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今日も映画の風が吹く2004年10月号

2004年10月31日 (日) 映画的でない?ことの素晴らしさ
澤井信一郎監督『日本一短い「母」への手紙』
1995年製作 日本映画 『日本一短い「母」への手紙』
監督・脚本:澤井信一郎 脚本:伊藤亮二 音楽:坂田晃一

 澤井信一郎監督の『日本一短い「母」への手紙』を久々にスクリーンで見た。やはりいい映画だ。
 先日、澤井監督とこの映画の話をしたばかりだった。僕はこの映画と公開時期が近かったクリント・イーストウッド監督『マディソン郡の橋』が大好きである。この2作、カット割りがドウノコウノ、映画的なセンスがアアダコウダ、といったような嫌味が全くない。

 強いていえば、人間の感情の流れがあって、それを役者が演じて、それをカメラが収め、つながれる。
 
 映画だからコウナンダ、というあからさまな映画らしさがない。

 「ない」というのは、もちろん嘘である。例えば『日本一短い「母」への手紙』において、幼いころ母に捨てられ父親が一人で育てた姉・弟の姉は、古美術修復という職を得る。「古美術」、そしてその作業振りはいかにも映像的で、映画であることの作為が透けて見える。
 しかしこの映画はそればかりではない。
「職業に貴賎はないけれど」と前置きして澤井監督は続けるが「久方ぶりに再開する娘が、農協の職員だったり会社の受付嬢だったりするほうが、この娘は自分が捨てた後、父親の手によって立派になったのだなぁ、という感じがすると思う」
これは「人間の感情の流れ」における作為といえば言えなくもないが、こういった工夫が、あからさまな「映画的な作為」というものを薄め、嫌味のない映画へと展開させている所以であるのかもしれない。

 「『マディソン郡の橋』の音楽が好きで、音楽家にはこの映画を見るようにと頼んだ。そういった点で、2本の映画に近い印象を持つことはあるかもしれない」
 『日本一短い母への手紙』の音楽は、非常に素晴らしいと思う。叙情的になるスレスレのところで叙情を排した感じがある。
 父の死後、姉へ黙って母と再会する弟。それを意地を張って許すことの出来ない姉。姉の意地こそ最もだと気付かされ、束の間の喜びを悔いる母。どこをとっても涙をそそるようなシーンが配置されている。
 しかしこの映画は、極力シビアに展開させる。なるべく人間の甘さを削ぎ落とす。再開する人物達は、簡単に手を取り合って喜びあったりはしない。20年に及ぶ空白区間が、そんな一瞬では埋まらない、あたりまえの他者としての視点を忘れてはいない。
 それに対して音楽も素直に応えていると思う。鷹揚にメロディが盛り上がるわけでもなく適格で、メロディ・ドラマを起源にもつメロドラマの一部にありがちな、音楽ばかりが感情の流れを支配するような嫌味さもない。

 素晴らしい映画だ。映画だという感じを感じさせない、そんな意味では挑戦的な映画なのかもしれない(そう言うと、嫌味になっちまうかな)。

 「自分が作る映画は、ひょっとしたら映画を見なくても、脚本だけを読んでもらって楽しんでもらえれば、それでしめたものだと思っている。そういう意味で、自分は映像的だと思ったことはない」

 そんな監督の言葉を実証するかのように、『日本一短い「母」への手紙』は存在しているのかもしれない。

        シネアートン下北沢にて、澤井監督の特集上映中!

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2004年10月29日 (金) 人間が、あらわれる・・・新潟県中越地震
 「人間が、あらわれるなぁ〜」
 七十を超えたベテラン・ディレクターが、一言漏らした。産経新聞の記事『生存信じた父子供の好物背負い丘越え』にはこうある。

‐‐‐二十六日午前には勤務先の会社が契約したヘリコプターに乗り、現場の上空を飛んだ。貴子さんが走ったはずの道路に沿って約一時間半の飛行中、目をこらした‐‐

 先日、がれきの中から4日振りに生還した皆川優太ちゃんの父親・学さんの、必死の捜索を書いた記事である。
「勤務先の会社が契約したヘリコプター・・・」このご時世に、本当に親身な会社だと、感服した。

 コンビニに置かれた、新潟中越地震の募金箱には、千円札もたくさん入っているそうだ。

 今日の帰り、ふと買った東京新聞夕刊記事『愛犬 じいちゃんに任せろ』にも心を打たれた。
 山古志村の樺沢伊越さんが、孫が置き去りにされた犬を気遣うのを見かね、夜中、密かに避難所を抜け出して村に戻り、犬を救出した話だ。助けた犬はこの春、山古志村に越してきた孫が、なかなか友達が出来ず、話し相手にと飼い始めた犬だ。
 犬は、家族だ。彼にとってはもっと絆の強い兄弟かもしれない。伊越さんも同じように感じたのではないだろうか。
 救助犬レスター号。皆川優太ちゃんが乗っていた、がれきに埋もれる車に鼻を寄せ、人間が生存していることをレスキュー隊にいち早く伝えたそうだ。
 
 先日見たNHK教育『福祉ネットワーク』は、生中継で災害現場にいる障害者の方と電話で結んでいた。電話に出ていた障害者の方は目が不自由だそうだが、避難所では皆が親切にしてくれるとのことである。
 今晩見たNHKニュースでは、野沢温泉村が、避難所暮らしの方々を温泉に招待しているとのこと。
 「久しぶりに足も伸ばせて、本当にありがたいことです」
インタビューにおばあさんが応えていた。

 「人間が、あらわれるなぁ〜」

 「人間性が出る」って意味だろうか?僕らの「心が洗われる」って意味だろうか?それとも、「本物の人間が現れる」という意味だろうか?
 ちょっと深い一言だと思った。

 こういう時こそ、人間があらわれる・・・
2004年10月26日 (火) どんどんお金を使って、もっともっと助けることはできないのか!新潟県中越地震
 「地下でこれだけ揺れるんだから、けっこう大きいですよ、この地震」と、編集マンが言った。編集も終わりに差し掛かり、それ帰るぞ!と思っていた矢先だった。
 前日、元NHKの技術の方とNHKの地震速報について語り合ったばかりでもあった。

 新潟県の中越地方には、今年卒業し、農業を営む者がいてメールを送る。返信がない。それもそのはずだ。埼玉県内への携帯電話もつながらないのだから(桶川方面は震度4だった)。
 農業を営む彼からは翌日朝、「元気だ」というメールがきた。今日(10/26)は、仲間と被災地へ炊き出しに出かけるとのことである。

 産経新聞の「新潟県中越地震グラフ記事」。凄まじい写真の数々である。特にこの写真この写真は、どうだろう。
 これが日本の姿なのか?と疑ってしまう。
 映っているところは、パレスチナのように戦禍に見舞われたところでもなければ、アジアのようになかなか思うように経済が活況しない国でもない。
 これが日本の姿である。
 海外援助へ華々しく航空機が飛ぶ国がこのありさまだ。

 もっとなにかやりようがないのか?
 朝日新聞が伝えるところでは、避難生活で倒れる人が増えているとのこと。老人や乳幼児など、弱者と呼ばれる人達から、比較的安全な、例えば新潟市内とか長野市内のホテルや旅館のような宿泊施設に移送することはできないのだろうか?
 遠くから見ている分際で出すぎたことを言っているのかもしれないが、まずはこの寒さを乗り切るように、お金を使えないものだろうか?
 
 以前、このホームページでも書いたが、イラクに派遣された自衛隊の働きは、NPO団体が行えば[何百分の一]の経費で済むそうだ。比較にならない話であることは承知だが、そのように効果的にお金を使っていれば、今の今、もっともっと湯水のようにお金を使えるんじゃないか?と思ってしまう。
 
 どんどんお金を使って、もっともっと助けることはできないのか!

        時事問題一覧ページ『あれも時事?これも時事!
2004年10月24日 (日) 忙しくて嬉しい日々。。。TBS『夢の扉』
 ちと忙しい日々を送っている。8月半ばから撮影に入った教育用ビデオ4本が、なんとか昨日MA終了(MA=整音。声や現場音、音楽、効果音を入れて、聴き心地が良くなるように音を整える。この作業がビデオ制作では最後の過程)。
 それから制作費が大きなPRビデオのプレゼンがあったりして、〆たタイムカードを見てみると、一月に徹夜が7日ほどあった。またまたPRビデオの企画書が舞い込む雰囲気で、休みもあまりなくて、ちとクタクタ。知り合いに弱音を吐いた。

 しかししかしここのところ、嬉しいことに卒業生が訪ねてきてくれる機会が多い。ついでとはいえ、都内にいる者、岡山、新潟と遠いところから足を運んでくれる者、皆、忙しい中、大変感謝している。
 某TV局に勤める卒業生は、台風、事件・事故、オリンピックとてんてこ舞いで、やっと夏休み。都内の制作会社でTV番組のAD(アシスタント・ディレクター)を勤める卒業生も週1日休み体制。まぁ、忙しいのは俺だけじゃない、ですな。
 ある卒業生とは、二人で某TV局へ企画書を提出する予定。あくまで予定。これから事前取材をして、ちとここのところ考えていたテーマを実現できれば、と考えている。
 
 ところで10月にTV番組は改編を迎えた。10月1日付けの東京新聞芸能欄で特集していたのは、TBSで日曜日18:30〜始まった『夢の扉』。女性タレントをリポーターにたて、夢に向かって地道な努力で新境地を開いた人々を追ったものだ。ちなみにん場レーションは宮沢りえ。
 初回は見逃してしまったが、2回目は他の追随を許さぬ高い技術で、工場を新設する下町の町工場の老社長。3回目は下半身不随となった後、使いやすい車イスを開発し続ける社長。アテネパラリンピックに出場する選手達も使っている。今日4回目は、沖縄で珊瑚の復活を目指し取り組む人を追っていた。
 2回目、3回目の取材対象者は江戸っ子みたいな感じの人で、そのかしこまらない姿が面白かった。

 この番組、なかなか視聴率が取れないと言われるドキュメンタリー番組に対して、女性リポーターを立てることで、その点も克服しようという狙いがあるようだ。皆さんはこの試みをどう見るか?
 僕は、実はドキュメンタリーを志向する作り手が増えたのではないかと考えている。毎年春に学生を受け入れるが、バラエティー志向の生徒よりもドキュメンタリー志向の生徒は確実に増えている。まぁ、昔に比べて何か社会の制度に挑もうなどといったヘビーなものを志向する者は減ったが、何かを掴もうと、掴んだ人間を追ってみたいという志向は増えている。
 それを証明するかのように、同じTBS『情熱大陸』のい人気は、学生達に非常に高い。この番組は芸能人、それに近い職種の人が多く対象に選ばれているが、とにかく一流、一流の階段を上り始めた人の、その傾ける情熱を探っている。
 学生達は『情熱大陸』から、そのパワーを探り、憧れ、何が自分に足りないかを感じているようだ。

 テレビ東京は、まだ未見なのだが、月曜日に『ザ・ヒューマンD』というドキュメント番組を開始。今、ドキュメンタリーは静かなブームだ。
 僕はこう見る。皆、頑張っている姿に好感を持っている。ちと荒みがちな社会だからかもしれないが、頑張っている人がいることが、どこか「安心」するのかもしれない。自分も頑張れる気になるのかもしれない。
 僕はこう感じている。頑張っている人々を見ると、この世も捨てたもんじゃない、と思う。

 しかし頑張っている人達は、皆、忙しそうだ。卒業して頑張っている卒業たちもそうだ。僕も頑張ってみようと思う。

      ドキュメンタリー映画&TVドキュメンタリー一覧
      ドキュメンタリーを見るべし!
2004年10月7日 (木) とってもビミョーな映画。
マリアン・ハントベルガー監督『裸足のマリー』
☆『裸足のマリー』 1993年 ベルギー,フランス,ポルトガル映画
☆監督:マリアン・ハントベルガー 出演:マリー・ジラン,アレッサンドロ・シゴナなど

 美しいロード・ムービー。
・・・であることは認めているのだ。
 ベルギー、フランス、ポルトガルと国境をヒッチハイクで渡る女子高生のマリー。そして幼い坊やであるトニオ。

 ベルギーの田舎町の出来事。そこにマリーとトニオは暮らしていた。
恋人の自殺、その後付き合った男の子を身ごもるも捨てられ、また自分の出生によって父が母と別れた事実を知るマリー。生まれてすぐに母親は家を出て、定期的に届く母親からの贋の手紙を大事にしているトニオ。彼の父は交通事故で亡くなってしまう。
 この暗い暗いベルギー時代の二人を、その映像は“夜”を多用して描く。

 「お母さんのところに連れていく」と、施設に預けられたトニオを脱走させ、ポルトガルへと向かうマリーとトニオ。昼間に脱走するのだが、脱走したての二人を描くのはやはり“夜”。
 まだ二人の心は通じ合っていない。むずがるトニオ。自分が何をしているのか分からないマリー。当然のごとく二人はギクシャクしているのだ。

 何が美しいロード・ムービーなんだ!
 しかし徐々に、その風景の美しさを賛美するかのように昼間の情景が増していき、二人の繋がりも濃くなっていく。そして見つけたホテル。マリー・ジランは惜しげもなくその18歳の豊かで健康的な肉体をスクリーンに晒す。
 照れるトニオ。
 二人が「ふっ」と笑う。ゆっくりと二人の間に“絆”が芽生えた瞬間だ。

 旅を続ける二人は、ヒッチハイクでバイクの二人組みに出会う。一人の男と戯れるマリー。
それを「女は汚らわしい!」と罵るトニオ。
「機嫌を直して」と請うマリー。
ねぇ、ちょっと“絆”を感じるでしょう。

 二人が近くなってからの“夜”は、暗〜い夜ではなくて、星空の夜。もちろん、それ以前にもあったに違いない星。でも描かれるのは一人、一人の気持ちでいるときではなくて、“二人の気持ち”になってからだ。

 やっとこトニオの母親に辿り着くのだけれど、そこには『菊次郎の夏』(1999年製作/北野武監督)と同じく、新たな家庭があって・・・
 母親の家を走り去るトニオ。それを見失うマリーは交通事故の現場に遭遇。幼い子が袋に詰められて運ばれていく・・・

 ラスト、エンディングのクレジットに被って、路面電車の線路が走る細い石畳の坂道を、マリーとトニオがじゃれながら下っていく。その道はやがて左に緩やかに曲がり、我々の視界から消えて続いていく。道が消えていくその左に折れる緩やかなカーブは、ちょうどそこに立つ建物に強い太陽の光が降り注いでいて、その強さに白く、その先の折れた道をも明るく照らし出している。
 そしてそこを、トニオとマリーがじゃれながら、急ぐでもなく、その地に未練があるわけでもなく、かといってどこに行くあてもあろうはずもなく、なのに幸せそうな粒となって消えていく・・・

 正直に言うと、非常に断片的な映画だ。例えば

●好きな人に自殺される苦悩
●自暴自棄な青春(ドラッグとかも出てくるしね)
●出生の真実
●親友の裏切り
●少女の妊娠
●旅先での出会いはあるが、別れが描かれない
●親探し

などなど。。。
 どれをとっても1本の映画が出来てしまうような主題をもっているのだが、そんなことは描かない。
 それが微妙なんだが、しかしかし、なんかこの「明かりの変化」で二人の気持ちが透けて見えるそのわかりやすさに感動してしまうし、何より毎回毎回、あのラストシーンが見たくて見たくて堪らなくなるのだ(それもエンドクレジットだよ)。
 あのラスト、本当は幸せではないはずだ。トニオは実の母親に引き取ってもらえず、マリーだってお腹に抱えた子どもはどにもなっていない上、来るしなで身分証を盗まれていて、どこにいくにもお縄を頂戴する羽目になるはずだ(国境越えてんのよ、この人は)。
 ぜ〜んぜん、なんにもひとつも解決していないのだ。

 でもホッとする・・・
 救われた気分になる・・・
 あぁ、良かった、とさえ思う。

 それが、この映画がビーミョーウな所以なんだ。

 しかし本当にトニオ役のアレッサンドロ・シゴナは可愛らしい演技をしている。マリー・ジランは本当に存在感があって、なんと言うか映画の真ん中に確り立っている感じがする(この娘がオモロイのは、彼女、この後、サーカスの学校に入学して曲芸を覚えるんだよね。なんで?)。

 ちょっとHな方はこんな楽しみ方も・・・
 あのバスタブのシーン、良いのよね〜、乳白色のお湯から
2004年10月6日 (水) 一人前になっていく・・・第1回花の街ふかや映画祭
 今週の日曜日、10月10日より、埼玉県深谷市で第1回花の街ふかや映画祭が1週間の予定で開催される。仕掛け人は、以前このホームページでもご紹介した深谷シネマを運営するNPO法人シアター・エフの竹石研二さん。市役所、商工会議所を巻き込んでの新たな取り組みである。
 初日10日は、1974年、深谷市で撮影された『愛は緑の風の中』を上映。ゲストに主演女優の原田美枝子さんが登場する。また佳作と評判高い『折り梅』の上映も予定されており、一味違った映画祭の予感が漂っている。

 さらにさらになのだが、僕が勤める映像技塾学院の2年過程を卒業し、研究生として在籍しながら映画制作に取り組む矢野真麻さんの『穴掘り』という作品の上映も決定した。この作品、ホラーチックな小品で本人曰く「悪は絶対に罰を受ける」という、おっかな〜いけど勧善懲悪を訴える異色作。
 そして意欲作。
 一生懸命スタッフが汗をかいて掘った穴。そしてセットを組んだ穴の中(穴の中を再現したセットを組みました)。「映画を作る」という努力に満ちた作品である。

 もう一つニュースなんだけど、我が校の2年生が、僕と一緒に取材に出かけたのを機に、映画祭の実行委員であるボランティアスタッフや竹石さんの取り組みを追ったドキュメントを撮影中!都内からではいささか交通費のかかる深谷市にも関わらず、交代でカメラを持って出かけている。1人は、僕の同僚のディレクターのアシスタントをしながら休みをもらって、いま一人は徹夜のバイトをしながら、他にも山ほど課題を抱えてのチャレンジだ。
 日曜に信州からの旅の帰り、二人を激励しに立ち寄った。初めての長期取材、そして一つの対象を追っかけるという初の試みに、取材対象との距離のとり方に何か悩みを感じていたようだけれども、その悩む姿に、学生というより同じ映像業界に身を置く同僚のような逞しさを感じた。
 僕も毎回、同じようなことで悩んでいる。僕がまだまだな映像人ということもあるかもしれないが、同じ悩みを共有して話ができるということに、彼らが一人前になっていく姿を見て、とても嬉しかった。

 お時間のある人は、ぜひ深谷市に足をお運びあれ!え〜と映画以外にも、駅は煉瓦作りで洒落てますし(煉瓦の街ですから)、流れるプールと波の出るプールを持つ立派なアクアパラダイス・パティオという施設もありまして、意外と娯楽に富んだ街でございます。色んな時間の使い方ができますので、その1メニューに、是非とも映画祭。うちの学生の姿をチラッと見てやって下さい。

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