英国便り from 出見世先生


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英国便り 灼熱の大地-チュニジア編U〈8月7日〉

 暑中お見舞い申し上げます。今年の夏休みは、いかがお過ごしですか。
 今回は、チュニジアの結婚式について紹介したいと思います。私達は、結婚のセレ モニーすべてに出席できたわけではないのですが、いわゆる結婚式、花嫁側主催の披露宴、花婿側主催の披露宴が行なわれました。結婚式では、新郎・新婦の誓いが行なわれ、主にそれぞれの家族、親族になりますが、お祝いの品が贈られます。これは、午前中に花嫁側の家に花婿及びその一部の家族が訪問する形で行なわれました。イスラムの国ですから、当然のことながら、アルコールを飲むことはありませんが、花嫁の母親が手作りで用意したお菓子が振る舞われました。こうしたお菓子は、チュニス空港のカフェでも見かけましたが、日本人の味覚からはかなり甘いものでした。
 その後、花婿一行は、花嫁の家を去り、花嫁の側では披露宴の準備が始まりまし た。まず、花嫁はビューティーサロンに行き、花嫁衣裳を着ます。もちろん、もろもろの準備をすることはいうまでもありません。ワシム先生によると、そのビューティーサロンはチュニジアでも有名なところらしく、なかなか予約も取れないとのことです。私の妻は、幸運なことに、花嫁と同じところで髪をチュニジア風に整えてもらいました。妻の話では、ビューティーサロンにはエステやマッサージなどもあり、また、他に6人ほど花嫁の方が来ていて、大賑わいだったそうです。 私とワシム先生は、ビューティーサロンへ家族を送った後、帰りの切符を買いに駅まで行きました。ワシム先生の家に戻ると、家族の方はみなシエスタの最中でし た。シエスタとは、昼寝のことで、チュニジアでは一般的に行なわれているそうです。そのため、人々が会社で働く時間は、一般的に7時30分から14時までで、その後、シエスタになるのだそうです。私達が戸惑ったことは、昼食の時間が14時であ ったり、16時であったりしたことでした。どうやらシエスタの前後に2回目の食事になるようです。そして、3回目の食事は22時以降にお菓子などを軽く食べるとい ったものでした。披露宴は、20時に始まるとの説明を受けたので、私も息子とシエスタをしました。その途中、ワシム先生が来て、これからみなで出かけるので、家にいてくださいといわれました。
 その後、20時になっても21時になっても誰も帰ってきません。広い家の中で、私と息子はだんだん不安になってきました。もしかしたら、小さな息子には夜の披露宴は気の毒だと思い、家にいるよう言ってくれたのだろうかと考えもしました。息子からは、ワシム先生に電話すればいいよといわれましたが、電話もなければ彼の携 帯番号も知りません。22時近くになり息子に歯磨きをして寝かせるしかないと思ったとき、ビューティーサロンに行っていた花嫁と妻を含め、皆が帰ってきました。 ビューティーサロンでの支度に時間がかかったそうです。ワシム先生たちのほうは、披露宴会場でいすや机を並べたりキャンドルを立てたりなど、会場の設営を行なっていたそうです。それから、大汗をかいて会場を設営した人たちが順次シャワーなどを浴び、23時過ぎに会場へ車で移動しました。 私達は、ワシム先生の運転する車に乗ったのですが、走り出すとまもなく、花嫁を乗せた車を含め、一斉に「プップッププ」とクラクションを鳴らすのです。夜の11時にどうしてこういうことをするのか不思議に思い、ワシム先生に尋ねると、結婚の祝いのために鳴らすのだそうです。実際、チュニスのホテルに宿泊した際にも、夜中に同様のクラクションの音を聞きました。会場は、500人ほどの規模のもので、一族や友人が大勢集まり、歌手とバンドが宴会を盛り上げていました。時折、花嫁、花婿が席を離れ曲にあわせて踊りだすと、会場からも彼らのその周りに来て踊る人が出てきます。披露宴においても、アルコールはもちろんありませんが、皆で踊ってお祝いをするのがチュニジアの結婚披露宴のようです。深夜1時過ぎに花嫁のお色直しがあり、会場の係の人たちが後片付けを行なっている中、宴は3時まで続きました。写真は、お色直し後の花嫁です。まるで『アラビアンナイト』に出てくるような姿でしょう。
 翌朝、花嫁の母は、誰よりも早く起き、私達のために朝食の用意をしてくれました。また、私達が朝食を食べ終わった頃、花婿が羊の肉一頭分を抱えてやってきました。翌日の花婿側の披露宴に花嫁側が料理をして持っていくのが慣わしだそうです。私達は、その後、ワシム先生やご家族に別れを告げ、鉄道を利用してチュニスに戻りました。ガイドブックでは4時間ほどかかると書かれていましたが、途中大きなトラブルもなく、3時間20分ほどでチュニスに着きました。今回のチュニジアでの経験を通じて、時間の感覚やその使い方が国によって異なることを改めて実感しました。