、知らない人同士向かい合って座る。これも自分は好きだ。地元の人の会話を聞いたり、同じような旅行者の人もいたりと。自分がその席で旅行雑誌を読んでいると、前に座っていたおじいさんがいきなり「スマン」と言って、ボトルを差し出してきた。何の事だか気がつけて、フタを開けてあげた。ここで「ありがとうございます」なんてつい言ってしまったら、非常に恥ずかしかった。
  写真:ほくほく線 越後湯沢駅

 昼過ぎにまた新潟市に戻った。今度は早朝と違いなかなかの賑わいを見せていた。市内ではレインボータワーに上ったりレンタサイクリングをのって市内を駆け巡った。新潟市が運営する格安のレンタサイクリングがあり大変有効に使わせていただいた。
  写真:新潟のシンボル 万代橋

 その自転車で日本海に沈む夕日も見ることができた。

 自転車を返却し、ホテルに向かった。今夜は新潟駅のすぐわきにある「チサンホテル」に泊まった。とても奇麗なホテルだった。夕食はあまりに疲れて繁華街にでる気力もなかったので、コンビニでそばを買ってきた。その後はぐっすりと寝た。

 翌日は午前中に新潟名物のかつ丼を食べに、その本家のかつ丼屋さんに言った。卵でとじないかつ丼である。だからタレとカツのサクサク感が非常に重要となってくるのだろう。
  写真:日本海に沈む夕日


 午後からは信越本線で柏崎へ。ここには少年頃毎年のように来ていた。第二の故郷である。しかしながら2007年に発生した地震の影響で街は姿を変えてっしまった。毎年世話になっていた宿に泊まろうと、電話を入れたが今年は営業しないそうだ。本当に辛かった。宿の方は駅前のビジネスホテルに泊まった。しかしここの部屋からも被災された方の仮設住宅が見え改めて震災の影響を実感した。当時自分は浪人生だったため、何も柏崎の力になることはできなかった。
  写真:柏崎駅前の仮設住宅 

 チェックアウトの10時の30分前に起きたため、慌てて用意をしてホテルを後にした。駅前からずっと歩いて東の輪海水浴場の方へ向かった。 ここには日蓮が間違って漂着した場所があることでも有名である。そして少年の頃ここでいつも背中が真っ黒になるまで泳いでいた。本当に懐かしかった。しかし昔と比べてすこし砂浜が狭くなっているようにも感じた。
  写真:番神岬

 あたりを散策しながら御野立公園へ。ここは明治天皇が来た場所だそうである。展望台には立ち入り禁止のテープが張られたり、石碑が崩壊していたりと地震の爪痕がはっきりと残っていた。
  写真:鯨波海水浴場 御野立公園から

 小さい頃このトンネルが非常に怖かった記憶がある。でも入口は鯨の形をしていてかわいらしい。左側にも歩行者用トンネルがあるのだが、地震の影響からか封鎖されていた。
  写真:御野立公園の真下 御野立トンネル

 昔からこれが何なのかずっと気になっていたのだが、案内版を見てやっと解決した。その名の通り鬼が住んでいたとのこと。やはり子供の頃ここはすごくこわかった。  
  写真:御野立トンネルわきの鬼穴

 最後に日本一海に近い駅青海川に行った。ここはホームの下が海である。海と一体化した駅である。残念ながら地震でホームの直江津側が土砂崩れの被害を受けた。地震の報道でも何度もここが映されていた。当日もまだ工事中であった。

このノートは青海川駅を愛する地元の方が設置されたものであり、青海川を訪れた人が記念にかきこみができる。自分も一言書かせていただいた。
  写真:青海川駅ノート

 ビジネスホテルでもらった新聞には青海川駅が新しくなったことが写真入りで載っていたた。ステンドグラスが使われとても奇麗な駅に変わっていた。ここは昔ドラマ「高校教師」の最終回で使用され話題を呼んだ駅でもある。その後旅番組等で特集されることも多いようである。
  写真:新しくなった青海川駅

 今回の一人旅を通して大好きな新潟に新ためて触れることができた。 しかしながらそこには今なお地震の被害で苦しんでいる方々がいることを忘れてはならないと思う。お土産屋さんでおばさんと話したときに「何で新潟に2回も地震がきたんだろうね」という言葉が印象に残っている。
  写真:工事中の青海川駅そばの崖






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