プルタルコス
著作活動は熱心で、3世紀頃に編纂されたプルタルコス著作目録によれば、『対比列伝』(英雄伝)をはじめ、227もの書物が挙げられている。
『対比列伝』は1人の人物を記述した単独伝記4編と、古代ギリシアの人物と古代ローマの人物を対比した対比列伝22編からなる。対比列伝では、アテナイの王テセウスと王政ローマを建国したロムルス、スパルタの律法者リュクルゴスとローマの古王ヌマ、アレクサンドロス大王とカエサル、などが対比されている。
この『対比列伝』は16世紀にジャック・アミヨによる仏訳がなされ、その仏語版から17世紀のサー・トマス・ノースが訳した英語版を参考にシェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』、『アントニーとクレオパトラ』、『コリオレイナス』などのローマ史劇を執筆したとされる。(トマス・ノース英訳版『プルターク英雄伝』が 、1993年に龍渓書舎で高価な特製本2冊組で刊行している、塚田孝雄編)
『倫理論集(モラリア)』は政治・宗教・哲学などについて論じた随想集であり、エッセーの起源であるとされる。のちにモンテーニュやラブレーなどのルネサンス期のフランス文学や、ラ・ロシュフーコーなど17、18世紀のフランスモラリストに、大いなる影響があった。
ボイオティアにあるカイロネイアの名門出身。アテナイで数学と自然哲学を学び、ギリシャ本土と小アジアのサルディス、エジプトのアレクサンドリアに赴き、カイロネイアの使節としてローマにも度々滞在した。生涯を故郷で過ごし、市民と親しく付き合い、ローマからの客をもてなしたので、家は大いに賑わったとされる。一方では、デルフォイ神殿の神官と交流を持ち、神託を推奨した。
思想的にはアカデメイア派に属し、その他ストア派やペリパトス派の考え方も取り入れていた。
前半/あーがいる・ろばーとそんしょうこうぐん アーガイル・ロバートソン症候群 名詞
前半/あーがめいと アーガメイト 固有名詞
前半/あーがめいとぜりー アーガメイトゼリー 固有名詞
前半/あーきん アーキン 固有名詞
前半/あーきんじょう アーキン錠 固有名詞
前半/あーすこぐしょうこうぐん アースコグ症候群 名詞
前半/あーすれなん アースレナン 固有名詞
前半/あーすれなんざざい アースレナン坐剤 固有名詞
前半/あーちすと アーチスト 固有名詞
前半/あーちすとじょう アーチスト錠 固有名詞
前半/あーちふぁくと アーチファクト 名詞
前半/あーちめんと アーチメント 固有名詞
前半/あーちめんとじょう アーチメント錠 固有名詞
前半/あーつぇー アーツェー 固有名詞
前半/あーつぇーさん アーツェー散 固有名詞
前半/あーでふぃりん アーデフィリン 固有名詞
前半/あーてん アーテン 固有名詞
前半/あーてんさん アーテン散 固有名詞
前半/あーのるど・きありきけい アーノルド・キアリ奇形 名詞
前半/あーまい アーマイ 固有名詞
前半/あーまいかぷせる アーマイカプセル 固有名詞
前半/あーみなん アーミナン 固有名詞
前半/あーめす アーメス 固有名詞
前半/あーめすなんこう アーメス軟膏 固有名詞
前半/あーるぶりん アールブリン 固有名詞
前半/あーるぷりん アールプリン 固有名詞
前半/あーるみん アールミン 固有名詞
前半/あーるみんじょう アールミン錠 固有名詞
前半/あい 愛 さ変名詞
前半/あいえるざしょうこうぐん アイエルザ症候群 名詞
前半/あいおなーる アイオナール 固有名詞
前半/あいおなーるなとりうむ アイオナールナトリウム 固有名詞
前半/あいおぴじん アイオピジン 固有名詞
前半/あいき 曖気 名詞
前半/あいけあ アイケア 固有名詞
前半/あいこざーる アイコザール 固有名詞
前半/あいこざーるくりーむ アイコザールクリーム 固有名詞
前半/あいことな 相異な ら行五段
前半/あいざっくしょうこうぐん アイザック症候群 名詞
前半/あいじょうけつじょせいしんびょうしつ 愛情欠如精神病質 名詞
前半
コンスタンティヌス1世
ディオクレティアヌスの時代に副帝を務めていたコンスタンティウス1世の子として生まれたコンスタンティヌスは、312年に帝国の西の正帝となり、ディオクレティアヌス退位後の内乱を収拾して324年に帝国を再統一した。330年には帝国東方の交易都市であるギリシア人の植民都市ビュザンティオン(後のコンスタンティノポリス、現イスタンブル)に遷都した。統一された帝国の皇帝として、コンスタンティヌスは官僚制を整備し、属州における軍事指揮権と行政権を完全に分離するなどディオクレティアヌスが始めた専制君主制(ドミナートゥス)を強化した。経済・社会面では、ソリドゥス金貨を発行して通貨を安定させ、コロヌスの移動を禁止、身分を固定化することで農地からの収入安定を図った。
宗教政策の面では、帝国の統一を維持するため寛容な政策を採り、ネロ以来禁止されていたキリスト教に信教の自由を与えて公認した。ミラノ勅令によって彼がキリスト教を公認したことは、後年キリスト教がローマ帝国領であったヨーロッパへ浸透するきっかけとなる一方、教義決定に皇帝の介入を受けることにもつながった。
コンスタンティヌス自身は、ブリタンニア出身のキリスト教徒ヘレナを母として生まれたのでもともとキリスト教に好意的であったと言われる。一時期ミトラ教に傾倒したが、晩年にはキリスト教の洗礼を受けた。正教会ではキリスト教徒であった母とともに「亜使徒」の称号を付与されて尊崇された。
コンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、彼と同じ名(ギリシア語形:コンスタンティノス)を持つ皇帝が多数即位した。東ローマ帝国はコンスタンティヌスが創始した専制君主制とキリスト教の信仰の上に成り立っていたため、その先駆者であるコンスタンティヌスを「最初のビザンツ皇帝」と呼ぶ歴史家もいる。