英国便り from 出見世先生


ココでは出見世先生より届いたメールや写真なんかをご紹介しております。


英国便り Vol.21〈3月26日〉

 出見世ゼミの皆さん、お元気ですか。
 5期生の皆さん、卒業、おめでとうございます。明治大学を卒業されるに当たり、ゼミで皆さんに伝えたかったことを改めて述べたいと思います。まず、ケースを通じた議論により、企業倫理を学ぶことは、よく考えるようになることだということを紹介しました。企業が多様な利害関係者とつながっていることや最悪の事態が想定できないと、問題が大きくなったしまうことがわかったと思います。また、「当たり前」のことが「当たり前」ではなくなることも紹介しました。社会により支持される事柄も時代によって変化します。たとえば、少なくとも私が学生の頃までは、努力、友情、勝利をテーマにしたマンガ雑誌が週に500万部も売れる状況にあったのです。今でも、こうした事柄が支持されないわけではありませんが、最小限の努力で、ほどほどに人と付き合い、勝ち負けを好まないという見方もあります。
 倫理がなぜ必要なのかといえば、倫理が市民社会、産業社会の基盤であるからだというような話もしました。そのときは、体制崩壊で社会的な混乱にある国で、電線の銅線が何キロにもわたり盗まれた話をし、こうした社会では経済的な発展も望めないだろうと言いました。しかしながら、英国で報道されている現在の日本の状況では、駐車止めなどの身近な金属の盗難が相次いでいるとのことです。こうした事柄は、日本の経済的な発展を支えた基盤が揺らいでいるかのようです。このことも、「当たり前」のことが「当たり前」ではなくなることの例になると思います。
 ゼミでのプレゼンテーションを通じて、何となくではなく、人に明確に説明できるようになることを学べたと思います。一昨年、実施した就職懇談会を見ても、参加してくれた卒業生の皆さんがそれぞれの就職体験や職場での状況をわかりやすく説明されていましたね。卒業論文の作成に当たっては、水村先生より主語・述語の関係がわからないとの指摘を受けた方もいるのではないでしょうか。これは、私や水村先生の指導教授である中村瑞穂先生からの教えです。きちんとした文章が書けなければ、論理的に考えることもできないからです。
 さて、卒業されて4月から新しい生活を送られることと思います。生徒や学生という立場でなくなると「2年生」「3年生」という言葉は使われなくなります。自ら変化させようとしなければ、ただ齢を重ねるだけの生活にもなります。また、新生活の中には、自分では想定していなかった事柄も数多く起こることでしょう。それを「こんなはずではなかった」「こんなことをやるために就職したのではない」等々と考えてしまうか、今までに考えもしなかったことに取り組めるよい機会だと考えるかで大きな違いが生じます。最初は、前向きに新しい物事に取り組んで欲しいと思います。もっとも、会社の目からではなく社会の目から見てこれはおかしいと思ったことについては、その理由を上司であっても求めなければならないと思います。皆さんは、企業倫理を学んだのですから。
 そうした企業倫理に関わることでなかったとしても、自分で納得できない仕事を担当することもあるかもしれません。そのときは、その仕事について、自分で期限を決めて判断するしかないと思います。3年、せめて2年働いて、その仕事の意味や自分にとっての魅力がわからないようであれば、次の仕事を考えることも必要かもしれません。私自身も、現在の生活の中で、自分が改めて教えることが好きなことを再確認しました。研究のことを考える一方で、授業でこうした展開もできる、あのエピソードは使えるなどと考えています。後1年後には、再び教壇に立つことを描きながら、暮らしています。「始めにあたり、終わりを思い、終わりにあたり始めを思う」、こんな文章を新聞で読んだことがあります。物事には、必ず始まりと終わりがあります。ことを始めるときには、最後の姿を思い描き、ことが終わるときには、始めたときの思いを振り返る、こんな意味だったと思います。毎年、最初の授業を始める前には、この1年どのような授業にしようか、考えます。最後の授業のときには、その授業を始めたときに描いていたことが達成できたかを考えながら、授業の締めくくりをします。
 さて、英国便りも今回をもって最終回とさせていただきます。更新を担当してくれた5期生の方に改めてお礼を申し上げるとともに、現在、私が作成しているページ(http://homepage2.nifty.com/demiseseminar/)に何らかの続編を載せていきますので、ご期待ください。