『カルメンという名の女』 1983年/フランス 監督:ジャン=リュック.ゴダール 原作:プロスベル.メリメ(『カルメン』) 脚色:アンヌ=マリー.ミエヴィル 出演:マルーシュカ.デートメルス ジャック・ボナフェ ミリアム・ルーセルなど
学生がなんということなく、 「ゴダールは、わけがわからない」「ゴダールは、おもしろい」と、呟いた。議論するでもなく、それで話は終わりのようだ。 そしてその会話に引きづられるように見たのが『カルメンという名の女』である。
ゴダール好きの映画批評家などに言わせれば「ゴダールほどわかりやすい映画はない」のだそうだ。僕には正直、そこまでゴダールを理解することができない。 ゴダールの映画の多くは物語が断片的で、それを線で結ぶ作業が厄介だ。その作業に失敗すると、人は「意味がわからない」と言い、映画を無価値なものとしてどん底へと突き落とす。
しかしこの『カルメンという名の女』は、比較的、物語が結べる「わかりやすい映画」である。といってもゴダールだから容赦ないのだが… カルメン(マルーシュカ.デートメルス)という若いギャングの一味の女が、知り合った男(ジャック・ボナフェ)を一味に加える。男は次に行われる強奪の全容がわからないまま、不安やカルメンの心を読み取れず、自分を見失い、カルメンに振り回される。そして男はカルメンに裏切られる。 何のことはない女が男を振り回す映画なのである。そしてカルメンと男の関係が、なにやら映画とそれを見る我々の関係を暗示しているかのようでもある。 心を奪われるのは、全編を奏でる音楽である。 全編を奏でる音楽は、一味に率いられる男の友人の妹/クレール(ミリアム・ルーセル)が所属する弦楽四重奏団が奏でるもので、その練習風景が断片的に描かれるのだが、カルメンと男の進む物語の起伏というものが、なんだか二人の意志で動いているのではなくて、この奏でられる音楽に支配されているように見えてくる。 ミュージカル映画で登場人物が、その心情表現を歌う歌に託すのであれば、これは全くの逆で、奏でられる音楽がその心情表現を役者に託しているかのようである。そんなことに心を奪われて見ていたら、映画の物語などというものはどうでもよくなってしまい、とても楽しい映画となった。
人は映画をどのように見ているのだろう?どのような映画を求めているのだろうか? 岡本喜八監督『ダイナマイトどんどん』は、やくざの抗争に手をやいた警察署長が、やくざに野球で解決しろと言い放ち、やくざも野球で解決しようと、野球大会を開く話だ。 「やくざが野球で決着???」そんなことはありえない。そんなデタラメが許されるだろうか?と思いつつ、僕はこの映画を「最高の野球映画」と楽しんでいる。
一瞬戸惑ってしまう、わけのわからない映画が減っている。わけがわからない映画ほど、「コンチクショー、理解してやる!」とムキになって見たものだ。 デタラメな映画も減っている。デタラメな映画ほど、「映画はこんなことも描けるのか…」と憧れたものである。 どことなくおさまりの良い映画が増えてはいないだろうか?映画を見てスッキリした気持ちになっていないだろうか? ゴダールの映画は、そのどちらにもあてはまらない。ゴダールの映画には、我々を映画へと向かわせる、麻薬のような危険な匂いが漂っている。
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