トレドの空間美  アラブ式パティオについて




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 トレドの空間美アラブ式パティオ 

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 トレド・街角の表情  

 山上郁海プロフィール  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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気の強く情熱的なスペインにあって、

古都トレドの人々は恥ずかしがり屋で内気です。

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ユネスコの世界遺産でもあるトレドが首都となっているカスティーリャ・ラ・マンチャ地方は、ドン・キホーテでも有名です。

 

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古代ローマや、西ゴートと呼ばれるゲルマン民族に支配されたあと、711年から1085年までトレドはイスラム教の王国でした。

1085年、アルフォンソ6世に征服された後もアラブ人の力は強かったため、アラブ式建築方法が随所に取り入れられました。

とくに、今も200余はあるといわれるトレドのアラブ式パティオは、華やかな南部アンダルシアのパティオとは異なり、静謐な味わいがあることで知られています。

寒さの厳しい北部は砂漠の民のお気に召さなかったためか、アラブ式パティオはトレド以北には存在しません。

ローマ時代の家にアラブ式建築、さらに中世・近世ヨーロッパ式の建築が継ぎ足されている例も見受けられます。

そんなトレド独特の空間は、スペインに於いても珍しいものです。

 

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かつてアラブとユダヤの間には、今のような確執がなかったため、ユダヤ人街やユダヤ教の礼拝堂もありました。カトリック、イスラム教、ユダヤ教が共存していた姿から「西洋のエルサレム」と呼ばれていたほどでした。

ところが、1492年にアルハンブラ宮殿で名高いグラナダ王国が陥落し、スペイン全土で「レコンキスタ」、つまりカトリックではない異端者を追い出す国土回復運動が終了。イスラムの時代は終わりを告げます。

厳しい異端審問も行なわれ、トレドのイスラム教徒とユダヤ教徒は、北アフリカやヨーロッパの東へ逃げるのか改宗するのか、命を懸けた決断を迫られたのです。

モロッコ北部に逃げたイスラム教徒や、セファルディと呼ばれるスペイン系ユダヤ人の、末裔たちは今でもスペイン語を話します。

 

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トレドのアラブ式パティオは、人々に癒しを与えているといっても、決して過言ではないでしょう。

古い木材の化粧門の内側に広がるパティオは、涼しく落ち着いた執事のように、住人や仲間をお出迎えします。

木洩れ日の降り注ぐ庭はひんやりとし、夏は40度を越す暑さから住人を守ります。仲間たちは、ここで、昼下がりのおしゃべりに興じたり、夜はカクテルパーティーを愉しんだり。

マドリードの衛星都市として、開発の波が押し寄せる中、歴史を守ろうとする人々の運動もひそかに進行しています。

朽ち果てたパティオの古い天井の梁や壁のタイル、モザイクなどを生かしながら再生させたりその技術を若い世代に伝えるグループは、ともすれば大企業の手先になりがちな行政を振り向かせることに苦労しながらも、すばらしい仕事を残しています。

 

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余談ですが、ここには、フラメンコギターの巨匠、パコ・デ・ルチアの別宅もあります。

バルと呼ばれる居酒屋で、トレドの話に花が咲くとき、必ずちらりと盛り込まれる、トレダーナたちのひそかな自慢になっています。

   

 

 

そんな性格を代弁するかのような、ひっそりとした通りからは想像もつかない空間美をお伝えしたいと、かねがね強く願っておりました。

 

alcasar.jpg マドリードから南に70km。

スペインのほぼ中央に位置するトレドは、川と平原に囲まれた小さな丘陵の上に作られている街です。

 

 

毎日多くの観光客が訪れますが、個人の庭となっている「アラブ式パティオ」はたいてい閉じられており、外から来た人々は覗くことができません。

そんなパティオは、イギリスやフランスの庭などと比べると、まだ日本ではあまり知られていないと言えるでしょう。

 

 

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狭い石畳の入り込む、道という道は、まるで迷路。

アラブ時代のカスバが偲ばれます。

 

暖かさをできるだけ取り入れるために、冬に太陽の差し込む側を一段低く作ってある古いパティオもあります。

主人が客人をもてなす男性の間と、簡単に外出を許されない女たちが人生を愉しむための女性の間が、どこの家でもパティオを愛でることのできる場所に設計されていました。

ひっそりとした通りは敵に中の様子を見破られないための知恵。

高い壁の内側では、噴水を囲んで煌びやかな女性たちがお茶を手に、甘いお菓子をつまんでいたり、踊りや宴に興じていたり。そんなことはつゆ知らず、兵(ツワモノ)どもが通り過ぎていったことでしょう。

 

 

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現代史でもトレドは1930年代のスペイン市民戦争で、共和国政府軍とフランコ軍の大きな戦場となり、壊滅的被害を受けました。

外部の者が簡単には把握できない迷路のような道のお陰か、幸いにもパティオのある旧市街への破壊は少なく、ローマ時代の地下室や中世の地下道などへも通じるパティオによって、多くの人々がかくまわれ命を助けられてきました。

旧市街に残るアラブ式パティオは、宗教、歴史、民族の悲しみを越えて、「調和」、「平和」、「精神の静かさ」を象徴するかのようです。

住人のみならず、街に住む人々の誇りともなっています。

この街の人々は皆、どの家にどんなパティオがあるか知っています。精神的に共有しているのかも知れません。

   

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不思議なことに古いパティオを目の前にすると、移りゆく深みのないものなど、どうでもよくなるのです。

そのためか、この街には画家や写真家など、多くのアーティストが住んでいます。

私が知る限り、彼らはブランドや流行には無頓着。

豊かさにトレンディーなんか必要ないのかもしれません。