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今日も映画の風が吹く2005年2月号

2005年2月14日 (月) 知らないでは済まされそうもない…NHKスペシャル『21世紀の課題 司法大改革 あなたは人を裁けますか ドラマ編 第一夜』
NHKスペシャル『21世紀の課題 司法大改革 あなたは人を裁けますか ドラマ編 第一夜』
 2005年2月12日放映(2005年2月14日深夜再放映) 制作:NHK

 一般市民が裁判員として、被告人を裁く、「裁判員制度」が近々日本でも導入される。3人のプロの裁判官に混じり、6人の一般市民が裁判に加わる制度。
 それを問うNHKスペシャルだ。

 僕が大学生だった頃、三谷幸喜脚本・中原俊監督『12人の優しい日本人』という映画があった。日本がアメリカみたいに「陪審員制度」を導入したらどうなる?という映画。
 12人中11人の陪審員は、被告人の美しさに、被害者のデタラメぶりに、正当防衛で無罪を主張するが、1人が有罪を主張。この1人の頑張りで、最後は8人が有罪までにひっくり返る。まぁ最後はドンドーンとどんでん返しがあるオモロイ喜劇。
 そして「なんとなく」「フィーリングで」という理論によらない主張を展開する人達がワンサカ出てくるところなんか日本的かも、と思って見ていた。

 さてNHKスペシャル『あなたは人を裁けますか ドラマ編』だが、話はデキスギテイテ、展開もあれよあれよという感じで、緩いのかなぁ〜という感は否めませんが、それでもこのドラマが描きたかったこと、
 「一般市民の裁判員は、自分の人生観などを元に裁きを行う」という点は描けていたのではないかと思う。

 アメリカの陪審員制度は、日本の裁判員制度とは違う。アメリカのそれは、
 「権力を持つものが、きちんとその権力を行使しているかをチェックするもの」である。
 つまり警察・検察という国家権力が容疑者・被告人とみなしたことは、正しいのか正しくないのか?不当に権力を使って市民を陥れてはいないか?この点にある。
 だから数年前、プロスポーツ選手が妻を殺害したとして逃走・逮捕した事件は、被告人は限りなくクロなのだが、れっきとした証拠を挙げられなかった点で、警察・検察は不当な権力行使であり、無罪であり、アメリカ的な判例の代表とされている。

 日本は違う。
 どうも最近の判例は、一般市民の感覚とはづれてはいまいか?被害者感情が考慮されていないのではないか?裁判官以外の職に就いたこともない人間が、市井の人間の気持ちに立てるのか?そんなところから出てきている。
 だからある意味では、我々は、あるがままで裁判員として臨めばいいのである。

 ただ、個人的には危惧する面もある。
 アメリカでは、将来、陪審員を務める可能性があるために、義務教育段階から陪審員教育が行われている言われている。ところが日本人はそういったことも行われずに、ポーンと裁判所へ連れ出されるわけだ。
 仕事の都合でやりたくないなどということで心配するよりも、本当にアッシは行っても大丈夫なんすか?なんでオイラが行かなきゃならんのだ?という声に応え、その意味を伝えること、伝わっていない現状のほうを、もっともっと心配せねばならぬのでは?と僕は危惧している。
 
 なんにせよ、選ばれちまったら、責務は重い。被告人、被害者、様々な人々の人生の岐路に立ち会うわけだから。
 「知らない」「分からない」では、済まされそうもない事態だ。

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2005年2月13日 (日) クスクス笑える可笑しいドキュメンタリー映画。
ニコラ・フィリベール監督『パリ・ルーブル美術館の秘密』
『パリ・ルーブル美術館の秘密』 1990年製作 フランス映画(ドキュメンタリー)
 監督:ニコラ・フィリベール

 12ほど前にルーブル美術館を訪れたことがある。驚いた。説明版の表記に日本語がある。
 「日本語のメニューが置かれているお店は、あまり美味しくない」これは本当か嘘か知らないが、よく言われていたことである。ルーブルは果たして…
 ルーブルの記憶はあまりハッキリしない。テトラ型の展示室がオープンしたこと、韓国人の観光客が多かったこと。
 フィレンツェのウフィツィ美術館フィリッポ・リッピという画家の絵に感銘を受けてから訪れたせいか、なにか世俗的なことに気をとられた。

 この映画は、ルーブルに美しく飾られる作品を追ったドキュメンタリーではない。
 ルーブルの脇に止められたトラックから降ろされ、街中を荷台に載せられ運ばれる裸の銅像。驚愕の表情を浮かべるその銅像は、こんなところを運ばれることに驚愕しているのかのようだ。

 絵画を修復する人は、丹念に絵に筆を加えていく。
 運ばれてきた作品を「これは凄い作品なのかね?」と言いたげに見る作業員は、スイスイと展示された作品を飾る壁を白く塗っていく。

 収蔵庫に集められ、展示の準備をする職員。プリダンの『テツィアーノ』の作品を捜す。
 「髯と帽子が特徴だ」
 「その特徴で捜したら“モワット”のものだったわ」
 「…」

 ギベルティの『聖母と幼児』は、吹っ飛んだように首がない。
 「19世紀に入館者に壊された」

 無口に展示品を飾る作業員。ディスプレイ・ディレクターは上だの右だの指示を飛ばし、終いには「あとで全体の構成について考えましょう」。彼ら作業員が喋らないのを見ては「恐がっているのかしら?」
 黙々と作業を続ける作業員。展示が住むとディレクターを探す。
 「いなくなった」「置き去りかよ」「警報でも鳴らすか」と、居なくなったとたんに雄弁に喋り出す。

 「水を撒くより大変よ」と消火器を使った消化訓練をするおばさん。「最初の方法を間違えたからこうなったんだ」と、人工呼吸の失敗をなじる職員。口笛を吹きながらテトラの建物の上から垂らされたロープを、まるでサーカスの団員のように上っていく清掃員。
 「バーン」と拳銃を撃つもの。「1000ヘルツ」館内の反響音を測定している。走る救助隊員。担架に乗せられ仰向けの救護者の視界には、天井に埋め尽くされた壁画や天井画の数々が飛び込んでくる。

 職員数1200人。
 この作品は、ルーブルで働く人がたくさんいることを、おかしみを持って映し出したドキュメンタリーだ。
 ナレーションも状況を説明するテロップもない。喋りは、働く人々の会話と呟き。
 こまごまとした説明がなくても、映像は楽しめる、ということを雄弁に語るドキュメンタリーだ。

 ときおり映し出される作品たち。人に見てもらうための作品なのだが、作品たちはまるで展示するのに、ああでもないこうでもない、とやらかしている人々を見ているようだ。
 そんな描き方もウィットに富んでいて、クスクスと笑いたくなってしまう、楽しい作品である。

 ニコラの作品、『音のない世界で』は、こちら。

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2005年2月12日 (土) 娯楽の王様。パパ・タラフラマ公演『三人姉妹』&『ヲg』
『三人姉妹』 
 作・演出:小池博史 出演:白井さち子、関口満紀枝、あらた真生
『ヲg』
 作:小池博史 作・演出・出演:松島誠 
 出演:池野拓也、熊谷和彦、坂田明日香、菊池理恵、橋本礼

 娯楽とは、単純に「楽しむ」こと。パパ・タラフラマの公演にはいつも、この単純なことが詰まっている。
 
 舞台いっぱいに飛び回る演者の姿。その身体性。体のキレ、そのステップ、もっと先に触れるかのように伸びる腕、振り子のように振れる全身、そして隠すことなく飛び散る汗。
 肉体の美しさ、強靱さを見せつけられたとき、こちらの目は演技ではない、アスリートを見ているかのような楽しみを得る。

 目に飛び込んでくるその空間をブラウン管のように感じれば、そこにはアーティスティックな映像美を楽しめよう。照明、音響、そして演者。
 おもちゃ箱のようにめまぐるしく、美しく刺激的な映像が飛び込んでくる。

 芝居としての物語は複雑怪奇と言っても過言であるまい。決して分かりの良いものではない。
 「テーマはなにか?」
 「何を意味しているのか?」
 こんなことを探りたければ、それはこの公演が終わった後まで、我々は考えねばなるまい。
 お題目のはっきりとしたドラマやなにやらを見せつけられてばかりいる昨今、何かを自ら解釈することの楽しみは数少なく、貴重である。

 僕は今、さしあたって3つの楽しみを並べて見た。しかしこの楽しみは、見る人にとって、もっともっと、幾重にも広がる、なにやら宇宙を形成するのではないかと考える。
 あ〜そうだ。この2つの芝居とも、僕ばかりでなく、多くのお客さんが大笑いとクスクス笑いを連発していた。そんな楽しみも4つ目にあった。

 まだまだ無限にあるのではないだろうか?自分で掴む娯楽。娯楽の王様みたいな芝居である。

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2005年2月9日 (水) ちょっといい話、知ってますか?FNSドキュメンタリー大賞 優秀賞『手向花の伝言〜東北大学病院と救急医療〜』
手向花の伝言〜東北大学病院と救急医療〜
 放映日:2004年10月31日(2005年2月4日再放送) 制作:仙台放送

 インフルエンザが流行っている。ただの風邪も流行っている。近所の小学校は学級閉鎖になったそうだ。
 子供の頃「もう少しで学級閉鎖だ」と、シメシメと思っていたのだが、9人になっても授業は続けられた。大人になって、百発百中でインフルエンザにかかるのだが、熱に強いのと、意外に無理の効く体で休むことがない。
 今年は予防接種を受けた。この注射が効いている、と思いもするが、私は「気は持ちよう」の人なので、「注射した」ということが効いているような気も…
 とにかく休まず授業をしている。が、教室はガラガラ。しかしこれも皮肉な話で、少なければ少ないほど、生徒は質問に答える。それもそのはず喋りやすい。聞いているこっちも一人一人に対応しやすい。
 世の中は、色々と皮肉である。

 仙台放送制作の『手向花の伝言〜東北大学病院と救急医療〜』を見せる。フジテレビ系列のテレビ局が出品する「FNSドキュメンタリー大賞」で、昨年、優秀賞を取ったものだ。
 1999年、東北大学病院前の交差点で女子高生が車に轢かれ、救急車が来る。目の前の大学病院に搬送されることなく、3時間後に死亡。皮肉なことに救急車には、大学病院から飛び出してきた医師が付き添う。「大学病院に連れて行けば、非難の謗りは免れなかっただろう」と後述している。
 仙台出身の僕にとって、東北大学病院は仙台一と思っていたのだが、当時、救急部にはカルテすら用意されていない。もちろんまともに診察できるところもない。
 大学病院は、「患者」を受け入れるところではなく、高度な病気、つまり難病などの研究対象になる「病気」を診るだそうだ。

 ところがこの大学病院が変わろうとしている。一つはこの女子高生の死がきっかけ。市民の避難の声が高まった。
 もう一つは研修医制度の変更である。一昨年までは30人ほどの研修医を受け入れていた東北大学病院。昨年は9人。人気がない。
 救急医療で名を馳せる沖縄県立中部病院。研修希望は300人以上。36人を受け入れる。
 研修医制度は臨床、つまり患者を診る医師の養成へと変化。研究に主眼を置く大学病院は、臨床経験をあまり積めない。専門科目にとらわれず、満遍なく患者を診る力がつく「救急」が人気となったのだ。
 さらに国立大学病院の独立行政法人化も拍車をかける。今まで大学病院が赤字になった場合は国が補填。しかし今後はそれがない。
 患者を診なければ、病院に収入はないのである。
 
 外部から救急医を入れ、改革に乗り出した東北大学病院。そこへ風呂の湯加減を見に行って、過って湯船に転落。体全体の92%に火傷をおった4歳男児が搬送されてくる。
 体中がただれ、そしてめくれあがった皮膚からは赤く痛々しい肉が見える。「助かる確率は低い」と救急医は言う。
 各診療科の医師が集まってチームを組み、男児の治療にあたる。数度の手術により「助かる確率は低い」という言葉とは逆に、男児は医師や両親の呼びかけに反応するようになっている。終いには、治療が痛いと、泣きさえする。死んだ人から善意で提供された皮膚も、ちょっと浅黒い人くらいにしか見えないほどで、あの痛々しさはない。
 生徒の一人は、この男児が元気になっていく姿が「ちょっといい話だ」と感じた。
 
 大学病院前の事故現場は、花が絶えることがない。命日には、同級生たちがバラバラに現れて、花を手向けていった。
 女子高生が死んですぐ、同級生たちは発表会で、彼女の好きだった歌を歌った。
 もう一人の生徒は、これが「ちょっといい話だ」と感じた。

 ドキュメンタリーでも、ドラマでも映画でも、「ちょっといい話」はどこかにある。取材の際は、このちょっといい話をひたすら引き出すのに苦心する。
 「ちょっといい話」は理屈ではなく、人を共感させる。「ちょっといい話」ってなんだ?

 男児が元気になるのも、花を手向けることも、医師が男児を、同級生が女子高生を、思っているからだ。
 人が人を思うこと。それが「ちょっといい話だ」。「ちょっといい話」は、あまり口には出さないけど、誰の胸底にもきっとあるのではないだろうか。

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2005年2月7日 (月) 除雪車が山を作ってくれた。
NHK特集『除雪大作戦〜青森市5日間7億円の闘い〜』
NHK特集『除雪大作戦〜青森市5日間7億円の闘い〜』
制作:NHK青森 放映日:1986年2月16日(2005年2月6日,『NHKアーカイブス』にて再放送)

 小学生の頃、秋田県湯沢市、青森県黒石市と移り住んだ。湯沢市に移り住む直前まで住んでいたのは、沖縄県浦添市。雪の降らない街から豪雪地帯へ。その時、なにを感じていたのか忘れてしまったが、いま思えば狭いといわれる日本は広い。北から南まで、もたらす自然は全く違う。

 初めて雪かきを体験したその日、口から血を垂らした。
 雪かきのショベルをグッサリと雪に突き刺そうとしたら、積もりに積もった雪は思いのほか硬く、思ったより刺さらない。力あまって体がのめり、ショベルの柄に歯がガチン。
 真っ白な雪にポタポタと赤い血が模様を描いた。

 子供にとって雪は冒険だった。
 かまくらを作った。住む家から見える学校も、夏は田んぼが遮ってくねくねと道を辿ってあちらこちらを通るが、冬は田に積もった雪をかいて一直線に通学路を作った。
 数日置きに除雪車が家の前に来た。除雪車を運転するおやじさんは、気を利かしてこんもりと山をこさえて帰っていく。子供らはそこでソリ遊びやミニスキーに興じる。
 テレビゲームなんぞなかった25年ほど前、自然が子供にとっては何よりの遊び道具だった。

 今朝の東京新聞社会面に『除雪費雪だるま状態』という記事がある。群馬県北部で降り続いている雪のため、沼田市では今年の除雪費を使い切ってしまったとのこと。
 青森県青森市の除雪費用は、平成12年度の豪雪の年は29億円。子供にとってのご馳走である雪も、大人にとっては大変な負担だ。

 NHK特集『除雪大作戦〜青森市5日間7億円の闘い〜』が制作された1986年、雪による犠牲者の第一号は、小学生。道の両脇に積まれ、歩道を埋め尽くした雪のため、已む無く車道を歩行中、車に轢かれて死んだ。
死んでしまった小学生を偲んで飾られた花束が、雪にすっぽりと埋もれている姿が、雪国の悲しみを印象づけた。

 青森市は当時、年に一度、除雪排雪の大作戦を行う。除雪車とは別に、除雪された雪を運ぶために借り出されるダンプ1500台。財政は厳しい。降雪量を見計らって、一度きり一気に行う。
 夜の10時から朝の7時。5日間の除雪排雪作業。公道の雪を失くすための作戦だが、この時とばかり皆、家に積まれた雪を道にかく。真っ暗の夜中。除雪車が来るのを待ち構える市民。「雪と闘うには仕方がない」と、雪を放る。

 22ヶ所に設けられた排雪場所は、雪が高々と積まれもはや積むことが出来ない。雪を海に投げる。
 投げられた雪が、遠くまで広がる青森湾。ぷかりぷかりと浮くその雪の上に、海鳥が停まる。
 人間は大変やなぁ〜海鳥はそんなことを思っているのかもしれない。

 先日、銀座・松坂屋で開催されている山古志村の写真展を訪れた。四季折々の美しい自然。しかしこの土地が猛威をふるった。
 自然は、人間の思いのままにならない。思いのままにならないからといって、人間は自然の中で暮らさないわけにはいかない。
 ガスマスクをしながら三宅島に戻る人々。昨年多くの天災で被災し、その土地で頑張る人々。
 NHK特集『除雪大作戦〜青森市5日間7億円の闘い〜』を観て、自然と闘い、自然と共存する人々を応援したい気持ちになった。

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2005年2月6日 (日) 凛として恥を晒す。溝口健二監督『近松物語』
『近松物語』1954年製作 日本/大映
 監督:溝口健二 原作:近松門左衛門 脚本:依田義賢 撮影:宮川一夫
 音楽:早坂文雄 出演:長谷川一夫、香川京子 ほか 

 不義密通を働いた男女が背中合わせに縛られ、馬に乗せられ市中を引き回されている。首を垂れ、ひどくうなだれているように見える。
 主人公のおさん(香川京子)は、それを屋敷の中から見て、「あんな辱めを受けるぐらいならば自刃したほうがいい」と言う。
 時代は江戸時代。五代将軍の頃である。不義密通はご法度。死罪である。磔だ。

 ラストシーン、おさんは茂兵衛(長谷川一夫)と背中合わせに縛られ、市中を引き回される。
 しかし二人は、うなだれてなどいない。大勢の野次馬の中を、シャンと背を張り、キリッとした顔付きだ。
 辱めの舞台だ。しかし二人の、特におさんの表情は清々しく、晴れ舞台であるかのようだ。

 暦の大店の妻・おさん。その大店の職人茂兵衛。不義も密通も働いていない二人は、義理のため、許せぬ不実のために店を出て、逃亡先でお互いの気持ちに気が付き結ばれる。
 けっして世間からは認められることのないこの二人の関係は、悲しいかな、市中を引き回されることで「お披露目」となり、死を持ってこそ堂々と結ばれる。
 人はこれを悲劇ととるか?

 サブ監督『ポストマン・ブルース』は、郵便局員の男が、病の女との約束を果たすために自転車で突っ走る映画である。男は在らぬ嫌疑をかけられ警察に追われる身。銃殺されてしまう。女はその時、病状が悪化。黄泉の国へと旅立つ。
 男の銃殺体へ駆け寄る、滑稽なほど多人数の警察官の中を、死んでこの世のものではなくなった女が、彼を迎えに来て、二人はその中を、笑顔で手をつないで旅立つ。
 良かった。二人が結ばれて良かった。そんな風に思える幸せな光景だ。

 死んで、笑顔で手をつなぐ二人。晴々として市中を引き回され、死へと向かう二人。
 映画は、生死を越えた「幸福」を描く。それは、悲劇ではない、と思う。
 『近松物語』の原作は、実際にあった事件をもとに書かれたそうだ。近松の書いた作品の中には、事実に基づいて、自分の力ではいかんともし難い現実の中、死に追いやられる人々が多く描かれている。

 死を持って事を成す。
 そんな映画は決して悲劇ではないだろう。凛とした姿、そして作者の優しいまなざしに心が温まる。 

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2005年2月3日 (木) やるせない。
 さいたま市内のワンルームマンションで、27才の女性と5才の男児の餓死死体が発見された。男児は一月上旬、女性は一月中旬に死んだものと推察されるそうだ。
 所持金は8円。
 調味料も空になっており、家にあるもの全てを食べ尽くして逝ってしまったのではいかと報じるものもあった。

 朝日新聞の記事によれば、女性は昨年七月にテレクラで男性と知り合い、九月に同居。その際「自分の子供ではないが、連れてきていいか」と男性に尋ね、男児を連れてきたという。
 同居していた男性は、十月下旬にマンションを出る。その際、数百円を置いてきたそうで、これが二人の最後の収入だったのではないかとみられている。

 東京新聞の記事によると、十一月ごろまで、男児が元気に遊んでいた姿が目撃されている。そしてまた、十二月上旬に近所のスーパーで買った餃子のレシートと包装紙が部屋から見つかっている。
 さいたま市の調査によると、生活保護の相談や母子手帳の発行形跡はないそうである。

 以前、母子が餓死した記事を目にしたことがある。
 「生活保護を受けていれば助かったのではないか」という声に対して、「生活保護のような公的な仕組みを知らない人が多いのではないか」という反論がよせられていた。
 確かに、なんとなく知っている仕組みだが、どこかで教わった記憶もない。年金制度一つとっても、通知がこなければまともに知る機会もなかった。
 社会の制度というのは充実していても、認知されていなければ意味がない。この女性も知らなかったのかもしれない。

 「自分の子供ではないが、連れてきていいか」。
 自分の子供でもない男児を、なぜ女性は連れていたのか?それも男と新しい生活を送るその場へ。それもワンルームマンションだ。
 結果的に死なせてはしまったものの、虐待や放り出す親が多い昨今、なにか合致しない。
 奇妙な気持ちに駆られる。

 役所には行けなかったのではないか?行けば二人は、切り裂かれたのではないだろうか?
 正式な親子ではなかったとすれば、まして収入もない女性とくれば、一緒に住まうことはかなうまい。
 男児も女性と離れたくなかったのではないだろうか?新聞には、男児が虐待を受けた形跡を耳にした近所の声も載っていない。
 二人は普通ではないが、普通の暮らしを送っていたのではないだろうか?

 やるせない。
 公的な援助の下、生きていく道を選択しなかったことも、もちろん、やるせない。
 僕の勝手な推論が当たっていて、どんな二人の関係であれ、「生きる」ことを用意できない社会は、やるせない。
 結末はさておき、二人の人生が幸せだったことを願いたい。

時事問題を一覧にしました。「あれも時事?これも時事?
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2005年2月2日 (水) ブッシュ氏も石原氏もそこで死ぬことはないだろう。
 開票までに最低5日間はかかるとされるイラクの国民議会選挙。この選挙の成否がイラク戦争以来のアメリカ・ブッシュ大統領の評価に直結されると報じられている
 イラクに民主化が根ざせば、圧政をひいたフセイン大統領を倒したブッシュ大統領の功績は、評価されるところがあってもいい。

 その反面、イラク国内の荒れ具合も、アメリカ主導のイラク戦争がもたらしたことも事実だ。自爆テロ、誤爆。犠牲者は市井の人々。どれほどの命が失われたことか…
 「犠牲はつきものだ」と、頭の良い人達は述べるかもしれない。ある軍事関係の文献を読んでいたら、「自国兵士の死亡率25%」という予想が載っていた。物事を主導する人達は、様々なことを覚悟して行う。

 1/31(月)東京新聞夕刊の『手術後 再び投票所へ』という記事が目をひいた。首都バグダットの投票所に並んでいたアシール・アブド・ジャバールさん。自爆テロに遭い、病院へ搬送されたが、治療後、再び投票所へ行き投票。
 「テロを続ける連中に言いたい。イラク人はこんなことを恐れない」
 ジャバールさんは、投票後に興奮しながら語ったという。

 2/1、三宅島の避難が解除。夜の船便で第一陣が帰島する。石原都知事は避難勧告解除について「自己責任で」と口にした。
 それが正論なのかどうかは分からない。あえて言わせてもらえば「愛国心」なんてのを口にするおっさんが、故郷を愛する人達に向かって言う言葉かね〜故郷を愛する心が国を愛する心につながるんだと思うけど。

 勝手なことばかり言うね〜政治は。ブッシュ氏も石原氏も関係ない。イラク国民と島民の勇気がもっと讃えられてしかるべきだ。
 そこに住まうのは彼ら。そこで死ぬのも彼ら。
 ブッシュ氏も石原氏も、そこで死ぬことはないだろう。

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