ドモ日記2月
03/02/23
 外部リンクに『窓の杜』を追加。
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 私事で恐縮なんですが、かつ、ゲームの話で恐縮なんですが、去る19日にウルティマオンラインっていうパソコンのネットゲームの中で、自分の家を建築いたしました。
ウルテマオンラインの家
 ウルティマオンライン(以下略:ウオ)の世界の中でマイホームを建てれるというのは開発当初からの売り文句であり、実際、ウオの世界に住む一般民衆たちの憧れの的でした。しかしながら、ウオの世界は日本と同じく土地が狭く、地上げ屋の方々によって土地の価値が高騰し、100万gp(ウオの1gpは非常に価値が高い。パン一つ5gpとして、1gp=20円のレート)もの値がつくのはざらと言う話。中にはネットのオークションで現金取引されるという不健全な話もちらほら。到底、一般大衆の買えるような代物ではございませんでした。ここらへん、参加している人間によって世界が運用されているっていうネットゲームの特徴がよく出ていると思います。
 そういう訳で、諦めるのが素早い僕としては、即刻諦めて釣りを趣味として遊んでいたのですが、それでもやはり釈然としないものを感じていました。これからウオを始める人にとっても、こういうやり切れない要素があるというのは、やっぱり抵抗を感じる原因にもなりうるし、家に関するゲーム内詐欺も多く、諸々の問題の多くは家に収束されていたからです。
 ところが最近、法改正とでもいいましょうか、家に関してのシステムが大幅に改良されることになりました。今までは1人が何件でも家を持てるというシステムだったので、資本家達が際限なく家を持ち、それを転売する事によって、さらに多くの富を得ることができました。しかしこれからは1人のプレイヤーにつき家1軒というシステムが適用されることになったのです。これは金持ちが、これ以上家を建てれない事を意味します。
 そして追い討ちをかけるように建築可能な土地の大幅な追加。今までは土地代ばかり高かった為に一般大衆の手が届かなかった土地も、頑張れば手に入るようになりました。家そのものの価格は、小屋であれば4万gpから手に入ります。これならば僕にもチャンスがあるというもの。なけなしの金をかき集めて、家を探す旅に出ました。
 新しい土地導入の当日。異常なまでにネットが混雑しているさなか、僕は新しい大陸に降り立ちました。物凄い人の量です。ゲームサーバーの処理速度が追いつかず、一歩踏み出すのにも10分くらいかかります。バグも発生。洒落にならない状況をかいくぐりながら、既に建築ラッシュが始まっている平野を歩きました、びっしりと建ち尽くされた家、家、家。人間の欲望の暴走というものを切実に感じました。かくいう私もその中の1人です。
 処理速度にも、自分の精神状態にも泣かされそうになりながら、やっと辿り着いたのは、巨大な家が立ち並ぶ住宅地。その軒先とでも言うべき、完全に日照権を奪われた空間に、建築可能な土地を発見しました。ちょっぴり感動。そして、これからは商売と言う新たな目標が待っているのです。
 ウオというゲームは戦闘もできるのですが、他のネットゲームとは異なりビジネスの方法も多岐に渡ります。そういったものは全てプレイヤー一人一人が運営しているため、妙に生々しい交渉や現象が生じることが多いのです。ネットという秘匿性のある空間に生活しているから性格が剥き出しになるということも、その面白みに一役かっているでしょう。
 また今回、家に関して整備されたシステムも、法律といったものが生活にどのような影響を及ぼすのか、よく表現しるように思います。ゲームの開発元が完全にプレイヤーのやるべきことを規定するのではなく、現状の問題を改善するために、プレイヤーが自分の意志で行動するように仕向けていくというスタイルを貫きました。
 こういう作られた世界の中で、人間が参加しているからこそ起こる状況に、ある種の真実を垣間見てしまうことがあります。そういった経験を得ることのできるネットゲームの可能性というものを漠然と肯定している近頃の僕です。 
03/02/17
 コンテンツ自作小説を一時閉鎖します。けっして、辻褄が合わなくなったというような理由ではない。多分
 短いものか、まったく別の文章か、とりあえず、完結したものを載せていく方針にします。
 (これにより、このサイトのコンテンツは全て死滅いたしました。い、一時的に…)
文章のいいわけのようなもの
 小学校の頃、丁寧文とぞんざい文をしっかりと書き分けるように注意された覚えがある。「〜です」と「〜だ」を同じ文章の中に用いないっていう奴だったと思う。これはつまり文章の目的によって使い分けるものである。目上の人に対する文章であるならば、ですます調を使い、論文のような装飾する必要のない文であれば、普通に終止形で書く(呼称が分からん)。同じ文章内で、これらを混同して使用すると何を目的とした文章であるのかが相手に伝わりにくくなってしまう。
 ところがどっこい僕の文章内では平気で丁寧口調とぞんざい口調が混ざり合っている。前述の理論を用いて説明するならば、誰を相手に語っているのか本人にもわかっていないってところだろう。
 マジャヨ(韓国語で[正解です」の意)
 しかしながら、言い訳をさせていただけるならば、他にも理由があると主張したい。
 基本的に、このホームページの口調は丁寧口調を使うようにしています。他人様に見せる訳だから当然です。たまたまホームページを見に来て下さった人に対して、「よく来たな、この耳クソほどの価値もないうじ虫野郎どもめ。このサイトは貴様の役には立たないから、とっとと消えうせろ」などという口調では、失礼ですよね。
 そういった丁寧口調を基本としているにも拘らず、同じ文章内で唐突にぞんざい口調になる場合がある。いろいろなケースがあるが、先ず考えられるのは「ひとり突っ込み」をしているからのように思う。丁寧口調で語っていて、ちょっとボケたつもりの時、そのまま文章を流していたのでは少し恥ずかしい。そういう時は分かってボケてるんだよってな感じで即座に突っ込みを書き込む。そういう時に丁寧口調で突っ込んだのでは、話題にして即座に否定という訳の分からない文章になる。
今日だけは自分を馬鹿だと思いました。本当はいつも馬鹿です。
 面白くないし、よく意味がわからない(なんか、ちょっとだけ面白いけど…)。これを混同方式にすると、
今日だけは自分を馬鹿だと思いました。いつも馬鹿だろ。いっそのこと永遠に馬鹿だろ。
 これだとイキのいい突っ込み系文章になる(もっとわからないけど…)。何かこう、一人ぼっちで文章を書いているのに、あたかも二人に人格が分裂しているかのような効果を生みますね。
 他には、いきなり丁寧口調になると、あらたまった感じや弱気な感じ、超然ととりすました感じを与える効果もあると言える。
 実際、普段は到底使わないような言い方を交えて文章を整えて行くのが僕の文章スタイルなので、そういった混同文章もノリのためだと言えば、納得の範疇に入ってもいいのではないかなと思う今日この頃。
  ほんとは文章書いてる途中で気分が変わり、知らず知らず口調が変わっているのがほとんどなんですが…。小学生並です。
03/02/15
 2月14日付けで、この遊文堂も2周年を迎える事ができました。微妙な日付なので、当日は更新できませんでした(何であんな日に始めたのだろう)。ホームページを始めた当初に比べると、このサイトも大幅にレイアウトが変わっています。でも中身はたいして変わっていません。ショック(°。゜;
 でも思えば、あの頃と比べて大分ホームページに対する意識とか、文章に対する意識とか変わっていると思う。そうやって考えて見るとホームページ続けてきて、少しくらいは良かったのだと自分を納得させる今日この頃。
03/02/13
 月も半ばを過ぎようとしています。ドモ日記の1月も別ページに移しました。遊びで忙しく暮らしていると、サクサクと月日が流れていく感じがします。しかしながら、給料日前になると、それでもまだまだスピードが足りず、頼むから月日よ、早く過ぎ去ってくれぇと祈っている自分がいます。それでいて、酒でも飲みながら、社会人になってからは月日の流れるのが早いねぇ、とか言いながら嘆息している僕もいる。やりきれませんね。
映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』
 こいいう映画を大作と言わずして、何を大作映画と言うべきか。ノビ太みたいな奴が箒に乗って空を飛び回っているような(魔界大冒険ではない)のが、大作と言えるのか(好きやけど…)。そんなノリで映画館に足を向けました。予告編も格好いいし、お金もかかってるし文句の付け所がないやろって信じてたんですが、意外と周りの評判は良くなかったです。アカデミー賞のほうもイマイチやし。…だからこそ、誉め殺しという言葉の大好きな僕は、語ってみたいと思います。
 舞台は19世紀、南北戦争時代のアメリカ、ニューヨークの暗黒街。そこではアイルランド移民とネイティブアメリカンとの利権を賭けた血みどろの抗争が繰り広げられていた。そして決戦の日。主人公である少年は、目の前で父を殺されてしまう。長い年月を経て再び暗黒街に戻って来た主人公は、復讐劇の渦中へと我が身を投じて行く。
 というストーリーなんですが、歴史の知識に疎い僕には知らなかった事実が多すぎて、面食らう事が多かった。アイルランド移民が何ゆえネイティブから弾圧を受けるのか、黎明期のギャングが何ゆえに大手を振って街を歩けるのか、カトリック教会の位置付け、人種差別、南北戦争による徴兵、そしてクライマックスに起こる大規模な暴動。それら全ては作品のストーリー展開に平行して丁寧に説明されているにも拘らず、ゼロから始まる僕の知識にはちょいと荷が重すぎた。
 だから映画館を出る時には、結構呆然としていたものです。ストーリーの善し悪しを問う以前に、ニューヨークという都市の成り立ちと歴史そのものに興味がなくては、到底楽しむことはできないと。 そして家に帰ってから、いろいろとインターネットで調べましたよ。こういうのも一種の映画の魔力と言うべきかも知れませんな。
 映画を見る前に知っておくべき知識としては、アイルランドのポテト飢饉。それによるアイルランドからアメリカへの史上空前ともいえる大規模な移民。出身が農民であるがゆえに起こる非技術系労働への労働者の集中。職場を奪われるというネイティブの不安。ローマ法王の支配下にあるカトリックに対する、プロテスタントの愛国的不満。そして、実際にあった4日間にも及ぶ民衆達の暴動。でありました。
 そうして知識を深めて行くと、何が重要であったのか見えてくる。つまり、暗闇のように先行きの見えぬ時代の中で、自らの力だけを頼りに道を切り開いて行く労働者達の姿。そしてそれらを象徴するのがギャングであるともとれる。主人公の復讐における愛と憎悪の心の葛藤も、徹底的な敗北の後に新たな段階へと引き上げられ、やがては父と同じ場所にまで自らを昇華させることになります。そういった部分に焦点を当てれば、また違った見方も出てくるように思います。
 映像的には物凄い迫力があった。ニューヨーカーの、辛らつなまでに生きることに忠実な態度からおこる暴力が、目を覆いたくなるほど画面上に繰り広げられている。作品の冒頭にある雪上の死闘は、労働者達が思い思いの自然な格好で、白銀の広場が毒々しい血の色に染まるまで続けられ、非常に生々しかった。クライマックスで民衆に向かって放たれる艦砲射撃も凄まじい。俳優陣も気合が入ってて、主人公のデカプリオは本当にふてぶてしいっつうか、憎々しい感じがよく出ていた。すごいね、あの人は。他は言わずもがな。
 こういう風に、自分の故郷のルーツを描く事ができた監督って、すごく羨ましく思います。
 宣伝については苦言を呈する。予告編とかコピー見ると、恋愛映画って感じがするけど、恋愛ってガラの映画ではなかった。ヒロインの存在は、主人公の愛憎を表面に浮き立たせる為に重要であるし、映画全体があまりに殺伐とし過ぎている為に息抜きとして必要ではあるけど、恋愛そのものは伏線でしかなかったように思う。もっとこう、「仁義無き」とか「血で血を洗う」とか、そういったコピーを前面に押し立てていれば、いろいろ言われずに済んだのではないだろうか。
 まぁとりあえず、何てったって大作なんやから、映画館で見た方がいいと思います。時期ずれて大分縮小してますけど…。
(どうでもえぇけど、この映画のタイトルってメチャクチャ格好いいと思う。原作と同じらしいけど…)
03/02/12
 別にネタというものも無くて(年中言ってる)、プライベートなことも書きたくなくって、知ってる人にサイトやってることバラシまくって、そんなんで日記サイトを続けて行く事ができるのだろうかと悩みつつ欺瞞に満ちた日々を送っています。
 今日もまた、日記を更新しようとパソコンに向かったものの、キーボードに手を乗せたまましばし硬直。もうそろそろ日記を打つのも潮時かなぁと感じています。向いてないことをつくづく感じている。
ホームページのネタ
 真剣に考えていかなくてはならなくなりました。このホームページを何のホームページにするかということを。
 文章をダラダラ書きまくる事を、このサイトの基本方針としていましたが、やっぱりホームページというものは、他人が知りたい情報に対して、自分が持っている情報を幅広く提供していくことにあると思います。
 最初っから、ひと通りの情報を載せたものを作って置かなければなりませんな。作っておいてから他人を招待して、必要に応じてその情報を更新していくのがマトモなサイトの手続きと言えます。
 私にとって、その送る情報というものがないのがネックです。さっきまで、この文章を打ち込みながら、いろいろとホームページの案を出して行きたいと思っていたんですが、まったく浮かびませんな。他人から見たら、この日記、10行程度の簡単な文章と写るのでしょうが、実際のところパソコンの前に座ってから既に1時間が経とうとしています。いっくら考えても案が浮かんで来ません。趣味と言っても大したものが無い。本を読んでも映画を見ても、体系的ではないために語りようが無い。最近ゲームもやってない。休日に旅行するわけでもないし、専門知識もない。あまりに平凡な日々を送り過ぎてますな。
 さて、唐突に案が浮かびました(行き当たりばったり)w。本でも映画でもゲームでも、作品をひとつに絞って研究してみる。これは結構イケテル案のような気がします。その作品を見極めるのと、研究する時間があればねぇ。
 しかしながら、個人の立ち上げる一つのサイトとしては、なかなかに価値のあることのような気もします。遊文堂っていう名前にそぐわなければ、別サイトにしてもいいし、特別なコンテンツにしてもいい。ちょっと光明が見えてきました。長い間パソコンの前に座っていた甲斐がありました。
 長い間独り言に付き合って下さり有難う御座いました。見なくてもよかったのですよ。フフ
 もう夜中の二時になろうとしています。明日も仕事です。部屋には僕一人。
 む、
 虚しくなって来た。今日はこれまで。
  *
追伸:そういった案に触発されて、リンクに『青空文庫』を追加しましたw
03/02/06
 個人的な話になってしまいますが、二月に入ってから日々が慌しく過ぎて行くような感じがします。二月という語感からして、ただ単に寒いだけの平凡な時期といった感じがするのですが、出会いや別れ、それに伴う準備、そして仕事の一区切りといった世上にある諸々の雑事が折り重なっている時期であり、浮世のしがらみに引っ張りまわされている僕としては、ゆっくりと孤独を楽しむ余裕が無くなってしまう時期であるのです。
 今日の朝も一番に便所へと駆け込む始末。世界でたった一つしかない僕の便器が、胃酸で溶けてしまうのではないかと心配しながら、ただれた日々を送っております。
文章考(少しだけ)
 自分で書いた小説なんかをホームページに載っけていると、かなり精神的に不安定になってしまいます。自分の部屋にあるフェイバリットなエロ本を見付けられるよりも、小説を見たと知り合いに言われるほうが遥かに恥ずかしいものであります。何もコメントが無かったら無かったで心配になるという気持ちも生まれます。
 そして、見よ!このホームページのカウント数。誰も見てねぇよ。自意識過剰にも程があるっていう意味で精神的不安定と分析する事ができます。
 なら載せるなよ。
 でもいいこともあります。何べんも言っている事ですが、真面目に文章を書くようになります。読む人の側に立って、客観的に文章を作ろうという気持ちが必然的に湧いてきます。まるで、怖い先輩が周りにいればいる程に礼儀の精度が上がって行く気の弱い後輩のように(俺だ)。
 で、読み手の側に立とうとして考えたことを、覚書程度に記しておこうと思います。
@ 比喩表現
 記述してある文章を、見たまま文章として捉えるというのは、なかなかにしんどい作業です。あらすじや論理を知るに留まり、まるで勉強と変わらないからです。だから、小説とか詩を楽しむ時は、たいてい自分勝手なイメージを膨らませて読みます。文章を読むことによって良いイメージが湧いてきたら、楽しいし、集中できますので。
 そのために、文章を書く際には相手にイメージを湧かさせるような努力をしなくてはなりません。効果的な方法は沢山あります。文章を七五調にすれば(祇園精舎の鐘の声)、眉毛がキリッとしますし、雰囲気のある単語を重ねれば、筆者が何を言いたいのか優しい人には分かってもらえます。単語個々のイメージにも気をつかうべきですし、擬音表現(ぐちゃっドサリ)もいいですね。
 ここでは比喩表現にスポットを当ててみます。これは自分が書いていることを、全く別の事象に置き換えて例えて見せる表現ですが、虚構の事象や未知の事象を伝達する際には、とても効果的です。
 ひと昔前にテレビ宣伝で、麺の固さを伝える為に女優さんが自分の耳たぶや二の腕をつまんでみるといったものがありましたねとても効果的でしたね。
 何か、相手の分かりやすそうなものを比喩にしてみるといいです。共感も沸きますし。稀に突拍子も無い比喩を思いついて、それがぴったし合う時には耐えがたい感動があるものです。
 よって、読み手に読みやすくするために比喩を多用すると言う行為は、結構いい方法ではないかと思う次第であります。

眠くなったからもう寝ます。
 @は何だったんだと言うお客さん、あれはシコミですよ。ヘヘ。冗談半分後悔半分
03/02/01
 日付もとうとう2月に変わってしまいましたね。どうです?今年に入ってからの一ヶ月間は実りの多い時を過ごすことができましたか?男子三日会わ不れば即ち刮目して見よ。だったら30日も経つと、ふためと見られぬ姿になってるのでは…お前は誰だ!?ってな感じ。…何書いてんだ俺は…
 成長の片鱗も見られぬドモ介君でした。パチパチ
 さてさて、またまたレイアウトの変更を致しました。すなわち更新状況の欄を削除したのが主な変更点です。コンテンツのほとんどが、日記による更新となり、今までの文章は黎明期文章としてひとつにまとめましたし、必要ありませんね。
 よって、今後はこの日記さえ見ていれば全ての更新を知ることができるようになります。
 だんだんとシンプルになって行くこのサイト。滅亡の兆しが見えているような気も…
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