☆『裸足のマリー』 1993年 ベルギー,フランス,ポルトガル映画 ☆監督:マリアン・ハントベルガー 出演:マリー・ジラン,アレッサンドロ・シゴナなど
美しいロード・ムービー。 ・・・であることは認めているのだ。 ベルギー、フランス、ポルトガルと国境をヒッチハイクで渡る女子高生のマリー。そして幼い坊やであるトニオ。
ベルギーの田舎町の出来事。そこにマリーとトニオは暮らしていた。 恋人の自殺、その後付き合った男の子を身ごもるも捨てられ、また自分の出生によって父が母と別れた事実を知るマリー。生まれてすぐに母親は家を出て、定期的に届く母親からの贋の手紙を大事にしているトニオ。彼の父は交通事故で亡くなってしまう。 この暗い暗いベルギー時代の二人を、その映像は“夜”を多用して描く。
「お母さんのところに連れていく」と、施設に預けられたトニオを脱走させ、ポルトガルへと向かうマリーとトニオ。昼間に脱走するのだが、脱走したての二人を描くのはやはり“夜”。 まだ二人の心は通じ合っていない。むずがるトニオ。自分が何をしているのか分からないマリー。当然のごとく二人はギクシャクしているのだ。
何が美しいロード・ムービーなんだ! しかし徐々に、その風景の美しさを賛美するかのように昼間の情景が増していき、二人の繋がりも濃くなっていく。そして見つけたホテル。マリー・ジランは惜しげもなくその18歳の豊かで健康的な肉体をスクリーンに晒す。 照れるトニオ。 二人が「ふっ」と笑う。ゆっくりと二人の間に“絆”が芽生えた瞬間だ。
旅を続ける二人は、ヒッチハイクでバイクの二人組みに出会う。一人の男と戯れるマリー。 それを「女は汚らわしい!」と罵るトニオ。 「機嫌を直して」と請うマリー。 ねぇ、ちょっと“絆”を感じるでしょう。
二人が近くなってからの“夜”は、暗〜い夜ではなくて、星空の夜。もちろん、それ以前にもあったに違いない星。でも描かれるのは一人、一人の気持ちでいるときではなくて、“二人の気持ち”になってからだ。
やっとこトニオの母親に辿り着くのだけれど、そこには『菊次郎の夏』(1999年製作/北野武監督)と同じく、新たな家庭があって・・・ 母親の家を走り去るトニオ。それを見失うマリーは交通事故の現場に遭遇。幼い子が袋に詰められて運ばれていく・・・
ラスト、エンディングのクレジットに被って、路面電車の線路が走る細い石畳の坂道を、マリーとトニオがじゃれながら下っていく。その道はやがて左に緩やかに曲がり、我々の視界から消えて続いていく。道が消えていくその左に折れる緩やかなカーブは、ちょうどそこに立つ建物に強い太陽の光が降り注いでいて、その強さに白く、その先の折れた道をも明るく照らし出している。 そしてそこを、トニオとマリーがじゃれながら、急ぐでもなく、その地に未練があるわけでもなく、かといってどこに行くあてもあろうはずもなく、なのに幸せそうな粒となって消えていく・・・
正直に言うと、非常に断片的な映画だ。例えば
●好きな人に自殺される苦悩 ●自暴自棄な青春(ドラッグとかも出てくるしね) ●出生の真実 ●親友の裏切り ●少女の妊娠 ●旅先での出会いはあるが、別れが描かれない ●親探し
などなど。。。 どれをとっても1本の映画が出来てしまうような主題をもっているのだが、そんなことは描かない。 それが微妙なんだが、しかしかし、なんかこの「明かりの変化」で二人の気持ちが透けて見えるそのわかりやすさに感動してしまうし、何より毎回毎回、あのラストシーンが見たくて見たくて堪らなくなるのだ(それもエンドクレジットだよ)。 あのラスト、本当は幸せではないはずだ。トニオは実の母親に引き取ってもらえず、マリーだってお腹に抱えた子どもはどにもなっていない上、来るしなで身分証を盗まれていて、どこにいくにもお縄を頂戴する羽目になるはずだ(国境越えてんのよ、この人は)。 ぜ〜んぜん、なんにもひとつも解決していないのだ。
でもホッとする・・・ 救われた気分になる・・・ あぁ、良かった、とさえ思う。
それが、この映画がビーミョーウな所以なんだ。
しかし本当にトニオ役のアレッサンドロ・シゴナは可愛らしい演技をしている。マリー・ジランは本当に存在感があって、なんと言うか映画の真ん中に確り立っている感じがする(この娘がオモロイのは、彼女、この後、サーカスの学校に入学して曲芸を覚えるんだよね。なんで?)。
ちょっとHな方はこんな楽しみ方も・・・ あのバスタブのシーン、良いのよね〜、乳白色のお湯から |